これから研究室・指導教官を選ぼうとしている学生へ

 卒業研究、大学院進学などで進む研究室を選んでいる人達に、前もって考慮しておくと望ましいポイントを列記してみました。「良くない点やまずい点は教えない」という状況が現在の大学にはあります。しかし卒論はその後の自分の人生の選択肢が決まってしまう一生の問題であることを忘れないでください。

 

教員一人あたりの学生数。

 大学の教育環境をはかる目安のひとつに、常勤教員一人あたりの学生数、という数字がある。これはゼミや講義の指導にあたる専任講師以上の常勤教員数が学生数に対してどれくらいかという値で、当然少ないほうが優秀な環境ということになります。教員一人がかかえる学生数が多い、ということは、目がいきとどかない丁寧な指導ができない良い研究テーマにいきあたらないといった強い弊害を産み出します。研究室の教員数と学生数のバランスは、重要なポイントである。

 

出版物・学会等

 その研究室がどのような研究をしているかという点について調べるのは基本である。その際に学内での授業、ゼミ、実習の内容を参考にする他、国内の学会の参加状況、論文の発表状況、書籍の出版状況等も有用な情報である。学生が研究室に何人所属していて、何年生がどれくらい発表をしているか、場合によっては著名な指導者の元、数十人という学生を擁する研究室なのに学生の学会発表が皆無という場合もある。

 

関係者から聞く

 内部・外部の学生の言葉が一番大切である。逆に一番あやしげなのが内部の教員の言葉である。「学生がくる」ということは研究室にとっての一種のプライズとなっている場合もあり、そういうところでは配属されたら教員は豹変、学生はモノ扱いなどということもある。理系の場合は日常生活のほとんどが研究室関連で埋められていきますから、研究テーマや研究室の業績に目を奪われないようにします。人間関係、指導者の教育能力、責任遂行力、ようするに「面倒見のよさ」と「教員としてきちんとしているか」を判断するのが一番大切なことである。

 

教員から聞く

 そこに所属している教員に直接聞く場合である。学生の卒業・修了後の進路、研究テーマ、研究室の表向きの運営方針等はここで聞くことになる。ただしここで接することができる内容は、すべて「公式見解」である。嘘ではなかったとしても、それが本当のこととは限らない。また、都合の悪いことや学生が逃げそうなことについては決して口にしない。必ず、以下の他の情報源と照らし合わせて判断するようにすべきである。

 

よその教員から聞く

 他の研究室の教員に聞くことで「少しだけ」客観的な情報を得ることもある。ただし大学人はどんなことがあっても同業者についてのネガティブな側面については隠す傾向があるものですから、ここでは全体的な傾向程度しかわからない。

 

内部の学生から聞く

 そこに現在所属している学生に聞く。これは、出来るだけ多くの学生に聞く必要がある。学生は、卒業・修了にむけての論文や学会というプレッシャーの下にあり、自分の周囲についてきちんと目配りできていないことがあるからである。「ここはいいところだ、いい先生だ」というポジティブな評価よりも、「これこれこういうところがちょっと大変だ」といったネガティブな点についての話をより大切にする(ポジティブな意見は、教員の公式見解で十分だったりもする)。

 

外部の学生、元学生から聞く

 特に、研究室の卒業生を探す。在学中のこと、外部の大学院に進学した先輩であれば、外に出た理由等を聞いてみる。教えてくれない場合もあるかもしれないが内部の人間は、実生活での利害があり率直な言葉を言えないことがあるから、最も有用な情報は卒業生がもたらしてくれる、ということになる。

 

何を聞く必要があるか

どういう研究テーマがあるか、自分はどういうことができるか、何を学べるのか

研究室の過去の業績にはどういったものがあるか

自分を直接指導するのは誰なのか

学生は夜遅くまで残っているのか

実験用の机はあるか、勉強用の机はあるか

学会や研究会に参加できるか、参加してもよいか

教員と学生が日常的に会話する機会は多いか(お茶、コンパ等)

卒業生は時々遊びに来るか、卒業生の連絡先はみんなわかっているか

卒業生の進路にはどういうものがあるか

就職活動はできるか、してもよいか

学外の研究者や研究室との交流はあるか

学生、卒業生には「大変なことは何か」

等。具体的な話は、相手との雰囲気で聞けたり聞けなかったりもするが、中には教員は大いに歓迎の雰囲気だけれど学生は「ちょっとおすすめできないよ」という場合もあり、個々の質問は臨機応変に考える必要がある。

 また、ここ数年の間で学科を中退した学生がいるかどうか、いる場合どこの研究室で、理由はどうだったのか、といったことも公的見解にはあらわれない現実を示している。これらについては教員の口から事実が語られることはまずないので、ここでもやはり卒業生を探す、という必要がある。

 

あなたの指導教官は大丈夫?

 数多くの相談を受けていくうちに、学生がトラブルにまきこまれる環境の特性というものがしだいに見えてくる。学生のメンタリティ、大学や学部、学科の個性といったもの以上に、問題の根幹には教員に共通する性質が重要なポイントといえる。ただ、それぞれの現場にある学生自身は、常に自分の努力不足や才能不足に問題の原因があるものと解釈し、教員の問題を軽視しがちである。話を聞いていくうちに、個々の事例がいかによく似通ったものか、ということに既視感と驚きを禁じ得ない。大学の教員というものが独自性の高い人種というよりも、なにがしかの共通した性格・人格の歪みを持つ特定の社会階層として認識しておくほうが良い、ということなのか。

 

指導教官チェックリスト

・その時、その時で言うことが違う

・物忘れがはげしい

  以前に言ったこと、指示したことを覚えていない

  相手によって言うことが違う

  だって前はこう言ったではないですか、と聞くと、「そんなことは覚えていない・そんなはずはない・それは今の自分とは違う」 等

・学生の研究内容を理解できていない

・学生からの進言や提案を嫌う

  テーマの進め方について、学生が自分の出した結果から次に何をするかを考え、相談してもそれを却下した上、学生が納得できないような指示を出す。実際にどのような結果がでているか、ということは考慮せず、某論文にはこう書かれていた、某研究者はこう言っていたという具合で一方的な命令を下す

・研究室外の人間に相談することを禁止する

  出された指示、命令に納得できなくとも、とにかくその内容を理解し、実行しようとした学生が、その内容について詳しい人間に質問したり、指導をあおぐことを毛嫌いする。たとえそれが、基本的な実験手技についての問いあわせであったとしても、研究室外部の人間との接触は頑として拒絶するのである。

・学会やその付属会合等に参加することを嫌う

・学生が論文を読むことを嫌う

  指導教官が指示した論文雑誌・学会以外に、学生がこういった公の場に参加することを嫌う。学会に参加して、いろいろな研究者と接し、経験をつむという行為を許さないのである。その理由は「研究の秘密がもれるといけない」であったり、「そういうことをすると他人のマネになる。研究というものはオリジナリティが大事なのでそれは駄目だ」等である。論文も同様であり、教員が「読め」と指定した論文以外を読むことを禁じられる、といった事も行われる。極端な場合には研究室での読書・勉強すら禁止されることもある。

・「とんでも」な研究目標をたてたがる

  教員が「名の売れ方」を気にするようになってきたり、学内での政治力に妙に長けている場合に陥る。内容についての批判があっても無視して、リジェクトされた論文をそのまま他の雑誌に送る、ということを繰り返す。上の問題とあわせて考えると、研究内容についての的確な評価を指導教員が下せなくなってきた、いわば、ある意味では「ぼけてきた」時にこの状態に到達する。またこれは教員の具体的な研究テーマ設定にも当然影響をおよぼす。「今年の目標」、「研究室のテーマ」に怪しげな問題設定をするようになる。最先端の問題は理解が追い付かないので、いきおい古典的な問題設定に近寄っていく。また「結果が出た時の著名度」も重要な要素として考慮されるので、結果として「永久機関」、「常温核融合」、といったいわゆる「トンデモ」なテーマを設定するようになってくる。生物系では「獲得形質が遺伝することの証明」等がこれにあたるだろう。「次の論文はNature」が口癖になったり、妙に社会派を気取ったりしはじめたら要注意である。

学生の研究態度を問題視するにあたって、人格攻撃や決め付けを多用する

  思うような結果がでなくて悩んでいる学生に対して「生活態度が悪いからだ」「やる気がないからだ」「おまえは研究者にむかないからやめたほうがいい」といった言葉をねちねちとしつこくぶつける。定期的に教授室に学生をよびつけてはこれを繰り返す場合もある。また、その際には「最近の研究の様子」についてだったはずの話題が何年も前のミスをほじくりかえして「だからおまえは駄目なんだ」という展開にもなる。就職活動をした学生に対して「就職活動をするなんてやる気のない証拠だ。おまえはやる気がないのだから卒業させない」ということを言う教員も少なくない。下手をすると学生の「家庭環境」「親の育て方」「育ち」「血筋」にまで言及したりする。大学の外ではこういうのはいじめとかハラスメントと呼ばれる。

自分が「学生のことを考えているやさしい教員」であることを強調する

・退学や放校をほのめかすような脅迫まがいの発言をする

  ねちねちと文句を言い続けた挙げ句、他の教員ならおまえはとうにこれこれな目にあっている「が、しかし」自分は学生にやさしい人間なので研究室においてやっているという言い方。本当に学生にやさしい教員であればこんなことをいうはずがないことは自明なのだが。学生に対する扱いのすべては「学生のためを思って」やっていることで、それに抵抗するなど無礼千万というわけだ。学生の結果を勝手に発表したりという出来事もこの延長で起きてくる。

・学生同士での情報交換を嫌う

  研究室での学生同士の情報交換や話し合いを嫌い「なにかあったら直接いえ」というプレッシャーをかける。学生間でどういうことが話されているかを強く気にして、時には助手をスパイがわりに使って後から学生を呼び出して問い詰めたりもする。また、研究テーマについても、ある学生のだした結果を他の学生には教えてはいけないと緘口令を出したりもするのである。

・妙に外面が良い

  外部の人間や「これから研究室に入る学生」等に対しては(対してだけは)極めて親しみやすくにこやかな態度を示す。内部の人間に対する態度と180度異なる場合、それは危険な兆候である。この場合、研究室にはいってからふりかえると「どこかでかわってしまった」としか思えないことがある。「あんなにいい先生に見えたのに」「かわってしまった」という事実が学生にとっては「自分がなにか悪いのだろう」という方向におしながす流れをつくってしまう。同時に、他の研究室の教員に相談しても「あの人がそんなことをするはずがない」と、とりつくしまもなかったりもする。

 

問題はどうやって生じていくのか

 キャンパス・ハラスメントとなる問題は実際のところどのような経緯で発生するのでしょう。またどのようにして問題はエスカレートし、複雑化していく。もちろんそれぞれの事態、それぞれの事例はプライベートとしての個人たる教員と、さらに個人たる学生との関りにおいて発生するものである以上、そのそれぞれにおいて必ず通用するような一般解はない。でもその中には個人の特質や性癖を越えてキャンパスという独特の環境に依存した共通側面があることもまた確かである。ここではそういった共通側面とおぼしき点に着目し問題発生時のシチュエーションを再現する。

 

基本的な感覚における齟齬

 研究室の配属を控えて、教員の前に立った学生のうち、近い将来なにがしかの問題に遭遇する学生は比較的高い割合で「うまくいえないけれど、なんだかへんな感じ」を教員に対していだいています。それは「ちょっと気持ちが悪い」とか「なんだか嫌だ」であることもあるが多くの場合こういう印象をいだいた学生は「でも自分の誤解だろう。なにも根拠はないのだし」と自らを説得してその教員の下に配属されることになる。教員の側もやはり同様の感覚を特定の学生に対して抱くことがあり、この場合は問題が生じた「後」で「君がきたときからちょっと問題があるなと思ったんだ」というようなことを言ったりする。極端な場合には「まえなんか所詮は追加募集できた学生、いわばいらない学生なんだ」とか「別に私があなたにたのんできてもらっているわけではないんだからいつでも国へ帰ってもらっていいんだぞ」というような物言いにもなる。

学問といえども、現実には「師」を選びその「下」について学ぶという意味では封建的な徒弟制度なのです。どんなに近代民主主義をよそおってみても現状ではこの現実は避けられません。したがって、初見での第一印象は、学生にとっても、教員にとっても大切なものです。研究室での勉強・研究にあたって、日常的に最も大切なものは、研究内容でもなければテーマでもありません。日常を共にする者同士のいわば「相性」です本来ならば、指導する教員はこの相性をのみこんだ上で教育・指導をすすめるべきなのですが、残念ながら教育者としてではなく研究者として人生をつんできた大学教員には、このような教育的配慮能力が欠けている場合が少なくありません。結果、双方の抱いている「違和感」がやがて大きなトラブルに発展いていくことになるのです。

 

齟齬からトラブルへの発展

 研究室やゼミに配属された学生は通常、教員から「研究者」としての扱いをうけます。逆に、まだ研究者としての定収入もなく、確定した立場もない勉強中の学生にとってその「場」は学ぶためのものであり、そこに属するためのハードルを乗り越え、授業料を支払い、学ぶ権利を獲得できた環境にほかなりません。大学もまた「教育機関」ですから当然のことです。ここに、学生と教員の間の認識のずれが育って行きます。「ずれ」は、本当にささいなボタンのかけちがいから発達していきます。

たとえば、研究室が汚い、教員の思う場所にものがしまわれていない、教員の思惑通りの結果がでてこない、教員が大学にまだ残っているのに学生は帰ってしまった、教員は休みの日にも大学にきているのに学生は休んでいる、よかれと思って指導してやったのに学生が口答えする、などというのが教員からの視点でありがちな「ずれ」です。

 実験に追われていてなかなかかたづける暇ができない、いわれたとおり何年も続けているのに先生の希望する結果がだせない・自分ではもう何がよくないのかも見当がつかない、そんなに連日深夜まで研究室で実験ばかりしていると身体をこわしてしまう、休日くらい身体を休めたい、今までの自分の結果と経験からとてもではないけれど納得できないようなことを指示される、などというのが学生からの視点です。学生は、休む予定をちゃんと口頭で伝えたはずなのに教員は聞いた覚えがない、とか、教員は学生のためを思ってとった行動が学生にとっては迷惑になった、とか、双方のほんのちょっとした思い違いや思い込みに由来するものも少なくありません。

 結局は、十分に対話がなされていないことによる「ずれ」なのです。

 

距離の増幅

 ひとたび気持ちが離れてしまい、学生、教員それぞれの頭の中に固定イメージができてしまうと、それを修復することは困難となり、さらに、なにもかもがその距離をおしひろげるように働くことになってきます。一度「こいつはやる気のないだめ学生だ」と思い込んでしまった教員は、その後のその学生ががんばって結果をだしたとしても、それ以上に些細な失敗のほうばかりが鮮明に記憶されて「やっぱりだめだ」という結論にむすびつけることらになりますし、学生の方も一度「この先生はいってもだめ」と思うと教員のほうがいろいろと歩み寄りを見せたり、アドバイスをしてくれたとしても、何か裏があるのではないか、という不信感をぬぐえません。当然、相手もその不信感や「こいつはだめ」という気持ちの動きはいろいろな所作の断片から感じ取りますから、さらに「うまがあわない」ことになります。

 最終的には、学生は教員の指導やテーマ、扱いのすべてを信じられなくなり、研究も順調にすすまなくなったり、ということになっていきます。当然、そうなってくる学生を目にした教員も、自分のその学生に対するネガティブな心証に裏付けを与えられたかのような気持ちになり、さらにきつくあたる、ということになっていくわけで、あとは、泥沼に沈み込んで行くしかありません。

 一番必要なものは、「一歩ひいて冷静に考え直す」ことと、「相手に対して気持ちの余裕をもつ」ことです。教員は学生の言動についてあまり一本道の受け止め方をせず、自分にはちょっと了解しにくいけれどなにか辛い事情があるのでは、と考えてみる。学生は、教員もまたいろいろとプレッシャーや仕事があってあまりこまやかな目配りができないために極端な言動をしているのではないかな、とちょっと下がってみてみる。それでもだめな場合は、問題の根本がすれ違いではなく、もっと憂慮すべき資質の部分にある場合ですから、研究室の外に相談をもちこむほうがよいでしょう。

 

対策

 問題にまきこまれたら、まきこまれそうになったら、ここにあげたようなことを頭の片隅において、自分の意思をつらぬいてください。世の中は、弱者にきついものです。あなたは、あなたのその身をあなた自身の手でまもらなくてはならないのです。

 

話相手を確保すべし

 研究室の先輩、助手、あるいは、他の研究室の学生やスタッフ、他大学の知り合い等、状況によっては立場的に中立、あるいは無関係なところに話せる相手をみつけておくこと。どんなささいなことでも、悩みを話し、相談できるような関係をもっておくこと。世間体や常識ではなく、あなた個人の人生に関するアドバイスをしてくれるような相手をみつけること。これは、とても大切なことなのですが、専門がどんどん細分化されていく今の科学の世界では、そもそも研究の話や相談すら相手を選ばなくてはならなくなりつつある上、大講座が否定されて個別の研究室としての独立が一般的となった現在、これはとても困難なことかもしれません。どうしても、相談相手がみつからない場合は、このページの作者である私までメイルしてみてください。私でよければ相談にのります。

 話相手を探す場合、ひとつだけ注意してください。あなたと同じ研究室で、あるいは同じ大学で、あなたの言葉に耳をかたむけてくれる人のすべてがあなたの味方であるとは限らない、ということがあるのです。特に、おだやかに丁寧に親切にあなたの話を聞いてくれる人がかえって、あなたの立場を悪くするようなことを組織内に派手に吹聴して歩く、といったことすらしばしばおこるものなのです。所詮、あなたとは他人なのです。同級生であれ、先輩であれ、後輩であれ、他の研究室の教員であれ。そして、彼らは「ひとごと」としてあなたの言葉を聞くことはあっても、あなたの立場を理解することはまずないと考えておくべきです。彼らは、組織内の「自分の立場」が大事であり、かわいいのですから。彼らは自分の立場を守るためならば自分を頼ってきた人間を平然と売ります。だから、相談相手を探す場合には入念なる注意と調査が必須であり、不可欠なのです。

 あなたの命を他人に売られてしまってからでは手遅れです。できるだけ、組織とは直接の利害関係のない外部と接触をはかるのがよいでしょう。

 学生相談室に相談する、という手もあります。この場合、問題となるのは、相談室勤務の人間が必ずしも道理をわきまえていない場合がある、ということです。事実、教員とのトラブルを相談しにいったら、その内容からなにから当の教員に筒抜けになっていて、さらに事態が悪化した、というところもあり、このあたりは周囲の情報を収拾する必要があります。

 

教員を絶対視しないこと

 教員といえども人の子です。教授といえども俗の利害に敏感すぎる人もいるのです。また、立場上の責任があるとはいえ、本人が責任を自覚できているとは限りません。もっといえば、例え責任を自覚していたとしても、だからといってその人がちゃんと責任をとれるかどうかはまた別の問題なのです。今の大学人事では、業績は論文や業界の評判によって評価されます。そこには、教育能力も人間としての人格の内容も一切考慮されないとおもっていいでしょう。自分の言った言葉ひとつ満足に覚えていられないような人も少なくないのです。確たるものはなにもないのだ、という前提に立ち、決して相手をあてにしない心構えが必要です。あなたの身を守るのは、結局あなたひとりなのですから。

 

記録をまめにとること

 実際に問題が表面化したとき、第三者はたかが学生にすぎないあなたよりも、教員の言葉の方を優先的に信じるものです。「いったおぼえがない」「あの学生は嘘をついている」といった言葉の連呼をされると、あなたには勝ち目はありません。ですから、日頃から可能な限りの記録を残すようにこころがけましょう。詳細な日記でもないよりはずっとましです。理不尽な言動にあったならば、その記録を残して下さい。その際、可能な限り状況を客観的に表現することをこころがけ、主観的・感情的な表現は謹むようにしてください。もし、話のできる信頼可能な相手がいるのであれば、手紙やFAXとして送っておいてもよいでしょう。写真や録音を残すことができるのならばそれにこしたことはありません。鍵となりそうな対話に際しては、会話の記録を残すか、必ず、証人となりうる人間がそばにいるようにしてください。

 もしできるなら、自分の研究、生活に関する話し合いを教員との間でもつ場合にはそのすべての会話を録音しておくことを強く強くおすすめします。その際には、その日付がわかるような会話を意図的にいれておくとさらによいでしょう。録音器材としてはMDが理想的です。モノラルであれば最長148分の録音が可能な上、走行時の音もほとんどしないからです。小型の録音可能MDは、3万円を下回る価格で購入できます。また、同時に外部マイクも買う必要があります。マイクは、MD本体からの電源供給が受けられるもの、できるだけ小型なものがよいでしょう。6-7000円といったところです。もちろん、MD側はマイク端子があり、かつ、マイクに電源を供給できるものである必要があります。録音は、最悪の事態を避けるための保険のようなものであり、これが直接何かをもたらすわけではありません。また、いわゆる「隠し録音」になるわけですから、くれぐれも注意してください。事態がひどすぎる場合はラジオライフ等に掲載されているようなワイヤレス式の集音マイク等も考慮したほうがいいかもしれません。最も、そこまでの場合には人権擁護委員会などに直訴したほうがいいのでしょうけれど。録音機材としては、MD以外にICレコーダも有力になってきた。フラッシュメモリの低価格化によって、単体で140分近く記録できるものも登場しているからだ。機材のセットや維持という点ではICレコーダは手軽である。また、中には記録音声を自動聞き取りによってテキスト化するツールもある。考慮の価値あり、というところだろう。

 また、状況によってはカメラが必要なこともある。ある教授が援助交際の女子高生を教授室に連れ込んでいるのを目撃した、とか(実話である)、「見てはならないものを見てしまった」ことが教員側からの学生いじめの原因となることもあるわけで、小さなカメラもできれば常時携帯したほうがよいかもしれない。小型のレンズ付きフィルムやデジタルカメラで用は十分になす。デジタルカメラは画像の扱いが簡単というメリットもある。この場合、35万画素クラスで携帯しやすく軽いものを選ぶといいだろう。

 

教員の言葉を可能な限り客観的に受け止めること

 面と向かって、あまりにも理不尽な、恥知らずなことを言われると、頭の中が一瞬真っ白になって、どういう反応を返せばいいかわからなくなることがあります。往々にして、問題教員というのは、常人には想像もつかないほどえげつなく、恥じ知らずな言動をいけしゃあしゃあとやってのけます。あらかじめ、どんなえげつないことをいわれても、それを冷静に受け止め、適切な返答をかえせるようにこころがけましょう。その際、相手がたとえ教授であろうとも、その中味は三歳以下であり、なみの人間の数分の一の理解力しかないのだ、ということを重々承知しておく必要があります。

 

メディアを有効につかうこと

 悪循環におちいった時、学生という立場は、虐待される奴隷のようなものです。あなたの周囲には誰一人あなたの味方はいないかもしれません。同じ研究室の学生だからといって、あなたの悩みを理解するとは限りません。残念ですが、こういう時、あなたはすでに孤独なのです。頼りになるのはあなた自身の意思の力と、そして、外部の世界です。ただ、実際の問題点に関する記録は容易に確保できないことがおおいため、訴訟をおこしてもあなたが勝てる見込みは実に低いとおもうべきです。へたをすると敗訴した上にさらに名誉毀損で逆に訴えられかねません。あなたにできることは、「裁判をおこして、うまく負ける」ことです。裁判での勝ち目が低くても、その教員に問題があるということは周知せしめることができるのです。これは、後の後輩たちが問題に直面した時には動きやすくなる、という改善をも見込めます。悲しいことですが、今の日本はまだ社会的に未成熟なのです。未成熟なため、「大学の先生」という立場自体が本人の能力や人格から独立してしまっています。まず、最初にすべきことはその幻想を崩すことです。これはセクハラの社会認知の過程と似ていますが、それ以上に社会の壁は厚いかもしれません。

 ただ、近年、人権についての認識は高まりつつあり、この「学生の人権」ページについても、複数の新聞社、出版社から問い合わせや取材の申し入れがありました。メディアの関心も確実に大学という閉鎖空間にむいています。日頃から新聞や雑誌に目をとおし、どこならばはなしをきいてくれるか、検討しておく必要もあるでしょう。

 

卒業生の言葉を探すこと

 研究室に在籍している学生は、学位、単位、成績といった首枷によって事態を正しく把握できないものです。あるいは、特定の教員に心酔するあまりに、他の学生の状況などどうでもいい、という態度をとる者もいます。少なくとも、一人で悩むような事態にあるあなたは、同室のどの学生からも理解はされさないと心しておくべきなのです。きついようですが、これが現実です。心を許して相談した結果、教員に密告されてさらに事態が悪化、などという例は山のようにあるのです。しかし、あなたのおかれる状況についての理解者は必ずいます。それは、あなたよりも前に、退学、休学、あるいは就職、他大学・他研究室へ進学した先輩である可能性が高いのです。特に、研究が好きで、結局似たようなテーマを他大学で追求している先輩や、研究が好きだったはずなのに、突然関係のない分野や、特に研究ができるわけではない職種に就職してしまった先輩は、あなたと似たような状況下で自分の進路に悩んだ可能性が極めて高いとといえます。卒業・修了といった節目で研究室を去った先輩は、必ずしもハッピーな選択をしているとは限りません。中途で退学するかわりのぎりぎりの譲歩で節目まで我慢していただけかもしれないのです。あなたは、そういう先輩を探し出すことで、あなたのおかれている状況をさらに客観的に明確化できることでしょう。加えて言うならば、大学院への進学率の低い研究室や、他大学の大学院に進学する学生の多い研究室については、事前の入念な学生サイドからの調査が必要である、ということでもあるのです。

 ただし、喧嘩分かれして出ていった卒業生に対してすら、教員は自分に都合よく勝手に状況をねつ造して「とても良い関係でうまくいった学生たち」に記憶の中ですりかえられている事がある。卒業生をさがすときはこのあたりに気をつけねばならない。痕を残していない学生をこそ、探さなくてはならないというジレンマがここにある。卒業生の荷物を教授がダンボールにつめて送りかえそうとしているのを手伝わされて、偶然住所を知ったため、後に連絡がついた、という例すらある。

 

研究室をかわる・指導教官をかえる

 直接に教員と話をしてみても事態の改善のめどがたたない場合、同じ学科、学部の中で研究室をかわる、という方法があります。これによって指導教官がかわり、環境が異なってくるわけです。これは、大学・学部によって規定がありますから、学科主任等に相談してみる必要があります。場合によっては、年度途中での変更をみとめていない場合もあります。変更不可能のために、一端中退して改めて入学しなおす、という手間が必要な大学もあります。自分の将来と残り時間とを計算にいれて考えてみてください。

 

大学をかえる

 研究室の変更が困難、あるいは不可能な場合、大学をかえる、という方法があります。これは、卒業までの時間がさらにのびてしまうことを意味しますから、将来の目標がはっきりしている場合でないと、問題の先送りとなってしまう危険性もありますが、最も効果的な手段でもあります。卒業と同時に外部の大学院に進学する、というのは、時間的なロスなく環境の改善ができるために比較的一般に行われています(教員側はこの場合トラブルの存在にすら気づいていない事がおおい)。場合によっては年度の途中で一端退学して入りなおす、というかたちをとる必要がでてくることもあります。それでも、問題ある研究室に居続けるよりもずっと建設的です。他大学の募集時期、受験状況、相手の研究室の体制、等は事前に調べておきましょう。また、希望先の研究室とも前もってコンタクトをとっておくのが望ましいです。

 


あなたの研究室で、あなたと学生がうまくいかなくなったら? (教師向け)

 この項は、実は難しい問題をはらんでいます。学生を教育・指導する立場にある教員にとって、意に反して学生とうまくコミュニケーションができなくなってしまった時に、どういうところについて考えていけば事態が改善されるか、という、教員向けの「対策」アドバイスを考えたコーナーなのですが、そこには、この問題の根源的な根が隠れているからです。つまり、真に学生にとって問題が生じている状態では、独り当該教員だけは「自分は学生とうまくいっている」、あるいは、「学生がおかしいだけで、自分の指導はなにも間違っていない」という自負をもっている、からです。逆に、学生との関係に信頼が築けているような場合には「自分のどこがいたらなかったか」と悩んでしまったりします。予備軍であるような環境では、問題の自覚がない、というのはハラスメントの基本構造といってよいでしょう。

 ただ、渦中であっても救済しうる場合はあります。それは、教師にも学生にも悪意がなく、妙なプライドや名誉慾もなく、ただ、双方が素朴・純朴であるが故に、双方が歩み寄りの機会を失い、途方にくれている場合です。双方が、ただただお互いに傷ついている場合です。学生は、研究の世界に入ったばかりで右も左もわからず、教員は学生であった遠い過去の記憶を失い「研究者」としての価値観にしばられている場合、といってもよいでしょう。この場合、ただ、お互いにすれちがい、おたおたするだけ、という状況がしばらく続きます。この時であれば、まだ救済の可能性があるのです。この段階で適切な対応ができれば、問題は過去の笑い話に変貌できるのです。

 問題は、この「おたおた」の状況が、双方にとって解決の道も見えぬまましばらく続いてしまった場合です。そもそも、教師と学生とは、大学の中での立場が違うものである以上、このすれ違いの状況は、次第に、より深い断絶を産み出してしまいます。やがて、決して修復できぬまでに、あるいは、エスカレートしすぎて他の副次的な、より重大な問題をまねくこともあります。

 従って、このコーナーの目的は一般的な問題解決策、というよりも、以上のような、「とまどいの状態」のうちに、後戻りできる可能性の方角を示す、ことにあるといってよいでしょう。

 

学生と話をしましょう

 いそがしいから、と、学生の相談や質問を遠ざけてはいませんか。余裕がないから、とお茶飲み場やコンパを早々と退席してはいませんか。大先生然と構えて、研究の「指導」をしてはいませんか。公的な場ではちょっと話難いような対話は、こういうところに出てくるものです。対話の機会を遠ざけていては、いかなる関係も良好なものとは成り得ません

 

学生とはなしたことをちゃんと覚えていますか

 学生とはなしたこと、学生にはなしたことをちゃんと覚えていますか。いそがしくて覚えていられない、というのであれば、その場で確実にメモをとり、なくさないようにしておきましょう。後で、言った、言わないの水掛け論にならないように気をつけましょう。水掛け論は、結局のところ立場の違いで学生が我慢をのみこむことになりがちです。これは、後々に禍根を残すだけです。たとえ、本当に言った覚えがないことをいわれても、記録がないのであれば、あまり強く「そんなはずはない」等と主張してはいけません。多忙さ、年齢、どれをとっても、学生よりもあなたの記憶力のほうが悪い、ということは十分に考えられるのですから。対話の間に、双方の見ている場でどんどんメモをとって、保存しておく、というのが最も確実な方法です。

 

学生に「研究者」をおしつけてはいませんか

 研究室に配属された以上、もう一人前の研究者だという考え方があります。はいったばかりの学生の気持ちを鼓舞し、やる気をおこさせるのには有効なあおり言葉ですが、現実には学部、大学院の学生は、まだ自分が研究者にむいているのかどうかを模索している段階なのです。研究室のあり方によってはそのまま研究の人生を選ぶかもしれませんし、他の人生に進むかもしれません。目的意識としては研究者として扱っても、現実の側面で研究者扱いしてはいけません。彼らは、あなたが忘れてしまったほど過去の「あなた」なのです。今のあなたの感覚で対応してはいけないのです。

 就職しようとする学生を、「やる気がない」ときめつけてはいませんか。

 

学生をちゃんと評価していますか

 学生の、評価すべき点、評価すべき結果をきちんと明確に評価していますか? 教員は、「よし、これで学会一つ、論文一本は視野にはいった」と思っていても、学生のほうは自分の出した結果がどれほどのものかきちんとビジョンがもてていない場合があります。「評価したつもり」ではなく、きちんと言葉にして、誉めるべきところは誉め、次の段階のビジョンを示してあげましょう。

 

研究室の中で隠し事をしていませんか

 盲検法よろしく、「これが何かは教えられないが、これで実験しろ」とか、あるいは、ある学生が出した結果を他の学生に対して隠したりしてはいませんか。学生は、結果がでるかどうかという最終的な目標については教員を信頼していることだけが根拠なのです。そこに、このような不信感をつのらせるようなことをすると、疑心暗鬼を産み出して行きます。それは、教員に対する強い不信感にも育ちます。守秘義務のあるような極秘プロジェクトに学生を投入する(これ自体、本来は避けなくてはならないものです。学生に対してだけではなく、将来の所属が不安定な人間に誓約もとらずに参加させるのはプロジェクトに対する裏切りでもありますから)場合は、十分な説明が必要です。また、学生間に秘密をつくるようなことをしてはいけません。もちろん、学生同士、自然に内密な話題はできてくるものですが、それを積極的に教員がつくりだすなどということは行ってはならないのです。

 

学生のためを思って、という理由で学生の名前を勝手につかったりしていませんか

 学生は、まだ研究者としての人生を歩むかどうかを自分で考え、判断している最中の存在です。そこへ、すでに研究者であるあなたの価値観で、「これはためになるから」といって発表等に学生の名前をかってにつけたりしてはいませんか。学生には学生の人生設計があります。事前に前もって話をとおしておくという最低限の礼儀を、相手が学生だからといって忘れてはいけません。もしかすると、あなたのその行動によって学生の将来が大きく損なわれる、ということもあるのですから。

 

学生に対して、「すんだこと」と「いまのこと」をちゃんときり分けていますか

 説明や指導が必要な時に、感情がたかぶって過去の「もうすんだこと」をむしかえしたりしてはいませんか。また、研究と日常生活といった、無関係なものを文脈に関係なく持ち出したりしてはいませんか。研究についての話し合いの場で、学生の生活態度、人間関係、親子関係などを暗に明にひきあいに出したりなどしていませんか。これらはすべて、指導でも教育でもなく、理不尽な人格攻撃です。ただちにやめなくてはなりません。

 

学生の研究テーマをおろそかにしてはいませんか

 学生が自分のテーマをもっているのに、そこに加えて自分の都合で研究の手伝いをさせてはいませんか。学生が持っている時間は極めて限られたものです。また、教員にたのまれたことを断れる学生というのはそうそういません。本当は断ってもよいのだとしても、立場の違いは断ることによって将来の自分の境遇にひびくのではないか、と無意識のうちに考えさせてしまうからです。学生のテーマと直接の関係のない手伝いを依頼するのであれば、本業への影響を十分に考慮・配慮し、アルバイトとしての賃金を支払うくらいの気持ちでおこないましょう。

 

卒業した学生の悪口をいってはいませんか

 たとえ、本当に問題のある学生が過去にいたとしても、いまいる学生の前で、鬱憤をはらすかのようにその学生のことを話すのはよくありません。それは、たとえ、あなたとの関係が良好な学生であっても、「自分が卒業した後、なにをいわれるかわからない」という不安をうみます。

 

学生の「やる気のなさ」をすべての問題の原因として考えてはいませんか

 たとえ、現在あなたから見て「やる気がない」ように見えたとしても、本当にやる気がないのかどうかはわかりません。あなたの指導がいきとどいていないために、純粋に行き詰まってしまっていて、何をやってもだめ、それで気がめいる、さらに何をやってもだめ、という悪循環に陥っている可能性があります。学生は、あなたのみえないところで悩み、がんばっているのですから、一方的に「やる気」のせいにせず、「どうしてやる気がないように見えるのか」を考えましょう。適切な評価、適切な文献の紹介等といった些細な対応で好転することも少なくありません。

 

学生の結果よりも文献を信じてはいませんか

 もちろん、どこの馬の骨ともわからない、研究はじめて少ししかたっていない学生の言葉よりも、出版され、多くの人間の目にさらされている文献のほうを信じてしまう、という気持ちはわかりますが、だからといって、学生が出した結果を頭ごなしに否定して「やり方が悪い」といた決め付けはしていませんか。もしかすると、そこには新しい発見があるのかもしれませんし、さらにもっと可能性が高いのは、あなたが指導する際に大事な要点をいくつか教え忘れている、という場合です。特に、あなたが事務仕事に忙殺されて、なかなか研究を直接の手でおこなえないような事態に陥っているのであれば、なおのこと、文献ではなくあなたの学生の出した結果をすなおに受け止めましょう。どうしても納得できない、ようであれば、二人で考え、再現させてみればいいだけなのですから。

 

心の底から研究それ自体がおもしろくておもしろくてたまらない、ですか

 教えるあなたが、研究に対する純朴な喜びを失っていては、学生だってなかなかやる気にはなりません。「おもしろさ」が学会や論文の発表、他の研究者との関係などにすりかわってしまってはいませんか。

 

大学院生の就職活動

 事例にはまだいれていないけれど、この時期にもかかわらず、またいくつかの相談が届いた。大学院の学生、学位のための準備は順調で中間発表もクリア、就職活動の結果来年の就職先も内定を受けた、という時点で、教員の感情を害したためにゼミの出席も許可されず中退をいいわたされている、というものだった。これは、事例の11にあげたトラブルと良く似たシチュエーションともいえる。

 共通しているのは、教員にとって学生が就職活動で研究室を空ける、という事態そのものが我慢ならない場合がある、ということ、そして、それによって教員の心証を害した場合、研究の成果があがっているかどうかとは別の観点から、指導教員として学生の中退を決定してしまう、ということ。さらに、同じ学科の他の教員に相談しても、指導教官と学生の関係には他の研究室の教員は割り込めないということで「残念で気の毒だけれどなにもできない」といわれるだけ、ということ。

 現在、大学院の学生数は一時期に比べると非常に多い。また、修士でも一年次のうちに就職活動を開始しないと就職先をみつけるのが困難な状況もある。指導教員が学生の就職先に強力なコネクションを持っている場合はよいが、それが期待できない場合に学生は生活を研究室と就職活動とにひきさかれることになる。平成の現代でも、自分の研究室から民間企業に就職した学生を一人もだしたことがない(過去の卒業生は全員博士課程に進学して、なんとか研究者になっていったため)教授、といったものまだ残っているのが大学である。そもそも学生が就職を希望する、ということ自体が了解されないような、そのような状況では、学生の行動に対する理解を求めるひとははなはだ困難なこととなる。

 とりあえず、建設的ではないがいくつかのアドバイスはできると思う。数々の事例に接してきて思うこと、共通していることは、学生側は「先生はわかっている」と思い込むことから問題がこじれていることが多い、ということだ。信頼が、隙を産み、足元をすくわれている。しかし、これは、ちょっとした注意によって避けることができる。

 まず、就職活動を行う場合はそのスケジュールを常に指導教官に対して事前に明確にしておくこと。それも、口頭伝達ではなく、紙に書いた物として明示しておく必要がある。多いのは、学生は教員に伝えたつもり、であるのに教員の方は「覚えがない」というものだ。口頭では、たとえ相手の目をまっすぐにみながら何度となく念を押したころで「忘れてしまう」と終わりである。紙の場合でもなくされては終わりだが、とりあえず、他の人の目にもとまれば多少は状況は良い。無断で勝手にいなくなったと思ったら就職活動なんかしていやがった、ということだけは避けるように。

 ゼミ、宴会等の研究室行事には多少無理をしてでも参加すること。できない場合はやはり文書として参加できない旨を明らかにしておく。宴会の場合は幹事役の人にメモを残していく程度でもよい。ゼミの場合は卒業の要件である場合もあるので、事前に指導教員に相談しておく。これも、無断で欠席したと思われないように注意する必要がある。

 その上で、時間がどんなに不規則になろうとも、研究室にはできる限り顔を出して、自分の存在を教員にアピールしておく必要がある。誰もいない時に顔をだしてもあまり意味はなく、「ああ、きているな」ととりあえず教員に印象付ける、ということをするのである。姑息な手ではあるが、往々にして教員の中には学生があげた成果ではなく、集団の一員としてなにかをしている図、の方に安心をおぼえるタイプがいる。極端なことをいえば、研究の結果がほとんどでていなくても毎日研究室の机や実験台の場所にいればそれだけで卒業はなんとかなる、ということすらあるのである。

 もちろん、健全な企業の中には内定後に大学院を中退となっても待遇面では多少落ちるかもしれないがそのまま受け入れてくれる、というところもある。ただ、歴史や人脈を重んじるタイプの会社では、中退となると内定も取り消しとなる率が高くなることを覚悟しておく必要がある。原則としては、中退・留年は内定取り消しと同義であると思っておくほうがよい。さらに、大学に入るのであれば年齢は関係ないが就職の場合は年齢が重視されることもある。学年によっては、留年が著しく就職に不利に働くこともあることを覚悟しなくてはならない。

 現在の日本の大学システムでは、ある研究室で教員と学生との間にトラブルが発生したとしても、それを仲裁するような仕組みは存在していない。大学というシステムの中のフローである存在の学生は、そのまま退学、中退、という扱いを甘受せざるをえなくなることがままある。卒業直前に、「君は態度がまじめではなかった(就職活動にあけくれて研究室に顔をださなかった)から、もう一年やりたまえ」とか、「むいていないから、今からでも他の業界にうつったほうがよいね、中退しなさい」といわれて途方に暮れることのないように、みなさんには周到な就職活動をすすめられることをおすすめする。