第1回:マヨラーはゾンビか

第2回:イチローだっておにぎりを食べている

第3回:給食を救え

第4回:日本酒の運命は離乳食にある

第5回:ミノモンタ炒めは万病の薬だ

第6回:ニッポン人は、実は味覚に自信がない?

第7回:食品規格のグローバル化っていったい何だね

第8回:昔は旬の野菜だけを食べた

第9回:先鋭的低インシュリンダイエット

第10回:新しい農水省キャリアには強面 (こわもて) を

第11回:別腹の不思議

第12回:ヤケ食いは快感不足か

第13回:ニッポン全国食品廃棄時代

第14回:最近、昼飯の値段が安すぎない?

第15回:コカコーラはなぜおいしい

第16回:偽(ニセ)栄養学発見法

第17回:ニッポンはヒドイ便秘状態だ

第18回:マンハッタン立ち食い蕎麦屋計画

第19回:回転寿司と対人恐怖

第20回:ニッポンは無臭病時代に突入か

第21回:サプリメントで昼食を

第22回:ニッポン農業に関するマーフィーの法則

第23回:京都の薄味と生理学

第24回:トウモロコシの援助が拒否された

第25回:最近、納豆の銘柄変えましたね

第26回:保険食品

第27回:スーパーの実演販売の本当の狙い(その1)

第28回:偏差値70の栄養学

第29回:もうひとこと言ってよ

第30回:分散こそ安全、採算度外視趣味の食糧生産

第31回:韓国料理は辛さがうまい

第32回:コンビニ食はポルノか

第33回:食品中の有害物ゼロのない時代

第34回:清潔よりも清潔らしさが重要か


ニッポン食事情咄 第1回:マヨラーはゾンビか 伏木亨

 「マヨラー」という言葉をご存知だろうか。白米やラーメンはおろか刺身にまでマヨネーズをぬりたくるマヨネーズ中毒者のこと。若い世代を中心に増加中で、大人世代に衝撃をあたえているという。科学的にみて、なぜ若者はマヨネーズにとりつかれるのだろう――。食品・栄養化学を専門にする著者がニッポン人の食について考える。

 世にマヨラーと呼ばれる集団が発生していることは、最近知った。なんでもすごい勢いで増殖しているらしい。マヨネーズを異様な量、異様なモノにまで塗りたくる人々である。そうめんやラーメンは当然で、刺身やカクテルにまで絞りはじめると、立派なマヨラーであるという。マイ・マヨネーズをキープできるレストランまで登場しているのには驚いてしまう。マヨラーは、食べ物の伝統に無頓着な若い人に特に多いらしい。謹厳なアエラ誌までが、全日本マヨネーズ中毒という、健康雑誌顔負けのカラフルな見出し頁(ページ)で特集したことは衝撃的であった。若者の味覚機能が変になってきていると、亜鉛欠乏説学者まで動員して大騒ぎのむきもあるが、そんな複雑なモノではない。大人と若い者の嗜好の断絶に皆が不安になってきているだけである。

 その後、マヨラー族の勢力は衰えるどころかますますわが国の食生活に浸透しはじめた。コンビニには騒ぎになるずいぶん前からマヨネーズを使ったオニギリが登場して、慣れっこになってしまった。エビマヨネーズやタラコマヨである。思えばこれが前ぶれであった。マクドナルドのテリヤキバーガーもマヨネーズをいち早く取り込んでいた。さすがにアンテナが鋭い。このままではキティーちゃん柄やスヌーピー柄のチューブをくわえたマヨラー達が渋谷の駅前に座り込む姿を見るのも遠くないという噂(うわさ)さえある。

 純和風の食材までが、やすやすとマヨネーズの捕虜となって久しい。私も、マヨネーズピラフなどというものを空腹時に空の冷蔵庫を前にして実行したことがある。米をマヨネーズで炒めて炊飯すると、具はなくとも非常にうまい。コショウのアクセントがあれば完璧である。最近では、ピザのトッピングにまで、タラコマヨが登場して、いよいよ、マヨラーの侵攻が活発してきていることを悟る羽目になった。

●マヨネーズの陰謀
 マヨラー出現のからくりは簡単である。マヨネーズの主成分は油である。油をふんだんに使った料理はこくがあっておいしい。しかも、油と共存させた風味や香辛料は必ず病みつきになる。これは、味覚や嗅覚と油のおいしさの快感との、食行動科学でいう「連合学習」として、科学的にも説明が付く。親と子が同じ食卓で食事する機会のない時代に、大発生が起こったのもうなずける。「そりゃー、変だよ!」って止める親がいないんだから。マヨネーズは何にでも合う調味料だなどとのんきなことを言っている場合ではない。

 冗談ではないぞ。諸君。マヨネーズがかかった食物を食べ続けると、それが何でも好きになって連鎖してゆくのだ。マヨネーズをかけると子供が野菜を食べてくれるなどと喜んでいる場合ではない。お母さんたち、子供が好きになったのは油なのだ。

 食品学者はともかく栄養学者ならば黙ってはいられない。そこで、マヨラーの駆逐法をワタシは考えた。彼らマヨラーたちは、マヨネーズのおいしさが油の高カロリーによる報酬効果であるとはもちろん気づいていない。病みつきになっているのである。先手を打って、マヨネーズを完全ノンオイルにするのだ。油の薬理学的報酬効果(病みつきになる性質)はすでに明らかになっている(拙著「おいしさの科学:恒星出版」を、非常に暇なひとは参照されたい)。

 マヨネーズに油が無くなったら、あるいは全く消化吸収できない油を使用したら、油に対する執着はなくなる。マヨネーズも神通力が消えて、ただの酸っぱい卵ご飯とかわらない。マヨラー達が油の報酬を求めてマヨネーズを口にしたとしても、決して油を摂取した情報が脳にゆかないのである。脳はカロリーの無い油なんて相手にしないことは、実験的に判明している。したがって、病みつきにはなれない。正確なデータはまだないが、カロリーを90%くらい削減したらいいだろう。市場にはカロリー1/3のマヨネーズ(JAS規格では半固体状ドレッシングという)が売り出されているが、マヨラーを退治するには不足である。まだ、おいしすぎる。

 新開発のマヨネーズを、ワタシは正直にマヨネーズ11/300と名付けるつもりである。なに、名前で組成がばれてしまう? 最近の若いやつは分数の計算が苦手だから、大丈夫、わかりっこない。これを食べたマヨラーは、まるで、老人の血を吸ったドラキュラのように
「あれれれ、ギャー、これは、マヨではない!!」
ともだえ苦しむのである。

 しかし、だ。もしも、全くカロリーがなくて、しかも病みつきになるほどおいしい油が開発されて、それがマヨネーズに使われたら、もう日本はゾンビ、いや、マヨラーだらけになるであろう。実は、なにをかく言うワタシもそのような油の開発の研究を行っているのだが、その詳細はまだ内緒である。


ニッポン食事情咄 第2回:イチローだっておにぎりを食べている

 マリナース・イチローの活躍はめざましい。衛星放送で毎日やるもんだから、よく見てしまった。ここぞ、と言うときに必ずヒットが出る技術と精神力には、アメリカ人ならずとも驚愕してしまう。

 聞けば、イチローは試合前におにぎりを食べているらしい。めずらしいもの好きな大リーガーたちも興味津々で、なかには横取りするやつもいるらしい。

 ワタシは考えた。これこそ、余剰米を抱え減反に悩む日本の農業を救う神風なのではないか。イチローは昨シーズン新人ながら多くの大リーグ記録を塗り替え、MVP、首位打者のタイトルを獲得した。今後もシアトルのみならずあっちこっちの放送局から引っ張りだこになるであろう。コメの消費拡大に躍起となっている日本の食糧庁がこの好機を逃す手はない。イチローに高額の契約金で、インタビュー中におにぎりを食べてもらうのである。アナウンサーの質問に答えながら、やおらポケットからノリのおにぎりを取り出してもらう。もともと、新庄ほど語りがおもしろい選手ではないから、地味な受け答えの終始に焦ったアナウンサーはこのオニギリに飛びつくにちがいない。

「ミスター・イッチロー。それはなんや?」

 アメリカにはローカル局が多いので当然なまりもある。すると、イチローは静かに、「これはですね、えーっと、オニギリといって、日本のコメを使った伝統的な軽食です。日本のコメじゃないとうまくないかも知れませんが。ともかく、僕は、アメリカにきてもこれだけは手離せませんでした。試合前に食べると、力が持続できるのです。開幕の時は200安打を越えるなんて夢にも思いませんでしたが、日本のオニギリのおかげだと思っています。」

「ミスター・イッチロー、その黒い紙みたいのは、なんやねん?」

「これは、ノリです。海藻を紙のように薄く干したモノです。慣れないとアメリカ人には変な匂いかも知れません。僕は好きですけど、チームにいたアル・マーチンなんかは顔をしかめてました。」

「これが、イッチローの活躍の秘密なのだ!」

 このニュースはたちまちのうちに全米を駆けめぐる。CNNもABCでもゴールデンアワーの特ダネになるだろう。

「イッチローの大活躍の秘密が今夜解明される!」

CNN局はカリフォルニアから呼んできた日系の食品学者に語らせる。

「オニギリというのは、日本人がいつも食べている食事の一つで、薪で炊いたライスをたすきをした婦人がボール状に握ります。塩を1個にだいたい1gくらい、表面につけます。ベネディクト女史の有名な『菊と刀』にも、古くは戦場に赴くサムライが食したとあります。日本では、このオニギリに特別な力があると信じられています。ノリという海藻ペーパーで包むのが正式で、大事なときにはみなこれを持参して食べるのです。」

 祖父が日本人のこの学者は、実は専門は半導体工学で自身は日本に行ったことがないことがあとでばれたのだが、そのため説明はやや変だが、これが、ますます、オニギリに神秘性を増す結果となった。

 対抗してABCは、ボストン大学の運動生理学の教授を引っ張り出す。教授は興奮した口調で、「ライスはパンなどと比べると、炭水化物の消化吸収がゆっくりで、そのため、持続して糖分が血中に供給されるのデアル。興味深い素材として、運動分野でも話題になっていたし、私もずいぶん前から推奨してきた。長距離の陸上選手は試合が近づくと炭水化物に富む食事を積極的に摂取するのであるが、イッチローの試合前のオニギリは最新の運動生理学から見ても実に理にかなっている。私の説が実証されたのであって実にすばらしい。今後は、プロスポーツ選手の中でも注目されるスポーツ食の素材になるに違いないと確信する。」

 噂(うわさ)では、教授は、この日から突然”ライスパワースポーツ”という著作に取りかかったらしい。

 もう、止まらない。一歩遅れた各局は、日本人らしい顔をした学者なら何でもつかまえてカメラの前に引っ張り出す。誇張やガセネタも混じったが、熱狂はヒートアップの一途である。

 ほとんどのプロ野球選手はオニギリを持参して練習に向かっている。なかには、オニギリをうまく作れないのをなじったのが原因で夫人と離婚騒動を起こしていると噂される選手も現れるほどであった。おにぎりは、リトルリーグや草野球の選手にまで瞬く間に浸透し、全米に突然開店した数100件ものテイクアウトのオニギリ屋はいずれも早朝から長蛇の列であるという報道がなされた。

●今度は海苔だ
 日本の食糧庁には全米食品業界の幹部が密かに日参しているという噂が流れるのはこの頃であった。様々な業界のエージェントやロビィストまでもが盛んに動いているらしい。

「日本では日本産のコメを主食として大切に栽培してきており、そのことに敬意を抱いている。日本のコメに特別な意味があることも、イチローの活躍で良く理解した。全米では、いまや、あらゆるスポーツ選手が日本産のコメを血眼になって探し回っている。アメリカ米では効果がないという噂が広まってしまったのだ。内緒だが、噂ではイッチローのコシヒカリは1ポンド20ドルもの末端価格で取り引きされているという。遠からずマリファナよりも高値がつくという噂さえある。いや、これは冗談だが。しかし、現実にカリフォルニア米や中国米などの不正混入も後を絶たず社会問題さえになっている。どうだろうか、食糧庁としては、日本産の米を200万トンほど、緊急に手配してもらえるように農水省やノーキョーに口添えしてくれないだろうか。200万トンが無理ならとりあえず50万トンでもいいのだが」

 突然の申し出に、驚愕の食糧庁幹部は、こみ上げる笑顔を抑えて答える。足元を見られてはいけない。

「当方としても、実は、いや言うまでもなく、コメは日本人の大事な主食でありまして、それを守るために大変な努力をしてきました。日本人にはやはり日本の米が一番なのです。日本の農家は零細なため、政府は関税障壁を高くして守ってきたことをこの際ご理解願いたい。現在わが国は、大切な日本のコメが不作の年でも枯渇しないように、可能な限りの備蓄に勤めてきました。現在は200万トン程度ですが、これでは足りないと考えてさらに増やすつもりでおりました。いえ、決して余ってなんかいません。貴業界のご要望は確かに承りましたが、日本の重要な主食に関わることですから関係省庁や団体とも協議の必要がありますので一両日の猶予をいただきたい。」

 この夜、食糧庁の本館全体をあげてこれまでにない盛大な酒盛りが行われたという噂もあながち嘘とは言い切れない。

 農水省は急きょ本年度の減反政策の中止を含む見直しに入った。やはり、日本の稲作は重要なのだと旧通産省幹部や旧大蔵幹部までが言い出しはじめた。1ポンド20ドルで売れるならば、なぜもっと備蓄しなかったのだ、もったいないことをしたと、手のひらを返したような議論があちこちでなされた。稲作こそ日本の大切な文化なのだと経済人からも時ならぬ礼賛の声が挙がる。農業団体の自主的な青刈りなど、即刻中止の要請が下る。

 しかし、話は、コメだけにとどまらなかった。コメの新しいネタがつきてしまった全米テレビネットワークは次にノリに目を向けたのである。魔法のブラックペーパー。これこそ、オニギリ魔術のもう一つの秘密! 来月には全米加工食品業界の幹部が代表して、ノリの商談にやってくる。こんどはノリにも高値がつきそうである。日本のノリは黒々とした深い光沢を持っておりいかに貴重で大切なモノであるかを説明してやらねばならない。

 米国の業界幹部一行が日本各地の有名なノリ養殖場を視察する計画も含まれているとわかったのは最近のことである。そのリストには、真っ先に有名な産地の有明海の名が記載されていた。農水省幹部の顔が諫早湾のノリよりも蒼白になったのは当然であった。

(もちろん、この話は、ぜーんぶフィクションです。念のため)


ニッポン食事情咄 第3回:給食を救え

 学校給食って、とんでもないメニューがあるってのは有名である。今は少し改善されているらしいけど、ワタシの頃はひどかった。恨みのある人多いよ、きっと。全国学校給食ハチャメチャメニュー・グランプリなんてやったらおもしろいだろうな。コッペパンに具だくさんのみそ汁におでんに定番の牛乳にリンゴジャム、なんてのはどうかね。ありそうだろ? 食べたくないね。

「そんなの、ぜーんぜん許せますよ。今の子らは食材同士に脈絡なんか感じていないですから」

じゃあ、こんなのはどうだ。あんパンに茄子田楽、スパゲッティミートソースのきんぴらごぼう添え。で、ミルク。どうだい、どれが主食かわからなくて立派なゲテモノだろう。舌が目をむくぜ。どんな味がするか想像できる?

「そんなメニューありませんよ。これでも栄養士さんや調理士さんはまじめなんだから」

栄養士さん達が必死でやってるのはよく知ってる。でも、真面目でどうしてあんな不真面目なメニューができあがるんだろ。

 聞けば、どうやら、いろいろな制約があるらしい。まずは価格。これはまあ、各方面の事情もあるから仕方がないとしても、決められた栄養素の基準レベルをすべてクリアーしなければならない。タンパク質も適切なカロリーも、カルシウムもビタミンも。生野菜は食中毒が怖いから使えないらしい。キュウリやニンジンなんか、真っ直ぐのモノじゃないと調理機械にかからないそうだ。規模が大きいからね。ミカンなんか大きさが違うと不公平らしい。昔は取り合いしたけどね。たいへんだね。上部機構の指令を守らねばならないので、栄養士さんも不自由らしい。まるで、無理難題を言い出す施主の家を建てているみたいなもんだ。全部注文を聞いていると最後は2階から飛んで出入りしなくてはならなくなる。足腰は丈夫にはなるがね。

「あらゆる食材と栄養素を頭に入れて、パズルのようにメニューを組み立てるんでしょう。きっと」

大変な作業である。ワタシなど慣れたらマニアになるかも知れない。しかし、それほど、毎回の食事の栄養素は完璧でなかったらいけないものかね。ところで君らは昼飯何を食べた。

「えーっと、ざるそば大盛りです」
「ネギ味噌ラーメン、ニンニクなし。行列しました」
「コンビニおにぎり2個に即席小うどん」

 あんまり、いいもの食ってないな。しかし、それなりにおいしそうだし、納得できるけどねえ。学校給食だったら全部ダメだろうな。栄養素バランスが無茶苦茶とか言われて。犯罪的行為だって言われるぞ。

「昼ご飯としてどっちが無茶苦茶なんですかね」

 小学生は可哀想である。成長期とはいえ必要な栄養素は規定量全部取らねばならない。そのためには、食パンに添えられた竹輪もジャムも食べなければならない。食べたくないねえ、ワタシは。

 このような試練を経た小学生は、きっとたくましく育つのであろう。どんな食材の組み合わせでも驚かない精神力が養われている。どんなに食料事情がおかしくなっても

「バッカヤロウ、こんな、伸びたケチャップのスパゲッティと卵豆腐が一緒に食えるか!」
テーブルをひっくり返しそうになる親父のそばで、
「あ、ボク、このメニュー給食でわりと好きな方だったから平気だよ」
と可哀想な母親を安心させるのであった。

 しかし、かといって、このようなけなげな子供をそのままにしておいてはいけない。なんとか、正常な味覚を持つ日本国民としてまともな昼食は食べさせてやれないものか。

 そこで、ワタシは考えた。

 学校給食は、必要な栄養素を取らせるための機会ではなくて、味覚を成長させる場に絞って捉えるのである。1日の栄養は、あと2回も食事するのだから家庭で補ってもらう。栄養教育がしたければ親に向かって行えばいい。それに、戦後の食べられない時期に成立した学校給食も、ここいらで見直してもいい時期に来ているんじゃないの。

「学校給食は食教育の重要な場ですよ」
「バカを言っちゃいけない。パンにみそ汁で何が食教育だ。」

 肥育の場ではなくて文化の育成の場だとなれば、栄養士さんも調理士さんももっと張り切るだろう。理不尽な制約も緩和される。地元の旬の安い食材を探して腕を振るえば、安くてもおいしい物ができる。野菜の産地でも、いったん、都市の市場に送られた地元の野菜が戻ってくるそうだよ。どこか変だよね。

 朝の仕事は買い出しから始まる。大変だろうけどおもしろくない?おいしい物を作ったら食べない方が悪い。当然、小規模でなければ無理だよね。地方ごとや地域ごとにばらつきがあるのはすばらしいことだ。一律に同じものを食べさせる事の方が異常で非人間的で没文化的だ。栄養素のつじつまを合わせるための牛乳なんてもう無い日があってもいい。旬の野菜に潜む微妙なおいしさをわかる子供が生まれるかも知れない。コッペパンに竹輪の磯辺揚げでは難しかった味覚が戻るかも知れない。

 母親にはこの際どんどんメニューを提案してもらおう。向こうだってプロだ。新米の栄養士さんも勉強になるだろう。まあ、最低限の栄養素のチェックだけは栄養士さんの仕事としてもいいかも知れない。でも、うんとおおらかに。予算は1週間単位くらいで柔軟なほうがやりやすいかも。たまには、地元のレストランのプロのシェフもボランティアして欲しいよね。安く仕入れた食材を持って。「これが、一流の吸い物の味だ!」ってやつをね。いつかは自分ところのお客になるかも知れないんだから、その下地は作っておいてもいいだろう。農家や八百屋や市場の差し入れも大歓迎。子供はやっぱ地域が育てるもんだよ、文科省さん。

 文科省も資格だのなんのって官僚的な事を言ってはいけない。問題は食べるっていう教育にかかわる大切なことだ。小規模といえども食中毒が出たら誰が責任をとるのかって? 栄養士さんを信じなさい。地域も守ってくれますよ。家庭で起こる下痢や軽い食あたり程度の頻度を超えなければ、ホントは誰も文句は言えないはずだよ。

 フランスなんか一流シェフを動員して味覚教育を実践しているって言うじゃないか。文化に対する真剣味が違うよね。日本のお役所には言いたいね。号令するな、邪魔するな、本当の責任から逃げるな。

 あ、いけない、つい、真面目になってしまった。


ニッポン食事情咄 第4回:日本酒の運命は離乳食にある

 ワタシは、言いたい。酒造会社や酒蔵は子供の離乳食を作るべきだ。

「おいおい、赤ん坊に清酒風味のお粥でもたべさせるのかい。子供の頃から日本酒飲んでればそりゃあ酒に強くなるだろうけどさ」

 バカを言ってはいけない。なんぼワタシでもそんな過激なことは思っていても言わない。近頃、日本酒メーカーの顔色がさえないのだ。年々売れなくなるからね。ワタシは大好きなのに。

「そりゃ、そうでしょ。おじいさんとおじさん達が集まって作っている日本酒を若い人が飲むわけがない。ゼンゼン好みじゃない」

「電車の酔っぱらいってすっごく臭いのよね。日本酒は特に強烈じゃない。スケベだし」

スケベまで清酒のせいにされてはたまらないけど、オジサンの酒と言うイメージは致命的らしい。清酒で酔った際に吐息に現れる匂いは熟柿臭といって清酒業界の研究者の間でも関心は持たれていた。

 しかし、ワタシは言いたい。

「オジサンのどこがわるいんじゃ」

 だいたい、若い奴らは、安くて油いっぱいで、国籍不明のろくでもないモノしか喰ってないから日本酒の本当のおいしさがわからないに違いない。伝統も文化もあったもんじゃない。日本の伝統的な食と清酒とは一蓮托生の運命なのだ。いいかね、和食の復興こそが日本酒の命運を握る鍵だ。

「おや、ずいぶん酔ってますね。そういうとこが、日本酒オジンなんだけど」

 やかましい。だいたい、塩辛や鮎のめふんや酒盗やカラスミでワインが飲めるか。漬け物なら清酒じゃ。京都の壬生菜漬や芝漬けなんか絶品だよ。アジのたたきがチューハイ飲んでおいしいか。キンキの干物になめたガレイ、ハタハタになれ鮨、カニ味噌に鮟キモ、満願寺トウガラシにシラスに、タケノコの木の芽あえ、それから、いっくらでもある。日本酒あっての和食、和食あっての日本酒じゃ。中華ならともかく、刺身をビールで食ってるやつは阿呆じゃ。どんなもんだい。なんか言ってみろい。

「それって、オジサン好みの臭い肴ばっかりじゃない。塩辛なんてグロテスクなもの食べないわよ。イカのうんちでしょ」

「……」

「あれ、ご返事がないようですね。そんなら聞きますけどね、オジサン。鰻の赤ワイン蒸し煮には日本酒ですか? 牡蛎の白バターソースやカルパッチョなんか白ワインでおいしいし、生ハムやシチューやジビエに日本酒なんて必要ですか?」

 あれはイカのうんちか? ともかく、やつらは、酒の場でワタシと全然違うモノを喰ってるらしい。ちょっとうらやましい。いや、耳を貸してはいけない。このままではやつらの思うツボだ。

 若いやつらにはまず、日本の旨い食べ物を教えなければならない。奴らには伝統の味覚が備わっていない。これでは日本酒の将来も危うい。そこで、ワタシは考えた。日本酒酒造メーカーの最後の奥の手。起死回生の一発。清酒業界、酒蔵が一斉に赤ちゃん用の離乳食を売り出すのだ。それも、純和風、清酒の肴に合う魚の生臭味も隠し味に入れておく。高級な味覚じゃあないか。酒の肴が無くなったら失敬できる。いや、これは冗談だが。子供の頃から食べ慣れたものを好きになるのは、食行動科学の基本なのだ。いまの不良ガキどもの未熟な舌を一掃してくれる新世代の誕生だ。和食が好きな人間はゼッタイに日本酒を飲む。ワタシも新世代の孫となら日本酒が飲める。

「よくそんな無茶なこと考えますね。子供を酒飲みにしたい親がありますか。だいたい、"誉の白雪"とか"鬼殺し"とかのラベルの離乳食って売れますかね」

 ふん。わかっとらんな。この提案の底流にある壮大な真理を理解したら驚くぞ。

「底流に流れるソウダイなシンリねえ、あ、メロンチューハイおかわりぃ!」

「いいかね、幼児の味覚なんて動物と一緒で、生きるために直接必要なモノだけを受け入れるようになっている。最初は甘味と旨味が中心じゃ。子供はビールなんて苦くて飲めないだろ」

「たしかに飲みませんけど」

幼児が大人の食事を食べはじめる時期が大事で、このときに脳の本能に関わる古い脳から徐々に発達が始まる。生きるための本能に関係ない脳は後になる。幼児が不倫小説やシェークスピアなんか読まんだろう。

「読めません!」

この時期に本能に関わる脳が、一体何を食べたらいいのか探ろうとしているのだ。子供の内臓器官だって、食べた物を栄養にするために適応しはじめる。やがて、基本的な嗜好ができあがってしまう。初めの食事が重要なのだ。君らは歩けるようになったらすぐに母親にハンバーガーショップに連れられて行っただろう。

「もちろんです。今でもダーイ好きです」

 幼児の頃に食べ物の好みが決まってゆくのだ。日本の伝統的な味覚を植え付けるにはこの時期しかない。外国の食事を知る前にまず和食を楽しめる子供に育てるのが日本の文化を守る大人の責任なのだ。ところで、君はハンバーガー食べて育ったくせにまるで英語ができんね。

「関係ないです!」

 和食を楽しめる子供は必然的に日本酒が好きになる。生臭モノには日本酒だからな。新世代の日本人は伝統的な和食に目覚めて健康をとり戻す。そして、清酒は再び黄金時代を迎えるのだ。どうだ、壮大な真理だろうが。

「……」

勝ち誇ったワタシはふたたび「イカのうんち」を口に運ぶのであった。


ニッポン食事情咄 第5回:ミノモンタ炒めは万病の薬だ

 主婦向けテレビに、日焼けしたドスの利いたおじさんが出てくる。健康にとってもいい食材を紹介している。次々とすばらしい効能のある食材に、お相手のアナウンサーなんか、うっとりした目で見ている。まじめなお母さん達だったら、もう必死でメモ取っているにちがいない。

「すばらしいぞ、これは」

 でも、いっぱい紹介されてきたから、全部ためすのには何日もかかりそうだ。

 そこで、ワタシは考えた。そんなに健康になれるんだったらゼーンブ集めちまって、フライパンで炒め物でもつくろうじゃあないの。

 名付けて「ミノモンタ炒め」。 

 どうだ、これならよろず万病退散の食事だ。何にでも効くはずだ。

「そんなたくさん食材を集めるのはたいへんでしょう」

なに、心配いらない。たいていの食材は紹介され済みだからスーパーへ行ったら手当たり次第何でもオーケーである。昨日や今日に紹介された食材は売り切れだけど、先週のならもう余ってる。それに、目当てのモノかどっちかわからなくても、いずれ番組で取りあげられるんだから大丈夫。

 ちょっとずつ買うのは厄介なんだけど、なにしろ万病に効くんだから。ここは我慢。

 これだけ買ったら毎日できるぞ。袋に全部入らないね。お隣の婆さんもよくテレビ見てるからはんぶん分けてあげよう。婆さん、出会うたびにワタシにありがたい栄養の話を教えてくれるからきっと喜ぶだろうな。

 さてと、中華鍋の大きいのを用意して、 

 ああ、食材は同じくらいの大きさに切らないとできあがりがうまくないよね。

 そうそう、火の通りにくいモノは下処理なんかして。プロだぜ、ワタシは。

 どうだい。なかなか、色彩も華やかじゃあないか。 

 ビタミン豊富な豚肉と亜鉛やタウリンの牡蛎なんか入れてみようかな。 

 これもご推薦のカプサイシンのトウガラシとセサミン豊富なごま油。

 リコピンいっぱいのトマトなんかで味を調えて。

 そうそう、βカロチンがたくさん入ってるニンジンの細切りもきれいだな。

 鉄分いっぱいのオクラとミネラルの宝庫モロヘイヤ。

 夏ばて解消のニガウリもいいねえ。

 ますます、おいしそうになってきたよ。 

 サンザシなんかマニアックで効きそうだな。あれ、これは違う番組だったかな。 

 まあいいや、効き目がもっと凄くなるだろう。ちょっと雰囲気は魔法使いの婆さんみたいだけど、はい、完成。星3ついただきましたー、のできあがり。

 発芽玄米ご飯で食べたらもう完璧すぎる。

 これで、高血圧、糖尿病、骨粗鬆症、腎臓障害、肝臓障害、内臓脂肪もおさらばでアトピーにも箸効あり。老化予防も完璧、肌もつやつや、血液の循環が良くなって、疲れがとれて、めまい貧血が治って、むくみもとれて、痩せられて、目までよくなって、冷え性も肩こりも解消。ワタシは残念にも便秘じゃないけどこれにも凄く効くだろな。ガンにもならない。おまけに体力超満点、精力絶倫?もう、なーんにも怖くない。やったぜ、魔法の薬だい。ハリー・ポッターにも教えてやらねば。

 これだけぶち込んだら1日30品目なんてチョロイチョロイ。少なく見ても50品目はあるぞ。厚生労働省さんにもぜひ推薦してやらねば。

 次は、あるある鍋にも挑戦してみようかな。がってんチャンコもためしてみよう。特選はなまる懐石なんておいしそうだろ。

 有頂天のワタシはそこではっと気がついてしまった。

 あれれ。これを食べたら、もう、ゼンゼン病気になれない。

 ずーっと元気で生きねばならない。

 友人も皆死んじまったら、ワタシは一体何で死ねばいいのだろう。


ニッポン食事情咄 第6回:ニッポン人は、実は味覚に自信がない?

 世はグルメ時代である。マスコミもこぞって食特集を競っている。有名店ラーメンの味比べなんかどこでもやってる。制作費が安いし不況の定番臭いが、ともかく、ニッポン人の味覚はどこまで進化するのだろうか、と思わせる。しかし、ワタシは言いたい。ニッポン国じゅうに溢れる情報が、味覚を退化させてる。動物を見ればよくわかる。

「動物って、グルメなんですか」

 人間に比べて、動物は食べることにも命がけである。自分の舌で味わって、安全かどうか、栄養価が高いかを判断している。誰も教えてくれない。誤った判断は命に関わるから、解析力は研ぎ澄まされている。実際、彼らは自分に必要な栄養素まで、味わい分けることができる。

「大変なんですね。で、人間は、どうなんですか」

 栄養素はラベルに書いてある。テレビでも皆、言ってる。

「安全かどうかってのは?」

 スーパーで買った豆腐で死ぬやつはいない。

「なるほど、栄養価と安全は保証ずみですか。安心できますね。便利じゃないですか」

 総てがパックに記載されている。便利になった。もう、命がけで吟味する必要がない。

「情報って、大事ですね」

 その代わりに、人間はたくさんのものを失った。味覚の判断が命に関わらないもんだから、感覚が鈍くなったのだ。情報の渦(うず)の中で生きてるニッポン人なんか、自分の舌さえ信用できなくなっている。

 表示された情報と評判が頼りだ。スーパーで買った鮮魚の刺身がうまいかまずいかよりも、パッケージの産地名の方が大切だ。天然ものXX漁港なんて書いてあったらそれだけで充分おいしい。

「そんな、言い過ぎですよ。表示は重要な手がかりですよ。法律でも決まってますから」

 じゃあ、スーパーの産地表示が偽だったと報道されて、半年も遡って今頃騒いでいるニッポン人の味覚はどうなってるんだ。内部告発があったりマニアックな専門家が偽りだって見破らなければ納得してたんだろ。

 「そりゃあ、表示しか信じるものはないですから」

 正確な表示は、大切だよ。嘘はいけない。不正表示は詐欺行為だ。犯罪として対処すべきだ。

 でも、「不正表示のために長い間まずいものを食べさせられてきたかと思うと腹が立つ」ってコメントは変じゃないか。まずけりゃ買わなきゃいいのに。腹を立てるべき相手は、「さすがXX産は高いけど味が違うね」なんて悦に入っていた自分の舌じゃあないの。

「でも、鹿児島の黒豚だって、魚沼のコシヒカリだって、本物はやっぱり、おいしい」

 下手な料理じゃあ、どこの豚でも米でもわかりゃあしない。

「ずいぶん失礼ですよ。それは。」

 誰に対して失礼なの? ブランドの味は、それだけの価値はあるだろう。生産者の誇りもあるさ。それを、はっきりわかるように味わってこそ失礼ではないってもんだよ。区別できない方が失礼だ。

「でも、正直なところ、産地に拘るほど、味に自信はない」

●情報が味覚を越える。情報社会の人間の宿命
 進化した人間の舌が野生動物よりも情報の影響を強く受けるのは仕方がない面がある。実は脳の構造が違うのだ。

 人間やサルは大脳が巨大に進化していることは有名だが、これが、情報と味覚の関係にも影響している。口に入った食べ物の信号は舌から延髄へ神経を介して伝達される。ここまでは、人間も下等なネズミも同じ。でも、その先が大違い。

「あんまり、難しい話は、なしですよ。授業じゃないんだから。京大生だって教室で寝てるでしょ」

 たしかに、そうだ。よく知ってるな。それでは、思い切って簡単にしよう。

 うまいかまずいか、もっと食べるべきか、吐き出すべきか、食べた物の価値を判断しているのは扁桃体という脳の中の小さな部位だ。本能に関わる部位だから、どんな動物でもしっかりしている。最終的に味覚の信号はここに到達する。

 ネズミはシンプルだ。過去の経験と照らし合わせて、安全と栄養価という観点に絞って判断できる。しかし、人間の場合は、その前に、色々な情報が混ぜ合わされる。ラベルの表示も産地名も、他人の評判も、ブランドかそうでないかも。

「じゃあ、そのあとで、そのヘントウセンが」

「扁桃体だ」

「その、扁桃体が、味覚とスーパーの情報なんかをまぜこぜにして判断する?」

 その通り。当然ながら、表示による先入観や、値段やテレビのCMや隣の婆さんの意見まで、目一杯、情報として味信号と混ざる。過去の記憶と照らし合わされる。そして、その後で、おいしいかどうか、人間は判断するのだ。簡単に言うとこうなる。

「待ってくださいよ、そんな、隣の婆さんの意見とか、ガセネタばかりで、おいしさがわかるんですか。」

 味がわからなくても、安全と栄養価の情報は多い。野生動物よりも確かだ。進化している。

「それじゃあ、味にうるさいグルメオヤジ連中が勝手気ままに言ってる中で一緒に食べたりしたら、自分の味覚なんて萎んでしまってる。」

 それは、ありえる。

「ブランドの証明書なんかがくっついてて、おまけに、テレビのグルメ番組や雑誌で紹介されたりしたら、まずいなんて言えないでしょ。味覚はどうしてるの」

 当然、負ける。長いものには巻かれる方が幸せだ。

「すると、現代人って、実は本当の味覚が曖昧(あいまい)なんですか。」

 だから、グルメ番組に人気がある。

「自分の味覚だけを頼りにおいしいものを食べるにはどうしたらいいんでしょう」

 動物みたいに、道ばたに落ちてる物を拾い食いして修行するしかない。命がけだ。

「そんな無茶な。もっと、ましな方法は」

 うるさいグルメオヤジになって、他の情報を蹴散らすために、わめち散らすしかない。


ニッポン食事情咄 第7回:食品規格のグローバル化っていったい何だね

 近頃は流通もダイナミックになって、世界各国間で食材や食品がやりとりされる。当然、いろんな摩擦も生じる。先日も、キムチの定義に韓国と日本の業界が一悶着起こした。

「ニッポンのトウガラシの漬け物を勝手にキムチと呼んでもらっては困る」

 そりゃそうだ、キムチは韓国の伝統食文化だ、あちらでは主婦も命かけてる。キムチの素をぶっかけたみたいなお手軽品と一緒にされては腹が立つだろう。しかし、ワタシは日本の浅漬けキムチもあっさりして好きだが、問題はうまいまずいではない。文化のプライドなのだ。

 コーデックス委員会なんていう、世界統一規格を作る動きも活発になっている。世界共通の基準を設定して食品の貿易の公正化をはかること、消費者の健康を守ることが目的である。食品安全基準の整っていない途上国などに、最低限の基準を提供するためだったらしいが、近年ではWTO(世界貿易機関)による自由貿易拡大のためもあって、コーデックスの基準が食品の世界基準になりつつある。

 国内基準が国際基準を無視したら非関税障壁などとWTOに提訴されることがあるのである。この場合ほとんど勝ち目は無い。焼酎の酒税引き上げはその結果である。ウィスキーと焼酎をひとまとめに扱うなんて、消費者の顔が見えていないね(いや、ひょっとしたら、昨今の焼酎ブームを彼らは予想していたのかもしれんぞ)。ドイツのモルト100%のビールは16世紀バイエルンのビール純粋令以来の国是だが、それも非関税障壁の圧力の前には無力であった。くやしかったろうね。

 安全性に関しては一定の基準は必要だろう。もっとも、各国の国民の感情や歴史も考慮したうえだけど。各民族の独自の文化で作られてきた食品とその名前や製法をグローバルという名の下で無理に規格化する必要は無いように思う。貿易のために民族の食文化が痛手を受けることがあってはならない。

 グローバル化というのは実体はしばしばアメリカ化や欧米化を意味することが多いが、彼らの食体験でこちとらの食文化をいじくり回されるのはワタシは愉快ではない。

「それじゃあ、ニッポンの代表さん、あんたらの主張する"関アジ"ブランドは我々のアジ、いわゆるマッカラルとどこが違うのか、我々に納得できるように論理的に説明してちょうだい」なんていわれたらパニックだな、どうしよう。

 この規格のおかげで、国内消費はいいけど、海外に輸出すると一悶着になる可能性がある。文化が違うのは仕方がないが、ニッポン人はおとなしいから、こっちの怒りや悲しみさえうまく伝わらない。

「貴社の輸出されたフィッシュは、サーモンか、ニシンかタラか、その他か、どれに分類するのか回答されたい。」

 なんていうファックスが届いたら悲しくなるでしょう。

「ワシの1本つり浜田漁港天然ヒラメは"その他"なのかい!」

 貿易の公正と円滑のためと言ったって、目利きの社員が現地に飛んで、長年の経験で品定めしてこそホントの商売なんであって、地球上どこもかしこも同じ規格のモノが出てきても信用できっこない。

●相手の理解を拒否する食品展はどうだ
 ご同胞、食の規格化なんていう暴挙を阻止するには、先手必勝しかない。ニッポン人の食はクレージーだ、その食の奥行きは恐ろしく広い、食の規格化なんて無理だ、と規格化を進めようとしている委員会首脳に全面降伏を促すことである。

まずは、意表をついて関東代表くさやと納豆、関西のふな鮨を大量に送り込む。先制の軽いジャブだけど、これは臭いぞ。外務省にお願いしてワシントンで日本食品デーなんかを作ってもらって、熱燗でおいしそうに食べるのである。

「こ、これは、臭い。これでも食べ物か。エキセントリックである。こいつらの嗅覚はどうなっているのか」

 と視察に立ち寄った食の規格化委員会に恐怖を与える。「めちゃ臭い食べ物っていう新しいジャンルの検討が必要ですかね、臭さの規格、難題ですね」と委員長に小声で耳打ちする委員も現れる。

 次いで攻撃の第二段、魚である。日本寿司デー。ありとあらゆる魚ネタを握って披露する。くさやはともかく寿司には一家言あると自認している欧米諸氏も、

「これ、どこがちがうの? 同じ味だけど」

 と、恐る恐る通訳に尋ねるに違いない。そこで、築地から連れてきた強面のお兄さんに怒鳴っていただく。

「なにーぃー、ハマチとカンパチとヒラマサの区別も付かないだとー。おまえさん舌はあるのかい」

 渋い顔の委員長とりまき達を後目に、会場で大量に売り出された魚の漢字Tシャツは、ワシントン子に熱狂的に受け入れられる。噂を聞きつけてニューヨークから飛んできたマニアもいたらしい。会場周辺は、鰻太郎や鮃小僧、鯛吉に鮪嬢が濃紺、深紅に染め上げたTシャツを着て皆が徘徊する竜宮城と化し、黙殺を決めこんだ委員会の意図に反して全米各地に寿司漢字は散っていった。大成功である。

 さらに、第三段は、全国漬け物オンパレード、800種類。へん、ぜーんぶ君らの言うピクルスだい。何でも漬けちゃうんだからワタシらは。この文化はすばらしいぞと驚嘆するアジア・南欧系委員と、ただ呆気にとられる北米系委員。委員会の亀裂のはじまりだ。会場はパリパリ、ガリリの大合唱。いい感じだ。噛み音もおいしさの一部だい。さらに次回予告には、

「日本各海域別、だし昆布とそのスープの味わい」

 なんて、超難解なのまで準備する。羅臼も利尻も日高もゼンゼン味わいが違うところがわかるかな。フランス人なんかもとうとう我慢できずに、

「常々英国や米国の横暴には苦い思いをさせられてきた、ここは、わが国のワイン、それもぶどう畑100メートルごとのを並べて協賛してやろう」

 なんてファックスを本国に送ってくれれば心強い。イタリア人もお祭りが大好きみたいだから「おうっ、おれっちもオリーブ油いっぱい並べるぜぃ。ぜーんぶ味が違うのわかるかい」

 相手の理解を拒否する食品展なんて、痛快だな。最後には彼らも悟ってくれるだろう。「外国の食を我々の基準で理解しようとするのは所詮(しょせん)無駄だ。」

 これこそ、国際的理解である。


ニッポン食事情咄 第8回:昔は旬の野菜だけを食べた

 子供のための食生活の勉強会ですばらしいことばを聞いた。京野菜などを扱っている八百屋さんの発言なんだけど「昔は旬の野菜をいっぱい食べた、旬でもない野菜は特別な日にしか食べなかった」。

 味わいのある、いい言葉でしょ。食の文化というのはこれだな。あたりまえの旬の野菜で季節を感じ、生活の中で野菜を楽しみ、まあ、正月やお盆や来客には奮発してめずらしい野菜や果物をお客に出そうかということだ。旬の野菜は経済的にも、味も、栄養価も優れている。

 八百屋さんの説明では、産地でも、いったん都会の市場へ出てから逆輸送されてくる場合が多いのが現実らしいが、ともかく、旬の野菜だから、豊富だし新鮮だ。新鮮な野菜は新鮮な魚よりもっと価値がある。おいしい。

 地元でとれた野菜をもっと食べたら、作る方だって気を遣うだろう。どこの誰が食べるかわからない野菜よりも、となりんちの可愛い子供の口に入るんだったら、できるだけ農薬も減らそうって自然に考えるでしょ。子供たちだって、近所の畑でとれた野菜だって教えてやれば、実感もわくだろう。作る人の顔が見えたら感謝の気持ちも生まれる。これは大切だ。

 作る人の顔と、食べる人の顔、両方が相互に見えることはすばらしいことだと思う。全国の野菜産地では地元の野菜を地元に食べてもらう努力がかなり前から始まっている。

 いつも旬の野菜を食べるようになったら、たまに食べる、季節以外の野菜が珍しいんだな。特別な日だけだけど。お客も、「おや、今年初めてですよ。ああ、珍しいものを」と感激してくれる。いいじゃない、そのやりとりも。ホントに大切にしたい文化です。

 でも、「1日30品目食べましょう」なんて言い過ぎると、旬の野菜を食べてばっかりじゃ品目がゼンゼン足りない。輸入ブロッコリーや中国野菜、南半球のニンジン、年中赤いイチゴとトマトなんてのも探し回って食べなくちゃあならない。季節感や味なんかよりも、品目数が気になる。

 品目数を確保して栄養素の偏りや有害物のリスクを軽減しようという発想は正しいし、リスクを無くそうという親心はよくわかるけど、30という数字が一人歩きしすぎて、皮肉にも食文化を脅かすことになっていないか心配だ。

 最近では30という数字はあまりうるさく言われなくなったけど、いったん聞いたら忘れない律儀な人もいるかもしれない。一度広まったものは、なかなか修正が難しいのは事実である。ごく最近でも、30品目の古いポスターが貼ってあるのを見たことがある。市民文化会館の階段だった。30品目にあまりこだわると、旬の野菜ばかりというわけにも行かない。なかなかつらいものがある。

 そこで、ワタシは考えた。1日30品目を簡単にクリアーできてしかも日本の食文化を守る食事。それが見つかったのだ。

 ある日スーパーマーケットを見渡して、ワタシは思わず叫んだ。

「あるじゃあないか、こんなに」

 五目ラーメンの素に鶏五目めしの素、七味とうがらし。十六茶なんてのもある。

 数字の多いものを使えばいいんだ。インチキじゃあないかって。確かに、インチキには違いない。七味とうがらしは一品だっていう指導もあるけど、なにしろ新鮮な旬の野菜を気分良く食べるためだからここは少しインチキにも目をつむっていただきたい。七味とうがらしと十六茶を使うだけで合計23品目にもなる。

 これからは、とびきり新鮮なおいしい地の野菜が出回ったら、心安らかに楽しむことができる。煮てもおいしいし揚げても炒めてもおいしい。大根なんか葉っぱまで料理を工夫できる。旬の野菜の料理法ってニッポンの誇るべき文化だ。大根だけじゃあ30品目に足りない場合でも、七味とうがらしと十六茶のおかげで旬の野菜が毎日お腹いっぱい食べられる。

 たくさんの品目を食べようと言う精神は正しいけれど、たまには、こんなインチキもいいだろう。


ニッポン食事情咄 第9回:先鋭的低インシュリンダイエット

 ダイエット法っていろいろある。真面目なのから無茶なのまで。飽食の時代には痩せてるのが貴重なんだな。

「1週間で5キロ痩せるって方法に挑戦してるんですけど」

 痩せました体験記は、実験条件が厳密でないので大概は信用できないと思って間違いない。1週間完全に絶食して寝てても(死んじゃいそうだけど)、しかも、その間脂肪が優先的に燃えるなんて無理に考えても、理論的にはせいぜい2kgくらいしか脂肪は減らない。現実はその半分くらいかもしれない。人体が消費できる脂肪量の限界だ。それより体重が減るのは、筋肉が痩せるか水分が無くなるかだ。これは、ダイエットとは呼べない。

「脂肪を減らすのは、難しいんですね。溜まるのはすぐだけど」

 世の中痩せたいヒトが多いのは知ってるけど、最近、低インシュリンダイエットなるものが現れた。本もたくさん出てる。蔓延(まんえん)しそうである。首を傾げたくなるダイエット法には慣れっこだけど、こんな荒唐無稽な説は初めてだ。

 この説を解説している本には、実は各種あって、なかには、脂肪はやはり太る原因だから控えめに、運動は併用したら好ましい、デンプンはやはり必要だ、結局は脂肪の燃焼能力が鍵だと述べるまともな本もある。発案者はそれほど無茶は言ってないのかも知れない。アメリカで話題になった、デンプンを一切食べない無茶なダイエット法とも違う。ただ、インパクトを強めるために、オリジナルを無視して都合のいい部分が拡大解釈されるのは世の常で、その方が魅力的だから、健康雑誌なんかでは主流を占めそうな気配が問題である。ワタシは、拡大解釈した危ない本のことを先鋭的低インシュリンダイエットと呼ぼう。

 その骨子を要約すると、太るのはインシュリンのせいだ。インシュリンを出すのは糖分だ。糖分にもいろいろあるが、インシュリン分泌を刺激しやすい糖やデンプンにさえ注意すれば、脂肪もタンパク質も太る原因にはならない。インシュリンを出さないような食事をすれば、痩せるし、運動も必要ない。カロリーだけで考えるこれまでのダイエット法は間違いだ。

「確かに、多くの本ではそう言ってます。ボクもそう理解してましたよ。間違ってますか?」

間違っている。特に、脂肪やタンパク質が太る原因にならないと誇張するのは、事実に反する。

 まず、最も基礎的なことだけど、同じカロリーの食事をデンプンの多い食事で取る場合と、脂肪の多い食事でとる場合を比較すると、デンプンの多い食事のほうが体脂肪の蓄積が少ない、つまり痩せられる。多くの実験例があり、間違いはない。脂肪はデンプンよりも効率的に体脂肪になるからね。脂肪をたくさん食べたら脂肪を燃焼する能力がどんどん増すということもない。限界がある。やはり先鋭的な低インシュリンダイエットは実験事実に反する。

「ふうん、実験じゃあなくて人間の場合は?」

昔の日本人は、ご飯をいっぱい食べていた。1日に茶碗に何杯も。それでも、現代人に比べれば太ってなんかいない。ご飯を何杯もなんて、先鋭的低インシュリンダイエット説ではブクブク太る食事のはずだろ。反対に、欧米人は、デンプンをあんまり食べずに、脂肪やタンパク質の摂取が多い、脂肪などカロリー比で50%近い。彼らは一般に日本人より太っている。砂糖の多いケーキは別だけど、それを差し引いても痩せる食事ではないのは明白だ。

「現実とあわないことは納得できましたけど、理論のどこがおかしいんですか」

 痩せるってのは理論的には簡単である(実行は非常に難しいけど)。原理は単純で、食べたエネルギーから消費したエネルギーを差し引いたものがプラスならば太ってゆくし、マイナスならば痩せてゆく。インシュリンのせいで太るのではない。食べ過ぎたから太るのだ。

「それだけですか」

 それだけ。高校の教科書で「エネルギー保存の法則」っての習ったでしょ。入ったエネルギーと出たエネルギーの差はとどまったエネルギーで、その他には消えたり産まれたりしない。人間の体内でも例外ではない。

「難しそうですが、わかる気もします」

 低インシュリンダイエットってのは、ワタシの読んだ本では、エネルギーがどっかに消滅してしまう、へんちくりんな話だ。

 ともかく、食べて吸収した糖分はインシュリンの助けを借りて吸収されて脂肪になる。ここまでは正しい。

 デンプンや糖の種類によって、あるいは食べ方によって膵臓からインシュリンの出る量が違う。これも正しい。

 だから、インシュリンがあまり出ないように食べれば太らない。糖分の挙動を表すグリセミックインデックスが重要だ。脂肪やタンパク質などのカロリーは問題ではない。この本にはそう書いてあるけど、これが間違い!

「ワタシの友人にも、ご飯を減らしたら痩せたって人いますよ」

 脂肪やタンパク質の摂取量を変えずに、デンプンだけを減らしたら、そりゃ、摂取したカロリーが少ないわけだから、以前よりは痩せるよ。でも、これは低インシュリンの効果とは言えない。摂取カロリーを抑えただけのただのダイエットだ。低インシュリンの効果と誤解してはいけない。

 この説の重要な部分であるグリセミックインデックスは、詳しく説明するスペースはないけど、ご飯とかパンとか、うどんとか、1種類の糖質だけ食べて測定された数字だ。肉と一緒とか、おかずと一緒の場合はという、現実的な数字ではない。副食と一緒なら胃の滞留時間も大きく違うから、正確な数字とは言えない。

 さて、先鋭的な説の最大の主張は、カロリーなんかもう怖くないだ。インシュリンを出すデンプンや糖さえ控えれば、以前と同じか多いカロリーを脂肪で摂取しても痩せられるという点にある。食いしん坊にはありがたい。

 しかし、世のなか甘くはない。気兼ねなく食べた脂肪はどこへ消えてゆくの? 食べた脂肪が脂肪組織に取り込まれなければ、燃えるしかない。しかし、1日の脂肪燃焼のキャパシティーは残念ながらそんなに多くない。ここが重要な点だ。1日中走り回ったら別だけど、それなら、誰でもやせられる。この本には、もう運動は不要って書いてるぞ。脂肪が余るじゃないか。

 燃え切らない脂肪は消えてはくれない。脂肪が肝臓に溜まったら脂肪肝だし、血液中をウロウロしたら高脂血症だ。普通は脂肪組織に溜まる。糖を食べなくても、タンパク質によってもインシュリンは出るので代謝が極端な分解の方向に傾くこともない。余分な脂肪はきっちりと体脂肪になるのだ。脂肪を食べたら太ることぐらいもう充分実感してるでしょ。

 エネルギーの摂取量を無視しても太らないなんて、ありえない。残念だけど。低インシュリンダイエットの正しい部分だけを取り出したら

「脂肪は太る原因で、インシュリンがあるとなおさらだから、脂肪と同時に食べるデンプンには少し注意が必要だ」

 だろうね。


ニッポン食事情咄 第10回:新しい農水省キャリアには強面 (こわもて) を

 国家公務員I種試験、言わずと知れたキャリア採用試験だ。夏には2次試験が終わって、採用面接。やがて新しい官僚の誕生である。

 ニッポンの食糧政策の未来は彼らにかかっている。瀕死の農業の現状を打開するためにも新しい人材が欠かせない。

 ニッポンの米作はいまや、政府にまで厄介者扱いされている。農業切り捨ての声まである。そんな無茶な。食糧持たない国なんて先行きが危ないぞ。それに、おいしいコシヒカリやササニシキが消えてしまったらワタシはつらい。

 ニッポンの米は高い。関税障壁にも限度がある。ジレンマがあるのはわかる。戦略を考える農業に脱皮するためにも、もう少し時間と工夫が必要だ。農業は不当に前近代的なイメージを持たれているが、農業関係者には意欲的な人も多い。食のことを切実に考えている真面目な人に出会うことも多い。まずは、コメはニッポンの厄介者ではないことを政府にも世間にも知ってもらわねばならない。

 そこで、ワタシは考えた。この際、日本のおいしいおコメを守るために側面からでも支援できないか。農水省さん、今年のキャリアの卵は、強面 (こわもて) 揃いにしてはいかがだろうか。とびっきり押しが強くて、その筋の人も顔負けくらいがいい。

「なんですか、また、ヤブから棒に。優秀なキャリア官僚の卵なんですから、上品なのが集まるのは仕方がない」

 おいしいコメ存続のために、ここらで、一発強烈な脅しをかけられる人材が欲しい。

「強面の教育なんて省庁ではやりませんよ」

 そんな組織、関西にはいくらでもある。ワタシが紹介してもいい。

「冗談はともかく、それで、何を脅すんですか」

 新しい強面キャリアには、みっちり、交渉の訓練を積んでほしい。迫力も必要だ。そのうちに、すごいインテリ猛者たちができあがる。政府各省庁に強面交渉だ。

●強面キャリア発進
 手始めに、健保に切り込む。

 論理はこうだ。

 ニッポン人は健康で長生きだ、世界一の長寿と言っていい。病的な肥満も少ない。なぜかって、そりゃ、ご飯だよ。

 ご飯を主食とする食べ方は、欧米に比べて総摂取カロリーが理想的に低く維持できる。アメリカ上院栄養問題特別委員会特別レポート1977年のマクガバン報告にある、アメリカ人にとっての理想的な食事、例えば、穀物中心の食事、脂肪30%以下、食物繊維などなど、まさに、ニッポンのご飯を主食とした伝統的な食事を指している。彼らの5000頁にもおよぶ詳細な解析と指針はアメリカでは一応の成果をあげたが、残念ながら完全にとまでは言い難い。理想の食の形態が現実とは違いすぎたのかもしれない。しかし、報告書の中で、当時、理想的な食生活とされたニッポンのそれはなんとか維持されている。生活習慣病の蔓延をかろうじてくい止めているのはご飯を主食とする日本型の食事だ。これを維持することが健康保険支援につながる。

「意外に、論理的ですね。包丁でも持ってゆくのかと思った」

 ニッポン人には脂肪を代謝するアドレナリンβ3受容体の変異や糖尿病発症に関わる膵臓の機能が弱い人が遺伝的にかなり多くて、高脂肪食には耐えられない民族という研究報告もある。稲作数千年の歴史は重い。いまさら欧米の真似はできない体質なのだ。コメ離れと食の欧米化がこれ以上進んだら、生活習慣病の増加はさらに深刻になろう。

「なるほど」

 国民健康保険はすでに破綻している。米食文化を軽く見て、生活習慣病患者が急増したら、医療費は間違いなく天文学的数字にふくれあがるだろう。生活習慣病は長引くぞ。コメと医療費のどちらに金を使うのが得策かは明らかである。先のマクガバン報告が出された経緯をご存じでしょう。アメリカでも医療費がパンクしたからだよ。歴史に学ぶべきだ。

「一応、説得力はありますね」

 このまま、コメを切り捨てることになって、医療費がふくれあがって健保が壊滅してもいいんですかい。

「やはり、脅しだ」

 つぎは、防衛庁。国防支援費の協同申請を提案したい。

 防衛庁は、有事に備えて、イージス艦を始め様々な防衛能力を整備してきた。この際、これは、認めよう。もう、買ってしまったんだから。しかし、肝心の食糧はどうするんかね。少し前の食糧危機のシミュレーションじゃあ、国民はイモを主食の一部にしろという。有事に肝要なのは食糧の確保じゃあないの。ニッポンの食糧自給率を知ってるでしょ。カロリーベースで40%ほどだ。穀物自給率は28%にすぎない。悲惨なもんだ。食糧の自給ができなくて何の国防ですか。わが国の食料自給を高めるためにも、コメを支援してもらいたい。防衛の要ですよ。

「これも脅しですよ、まったく」

 ニッポンの食の未来のためだ。つぎは、経済産業省。

「まだ行くんですか、追い返されますよ」

 コメの経済効率が良くないのは当方も承知している。改革のための農業の努力はやぶさかではない。輸入自由化やむなしも理解はできるが、かつてアジアのコメを輸入したときには安くても大量に売れ残ったではないか。味覚は保守的だからニッポン人にはニッポンの米しかない。

 経済成長した中国が輸入国にまわった今日、アジアにはコメは余っていない。無理に略奪したらアジアが飢える。世界の顰蹙 (ひんしゅく) だ。なによりも、日本の食糧をアジアの人口問題と同列の危機レベルに置くなんて賛成しかねますぜ。アメリカ米は結構おいしいが、主食をこれ以上外国にゆだねてもいいのですかね。国の自立の問題でしょ。世界的な食糧危機になったら足元を見られるぞ。そうなったら必死のコメ探しが始まる。安定な貿易どころじゃあない。食の確保だ。経済通産省さん、いざというときに1000万トンのうまいコメをどこから調達してくれるつもりなの。今からニッポンのコメを支援しないと高くつくよ。

 環境省へももちろん行くぞ。

 京都の会議はすばらしかった。ニッポンが率先して世界の将来を考えるなんて、これまで無かった。われわれも鼻が高い。でも、CO2削減の具体策が実を結ぶまでは、当面有効な二酸化炭素削減は森林しかないでしょ。二酸化炭素には協力しますよ。農村の力で森を活性化しましょう。ついては、このさい、環境に対する農業の重要性を考慮して支援していただきたい。次の国際会議で君たちが赤っ恥かくのは私らもつらい。

 最後に政府・財務省だ。

 農林業はいらないなんて言わないでほしいんですがね。目立たない部分でも農業は役に立ってるんですから。農業の抜本的な改革は農業関係者の責務だ。しかし、そのためにもぜひ一層のご理解・ご支援を。

 もう一つ、コメを厄介者扱いしてる経済評論家にもレクチャーだ。世論は大事だ。ニッポンの生命線です。コメの問題を大事に扱っていただきたい。

「業界の肩を持ちすぎでは」

あのマクガバン報告さえ、当時は各方面から批判があった。国益のためには、ある程度の業界間の摩擦はしかたがない。

「そんなにコメに拘ることもないでしょう。コメが無くなったらパンやうどんを食べればいい」

 あんたは、マリーアントワネットか。

 この話には、実は後日談も予想される。

 改革に目覚めた強力な面々が、その後もおとなしく黙っているとは思えない。ある日、彼らはトップに向かって言うにちがいない。

「この際、われわれ農水省は改名しませんか。あたらしい名前は、例えば『食料省』はどうでしょう。率先して省庁再編を提案しましょう。だって、農水省って、いっぱいある省庁の中で、唯一、国民全部のためではなくて、農林水産業界の利益のためだけのお役所みたいな名前だからね。他の省庁と命名の次元がずれてるんじゃない?国民のための省庁だって感じが薄い。この名前じゃあ、誤解されちゃうよ。この前の交渉の時も、いろんな省庁から、お宅は農林水産業者のためにたくさん予算ついてるんじゃないのって、イヤミを言われましたよ。やっぱり、国民のための『食料省』ですよ。食べものに関することはうちがゼンブやるから、他省からも関連部局を移管してもらってよ。牛は農水だけど食品としての牛肉は厚生労働省なんてわけの分からない線引きも無くなるしね。そうなれば国民全員のための最も重要なお役所だ。国民の食の問題を高い視点から考え、しかも、他省庁とも外国とも国民のために交渉できる。国民のためという視点で農業も守るってのがもっと信用される。国民の支持も必要だ。それには、名前が重要だ。」

 思わぬ強面の造反にトップは頭が痛い。


ニッポン食事情咄 第11回:別腹の不思議

 食後のケーキは別腹に入る。

 もちろん、入る先は同じ腹なんだけど、満腹でもするりと入ってしまうのが不思議である。別腹とは言い得て妙だ。

「確かに胃が苦しくなっても、入りますね」

 胃がぱんぱんに膨れるから満腹する、というのは間違いで、満腹しても胃には十分余裕がある。胃が膨満すると物理的な満腹感が発生するが、本格的な満腹感は、食べたタンパク質や糖質や脂肪が吸収されて、直接・間接に脳を刺激することによって得られる。限界まで胃を膨らませるのはいわゆるフードファイターの食べ方である。これは、もう、吐くしかない。

 食後のデザートは別腹の技だ。食欲は十分満足しているが、小さめの甘い物はおいしい。果物の場合も多い。

「イタリア料理やフランス料理のデザートなんか、小さくないですよ。もう、興奮しちゃう」

 一般にデンプン摂取が少なくて、食事にあまり砂糖を使わない欧米食では、最後に糖分を補って血糖を上げて心から満足する場合が多い。演出である。この場合、デザートこそが、完璧な満足を得るためのフィニッシュであり、料理のトリを努める主役である。習慣になってるから、多少満腹でもデザートがなければ不満が残る。和風の懐石料理で最後にデザートや高級な果物なんか出ても、ワタシはどうも食べる気にならない。体が要求していない。あれは余計なんじゃあない?

「残すのは勝手ですけど」

 料金を安くしろ。

「いじましい。ところで、別腹感はどのように発生するんですか」

 味覚に依存する食欲というのが知られており、お腹いっぱいでもおいしい物ならまだ食欲が湧く。刺激は味と匂いである。味と匂いが特別なものは、満腹でも体に拒否されない。

「満腹でも拒否されない味って?」

 例えば、砂糖と油である。ケーキ。満腹を知らせる食欲調節を少しだけ無視するおいしさとも言える。

●別腹は本能の快感か
 ネズミは食べ過ぎない動物である。自分に必要なカロリーを摂取すると、すぐに食欲を落として、それ以上食べない。見事な調節に感心させられる。こんな動物を肥満させることは難しい。ところが、砂糖水や油脂、油の多い人間の食べ物などは、さすがのネズミも食べ過ぎて太り出す。これは、人間の別腹と同じ現象ではないかと思う。甘味と油は、食欲の調節を蹴飛ばすほど、特別おいしいと言うこともできる。砂糖と油は、脳内に強い報酬を与える。よくぞエネルギーを摂取した、という本能の快感、つまり、ご褒美である。食べ物が満足にない野生動物の本能であるが、飽食の人間にも残っている。

●別腹に入ったケーキは太らない?
 別腹は肥満しないという説がある。

「食後のケーキは別腹だから太らない」と言うヒトに出会ったことがある。これは、20%正しくて80%誤り。

「微妙な判定ですね、あるある大事典みたいにどっちかに決めて下さいよ」

 世の中、簡単にどっちかに決められるもんじゃあない。

 20%の正しさとは、砂糖や油のように本能的に特別おいしい物は、脳を刺激して、その結果体からの熱の産生が増す。つまり、エネルギーを少しだけ余計に発散してくれる。

 この現象はカナダのダイアモンド博士やルブラン博士らが犬と人間で実証した。彼らは、完璧に調理したフランス料理と、それを全部ミキサーにかけてどろどろにして乾燥させたビスケット状の物を比較した。さすが、ケベックはフランス文化である。研究もエレガントだ。水分以外は内容は同じであるが、結果は、おいしい方が味覚を刺激して熱が余計に出る。

 ちなみに、ダイアモンド博士は、空手黒帯の日本通。ルブラン博士は、サンタクロースそっくりのやさしいおじいさん。いい研究ができそうな取り合わせだ。さて、別腹の80%の誤りとは、この熱の消費はかなり少なくて、ケーキ1個を消費することはとてもできそうもない。だから、やっぱり、別腹といえども太る原因にはなる。残念でした。


ニッポン食事情咄 第12回:ヤケ食いは快感不足か

 サッカー日本チームは、国内を歓喜の嵐に巻き込みながら、しかし、突然に終焉 (えん)を迎えた。祭りにもいつか終わりが来るのを知りながらも、興奮の数週間であった。いや、楽しかったし、総理ならずともおおいに高揚した。決勝トーナメント進出が決まってから数日間なんて、人生バラ色にさえ見えた。

 でも、あの、トルコ戦の夜には、思わず深酒をしたヒトも多いでしょ。

「しばらくは、放心状態でしたね。それから、ラーメン食べて、友人と飲みましたが、心に穴が空いて、ついつい、満たされないまま、いつまでも飲んでしまいました」

「あの夜、素直に韓国チームを応援できたヒトは、ホントの日韓共催支援者ですね。尊敬しちゃう。僕なんか、正直、心の底では、韓国も一緒に負けてちょうだいって願ってた」

 あの夜の、イタリア戦での韓国の大活躍は、敗戦のショックを倍加させてくれた。韓国サポーターがうらやましい。もう、飲むしかない。

 人間の快感は、毎日ある一定量必要なのではないかと思う。サッカーが快進撃している間は、十分な興奮と快感があったから、多少のストレスなんかへっちゃらだった。なんでも許せる。負けた翌日は、身にこたえる。あの興奮の快感の抜けた穴を補う何かがほしい。

 失意や不快感はそれに釣り合う量の快感があって初めて一日が安らかに終わる。仕事の達成感やほんの小さな幸福感の積み重ねである。充足感や快感が足りなければ、身近な快感のお世話になるしかない。食べるか飲むか、スポーツ新聞、パチンコ、ゲーセン、テレビゲーム、低俗ビデオ、ケータイにインターネットも役には立つ。読書や音楽も好きな人には有効だろう。誰もが無意識に帳尻を合わせている。

 しかし、数週間の興奮で快感中枢はフルに作動し、閾値は上昇し、感受性も鈍くなってきたようだ。いまさら多少の快感ではこの空白は埋められない。祭りの後の空虚さは、快感の感受性閾値 (いきち)が上昇したと説明できるかも知れない。

「関西人ならば、阪神タイガースがありますよ。Wカップの応援でしばらくほっておいたらいつのまにか負けがこんできてるけど、昨年までに比べればまだまだいける。あたらしい、快感の材料になる。」

 関西人は、懲りない。

「負けるのを心配してたら、タイガースファンはつとまりません」

 絶望感の感受性も低くなってる。

 自棄 (ヤケ)食いと言うのがある。満たされない快感を補うために、大食いするのであるが、これは、ケーキとか、濃厚なスープのラーメンとか、チョコレートとか、焼き肉とか、甘い甘い栗羊羹 (ようかん)とか、ともかく、太りやすい食材に限る。精進料理ではだめだ。和風懐石料理もパンチが足りない。「粗食のすすめ」の料理とか健康にいい玄米ご飯を自棄食いしても、こんな場合には効果が薄い。

 アメリカの研究で、スナック菓子を手放せない、病的に太っている女性のグループに、脳内の快感物質であるβエンドルフィンの作用を止める薬品を投与したところ、スナックに対する執着が緩和されたという報告がある。この人達は、スナック菓子で快感を得ていたわけである。

●快感食はカロリーが高い
 チョコレートや甘いケーキやラーメンやカルビが自棄食いの対象になるのは、うますぎる快感がストレスを緩和してくれるからであろう。糖や油、あるいはその両方は、脳にβーエンドルフィンなどの放出を介する快感を与えることが明らかになっている。カロリーが高いという脳の快感である。当然、太りやすい。これらは、以前に紹介した別腹 (べつばら)とも共通する。

 油を投与すると、鎮痛閾値、つまり、痛みの感受性が低下したという実験もある。先のβエンドルフィンは快感物質であるが同時に鎮痛物質でもある。

 ランナーズハイというのを耳にしたことがあるだろうか。ジョギングを趣味にするヒトは、走ると気分がいい。走る苦痛を和らげてくれるエンドルフィンが脳から分泌されるからと言われている。このエンドルフィンの快感が病みつきになって走る。自虐に沈んで、その反作用の快感を楽しむ行動も理解できる。

 原因が何であれ、快感のメカニズムは最終的には単純な快感物質に行き着く。人間の食物選択はうまく機能しており、快感が足りないときには、おいしい食物やアルコールを欲しくなるようにできている。たいしたもんだ。


ニッポン食事情咄 第13回:ニッポン全国食品廃棄時代

 食べ物を捨てる国ランキングを考えた。

「ずいぶん、変なこと考えますね」

 ニッポンは、かなり上位にいるはずだ。

「そんなことないでしょう。お茶碗のご飯粒を残したら叱られるし、うちの家族は、弁当の蓋のご飯粒も食べますよ」

 そういう民族だったはずだ。

「私も、残ったおかずは冷蔵庫にしまって、また食べてますよ。食べられるのに捨てるなんてしない」

 それが普通だった。

「一体誰が食べ物を平気で捨ててるんですか。納得できないけど」

 新聞を読めばわかる。お詫び広告だ。企業の名前がずらり並んでいて正月の新聞の年始挨拶みたいだ。今回は、不許可の添加物入りの香料を使った製品を回収している。アセトアルデヒドのおかげでものすごい廃棄が行われている。

「毒物なんでしょ。発ガン性もあると新聞に書いてあった」

 二日酔いするほど酒を飲んだら、アセトアルデヒドなんか体にいっぱい溜まる。酒飲んだら発ガンするのか?

 香料に使われたのだから、鋭敏な匂いのレベルだ。量は極めて僅かだ。しかも、海外では申請したら許可されている場合が多い。ワタシなら、今回の製品は平気で食べる。どう考えても怖くない。子供にも食べさせられる。もったいない。

「そういえば、『健康には問題はないが、』って、コメントはあちこちに書いてある」

 そうなのだ、今回は健康の問題ではない。法律上の手続きの問題に近い。

●食品を捨てずに済む方法はないのか
 法律は法律としても、健康に問題のないとされる食品を山ほど捨てるのは異常だ。

「でも、不許可だったら、売っちゃダメですよ。やっぱりルールはルールなんだから」

 法律を無視しろとは決して思っていない。でも、製品を捨てた人々は、さぞ口惜しかっただろう。健康には問題ないならば。不条理である。あまりに知恵のない話ではないかと言いたい。

「許可を受ければ良かったんですか」

 許可を得るには申請に多大な経費が必要らしい。もうけが少ない食品企業では難しい。しかも、めまぐるしく変わる法律よりも以前から、長年使ってきたものだから、つい、無視してしまったらしい。事情はわかるが、これは犯罪である。ルールを無視すると高くつくという警告としては、有効だったし、食品の信頼性こそが大事だという認識も高まった。不許可のものを使った責任はとらねばならない。信頼性のために。

●食べ物を捨てるのは倫理にもとる
 しかし、捨てられる食品の身にもなって見たらどうか。本当に健康に問題が無いならば、こんなにゴミのように大量に廃棄していいのか。どうしても、納得できない。メーカーも納得できないだろう。山積みされた製品のパッケージを剥がして可燃不燃に分類している気の毒な従業員の姿が想像できないヒトは冷たすぎる。不条理な廃棄現場を取材した新聞はあったか?
世界には、食料は決して余ってはいない。捨てた食料の分だけ、まわりまわって誰かが飢える。何人かが餓死するかも知れない。ニッポン人の安心のために、語弊を覚悟でもっと言えば、ただ法律を守るためだけに、そんな無茶なことが許されるのか。国民は仕方がないと思っているようだ。法律に従うという行為の裏に、海外からいっぱい食材を奪って平気なニッポン人消費者の無頓着が見えて、やりきれない。貴重な食材を使って作ったものはニッポン人が食べる努力をする義務があるだろう。これを捨てさせる法律は倫理にもとるのではないか。

 決められた法律に違反している食品は廃棄すべきだという意見はもちろん正論だ。食の安全を守る立場の人は、消費者のためだと言うだろう。しかし、正論であることは認めた上で、あえて、そんなに簡単に食べ物を捨ててもいいんですかと言いたいのだ。これらの食品は、問題の添加物が申請されていた国では問題のない立派な食品だ。理不尽ではないか。

「消費者は、信頼できる食品が欲しいのだから、この事態はやむを得ないのかも」

 今回はそうは思わない。別の解決方法もあったろう。香料成分のような微量の物質は検出も難しい。天然にも存在するから、判別さえも難しい。チェック機構の怠慢でもない。しかも、今回は、健康に問題はないと誰もが口を揃えている。知らずに使った食品企業に重大な過失があるとも思えない。嘘をついた者だけを罰するのではダメなのか。

「消費者がうるさいですからね」

「うるさいヒトだけが消費者ではない」

 それでも、心配ならば、食品の無用な廃棄を防ぐために、海外の既存の申請データや実験結果をニッポン人には当てはめて応急に対処する超法規もあるだろう。そんな特別委員会なんか国会で緊急に作れないのだろうか。ろくに食料も生産できないニッポン人が食品を大量に廃棄することにこんなに無感覚になっていいのだろうか。

●食品廃棄時代は続く
 異物混入の時もそうだった。気持ち悪いという理由だけで、同じ日に作られた食べられる多くの食品が廃棄された。最近では、食パンのナトリウム含量の470mgが2mgに誤って記載されていたという問い合わせで、約300個のパンが撤去されたという報道もある。間違いですって売り場に張り紙したら済む話だろ。撤去してどうしたの。まさか、捨てたんじゃあないだろうね。

「表示の間違いは問題ですよ」

 書類に自分の現住所を誤記してるヒトなんていっぱいいる。あんたがパンだったら撤去されるぞ。

「そんな、無茶な。ルールはルールだから」

 日本のルールは守らねばならない。しかし、食べものを無駄にしないという世界のルールを忘れていいものか。


ニッポン食事情咄 第14回:最近、昼飯の値段が安すぎない?

 最近、不景気で、ものの値段がどんどん下がってきている。特に、昼食がデフレで、一昔前の780円の定食なんか、今では高すぎる。発端はマクドナルドのハンバーガー平日65円だろう。じゃあ、いままでの130円はなんだったの? なんてつっこむ人もいたけど、とにかく驚異の低価格合戦の嚆矢 (こうし) であった。唐突に無茶な値段である。発作的な行動力がある会社というのは他人迷惑なものだ。

 昼食に半額のハンバーガーを5個も食べている図体ばかりでかい大学生を見て、複雑な気分になったことがある。あまりに脳天気だ。脳味噌がハンバーグになっているにちがいない。

 価格戦争に牛丼が参入し、あとはどこもかしこも採算無視みたいな狂騒状態である。誰かがやり出したら、後に続かないと客がいなくなる。大変な時代になった。

「いいじゃあないっすか。ヤスイいのは。カンゲイ。ボクら、ケータイやネット代でお金がかかるし、ヒルゴハンなんかにお金使いたくないっす」

 ケータイやりすぎると漢字も書けなくなる。

 そうなのだ。「昼ご飯なんか…」の時代なのだ。食べることよりも、他の快楽優先なのだ。昼ご飯なんかどーでもいいなんて、先鋭化した大脳皮質が、本能の大脳辺縁系を蹴飛ばして暴走してるみたいな、動物としては信じられないような行動原理だ。人類の未来は危ないぞ。

 ともかく、食なんてありがたくもない。仕方ないから食べてる。という気配が感じられる。なんでもいい、安いに越したことはない。200円で充分なのだ。

「安くても、結構質は悪くないですよね。どうやったらあの値段でやってゆけるのか心配になるぐらいだけど。競争激しいから仕方ないんでしょうね」

●安い昼食はありがたいけれど
 確かにこの不況は国民のおこずかいを直撃している。安い昼食は正直ありがたい。不況のしわ寄せが、昼食に来るのは当然だろうが、あまり極端な低価格だと、なんとなく食べ物の価値を粗末にしているんじゃないかと感じるのはワタシだけだろうか。行き過ぎている。

 ワタシは言いたいんだけど、ちゃんと定職・定収入のある大人だったら昼食を200円で済まそうってのはどこか変じゃない? なんか、虫が良すぎない?

 こんなに安くってもいいんだろうか、って心配になる物多いでしょ。食べ物ばかりじゃなくて日用品でも、気の毒なくらい価格がおかしい。どこかモノに対する尊敬の心が無くなっていくようで不安な気持ちになる。ニッポン人が自分の手で真面目にモノを作ってないんじゃない?

 10組30円の軍手の束なんてのを見ると、もの悲しくなる。1組3円だよ、手袋が。こんなに安かったら洗わずに使い捨てようって気分にもなる。どこの誰が作ったんだろう。モノの価格が無茶苦茶だから、ニッポン人はもはや、モノ作りをする気になれないだろうな。モノ作りが取り柄の国民なのにね。

「価格破壊の時代ですよ。脱落したら負け。ぎりぎりの戦争ですね」

 価格破壊なんてかっこいいけど、後も先も考えない抜け駆け合戦でしょ。限界まで製造工程をチェックするんでしょうね。その努力は貴重だよ。でも、一方では、従業員やスタッフを限界まで削減したり、原料や食材を安い国から買いたたいたりもするんでしょ。

「当然。国内産のものは高い。従業員の給料が高いからね。労働賃金の安い国で作らないと価格競争に勝てるはずがない」

 モノの価格が正当じゃあないとすべてがいびつになる。感謝も消え失せる。

●安い醤油買うと就職先が無くなるゾ
 「1リットル98円の醤油見つけたんですよ。3本も買っちゃいました」

 その醤油を買うと君の就職先は無くなるよ。

「え。どうして。ヤブから棒に」

 1リットル98円では自動販売機の水より安い。醤油には原料も容器も輸送も必要だし、長期間の熟成も必要だ。手間がかかっている。

「そりゃ、無理して値下げしてるんでしょうけど、ひょっとしたら開発途上国のただみたいに安い原料や労働力を使ってるのかも」

 君は食品企業に就職希望のようだけど、ニッポン人に給料払って、そんな安くつくれないだろ。昨年醤油会社に就職した君の先輩の給料も払えない。

「ニッポン人労働者を限界まで減らしてスリム化してるんでしょうね。海外生産してタンクで運んでくると安上がりだし」

 そんな醤油を買ったら雇用が無くなるじゃあないの。高給取りのニッポン人は雇えなくなる。失業者が増える。ますます不況になり雇用は冷え込む。コスト削減のための解雇は他人ごとではない。やがては、君の就職も危うくなる。

「そんな無茶な論理。でも、そういう傾向にはなるんでしょうね。私の就職大丈夫でしょうか」

 開発途上国との為替差や賃金格差のマジックは国力に差のある一時期だけである。ワタシらの子供の頃は、ニッポンが途上国だった。1ドルが360円時代が長かったし、大卒の初任給が5万円こえたのってつい最近だ。安い賃金で働いて先進国の欧米にモノを売ったから急に豊かになった。時代は急速に変化する。当然、逆もあるよ。

「1ドルが360円だったんですか、ふーん」

「この自転車のハンドルはおいくら?」「180円。半ドルだから」

 昔のおやじギャグである。オヤジはいつの時代でも最低のセンスだが、それはともかくこの話のオチは今では通じない。

 安すぎる昼食に対する心配は杞憂 (きゆう) ではないはずだ。高給を取りながら200円の昼食を食べるのは間違っている。そんな国民は、ほんの一時期だけは幸福だが、幸せが長続きするはずがない。給料と昼食代の格差の、つまり得したぶんのしわよせは結局、国内生産者の解雇に向かい、雇用をどんどん奪い、失業者も増加し、不況になり、最後は平均したら皆が昼食200円に見合った給料しかもらえなくなるのは当たり前でしょ。

 ニッポン人の雇用コストを含まないような昼食をありがたがってはいけない。いつかは自分の首を絞める。たまには給料に見合った昼ご飯を食べたらいかがか。

 安い原料を仕入れるのも限界はある。先に成長した国が順々に開発途上国の安い原料や食材を漁るのって、いつかは破綻するネズミ講とおんなじ構造ではない? アジアの国もどんどん豊かになる。次のターゲットはアフリカか? ヒドイ話だよね。最後はどうなるんだ? 着地点を見ずに一時期の幸せを追いかけるのは、いつか来た道と同じだ。異常に高いモノを買い漁るのを止めたらこんどは異常に安いモノを漁っている。

 逆方向みたいだけど、足下が不安定なのに気づかないのはバブル時代と同じだ。

 抜きがたい貧乏性だね。小金をもってうかれていたけど、バブルでまた昔の貧乏性が顔を出してる。今の不況は『貧乏性不況』だ。

 ものの正当な価値を認め、正当に扱うことが、成熟した国を作る精神の基礎になるんじゃあないの。200円の昼食は自分の価値すら貶めている。


ニッポン食事情咄 第15回:コカコーラはなぜおいしい

 世の中に食物や飲料はたくさんあるけれど、どうしておいしいのか誰にもわからないものがある。その代表格は、コカコーラであろう。コカコーラは商標で、一般にはコーラだが、英語の辞書にも書かれるほど浸透している。アメリカ本土ではペプシも結構健闘しているが、この関係は、巨人に対する阪神、ビートルズに対するローリングストーンズ(古いかな?)、日本マクドナルドに対するモスバーガーみたいな所がある。競争と共存の微妙な関係か。

 ともかく、コカコーラがなぜ売れるのか、誰も明確な答えを持っていないようだ。大ヒットを夢見る飲料メーカーは皆知りたいんだろうけど。

「あの男がどうして女性にもてるんだろう。どこがいいんだろう、というのと一緒ですよね。知りたいです」

 まじめに聞いてるのかね、、、、。まあ、いい。

 コカコーラは、なぜこれほどまでに浸透したか、飲料業界の最大の不思議でさえある。

 コカコーラは、開発当時、それまでに全くなかったジャンルの味を作ろうとしたという。他にない味を作った。初めから理解されやすい味に作らなかったのが面白い。

「それまでにない味って、ずいぶん無茶なことしますね。」

 子供の頃、初めてコーラを飲んだ。緑色の肉厚のガラス瓶の時代だった。とても、おいしいとは思えなかった。友人が、「ガソリンみたいな味だ」と、吐き捨てるように言ったのを鮮明に覚えている。今では、何の違和感もないのが不思議だけど。あれから数十年、舌のほうが順応してきたらしい。

「食堂でバイトしてた頃、冷たいコーヒーとそーめんつゆを間違えたんですよね。業務用パックは似てる。あんなまずいコーヒーはこれまで無かっただろうから大ヒットしたかも知れないな。」

 変な味というだけではどうしようもない。

●まずうま?の妙
 先日、某おいしさの研究会でご一緒した、新横浜ラーメン博物館広報の武内さんが、面白い発言をされた。

 カップラーメンは、凄く売れてるけど、定番になってるものは、おいしくもまずくもない。いわば、「まずうま」。おいしすぎないことが秘訣かも。

 まずいとうまいは、紙一重だ。きっかけ次第で、どっちにころんでも不思議ではない。むしろ、最初はあまりおいしくない方が、はまってしまうと病みつきになりやすい。

 おごそかと滑稽とは紙一重だって芥川龍之介が書いてるけど、そんなもんだ。正反対なのに、どこか非常に近い。

「ベッカムの髪型まねして、笑われた友人がいます」

 紙一重じゃあない。

 日本の巨大商品であるポカリスエットも、発売当時はずいぶん奇妙な味だった。飲料はフレッシュ感を出すために酸性にしてあるが、ポカリスエットはミネラルのアルカリっぽい味である。へーんな味というのが、第一印象である。今では、当時の違和感が嘘のように、皆に受け入れられる。二日酔いのポカリは特に旨い。

 どちらも、現代の巨大ヒット商品であるが、味の常識を無視した戦略が興味深い。後はコマーシャルの波状攻撃によるブランドの確立。結局、新しい味を、消費者の方が受け入れてしまった。

「あ、それって、ドラマの定番ですよ。最初は2人はすごく嫌ってるけど、結構気になってて、いつか、恋愛感情を抱くってやつ」

 嫌われておしまいってのもたくさんいるけどね。いつか受け入れられるのには、見かけの味やコマーシャル以外に、本質的なプラスαが必要だ。

「内緒で教えてくださいよ」

 飲料の話だぞ。

●味以外のプラスα
 重要なのは、体感できる特徴があること。能書きは立派でも体感できなけりゃあ、強精剤でなくとも売れないのは当然だ。アメリカ大陸を車で横断しようと思ったら、コカコーラの2ダースくらいは必要だ。砂漠の中の道路では渇きを癒してくれる飲料はありがたい。オレンジジュースじゃあ甘すぎる。冷えた水は手に入らないし、硬水はまずい。ガススタンドで買える冷えたコーラの味と、強い炭酸は、渇きにはうれしい。特に炭酸は喉の水感受神経を興奮させる。水よりも強く水を感じさせる作用がある。

 ポカリスエットも、浸透圧が適度であり、喉で消えてくれる。吸収が早いので、渇きには最適だ。二日酔いの渇きには魔法の水である。

 こんな、生理的な快感が、コマーシャルと相俟(あいま)って、いつしか心地よい味に変化させたのであろう。こんな生理的な快感を持つ、「まずうま」の新しい飲料はこれから先にも出現するか、楽しみである。

 両者の背景として重要なのは、毎日の売り上げがコンピューター管理されるコンビニエンスストアの発達していない時代の産物であること。発売数週間の売り上げで、継続や打ち切りを判断される昨今のシステムでは、時間をかけて消費者に挑戦するような味の冒険は難しい。

「そうなんですよね、最初の出会いにしくじると、もう電話番号も教えてくれない。短期勝負の、やな世の中だ」

 飲料の話だぞ!


ニッポン食事情咄 第16回:偽(ニセ)栄養学発見法

 最近、食べ物に関連して、栄養素のことをいろいろ話題にする人が多い。一種の社会現象だ。かなり混乱しているけど、そういう話の質を簡単に見分ける方法を発見した。

「たしかに、首を傾げたくなる話を平気で書いたりしゃべる人は多いけど、見分ける方法ってなんですか」

『いらいらするのはカルシウムの摂取が不足しているから』って言うヒト。

 こんな文言を見つけたら、即刻、その人の話を無視した方がいい。質が低い。少なくとも、無責任だ。

「そんなの、たいていの人が平気で言ってますよ。全部無責任ですか」

 君は、いらいらしたときにカルシウムを食べて治るのか?

「いえ、ゼンゼン。実は、前から変だなあとは思ってました。でも、みんな言ってるから信じてましたけど」

 実感もないのに信じるのかね。

「いえ、深くは信じてはいませんけど。栄養素の話って大概そんなもんでしょ」

●カルシウムの摂取不足でいらいらするという証拠を示す学術論文はない
 カルシウムの摂取が不足するからいらいらするという、『カルシウム欠乏いらいら説』の確かな証拠を示す論文は見あたらない。

「えー、うそでしょ、皆口を揃えてますよ。」

 納得できるデータを示す論文は見つからない。そういう論調の本はあるけど、具体的なデータが無くて議論の飛躍があるように思う。大概は皆がまねして口を揃えてるだけだ。ついでに無責任な態度もまねして、十分な理解も議論もなしに、無批判に受け売りしている。連鎖反応だ。

「でも、確かな証拠がないのに、どうしてこんな話が出たんでしょう」

 このような嘘が、どこから広まったのかは明らかではないが、それは、たしかに、奇妙なことだ。しかも『口裂け女』伝説よりも真面目に信じられている。エックスファイルよりも、確かだと思われている。

「そのようですが」

 神経細胞の活動はカルシウムイオンに依存している部分がある。

「カルシウム食べなくても、神経などに支障はないんですか」

 人間の体は、大切な順にきっちりと守られている。脳機能や信号伝達のためのカルシウムなんか、最も重要だから、最後まで破綻は起きない。栄養学の基本だ。

 ともかく、こんな、単純な話が、これほどの嘘にまで成長するには、食や栄養を気軽に口にする人々の根底に深い問題があるにちがいない。

 それで、『カルシウム欠乏いらいら説』の発生起源を探ってみた。

「なんか、探検隊みたいですね」

●病的な症状としてのみカルシウムの低下と諸症状が観察される
 おさらいするけど、カルシウムは骨に大量に貯蔵されている。僅かな部分が常に血液に出し入れされている。大切な物質だから、血中カルシウムイオン濃度は常に精密に調節されている。利用する側の細胞も、様々な機構でカルシウムイオンの放出や蓄積の調節を独自に行っている。

 食事中のカルシウム不足くらいで、神経活動に変化が起こるほどカルシウムイオンの利用が低下するというのは簡単におかしいとわかる。

 多分、よくある「木を見て森を見ない論」だろう。カルシウムの病的な欠乏の症状を論じている話から、都合のいい部分だけを摂食による欠乏に流用したものだろう。

「よくある嘘ですね。病的な欠乏の話を聞いて、起こったらたいへん。起こっても不思議ではない。だから、せっせと食べましょう。ですか」

おそらく、ここから発生した可能性があると思われる地点が2カ所ありそうだ。

「もったい付けないで早く教えてくださいよ」

 1つは、副甲状腺機能低下による低カルシウム血症だ。これには偽副甲状腺機能低下症というのもあって、これは副甲状腺ホルモン作用を伝達するGタンパク質というのが変異を起こしているらしい。

「難しい話ですが」

 どちらにしても食事とは直接関係ない。骨のカルシウムを血液に移行させる副甲状腺ホルモン作用が異常で、血液中のカルシウムが極度に不足する事態。煮干しを食っても無意味だ。筋肉の硬直や、けいれん、しびれ感、知覚異常等が報告されている。末梢神経線維は高度に興奮性が高まり、時には刺激がなくても静止状態にとどまることができず、反復性に放電する。

「つまり、神経の興奮が止まらない。最後だけ読むといらいら説にぴったりですよ」

 細胞外のカルシウムイオンの濃度低下が、ナトリウムチャネルへの影響を介して、神経細胞の脱分極を起きやすくさせ、興奮性を高めると考えられている。また、ナトリウムチャネルの透過性がカルシウムイオンで高まる場合も考えられる。

 このあたりをつまみ食いしたら、立派な『いらいら説』になるぞ。

「なるほど、でも、カルシウム不足は病気としては存在するんですね」

 食物からのカルシウムの摂取の不足が原因でこんなことには絶対にならない。病気だ。腎臓の障害など、原因はいくつも明らかになっているけど、日常の食物摂取には関係ないからここでは省略。

「で、もう一つは」

●うつ病もカルシウム欠乏にされかけている
 もう一つ嘘が発生した候補としては、うつ病がある。セロトニンやノルアドレナリンの神経終末からの放出や再取り込み、受容体以降の細胞内情報伝達系にカルシウムイオンが関与しており、うつ病では、これらの調節の異常がストレスによる不安などの感情から回復ができなくなっている原因の一つと推定されている。仮説の段階らしいけど、『カルシウムいらいら説』に近いだろ。

「これも、ぴったりですけど、うつ病じゃあなかったら?」

 いらいらとは関係ない。

「カルシウムの摂取が少なかったらうつ病になるんですか」

 おそらく関係ない。

「うつ病の場合は、カルシウムを食べたら治るんですか」

 うつ病に関する報告や専門書を読んでも、直接うつ病に効くという記述はない。サプリメントを売る人は盛んに言ってるけど独自の研究データはないようだ。

「他に候補は?」

 細胞内の情報伝達系としてどこにでもあるイノシトールリン酸系はカルシウム依存性たんぱくキナーゼを活性化していろいろな信号を伝達するから、探せば神経機能とカルシウムという単語はごまんと出てくるだろう。いずれもカルシウムを食べる話とは結びつかない。

●情報の原点に遡る努力なしにうのみを繰り返す怠慢
 ワタシは低カルシウム血症やうつ病の専門家ではないから、これらの話ももちろん自分の研究成果ではない。努力はしたが細部に不十分な理解があるかも知れない。しかし、いろいろな角度から見て極めて怪しい説だと言わざるを得ない。世の中に『絶対』はないから、どんなに調べても自分の理解が間違っていないか不安になるのが正直な研究者であるはずだ。そのような努力のなかで、真偽の議論が行われた形跡がない。

「専門家でなければ難しいですね」

その気になれば、話を受け売りする前に少しは自分で調べることは専門外でも不可能ではないはずだけど。

 結局、病的な状態で血液中のカルシウムが低下してしまったときに、神経伝達に大きな障害が起こるという話か、うつ病では細胞内のカルシウムの調節(摂取不足ではない)の異変でストレスから逃れられないという話から始まった可能性がある。もちろんどちらの症状も、別に原因がある。『カルシウムを食べないといらいらする』という話では、風が吹いても桶屋すら喜ばない。

「誰が言い出したんでしょうね」

 わからない。しかし、問題は、『いらいらしたらカルシウム不足』をうのみにして、自分で情報を吟味もせずに自信たっぷりに受け売りしている人々だ。現代の食の病巣でもある。

 カルシウムは子供のキレル原因にまでされかけている。あとは、添加物やインスタント食品や、ペットボトル飲料。気に入らないものをなんでもキレル原因にする目を覆いたくなるような非科学的な話がおきまりのように展開される。

 こんな説を、全く裏付けもとらずに平気でしゃべる人の栄養の話は、ゼーンブ無責任な聞きかじりだと思って間違いはない。わかりやすい判別方法だ。

 ともかく、有効であるという実感が伴わない栄養素の話は一応保留するのが懸命だろう。そのうち、消えてゆくはずだ。確かな実感があれば信じるに値する。これが原則だ。しかし、実感のないものが多いゾ。

「おや、ずいぶんキレてますね。カルシウムが足りないのでは?」


ニッポン食事情咄 第17回:ニッポンはヒドイ便秘状態だ

 ニッポンの食糧自給率はカロリーベースでたった40%程度だ。これには家畜の飼料は含まれていない。実際はもっと悲惨だ。

「お金で買えるうちは深刻な問題ではないでしょ。工業製品の輸出と引き替えみたいな面もあるし。それに、国土が狭いから自給は難しい」

 すると、日本人が食べる食料の大部分は輸入されてきているわけだ。毎日毎日大量の食糧が日本に上陸する。

 ところで、君はウンチするよね。

「当たり前ですよ」

 君はヒドイ便秘だって言ってたけど、いくら便秘の人でもいつかは出る。

「ほっといてください。いつどこで排泄しようと勝手でしょ」

 家畜も飼料を食べてウンチする。小便もする。

「当然ですよね。派手なもんです」

 排泄物中には窒素がいっぱいある。タンパク質を摂取すると、体の中で全部は使われなくて、アンモニアの部分が残る。これは毒性が強いから、尿素や尿酸になって排泄される。

「うまくできてるじゃあないですか。」

 しかも、人間の排泄物にはまだ栄養素が残っていて、家畜や野生動物はこれを食べることがあるほどだ。余分なミネラルも排泄される。それほど、いろいろ出るわけだ。

 この、排泄物は、昔は、農家が野菜などの肥料にした。肥を担ぐ桶や天秤なんかどこにでもあった。大昔は、人糞を集めて小遣い稼ぎする人もいたそうだ。肥料に使ってたから。

 今でも、酔ったら、子供の頃に肥溜めに落っこちたことを自慢するオジサンもいる。まわりは引いてるけど。

「昔のニッポンって、肥溜の匂いが、村中に充満してたんでしょうね」

 いや、実は、そんな記憶はないね。微生物の分解作用もあって、今想像するよりは案外臭くなかったんだけどね。それに、いつも一定の弱い匂いがすると、鼻と脳が無視してくれる。心安らぐ環境臭だ。

 今のニッポンだって、昔の人からみると、ずいぶんいろんな変な匂いが充満して臭いと言われるかも知れないぞ。駅やデパ地下なんて肥溜め以上だ。

 ともかく、排泄物は、再び、植物の栄養素として米や野菜の成分に生まれ変われた。昔は。

●日本はヒドイ便秘状態である
 でも、食べるものの大半を海外から輸入して排泄物を利用しなかったら、どうなる? 毎日毎日、世界中から食物が輸入されて、毎日毎日、ニッポンの便器に排泄される。ある程度下水処理で微生物に食わせて浄化するけど、全国の下水処理設備の普及はまだまだ完全ではない。かなりの量が環境へ排泄されている。

 世界各国から輸入された食物のウンチが日本国土に溜まるわけだ。窒素を消費できない部分はゼーンブ日本の地中に溜まって濃縮されていくよ。凄い量だよ。冗談じゃなくて、川の水や地下水なんかどんどん窒素が増えている。いつか、ミネラルウォーターまで輸入する国になりかねない。輸入野菜は安いって言って、農業の経済性ばかりを考えているとこんな落とし穴もある。

 当面の解決策は一つしかない。人間の排泄物を植物に使ってもらうことだ。野菜やコメだったら排泄物が食物に再生される。水もきれいになる。化学肥料も少なくて済むはずだ。それで、食糧自給率も環境への負荷も改善されるなら一石二鳥じゃあないか。

 食べ物だって、排泄物だって、草や作物だって独立に存在するわけではない。物質やエネルギーの大きな循環を考えないと、人間でなくても便秘になる。

 現実には、食べ物を輸入する一方で、排泄物をため込む一方だから、ニッポン国土はスゴイ便秘だよ。こいつはサラリンでも治らない。このままだと、そのうち君の排泄には環境税がかかるよ。

「そんな、ひどい。増税はいやです」

 畑の周りには免税トイレもできるだろう。


ニッポン食事情咄 第18回:マンハッタン立ち食い蕎麦屋計画

 空腹で駅前に行くと、いい匂いがする。

「立ち食い蕎麦でしょ。すきっ腹には殺人的ないい匂いだ」

 香りに引き寄せられる。時間がないときは便利だ。

「ファーストフードだから麺には贅沢は言えないけど、ラーメン屋の匂いではあれほど誘因効果はないですよね」

 ダシの香りだね。ワタシは誘蛾灯を見た羽虫みたいに興奮する。

 若い人はハンバーガーだろうけど中年のオジサンにとっては、あれが最高だ。

 アメリカ人の研究者と一緒に駅に行ったらあの匂いがした。彼は、特に好きではないらしい。

「食文化の違いですか」

食べた経験があるから香りで蕎麦だとわかる。食べない人には魅力的ではないようだ。

香りは一種の信号だから、好ましい味の食べ物を香りで覚える。カレー屋や鰻屋の香りも同様だ。例のアメリカ人は、アメリカのモール街に漂っているあまーいポップコーンの香りが最高なのだそうだ。あんたはガキかって思ったけど、喧嘩になりそうだからやめた。

「いつになく思慮深い判断ですが、とっさに気の利いた英語が出なかったんでしょ」

ダシの風味には、実は、特別のおいしさがある。マヨネーズは3日食べたらやめられないって話をしたことがあるけど、それと同じく、ダシの風味も一種の常習性があるという研究結果が得られた。マウスを使った実験だけど。

「すると、脂肪もダシの風味も病みつきになるんですね。確かにそうかもしれないけど、どうしてアメリカ人はダシに執着しないんですか」

幼少時代に刷り込まれる必要があるらしい。ネズミでは離乳期前後に経験させると大人になっても好むようになる。

ダシの味とご飯を早くから経験しないといけない。

●アメリカに米を買ってもらおう
ワタシは考えた。これは、使えそうだ。アメリカ人の一部を米食民族に変えるのだ。

米国通商代表なんかがコンビニ弁当を視察に来ている。また、米を買えっていう脅しだ。最近アメリカの政府要人は皆押し売りに見える。

「考えすぎですよ」

こちらは、ニューヨークのアメリカ人にライスの押し売りだ。

「この前はイチローでしょ。こんどは一体なんですか。」

いいか。アメリカの都会では以前から日本食ブームだ。和食は健康食の代表だよ。ニューヨークの寿司屋なんか高級ビジネスマンのたまり場だ。下地はできている。しかし、立ち食いそば屋の香りに引き寄せられてこそ本物だ。まだ、詰めが甘い。

「どうするんですか」

政府のプロジェクトに申請する。10年計画だ。『マンハッタン立ち食い蕎麦計画』。

最終的にはニューヨークの地下鉄前に立ち食いそばの屋台を多数開店する。強烈なダシの香りを四六時中送り出す。

「彼らにとっては臭いだけでしょう。」

もちろん最初から立ち食い蕎麦は無謀だ。まず、ニューヨークには仕事を持つ既婚女性が多いから託児所を開設する。蕎麦や米は健康イメージが強いから、子供には日本食を中心とした食事をさせることが売りだ。健康にはぴりぴりしているニューヨーカーだから、健康食の託児所って結構受けるかも。もちろん、食事の栄養素のリストと栄養価の評価表は完璧なのを用意する。大人になってもブクブク太りませんよって納得させる。

「子供が簡単に和食を食べますか」

そこは、食行動科学と実験心理学の粋を尽くして、子供達の嗜好を改革だ。ハンバーガーやフライドチキンやポップコーンしか食べなかった子供がライスや野菜を食べるようになったら親は喜ぶぞ。

狭いニューヨークだ。ビジネスマンの間でたちまち評判になるのは確実だ。数年先まで入所予約が殺到するに違いない。妊娠したら、ドクターよりもまず 『ターチーグーウイソバ託児所』へ予約しないと遅れをとる。評判を聞いて真似する託児所も現れるが、こちらは営利目的ではないからおおらかに目をつぶる。

こうして、日本の食事を食べ慣れた子供は、トーゼン、ダシの風味を好む。箸の使用は人間の脳を活性化するというデータを理研の先端の脳科学で実証してばらまく。親心を刺激された両親はがぜん本気になる。

家庭では子供の影響は大きい。親たちも次第に箸を使ってうどんや蕎麦ヌードルを食べるようになる。ライスのメニューも子供の要望だ。

「アメリカの家庭でご飯を炊くのは厄介でしょ」

知らないのかね。電子レンジでうまく炊ける容器がある。技術開発すれば使い捨て価格にすることも不可能ではない。

なにしろ、健康イメージの威力は絶大だ。コレステロールも脂肪も低い。塩分だけは彼らには問題だから、多少の塩分よりも脂肪やコレステロールの方があなた方には問題ですよって、巨額の予算で研究依頼したNIHのデータで丁寧に説明し、定期的な健康診断を実行する。

小学校へ上がった頃には、親たちは和食のメニューの追加を学校の食堂に要求するはずだ。

「せっかく健康な食事習慣を身につけたのに、またフライドポテトなんか食べさせないで。うちの子はライスよ、ライス!」

アメリカの母親は要求がストレートだ。

●立ち食い蕎麦登場
満を持して、立ち食い蕎麦1号店の開店である。盛大にダシの香りをマンハッタンのビル街に流すのである。ハンバーガーショップから子供が飛び出してくるぞ。この香りを嗅ぐとライスが食べたくなる。

10年もすれば、ニューヨークでは、箸をうまく使えないやつは出世できないという噂さえ流れる。自己の健康管理が不十分だ。割り箸を片手でパシって割る粋な仕草もニューヨーカーのたしなみだ。地方から来た新参社員なんかがまず練習しなければバカにされる。

10年後にプロジェクトは成功裏に終了し、カリフォルニア米はアメリカの都会の消費が拡大して、日本への圧力が弱くなった。

しかし、実は問題は解決していなかった。10年の間に、日本の都会のビジネスマンはみんなハンバーガーを食べる民族になってしまっていた。国内では米はゼンゼン売れなくなった。こっちをどーしよう。


ニッポン食事情咄 第19回:回転寿司と対人恐怖

回転寿司はますます好調である。空席待ちの列はあたりまえ。奇妙なモノであるが、結構洗練されてきたりして、次第に違和感が無くなるから不思議である。

回転寿司の繁盛は日本人の潜在的和食嗜好の現れかもしれない。日本食文化はまだ絶滅していなかった。しかし、あれは空港のベルトコンベアーだ。その上を器用に走り回っている旅行社のお姉さんが浮かんできて、ワタシはどこかなじめない。

ともかく、近頃では、本物の? 寿司屋を凌ぐネタを廻す店もあるらしい。

店長も過熱している。

「お客さん、ご注文があったら特急で握りますヨー、何でもおっしゃってくださいネー」

(そんなら、回転しない寿司屋をやんなさいよ)

回転速度は、動体視力と観察力と判断力の限界付近に設定されていると聞いた。躊躇すると行ってしまう。横目で見送ると、口惜しくて意欲もかき立てられる。孤独なゲーセン気分も味わえる。なかなか奥が深い。

回転寿司にももちろん課題はある。二流やまがい物を許せないニッポン人のプライドかな。ネタはいいらしいけど、どこか安物食堂だ。うるさい子供連れには天国だけど、自称グルメにはちょっとね。

長蛇の列で1時間、苦労こそがプライドだ。選ばれたお客のワタシ。

●回転寿司の興隆はニッポン人の対人恐怖の産物か
本物の? 寿司屋では、すし職人を前に注文するのは呼吸が難しい。寿司職人は、少なくとも見かけは、無口でおっかない。一見(いちげん)の客が下手に注文すると、

(ん、あか抜けしない客だね、最初からゲソなんか握らせるのかい)

と冷笑されそうで恐ろしい。考えすぎだろうけど。

いっぱい醤油つけるのは素人かなと緊張する。

黙々とリズム良く握っているのは邪魔しにくいし「ちょっと待ってください」なんて言われたら、落ち込むよね。ああん、こっち向いてくれない。声がかけられない。

お隣の客が、「ウニ、トロ、アワビ」なんて派手に連発するのもいやなものだ。そいつは時価だぞ、時価。

『この客はさっきから同じモノを繰り返してるよ』

なんて思われないかと、いらぬ気配りまでしてしまう。考えすぎだろうけど。

寿司屋から出た頃には歯科医院から出てきたよりもぐったりと疲れている人いるでしょ。

茶席の亭主と客の距離にも似ている。ひそかに勝負していたり、無言のやりとりで心を通わせたり、この間合いが寿司屋の良さで、修行が必要なのだ。と、イキを身上とする常連は寿司屋の大衆化を嘆くだろうが、そんなおっかないところはまっぴらだ、気楽に食いたいという気持ちもよくわかる。疲れてんだよ、ワタシ達は。

オジサンや傍若無人のおねえさんグループはともかく、高い金払ってこんなに居心地が悪いのなら、スマイル0円のマニュアル笑いの方がまだましだ、と気弱な若い人は思うだろう。

衣料や食品の対面販売も同様じゃないの? 愛想のいい店員さんには圧迫される。向こうが1歩詰めてくるたびに無意識に1歩下がって、しまいには2人で店の隅まで動いてしまう。

「お客様のウエストは、うん、92cmくらいですかね。」

無邪気な若い店員にはオジサン達までも傷つく。

「あれっ、89cmなんだ、お客さんスマートでいらっしゃる。」

(おいっ、店長を呼んでこい!)

魚屋や八百屋の威勢のよすぎるオジサンもやだね。会社で大声で笑う粗野な中年の上司を思い出しません?

「おねーちゃーん、そこの、かまぼこ買ったおねーちゃーん、5円おつりー、5円、5円」

背後からの執拗な大声と周囲の視線、東京人なら間違いなくトラウマだね。

そんな心の優しい人には、回転寿司はいやされる空間だ。相手はベルトだけ。待ってはくれないけど強制もされない。皿の数を人に見られない工夫まである。

回転寿司の繁盛を見るにつけ、ニッポン人はどうやら対人恐怖が相当に高まっているらしいと考えてしまう。

他人との人間関係が煩わしい。

●何でも回転させよう
そこで、ワタシは考えた。人間関係が煩わしい人のための回転ベルト。1時間200円で鍵のかかるソファーのあるステキな個室にはいると、前のベルトを商品がくるくる巡る。

衣料品なんかにいいかもね。親しい友人達となら1日楽しめる。あらかじめジャンルを選べば時間も節約できる。

「あれ、食べ物の話じゃあないんですか」

対人恐怖という点では根は同じだ。

もちろん、タッチパネル予約のサービスもある。

次々と手元にキープ。何をキープしたか誰にもわからない。隣の客が「凄い趣味だわね」と目で笑う心配もない。

返品は、お戻しベルトで簡単。お部屋の延長はインターフォンでカラオケ気分。

名前も、ワタシは考えた。

"くるくる廻るユニクル"

どうだい、

え、ユニクロに訴えられるぞって?

調子に乗ってきたワタシはさらにぶつぶつ考えていると、回転寿司の皿をいっぱい積んで、あくびを噛み殺していた隣の男が口を開いた

「そのアイディア、フーゾクに使えそうですね、ホステスやホスト回して」

ふ、不謹慎である!!


ニッポン食事情咄 第20回:ニッポンは無臭病時代に突入か

最近、やたら消臭・無臭・抗菌・口臭予防などのフレーズを目にする。

自分が余計な匂いを発してないか、戦々恐々の世の中である。うっかり、ニンニクいっぱいのラーメンも食べられない。

いわゆる汗くさいのは吉草酸などの匂いが主成分だけど、夏には特に防臭が叫ばれる。汗ばんでいたら男に近づくのも心配な女性なんて、うそだろ。CMに騙されてるんじゃあない。周りの男にアンケートしてみたらわかるよ。

学校やオフィスではみんな無臭。汗をかいたら消臭スプレー。食事ごとに歯を磨くなんて、今では当たり前になっている。人前で堂々と歯を磨いている人もいる。匂いを発するのはルール違反らしいが、歯を磨くところを見られても平気らしい。電車で化粧をする時代だ。微妙に価値観が変わってきている。

汗や蒸れた靴や、匂いそのものに、本質的な善し悪しや快・不快はない。匂い研究の第一人者栗原堅三北海道大学名誉教授によると、幼児なんか、花の匂いも排泄物の匂いも特に好き嫌いはないという。花はいいにおいだが排泄物は不潔な悪い臭いだと親や周囲が教え込むから、花がいい匂いで排泄物が臭く感じるらしい。

「でも、今の文化ではやっぱり排泄物は花よりも悪臭なのでは?」

動物の中には糞食をするものもいる。動物は必要な栄養素があれば匂いなんて気にしない。侵襲性のある危険な匂いや刺激臭は本能的に避けられるが、悪臭と芳香は人間が勝手に決めたものだ。基準はそれぞれの文化だから、文化が違えば、匂いの評価も違う。

「テレビのコマーシャルでは、汗の匂いはルール違反らしいですよ」

あるフランス人の話では、フランス女性にはデートの前は数日はわざと風呂に入らない人もいるらしい。もともと気候も違うし、まめに入浴する民族ではないらしいが。

「匂うでしょ」

「香るのだ」

体臭に、香水で仕上げをして、個性的な香りを作り上げると言ってた。皆がそうするのかどうか知らないけど、粋(いき)な話じゃあないか。少なくともワタシは理解できる。

●無臭を競うニッポン新人類
ニッポンは、こともあろうに、無臭文化に突入してしまったようだ。

無臭集団にとって個性的な匂いはよそ者である。匂いは環境の異変をキャッチするためのレーダーみたいなもんだから、よそ者はすぐわかる。オフィスで変な匂いを発したら、オジサングループに入れられるからやばい。

ネギやニンニクはいい香りで食欲をそそるが、それらを食べて匂いをさせている人は臭いと言われる。食文化も窮屈だ。

集団で無臭を保って、目立つ人間を検出する。サバンナの野生動物みたいな集団だ。無臭が集団のアイデンティティーなんて、怖いぞ。

●自己主張するより無臭が無難な選択
食べ物の匂いをさせてたら、何食べたかわかるから、これも恥ずかしいらしい。ネギやタマネギ、ニンニク、ニラなどの良い香りは、イオウ化合物であり、食品の味を深めるのに重要だが、無臭集団にばれてしまう。顎が疲れるほどガムを噛まねばならない。他人との関わりやコミュニケーションを好まない時代の反映もあるようだ。集団と同化してこそ安心できる。それで、自分の匂いまで消そうとしている。

匂いとストレスの研究によると、自分が理解できて許せる匂いは「快」で、知らない匂いは不安である。

「若い人たちにとっては何でも異物なんじゃあないですか」

そのとおり、食体験や生活経験が浅い人にとっては、多くが初ものだが、自分の体験で理解できるもの以外は、とりあえず何でも臭いと感じやすい。

「じゃあ、徹底した無臭が無難だ」

異臭を許さない世界では、無臭に努めるしかない。異臭が排除される世界だから。化粧品や、花など、理解できる匂いだけになってしまっている。すれ違った女性が2人とも同じ香水の匂いを発しているなんて、よくあることだ。皆が同じブランドのハンドバック持つのと発想は大差ない。ちょっと寂しくない?

理解できる匂いで、余計な匂いを消そうとすると、ニッポン国中が公衆便所みたいになっちまう。いや、これは冗談ではない。トイレの消臭に似た安っぽい匂いを充満する自家用車や家庭の玄関は少なくない。香水にもありそうだ。何故どこもかしこもトイレの香りにするんだろう。

「老人の匂いも評判が良くないですが」

一般に、食べ物でも何でも新しいものが古くなる酸化臭が現れやすい。加齢臭の原因の一つであるノネナールは酸化臭だ。古いビールにも感じられる。でも、まめに入浴すれば個性の範囲で気にするほどの問題ではないと専門家は言う。余計な不安の方が問題らしい。若い人は老人が嫌いで、老人特有のにおいもついでに嫌いになっているのかも。入れ歯や整髪料の匂いはさすがに強すぎるが、適度の加齢臭なんて人生経験の産物で、一つの魅力かも知れない。あれをオヤジ臭というのは、無臭しか許さない若い人の判断だ。トイレのような人工的な匂いよりもよっぽど粋な匂いだ。

●こうなれば、国民臭を作ってしまおう
「でも、やっぱり無臭じゃあないと落ち着かない。みんなそうなんだから」

目立つことは恐ろしい。そこで、ワタシは考えた。無臭は難しいし、いつも緊張する。目立ってはいけない。そこで、ニッポン国民ゼーンブ同じ国民臭を創生したらどうだい。ワタシはやだけど、匂いに不安な人なら安心できる。ラベンダータイプの香りならみんなリラックスできるぞ。

皆が同じ匂いを発していたら、誰も奇異に感じない。奇異どころか感じもしなくなる。優勢な匂いは弱い匂いを消してしまう。あらゆる所に同じ匂いをくっつける。制服の思想だな。かなりばかげてるけど、蔓延している若い人の無臭病と奇妙なところは同じだ。

あんまり安っぽい匂いはブーイングだろうから、どっかの有名調香師に『万葉ニッポンの香り』とか、『雄大な森林の香り』なんて調合してもらって盛大に振りかけ回ればどこへ行っても無臭だ。もう異臭を発していないかなんて、際限のない緊張からも解放される。国民投票なんて野暮なことしなくても、有名人が100人も使えばすぐに蔓延するだろう。車もトイレも玄関も、もう安心だ。やっと、無臭病から逃れられる日が来るぞ。


ニッポン食事情咄 第21回:サプリメントで昼食を

おや、そんなに薬をいっぱい並べて、どこか悪いのですか。

「サプリメントです、栄養補助食品。」

「栄養に気を遣っているんです。ダイエットしてるから。」

テーブルの上には何個かのカプセルの隣に小さなチョコレートと紅茶も並んでいる。つまり、これは、食事らしいのだ。

食事の代わりにカプセル?

「大好きなお菓子を少しだけ食べると幸せ。あとはサプリメント。科学的な栄養の裏付けもあるんだから」

朝は?

「ヨーグルト。時間もないし簡単。あとは、サプリ。」

すると、夜にいっぱい食べて満足するわけだ。

「夜はパンかな。近所でステキなパン屋さんができたんです。あとは、生野菜。栄養はサプリメントで調節するからOKです。あ、たまには同僚と飲みに行ったりしますよ。こう見えても日本酒の地酒には割とうるさいんですから。」

おなか、空くんじゃあないの?

「お腹は、まあ空いてるけど、こんなに少ないカロリーで1食を済ませたっていうのも実はうれしかったりして。がまんできます」

目まいがしてきた。ほとんど食事をしない人類が出現した。栄養素さえ摂取すれば生きてゆけると主張している。しかも、ホントに生きている。

広島文教女子大学短大の最近の報告では、調査した女子大生の54%がサプリメント使用の経験があり、特にダイエット経験者に顕著であった。複数のサプリメントを利用しているものが多く、ドリンク剤よりも利用者が多い。蔓延する可能性があるという。

サプリも便利だろうけど、食べる喜びまできれいさっぱり捨てていいのだろうか。どう見てもダイエットの必要は無いように思うが、他人がとやかく言うものでもないようだ。痩せるっていうのは悪魔的な魅力らしい。

頭から否定はしないけど、ちょっと、いきすぎじゃあないの。おいしい食事はいらないの?

●食の快感と痩身の喜びは脳の内紛
ダイエットの精神的な緊張感と成功の快感に対して、おいしい料理を食べる本能の快感は現代人の脳の中でしばしば対立している。でも、多くは本能の快感に負けてしまう。いわゆる『ダイエットは明日から』である。

「私はいつも誘惑に負けちゃうけど、あれは、脳内の対立なんですか。スゴイことしてたんだ」

美しい体のラインに執着する背景には、食の快感を上回る精神的な高揚感があるに違いない。ライバルに負けたくない欲望も混じっていそうだ。苦行しながら体を鍛えている男性にも共通だ。グルメもナイスボディーも快感への欲望なのか。

しかし、ワタシら中年のオジサンになると、健康を損ねる恐怖と食の快感との争いになる。これは、あんまり高尚ではない。偉そうなことは言えない。

「職場は女性が多いので、集まって、お菓子とサプリメントで昼食会。新製品の情報交換も。」

昼食会ってサプリでも可能らしい。どこか、うるおいに欠けるのは思い過ごしか。いらぬ妄想をしてしまう。

『あら、センパイ、それ、話題の製品ですよね。体にもいいし瞳も輝いてくるって。通販で買ったんでしょ。最近キレイ、効いてますよ』

(センパイ、こんなのまで飲んでるんだわ、よくやるわよね)

『ふふ、評判で品切れ状態らしいのよ。まだ2週間なんだけど、体が軽いのよね。キレがあるっていうか。一錠、よかったら試してみる?』

(この子、お肌が荒れてるわね。遊び過ぎね。仕事もミスが多いし、部長のまむしドリンクでももらったらいいのよ)

オジサンは週刊誌の読み過ぎかな。

現代ニッポンでは痩身が魅力的なのは一般的な事実と認めざるを得ない。ふくよかな女性をかたどった古代石器の類を持ち出して、女性の本来の美しさを説いても説得力はない。なんだかんだ言っても多くの若い男がこっちに向かうんだから。

「太るのは簡単だけど痩せるのは難しい。難しい方が貴重だ」

男性諸君!現代の文化なんていう生やさしいものじゃあないぞ、これは。生物としての生存競争かもしれないぞ。旨い食が溢れると、それを無視できる反生理的な行動に希少価値が産まれる。ダイエット成功者が性的な優位性を得るとしたら、これは生物としての雌の闘争の形態と捉えることも可能だ。そういえば、オスを捕まえた女性は、以前ほどはダイエットに熱心ではなくなる。

「言い過ぎですよ、失礼な」

ついつい、にわか生物学者になってしまった。体型が魅力のすべてではないし、女性が皆、オスのことを考えてるわけではないだろうけど。

●おいしさの快感もあるぞ
それにしても、痩身信仰は衰えを知らない。このままでは皆が痩せた宇宙人みたいになってしまう。ワタシは考えた。痩せる競争するなんて不毛な世の中だ。そのうち子供もできるだろう。何にも知らない幼児にサプリメントを与えだしたらどうしよう。お菓子とサプリメントで親子の食事なんてファストフードよりも100倍も恐怖だ。考え過ぎかも知れないけれど、小さなやわらかサプリなんて子供用が売り出されたらニッポンの食文化はおしまいだ。

忘れようとしているおいしさの快感を刺激するしかない。完璧ボディーの女性もいいけど、『ダイエットは明日から』のフツーの女性の人間味も捨てがたい。やはり、おいしい料理の話をしなくては。

「ああ、先日のサプリメントのお嬢さん」

「ずいぶん上機嫌ですね」

いや、お昼においしい物を食べましてね、ちょっと遠出したんですが。

「へー、私、今は自分では食べないけど、おいしい物の話って大好き」

脈があるぞ。

地酒なんて意外なこと言ってたから本当は和食好みだな。

小さなお店なんですけどね、安いのにあんまり混んでないんです。知る人ぞ知る。山菜料理が得意な。備長炭の火がおこってる丁寧な店なんですよ。

「ステキ、ちょっと雰囲気が魅力。山菜は好きなんです」

今日は、深山へ分け入って季節はずれの春を集めたという趣向。どっから探してきたのか、やわらいタケノコ。自然の香りとやさしい甘味がすごい。だしは秘伝で深い。うなってしまいました。それに、天然のヤマメ。天然物は模様もキレイですが、そりゃ、香ばしい。出てくる前から香ってて、待ち遠しいくらいだった。生きてて良かったって気分になりましたよ。

それから、コゴミのてんぷら。こんな時期でも探せばあるんですねえ。旨味があって山菜の王様ですね。自宅の裏で栽培したシイタケも揚げてくれた。香りが生きてる。採ったばかりですって。極めつけは、これも薄味の炊き込みご飯。知らない名前の山菜ばかりだったたけど、独特の味わいですね。遠く去った春です。お漬け物は自家製でこれも山菜でしたよ。

「おいしそう。そのお店、どこなんですか」

唾液と胃液が滲み出てくるだろう。もう一息だ。

昨夜は魚の店。これも遠くはないんですけど。おやじが岡山で、漁師から板前になった変わりもの。瀬戸内海のやつを吟味して運ばせる。がんこなんですね。

黒鯛とスズキとハゼと車エビ、それからママカリなんかも入ったばかりで、コノシロの幼魚なんてめずらしいのもありました。いえ、たいそうな料理もしないで、どかんと荒っぽく出してくれる。これが、実に新鮮でおいしくてね。しかも高くない。絶品でしたよ。

「おいしそう・・・。食べたいです・・・。」

あれ、あわてて行っちまったよ。おいしいモノ食べたくなったかな。快感だからね。やな意地悪爺さんだね、ワタシも。でも、そのうち無味乾燥なサプリメントに飽きがくるよ、きっと。宇宙人にならずにすむよ。

あしたは、南イタリアの家庭料理の話をしてみよう。


ニッポン食事情咄 第22回:ニッポン農業に関するマーフィーの法則

マーフィーの法則って一時話題になったの覚えてる? ものごとは、妙に皮肉な方へばかり進行する。世の中、悪い目ばっかりでもないので何とか耐えられるけど、悪い偶然が重なることだってある。こんなシナリオはいかがだろうか。

(スティーブン・キング調に)その兆候は、某年某月、突然に始まった。

減反政策と補助金漬けで、やっとニッポンの農家の勤労意欲が壊滅し農家は多くが消滅した。高いコメも生産量が順調に漸減している。立派なコメの輸入国である。ようやくニッポン経済のお荷物が軽くなった。輸出工業界は手放しの賛辞を送り都市の経済人が一安心した頃から、予想外の天候不良と大不作が始まる。

いつもはハズレばかりの気象の長期予想が、妙に的中しはじめた。天候不良は慢性化するらしい。天候が不良だと農作物の害虫も多発することが改めて確認された。

残っていたニッポンのコメは、おいしいブランド米ばかりになっていたが、ことのほか天候不順と害虫に弱いことが判明した。特に一昨年から全国に爆発的に広まった味覚優良米ウルトラスーパーコシヒカリは長雨と低温で壊滅状態である。

ちょうどその頃、ウルグアイラウンドで課された米輸入のミニマムアクセスが突然大幅に緩和された。もう米国のコメ輸入圧力に怯えなくてもよくなってしまった。農業の安楽死をひそかに決意した日本側の交渉代表が妙に物わかりがよくなったので、怪しんだ米国代表は何か裏があると見て逆に思いきった緩和に動いたらしい。数年来の米国での日本食ブームとコメの健康効果の浸透によるコメ消費拡大の国内事情も背後にはあるらしい。

東南アジア諸国は近年日本向けのコメの輸出を厳しく規制しはじめた。日本へ輸出したら家畜の餌に使われるという噂が国民感情を害したらしい。日本向けの食材生産による環境破壊に憤った民族主義派の議員の台頭も背景にある。商社が高飛車に買いたたいた恨みだという説も囁(ささや)かれる。

その頃、長年の食の安全性に対する日本の要求と徹底されない国内品質管理のギャップに耐えきれなくなった中国は、全人代の承認を待ってやむなく日本向け農作物の生産中止を発表した。ニッポンには食糧が余ってるらしいという政府高官の皮肉に満ちたコメントが流された。新華社通信には、二度と日本にはコメを売らないという、党若手農業委員の憤慨の談話が掲載されたらしいが日本には報道されなかった。

長年懸案だったコメの他用途利用の研究が今頃になって実を結び、いろんなアイデアが出そろったけれど、不作は続く。

同じ頃、コメの長期備蓄の研究がほぼ完成し、食味を損なわない保存の実用化の見通しが付いた。

コメの備蓄は名目上は200万トンある計算だったが、財務省の無言の圧力を先読みした関係者の努力で備蓄は事実上解消されていた。責任者は剛腕で評判のやり手の役人だった。

農協はいまや巨大な金融・保険・物流産業に成長していたが、コメは扱っていなかった。

1年後、事態を重く見た農水省がようやく農地の再興のための特別予算案申請を決断した日に、文化庁は、最後の大規模な水田地帯を史跡に指定することまで検討していた。

駐車場のアスファルトを剥がして無理矢理もとの水田に戻す工事をした後で、用水路を埋めてしまっていたことに気が付く。農業水路を管轄する農水省と河川を管理する国土交通省との折衝は難航しそうだ。

長い期間を費やした交渉の末、それでも、突貫工事で水路はできたが、昔農業していた人が工事をしていることに気が付いた。長期の不況を脱したニッポンは、失業していた農業従事者を完全に雇用することに成功したばかりだった。意欲を削がれたかつての農家が再び農業に復帰することはなかった。

農業人口が著しく減ったため、農業科はほとんどが普通科にかわっていることを指摘する新聞記事があった。

政府諮問機関の農業復興会議の調査では、農機具や農業用具の大半は焼却されたか各地の民芸館に寄付されていた。たくさん残っていたのは物干し竿に転用されていた減反目印用のポールだけだった。

農業を捨ててまで守った健全な自由主義経済はますます健全さを増して、今やコメの国際価格はウナギ登りだ。

かつてのODAによる援助先に対して、一時的な緊急コメ輸入を密かに打診したが、送られてきた回答は、大規模なコメ精米施設の建設援助計画であった。

学校給食完全米飯が農業予算のだぶつきで今春に実現し、過剰なまでの設備も整ったが、もう米は高くてパンしか手に入らない。

食糧庁は、急いでパン食の栄養効果についてキャンペーンを考えはじめたが、米飯の優位性が国民に浸透した後だった。

政府は急遽、コメの政府買い上げと米穀通帳の復活を閣議で議論したが、米穀通帳の現物を見たことのある議員や閣僚は誰もいなかった。

コンビニでは、オニギリは1個500円にまで高騰していた。それでも、品切れ状態が続く。コメは白いダイヤと呼ばれはじめた。

吉野屋の特盛りはご飯が2倍入っている。

独自のコメ輸入ルートを持つマクドナルドは、好評のおにぎり平日半額を発表した。

今のうちにせっせとご飯を食べておいたほうがいいかもね。


ニッポン食事情咄 第23回:京都の薄味と生理学

京都の味付けは薄味である。店によっては濃い地方の半分くらいの塩分濃度ではないか。

「そうどすか、お口に合わずにすみません。わたしら、この味になれてますけど、お味の好みはそれぞれどすさかい」

丁寧だけど、プライドがありそうだ。

「いえ、薄味だけど素材の味が生きてておいしいです」

田舎ものだと思われそうなので、つい口走ってしまう。そして、いつしか、そう信じ込ませられてきた。

薄味好みと塩っぱいのを好むヒトがいるのは興味深いが、ある幅に収まるはずだ。減塩に慣れようと努力しても、なかなかむつかしい。極端な薄味や極端な濃い味は生理的ではないからだ。

●吸い物の塩加減と生理学
「どうしてですか、吸い物の塩加減と生理とどういう関係が?」

血液の塩分濃度を維持するために我々は塩を取る。ナトリウムは細胞の生命活動の源だ。しかし、細胞内や骨などには貯蔵されていないから、血液や体液のナトリウム濃度が下がったら一大事だ。利尿の調節や塩分欲求を高めるなどして必死で維持している。ナトリウムを排泄する作用のあるカリウムの多いビールには塩っぱいつまみが必要だ。

「へえー、巷(ちまた)では塩分を取らないように必死になってますが」

体は常に塩を欲しがっている。敵に塩を送るというのは美談なんだぞ。塩が不足したら確実に死ぬ。もっとも、現代人は、死なないための最低必要量の10倍近く食べてるから、たまに薄味の京料理食べても平気だけど。

「10倍も取ってるのにまだ欲しいんですか」

欠乏すれば死ぬから、貪欲になるんだろな。塩と貯金はいつでも欲しい。

一般に飲まれている吸い物と血液の塩分濃度はほぼ等しい。血液のナトリウム濃度の増減を心配しなくてもいいという生理的安心感だな。減塩料理が頼りなくてまずいのは、身体の塩欲求を満足させられないからだ。慣れるまでは辛そうだ。

反対に塩分1%を大きく越えると、これも血液中濃度を一定に保てないから、塩辛くてつらい。のどが渇くのは血液を薄めたいからだ。

だしの味が良く効いている場合にはやや低濃度の塩分でも満足できるようだが、一般には0.7-1%。

「我々は塩を取りすぎだといわれている根拠はどこにあるんですか」

いくつかある。まず、死なないための必要量は1日1.3gくらいかな。かなり低い。日本人は13gほど食べてる。10倍だね。南米には塩を取らない部族もいる。それでも生きてるし、高血圧はもちろん少ないから、塩は減らせば減らすほどいいと思われてる。

「アマゾンの部族に婿入りするわけじゃあないし、多くてもいいじゃあないですか」

昔、塩を20g以上食べていた地方では、高血圧や脳内出血が多かった。これを今のレベルに減らしたら、そのような病気が減った。

「なるほど、塩の取りすぎはだめですか。では、今のままでいいわけでしょ」

アメリカは10gを割っている。アメリカを無視してニッポン人は生きられない。

「普通の人が塩を減らすと、血圧は下がるんですか」

難問だな。それは、はっきりしない。塩感受性の強いヒトや、すでに高血圧のヒトは塩を取りすぎると血液量が増して血圧が上がったりするけど。健康な一般人に対する影響は、遺伝素因も含めてまだ研究が必要のようだ。今のところは、とりあえず低めが安全だとされている。

「でも京都なんか、昔から薄味で、健康的でしょ」

●京都らしさが京都でもない
京都の吸い物は塩濃度がうんと低いのもあるけれど、京都人だけが血液の塩分濃度が低いわけがないし、おかしいと思っていた。

「京都の人は慣れで、感度が高いんじゃあないですか」

それはあるかもしれない。人間の適応の幅は広いから。

先日あるシンポジウムでお知り合いにしていただいた、高名な料理の先生の京都体験によると、極端な薄味は、京言葉と同じく多分に観光向けの表の顔であって、京都の料理人もホントは適度に塩の利いた料理を食べているらしい。最初はさんざん塩加減の薄い料理を食べさせられて、自分の味覚とのギャップに驚き、自分の舌を心配にもなったそうだ。でも、料理人と親しくなると、もっと塩の利いた地元の料理人も行く店に案内されたが、これは、良い塩加減であった。

『薄味は京都の伝統のはずでしょ。裏ではしっかり塩を使ってるとはどうしたことですか』

と思わず気色ばむと、料理人は涼しい顔で応えたという。

『これが、京都です』

極端な薄味は観光客向けってことか。あるいは、皆が勝手に薄味を期待するのかも知れない。でも、人が悪いよね。

ともかく、さすが、京都人。したたかである。押しつけがましくもなく、親切でもない。濃いも薄いも所詮あなたの好みとあなたの責任。ご自分で決めてください。

ワタシに塩分の取りすぎを注意してくれる親切な栄養士さんとは正反対みたいである。

どっちがいいんだろう?


ニッポン食事情咄 第24回:トウモロコシの援助が拒否された

ザンビアがトウモロコシの食糧援助を拒否した。理由は、アメリカ産のコーンには遺伝子組み替えされたものが含まれており、国民の健康と在来品種への影響を懸念したという。

同国は、1000万人くらいの国だが200万人分の食糧が不足している。トウモロコシの粉をパンのように焼いたものが主食で、近傍の国も干ばつの被害が厳しく、輸入もままならない。世界食糧計画が援助活動を行った。

9月初旬の朝日新聞の夕刊の記事だが、これは、考えさせるな。

援助拒否に対して、国民からも特に厳しい反対はないらしい。

現物は利用されずに、現時点ではたなざらし状態。別の2国は、説得に応じてコーンを砕いて、発芽しない状態で受け入れたという。HIV感染の増加が国民の健康被害に対する意識を高めているという報道もあった。

アフリカの顔が一部だとしてもはっきり見えた。単純な話じゃあないぞ。

アメリカ合衆国は当然不愉快だよね。

「なにぃーおれっちのコーンが食えないだと。よく言うぜ。ほかに食うもんないんだろうが。俺達が毎日食ってるものにケチつけるのかよ。援助してもらう身ならありがたくいただけばいいだろう。国連の善意に恥かかせるのかい」

ニッポンは複雑だな。

「えらいっ。アフリカの小国がよくぞ言った。うちとはえらい違いだ。でも、食べ物なくなってどうするのかなあ。ホントに反対意見は無いのかな。栄養不良も心配だな」

米国農務関係者は深刻だろう。

「これを契機に、遺伝子組み替え作物が、一層嫌われることになったら困ったことだ。今でも逆風なのに。飢餓の国さえ拒否するなんて、思っても見なかった。アメリカ国内ではコーンや大豆は普通のものと区別もしていないのに。また、農家の訴訟が増えるぞ」

援助した当事者の世界食糧計画やNPOは一番困っただろうね。

「アメリカ国内では普通にたべてるコーンなんだから、問題ないとおもうけど、そんなに心配することあるのかなあ。飢えてる人が目の前にいるのに。でも、強制するもんじゃあないし。悲しいことだ」

やりきれない気持ち、痛いほどわかる。ショックだったろう。めげないでほしい。

アメリカ企業の組み替え作物開発関係者はひそかに考えるかも知れない。

「うーん。惜しいチャンスだった。アフリカが受け入れてくれれば、事実上、世界に拡がって既成事実となったのに。大きな市場を逃した」

ヨーロッパはにやりとしたかも知れないね。

「それみろい、アフリカだからってバカにしちゃあいけないよ。自分ところが組み替え作物を承認してるからって、皆がそうじゃあないんだよ。ヨーロッパじゃあ心配してる人が多いんだよね。アメリカさん、ゴーマンになってはいけないよ。国内産の品種に交雑でもしたら今後自国のコーンの商品価値も下がる。砕いて入れると言う国もよく考えてるじゃあないの。

アメリカも、組み替え作物の種子や知的所有権の独り占めはよくないよ。われわれをさしおいて組み替えで一人で儲けようって根性がそもそも間違いだったんだ」

ニッポンの急進的な消費者団体は元気に言うだろうね。

「私たちの見解では遺伝子組み替え作物が健康に対して安全かどうかはまだ不明です。これを契機に反対運動を活発にしてゆきたい。今回のザンビア政府の英断に敬意を表します」

関連分野の研究者も内心は複雑だろう。

「拒否するのは自由だけど。危険なものじゃないのは証明済みなのにな。アメリカ人は食べてるけど別段問題はないし。ザンビアの健康を考えてと言うのは多分に詭弁だろ。健康に過敏になってるのはわかるけどHIVの健康被害と一緒にされたら研究者は情けないよ。国内産品種の純血を守りたかったのかもな。子供が栄養不足で発育が遅れる方がもっと深刻なのにな。将来はもっと役に立つ穀物が開発可能なのに、こんな時点で決着が付くとしたら辛い話だな」

新食糧資源開発の研究は盛んだが、関係者ははっとしたことだろう。

「いままで、飢餓なら何でも受け入れられると信じて、効率的な食糧開発の研究を目指していたのは勘違いだったかも。本来はこのような事態にこそ有効な技術だったはずだ。飢餓の人々を低く見ていたのかも」

波及効果もありそうだ。国内穀物業界も困るよね

「また、アメリカの勇み足だよ。いい国なんだけどちょっと配慮が足りないよな。ニッポンに大豆導入したときも、ろくな根回しもなしだろう。そんな危険なもんじゃあないのにボタンの掛け違えばかりやってるよ。また、国内産の大豆の値段が高騰するよ。今でも奪い合いなのに」

主婦がつぶやく。

「お腹をすかせた乳児のためなら、私は食べるだろうな。遺伝子組み替え食品といってもニッポンじゃあ特に安くもないし、別においしくもないし、何もメリットがないから買わないけれど、そんな状況ならやっぱり、欲しいだろうな。でも誰のためにわざわざあんな変な穀物作ったんだろ」

おもしろくて、やがてかなしきーーーだな。しかし、それで済ませるべき問題でもない。飢餓なのに『ノー』と言った事実は大きい。はっきり意見を言える立派な国だ。うらやましい。でも、必要な食糧ならば、ザンビア政府は、国民の飢餓の状況とコーンの健康に与える危険性とのバランスを冷静に判断すべきだ。在来種を駆逐する危険性を恐れるなら、粉にしても受け入れるべきだとワタシは思う。

遺伝子組み替えは大切な技術だけど、開発者にハートが欠けてたんだろな。誰のための開発なのかを考え直して、もっと消費する側の視点でものを作るべきだろうな。


ニッポン食事情咄 第25回:最近、納豆の銘柄変えましたね

国民に11桁の番号が付けられるって、大騒ぎだ。個人の情報が流出するって心配する人も多い。

同窓会名簿なんてどんどん流れてるし、電子メールのアドレスもその気になれば収集可能だ。妙にこっちのことを知ってる電話セールスも山ほどある。

友人がぼやいてたけど、自宅に猥褻(わいざつ)なビデオのDMがやたら来はじめたそうだ。親しい知人にレンタルビデオの会員カードを貸したのが原因らしい。

『いったい、奴は何を借りたんだ』って、友人はおかんむりだが、情報の漏洩は明らかだ。コンピューター顧客リストには変態趣味マークがついてるに違いない。

コンピューターはあんまり賢くないけど、記憶量だけはマンモスだ。電話の通話記録も借りたビデオリストも、預金の出し入れも車検の予定日も人間ドックのデータもお中元の送付先も何でもやたら正確に覚え込む。膨大な量なのにコンパクトに保存できる。しかも、理由があれば管理者が検索もできる。検索行為を監査するシステムはあるんでしょうか。秘密に調べちゃあやだよ。お歳暮の送付リストを10年分ほど見たら、誰と親交があって誰と喧嘩わかれしたかも読めてしまうね。

昔の事は覚えていないのが人間のいいところで、忘却は健全だ。それなのに、なにか行動するたびに未来永劫に記録が残るなんて考えたら気が狂いそうだ。

誰だって、踏み込まれたくない部分はあるはずだ。漏洩しなければいいってもんじゃあない。記録されてどこかに保存されること自体が不愉快だ。

●食品のお買い物記録が漏れたら恐ろしい
電話の通話記録も不愉快だけど、キャッシュレスで食品のお買い物記録がゼンブ残る時代になったらこわいぞ。こんなの商品のバーコード情報を同時に記録したら簡単だ。どんなにかさばる情報でもコンピューターなら朝飯前。記録されたものが漏れない保証はない。踏み込まれたくないプライバシーなのに。

そんな時代になったら、ワタシが黒松マークの納豆やめて、ひょっとこ納豆を買ってるのもバレるだろな。黒松シール集めて備前焼の皿もらったばかりだからメーカーに知れたら気分悪いだろうな。『最近納豆変えましたね』なんてお問い合わせが来たら不気味だよ。

『あんたの酒の趣味は無茶苦茶だね、ポリシーがまるでない』なんてオタクのハッカーに陰で笑われるのもやだな。

先日、骨折者続きの阪神タイガースで選手がカップラーメン買ってるのがスクープされた。栄養が偏ってるから故障するのだと言いたげだ。なに食べようと勝手だろ。骨折中の野球選手だって栄養学者だってカップラーメンぐらい食べるぜ。でも、詳細な記録を調べられたら食べてるものがわかるよね。

うんちく栄養学者のあきれた食生活なんて週刊誌に漏れたらやばいな。

購入した食材の情報調べたら、食生活はつつぬけだ。家庭の事情も食品の購入から推定できる。

「本年10月1日、ワンランク上の料理のために、ご家庭の主婦向けにお手軽料理スクールを開校いたします。もう、料理には困りません」

いやだわ、スーパーで卵焼きと揚げたフライを買ってるのがばれちゃってる。

その気になれば生活習慣病のリスクまで計算できるぞ。

「まことにセンエツとは存じますが、あなたのご家族の食料品購入記録を拝見いたしますと、動物性食品、とくに肉類の購入が平均をはるかに越えております。卵の使用も多い。野菜が少ないのが気にかかります。4人家族でいらっしゃいますから、朝夕だけで1800キロカロリーになります。食べ過ぎです。特にご主人名義のカードで、職場周辺での焼き肉弁当ご購入がたびたび検索されました。当健康調査部では、食生活のかたよりを大変心配しております。つきましては、コレステロールと高血圧対策に弊社の推薦する商品のカタログをお送りいたします。健康にはくれぐれもご注意くださいませ。突然不躾なメールをお送りして申し訳有りません。かしこ」

誰が焼き肉弁当食べようと勝手だろ。ほっといてよ。

健康食品のDMがたくさん来たら要注意だね。

こんな便利なもの、犯罪捜査にもひょっとしたら使われるよ。

「28歳、美容院勤務。包丁による胸部刺し傷。出血死。胃の内容物から、被害者は殺害される直前にヨーグルトを食べている。現場に残されたのは昭和乳業の新製品。ガイシャは本年の購入記録では林永乳業のを愛用している。よって犯人が持参したと思われる。該当地区の各店の記録では、同日夕刻、同製品を購入した中年男性112人の氏名が判明。名前や職業はリストアップ済み。この名前から凶器の包丁の購入記録も数年にわたって検索中。明朝までには容疑者を絞り込める模様」
おいおい、そのヨーグルトワタシも買ったよ。包丁も大阪のデパートで3年前に買ったよ。もう容疑者だよ。
情報の悪用を取り締まるなんていっても、現に情報を使ったダイレクトメールは毎日山ほど来る。あまり説得力はない。
営業マンが顧客の情報を丁寧に手帳に記録して活用する。熱心な営業活動だし顔が見える情報収集だ。しかし、コンピューターの巨大な記憶容量を悪用して、底引き網のように情報を根こそぎ集める。顔が見えない情報収集だ。これをコンピューターの超高速演算で検索する。悪意で検索すればなんでもできる。これが、人間の生活を根底から変えてしまう威力を持つ危険性をはらんでいることに気付かないのはのんきすぎる。防衛庁の情報公開請求者リスト問題では、情報漏洩ではなくて、該当者リストを作るという検索行為が問題にされたのだ。

市役所が市民に番号を付けて名前や住所を電算化するなんてたわいもない話だ。所詮(しょせん)大した情報ではない。もっと恐ろしいのは、ふだんの生活活動がサービスや調査、顧客管理の名で知らないうちにどんどん記録され、引き出されることだ。

食品や生活用品の購入記録には家庭のゴミ箱漁るのと同じくらい情報が詰まっている。知られたくないこともある。こんなのが未来永劫にわたって完璧に記録され、引き出されたらたまらない。漏洩以前に、記録保存そのものが生理的に嫌だ。情報化社会ってこんな息苦しいものかい。

国民にとって快適で便利な情報社会じゃあなくて、誰かの利益や便利に繋がる方向ばかりに情報化が進みだしている。それなのに、ワタシはいまだに、毎日たくさんの書類に名前と郵便番号・住所と所属と電話番号などを繰り返し書かされている。こんな情報そっちで調べられるでしょ。またかい、いい加減にしてよ、と言いたくなる。縦割りと個別化を克服しないで、どこが情報化だ。ちっとも便利で快適になっていない。

便利を実感するのはしばらく辛抱するとしても、私的な情報の大量記録は止めて欲しい。そんな情報の記録・検索を拒否することは可能だろうか。

『当店の食品売り場は電算化してません。ご安心ください』なんてのがあったら、ワタシは愛用したい。


ニッポン食事情咄 第26回:保険食品

健康食品は巷(ちまた)に溢れている。怪しげなのもちゃんとした理論に基づいたものもある。能書きはすばらしくて、このとおりだったらニッポンには病人はなくなりそうだ。

「中国の奥地山間部でしか採取できない岩ノ下カラスゴケモドキを飲んでるんですが、これ、効きますか」

そんなこと聞かれても、ワタシは知らん。

能書きだけからは科学的な評価は困難だ。私は効きましたという実例報告は信用しがたい。確かな検証方法は長期の投与実験しかないのだが簡単ではない。そこで、保険とのドッキングはいかがだろうか。なに、保健と保険だから1字違いだ。相性は悪くない。法律上のことはさておいて。

●ある日、健康食品の協会幹部が・・・
これは、もちろんフィクションなんだけれど、某日、健康食品メーカーの協会幹部たちと、中堅のX生命保険会社の幹部が都内某所で会合を持った。呼びかけたのは健康食品協会の方であった。

協会幹部のなかで、ひときわ日焼けした人物が口を開いた。

「私ども健康食品と生命保険とは、実は利害が一致しております」

唐突な話であった。

「すぐには、理解しかねますが」

色白の生保幹部は、眼鏡の奥で困惑を隠せなかった。社の業績が芳しくないことが表情にも出ている。

「なに、単純な話で、お客が健康になれば、会社も繁盛する」

あまりに単純なので、困惑は増す。

「ご存じのように、健康食品は山ほど世間にあります。中には一発もうけては消えてゆくものまであって、協会としても実体を把握できないほどです。もちろん、素人目でも効きっこないものも氾濫しているのも事実です。このままでは、ゼンブがうさんくさく思われてしまうと協会は頭を痛めております」

効くのもあるんですか?と、思わず口に出しそうになった生保側幹部は、しかし、相手の真剣な表情に言葉を飲んだ。

「で、私どもに相談とは」

「我々の協会に加入している優良な健康食品のユーザーの健康状態を生命保険側から把握してもらえないだろうか。最近は一泊二日の入院や日帰りの通院まで補償されると聞きます。保険金の支払い請求ほど正確なデータはない」

予想外の申し出であった。

「そんな。顧客の情報を漏らすことができるわけがない」

「もちろん、承知です。例えば、ですが、特定の健康食品のユーザーに保険の大幅な割引を行う。無料にしてもいい。もちろんメーカー側の負担です。ただし、通院や入退院などの情報は、統計などに利用・公開させてもらうという契約をします。顧客は保険料の軽減と引き替えで納得ずみです。決して情報の漏洩にはあたりません」

妖しげな連中だが、考えてみれば無茶な話ではない。

「前例もないし、監督官庁のこともあるし」

「アメリカのメトロポリタン生命保険は、顧客の身長と体重データから、最も死ににくい理想体重を割り出した。これが理想体重として長く使われてきたのをご存じでしょう。ニッポンでも、日本人向けにアレンジした松木の標準体重表や、同じコンセプトで作られた明治生命・塚本の標準体重がある。現在では、BMIを基準にした理想体重が主流になりつつあるが、いずれにせよ、健康の基になる標準体重に生命保険会社のデータが果たした役割は大きい。先人はすでに踏み出しているのです。国民の健康のために是非ご協力を」

説得力があった。確かに最初から顧客が納得しているのなら大きな問題はなさそうだ。

●顧客の健康を考える生命保険
「健食と生保。ミスマッチじゃあ?」

「国民の健康が目的という点では敵ではない。業績不振の我が社としては大いに助かる。」

「最近では、航空券やネットのHPなんかにもCMがついてる。同じと考えれば変ではない」

「すでに、玩具には障害保険が付いている例がある」

「ひょっとして劇的に効くものがあったら、保険金の支払いが節約できる」

「そんなものがあれば、だよ」

「我が社の品位と信用に傷が付くことになるのはいかがなものか」

話を持ち帰った生保側の緊急会議では、慎重論が多数を占めたが、議長の専務取締役のつぶやきで流れが変わった。

「私の愛用している薬草のエキスは、目の玉が飛び出るほど高い。家内は信用していないから騙されていると言ってうるさい。しかし、ここ数年は調子がいいから効いてるのかも知れないし、突然止めるのも不安だ。役員会仲間では効くという評判だが、これが本当か確かめてみるチャンスだ。そんな顧客も多いかも知れないな」

保険商品も競争が激しい。常に新しい商品を企画しないと顧客に逃げられる。リニューアルの時期だが、ありきたりの企画しか上がってこない。来期も不振を挽回できそうな手がない。そんな事情も背景にはあった。

「保険会社が、積極的に顧客の健康を考えるというコンセプトは新鮮な響きだ。契約者を歯磨きや眼鏡拭きで釣る時代ではない。ともかく、事前調査で信用のできそうなものを10製品ほど選んでスタートしてみて、統計の数字が芳しくなければどんどん製品を削除・入れ替えしていけばいかがですか。製品に関わる事故の類はすべて向こうの協会の責任ということで」

最終的にはこの意見が通った。

『リストに掲載の健康食品を2年間購入契約された方はX生命の疾病保険を特別に80%割り引き。当社が負担します。製品に対する自信です。統計の公開には協力していただきますが。もちろん実名広告なんかではありません。真面目な統計です』

全国紙の一面を使った広告が踊り、マスコミの評判にもなった。

健康食品付き疾病保険、一般には保険食品と呼ばれたが、予想外に好評であった。ちゃんとした補償があって80%割引は大きい。目新しさもあって、採用された健康食品の売れ行きも順調であった。

X生命保険では、特別に健康食品効果調査掛が設けられた。人材派遣会社から雇った社員1人だが、病院の診療報酬レセプトを長年扱っており、水増し請求を見破る目はプロである。顧客の膨大なデータが届きだしたのは赴任1ヶ月目後からであった。

●三つ星格付けに発展か
この保険は次第に思わぬ効果を発揮しだした。数ヶ月後から報告されだした入退院の統計値に有効性らしきものを示唆する商品がいくつかあった。薬事法の関連で具体的な効能は書かれていないが、通院患者数が妙に少ない。全く有効性が見られないものが予想通り大半を占めるなかで、これらは目立った。専門家の計算でも有意性が確認された。

念のため1年間様子が見られたが、結果はますます顕著になった。通院記録からは副作用らしきものもない。この情報は衝撃的であった。はじめて、健康食品の評価が行われた。

2年後には、無効と判断された商品の一斉入れ替えが行われた。それ以降、X保険会社のデータの支持がある健康食品はミシュランの三つ星レストランよりも厳格な格付が与えられたも同然であった。『Xランク』と巷で呼ばれ出した。今や協会には評価を求める自薦他薦の商品が連日持ち込まれると言われている。 黙殺を決めこんだ関連学会もさすがにあわてた。無茶なやり方だが、どうやらデータは確からしい。このままでは学会の権威が奪われる。独自の評価体勢を持たねば。しかし、保険会社の統計にまさるアイデアはついに出ずじまいだった。乗り遅れた生保各社は薬事法の法律解釈や保険や医療の守秘義務などあらゆるもの持ち出して関係機関に取り締まりの手を回したが、たくさんの所轄にまたがることもあって、対応には相当時間がかかりそうだ。

この保険会社が社名を変更することを決めたのはまもなくであった。新社名は、X総合健康情報、保険はもとより、いまや、この会社の発行する月例レポートは、健康マニアの中で飛ぶような売れ行きである。最近では、もっとも信頼できる健康食品評価機関として国際的にも名が知られるようになった。

専務は愛用の薬草エキスをやめた。全く有効性なしと判断されたからである。


ニッポン食事情咄 第27回:スーパーの実演販売の本当の狙い(その1)

実演販売なるものがある。スーパーでよくやってる。

「焼き肉じゅうじゅう、揚げたてコロッケ、焼きそばに、カレー。空腹の身にはたまりません。」

調理を実演して、できたてを食べてもらう。メーカーの名前のパッケージがおいてある。

「あれは特別においしいんですよね。ふらふらっと買ってしまうことがある」

うまく考えられた方法だ。感心する。

まず、昼前や夕刻のスーパー。食材を買いに来る人はみんな空腹だ。どんなものでも、いや、たいていのものはとびきりおいしく感じる。

しかも、少ししかくれない。2回並ぶのははずかしい。実演販売担当者に聞くと、結構お客のことは覚えてるらしい。買うか買わないか、瞬時に心理まで読めるそうだ。冷やかし目的のお客もすぐわかる。2回並んだら絶対覚えてるぞ。

ともかく、満足できないあの少量が重要だ。

あ、うまいぞ、もっとほしいな、と言うところで、

「○○食品の焼き肉のたれです。買ってくださいね」とくる。

「それって、ネットの無料画像と一緒ですよ。『ここからは有料』といって入会案内なんかが現れる」

あんた、健全な生活に努めなさいね。

ともかく、おいしさを訴える実演販売のパワーは凄い。

しかし、秘密はまだある。

あの匂いだ。匂いが必須だ。

「そういえば、いい匂いをさせてる。みんなが足を止めますよね」

匂いは便利だ。いくら吸い込まれても経費はかからない。タダだ。

「せこいですね」

利益の薄い食品では、タダでいっぱい配るわけには行かない。盛大に匂いを出すに限る。

食べないでも匂いで判断できるのは動物の本能だ。実演販売はこれを利用している。

周りの人を誘引する効果ももちろんある。

●本当の秘密は
しかし、もっと、凄い秘密があるぞ。

「まだ、あるんですか」

スーパーに買い物に来る主婦は、たいがい、毎日の献立に疲れ切ってる。

「そういうもんなんですか」

料理はたまにはおもしろいが、毎日の義務となるとやっかいだ。男の料理みたいに高い材料いっぱいは使えないから、おもしろくもない。気分が乗らない日にゃあ、スーパーに行くのは市役所に行くよりも面倒だ。冷凍庫が空だから仕方ない。

「深刻ですね」

また恐怖の夕方が来る。うるさいガキどもと、もっとうるさい亭主が帰ってくる。なにか、口に詰め込まないと騒ぎ出す。同じものばかりではごまかせない。

「かなり、疲れてますね」

そのとき、真っ白の脳裏に実演販売の料理の匂いが飛び込むのだ。匂いには、過去の記憶を鮮明に浮かび上げる効果がある。

匂いの信号は、頭の中で余計な情報処理がされていないので、原型のまま記憶され、出てくる。確かな記憶だ。

匂いだけで、料理が鮮明に浮かぶ。

「なるほど、匂いで、カレーを思い出す」

特に、献立を決めていない人なら、(あ、そういえばカレーは10日ほど作っていないぞ。なんで思い出さなかったんだろう。ふっふ、今晩はこれでしのげる。)そこで、手近なカレールーの小箱と、すこし戻って野菜コーナーのタマネギ、少し進んで、食肉コーナーの安い牛肉をカゴに入れるのだ。これで、今夜と明日の自分の昼食はあがり。

実演販売は、匂いを使ってお客の過去の記憶を呼び戻している。味覚・嗅覚の生理学を集大成した見事な応用だ。

「でも、どうして、匂いだけが原型のまま出てくるんですか」

匂いは、おそらく、危機を察知するためのセンサーだ。環境に匂いが変われば用心する。そんなとき、匂いの記憶が変形していたら役に立たない。カレーの匂いは、終生、そのままで記憶される。

「じゃあ、実演販売は、製品の紹介だけじゃあなくて、献立のアドバイスもしてることになる」

巧妙な誘導だ。疲れた主婦には便利だ。

●山の上でビールを配ろう
「新製品だったら、過去の記憶はないでしょ」

これも、実演販売の恐るべき戦略だ。まず、空腹のスーパーという状況がすばらしい。

空腹で食べたら、絶対おいしい。しかも、記憶の手がかりとなるいい匂いまでついてる。これで、新製品の印象は飛躍的に増す。タダで試食できたら好感度も最高だ。

ワタシは思うんだけど、新製品のビールの紹介なんて、ゼッタイ、山の上で登山客を相手にやるべきだよね。持って上がるの大変だけど。みんな脱水している。谷川の水さえ、魔法のように旨い。

汗をたらたら流して昇ってくるお客、いや登山客にうんと冷えたビールをコップ3分の2だけあげる。

うまいぞ。殺人的だ。これは効くぞ。

「どうして、3分の2なんですか」

コップ一杯なら、満足しすぎちゃう。半分なら憎しみが残る。やや不満足にとどめるのが実演販売の妙なのだ。

あの山の上で飲んだビールの味は忘れられない。

これこそ戦略的すり込みだ。


ニッポン食事情咄 第28回:偏差値70の栄養学

栄養所要量はよく使われる数字だ。タンパク質は1日70g必要ですとか、カルシウムは1日600mgとか、鉄は1日いくらなどという数字は栄養所要量に基づいている。

テレビなどでも盛んに栄養素の数字が出てくる。重宝されている。所要量の一覧表があればひとかどの栄養専門家だ。

「タンパク質の所要量は70gといわれました。これだけ食べないとだめなんですね」
そうとは言えない。

正確には、『まれにみる効率の悪い人であっても、それだけ食べたらまず大丈夫でしょう』という数字だ。

「所要量が600mgであなたは550mgだから不足だって」

正確ではない。不足かどうか断定はできない。

「私はいくらだったらちょうどいいんですか」

そんなぴったりの数字はない。

「私にぴったりの数字が欲しい」

人間には個人差がある。そんな数字はどこにもない。

●誤解されやすい所要量
「所要量というのは確かな数字ですか」

数字は確かだ。長年の大がかりな調査がある。計算の根拠もはっきりしている。

「でも、人によって、必要な量って同じじゃあないはずでしょ」

そこが、大きな問題。

タンパク質を例に取ると、第6次改訂では、

「第5次もあったんですか」

定期的に改訂されるが、その都度計算方法などに修正が加わる。

ともかく、1日に体重1kgあたり、何gのタンパク質を食べたら、過不足がないかを実験的に求める。

「どうやって」

いろんな量のタンパク質をたべさせて、ウンチとオシッコを調べる。

「大変ですね」

大勢の人を使って、身体のタンパク質の維持に必要な量を算出して、平均する。成人では良質のタンパク質だったら0.7g/kgとなっている。

「体重1キログラムあたり0.7gですか」

重要な数字だ。

「それじゃあ、65kgの私は、45.5gでいいの。所要量はもっと大きい数字だったけど。」

消化されにくいタンパク質もある。で、平均して90%は消化吸収されると考える。この足りない10%の分だけ加えてやる。

「えーと、すると0.9で割るんだから、50gほどになる。70gに比べるとまだ少ないですよ」

そこで、30%を足す。1.3倍にすればいい。

「えー、せっかくオシッコまで集めてきっちり調べたのに、突然30%も足しちゃうんですか」

この30%は個人差のためだ。

調査の数字をみると、人間のばらつきがある。同じ人間でも日によっても違う。標準偏差は15%。

「ヒョージュンヘンサ?」

昔習ったでしょ。覚えている人はほとんど無いだろうけど。

平均値に標準偏差の2倍の30%を加算すると、数学的には97.5%の人間に不足が無いという数字になる。30%の数字の根拠だ。

「それで30%も足すんですか」

平均値プラス標準偏差の2倍が所要量の思想なのだ。

●『これだけ食べりゃあ、まあ誰でも足りる』が所要量の思想
「つまり、平均的な人の数字ではなくて、97-98%のひとが不足しない余裕の数字なの」

そう、親心。

その親心の30%を足して、あと、端数を丸めたり年齢とかを少し考慮して調整してめでたく70gになる。

「余裕ですね。」

受験生が好きな偏差値にすると70に相当する。

「すごい秀才」

栄養所要量の数字は、いわば偏差値70の高得点にあたる。東大生みたいな数字だ。上位2%あたりに位置する。これだけ食べりゃあ、まあ誰でも足りる。それが目的だ。

「じゃあ、少しぐらい少なくても」

普通の人にとっては充分だ。

「けっこういい加減・・・」

いい加減ではないゾ。計算の根拠も明らかだ。個人差を考えて最大にしてあるだけだ。

ただし、エネルギーの所要量は基礎代謝量に生活強度に応じた数字をかけて計算する。標準偏差の2倍なんて言うとみんながブクブク太ってしまう。これは、例外。

科学的なデータが足りない栄養素については、ほとんどの人に不足がない数字が推定されて使われる。

最近では、安全に摂取できる上限値も導入されている。これ以下なら危険はないという最大の数字だ。所要量と上限値の間ならゼッタイに不足しない。でも、かなり、多めの数字であることはおわかりでしょ。不足を極度に心配する人向けには便利だ。足りないよりも多少多すぎる方がまあ安心だという発想でもある。

●計算の根拠を理解することは大切
このあたりの、計算根拠を意識しないと、栄養所要量の数字が、必要最低ラインと錯覚してしまう。偏差値70の余裕の数字。これを基準にして足りない足りないと言うのはおかしい。

「じゃあ、所要量70gよりも10g少なかったら」

平均値よりもまだ多い。不足とは断定できない。まだ多すぎる確率のほうが高いな。まあ、多すぎても問題ない。エネルギーとして使われる。

「そんなに、幅のあるもんなんですか。ゼンゼン神経質になること無いじゃあないですか」

計算方法を知ってしまうと、数字に執着するのがばからしくなるでしょ。ものすごい幅のある量を基準にするんだから。栄養学の専門家は、数字を細かく言わない。数字を振りかざすのは・・・

「初心者?」

栄養所要量はもともと、個人々々にぴったり当てはめる目的で作られたものじゃあない。

考えてもみてよ、そんなの無理だろ。あくまでも参考値だ。

「じゃあ、タンパク質が5g足りないって言われたら」

私の偏差値は70ではないと言えばいい。


ニッポン食事情咄 第29回:もうひとこと言ってよ

食べ物の味のコメントは難しい。言葉足らずは不満だし、独善的はしらける。ありきたりの言葉では熱意がない。素朴でうまい表現が欲しいが、焦ると味までわからなくなる。

「この、スープ、いかがかしら」

「おいしいっす」

「アンチョビとオリーブオイルはイタリア直送、ルッコラは裏庭」

「おいしいっす」

「生ハムも、パルマとミラノの両方あるんですけど、わかります」

「おいしいっす。おなかいっぱい」

猫にエサやってんじゃあないんだけどね。

ごちゃごちゃ言わずとも満足すればいい、正論だが、おいしさの感覚を共有することは楽しいものだ。

時には欠点を指摘しつつ、傷つけずにフォローする、かなりの人生経験も必要だね。

味わいを個性的に的確に表す言葉を持ちたいと痛感する。うまく言い表せて相手の密かな期待と一致すると、本当に幸福な瞬間となる。わかり合えた喜びだ。

「この、ゼンゼン雑味のない、しかも切れてるところがこの酒のいい所なんだけど」

「うむ、芳醇だけどさっと消えてくれる、いいね」

酒でもパンでもたこ焼きでも何でもいいけど、こういう意気投合こそ人生の宝だよ。完全にシンクロした喜び。こんなささいなところにも絆がある。

自分の感覚に正直じゃないと話が通じない。能書きタレあうのはあとで惨めだ。

おいしさを伝えるって、大事だな。

●恐怖のタレント
テレビのグルメ番組。どんなにおいしそうなものが紹介されても、コメント次第だ。

「おいしいー。やわらかいー。冷たいー」

顔はかわいい。

だれがこんな子、番組に呼んだの。食べるものに興味あるの。

手タレ、指タレ、なんて、身体の部分だけで登場する専門タレントまでいるんだから、ほめタレとか、うまタレとかも養成すべきだよね。

紹介される側は必死だよ。命かけてる。2日前からダシを仕込んで、具も産地から取り寄せて、吟味を重ねて、吸い物作ったオヤジに向かって、

「うん、臭くなーい」

それって、火星人でもましなこと言うぞ。

ご主人あわてて

「その、ごぼうなんか、土の質が微妙で、吟味が必要なんですけど」

「ゴボー、キライー」

顔色を失ったオヤジさんよせばいいのにムキになって

「かんぴょうの味は、、いいでしょ」

「かんぴょーってなにー、おもしろいナマエー」

おいおい、誰か止めろよ。

これまでの生涯で、これほど戦慄が走ったグルメ番組はなかった。

テロだね、これは。

これほどの名場面は最近は少ないとしても、たいがいにしろよ、と思うことは多い。

高級ステーキなら、100人中90人は

「やわらかーい」

ほかに言いようがないんだろうけど。もう一言欲しいよね。

「ジューシー」

それで、それで、お味の具合はどうなの。

「おいしい」

もうひとこと言ってよ。

こんなの、多すぎない。

「わー、ちいさいー」「わー、赤い」

みりゃあ、わかるよ。素直だけど。

「ミョウガもこんなに細かく刻んで、いい仕事してますねー」

あんたは、こっとう屋か。

タイミングを計って冷やし、お客の年齢まで考えて味付けして、その日の温度や天候まで考慮して、最後の塩加減には精力を絞っての自信作。緊張の一瞬だ。こちらもかたずを飲む。

「けっこうあっさりしてますね」

「ええ」

「・・・・・」

「・・・・・」

無言の後、次の話題。

それで、味は?味はどうなんだよ、こちらは一歩乗り出してるのに。

あっさりしてるのは、あんただろ。もうひとことなかったら、作ってくれた人にも、見てる人にも申し訳ないだろ。素材は抜群らしい。せめて、想像できる手がかりだけでもちょうだいよ。

たまには、すごい饒舌もいる。

「衝撃。凄い。不思議な味だ。やだ、トリハダ立ってきた。」

ただのうどんだよ。誰か薬物でも入れたのかい。

「日向の太陽いっぱいの野原の、青い匂いがむんむんするような、なんか、子供の頃に感じたような、懐かしさの一杯つまった、スープ。気取らなくてやさしい味」

おいおい、麺が伸びちまうぜ。

味はみんなが感じられる。表現する力は、言葉の豊富さといわれている。味に対する認識の世界と、生活や物事の認識の世界、これをうまく結びつける言葉を選んで相手に通じさせるんだから、実際は相当な修練が必要みたいだ。奥が深いよ。

普段に食べてないんだから、『おいしい』は仕方がないか。必死になって下痢したらかわいそうだ。

氾濫するグルメ番組。

やいやい言うことでもないけど、せめて、一生懸命作った人が可哀想になる場面だけは見たくない。

まじめに作ったものは、ちゃんと評価しないと申し訳ない。評価があっての食の文化だ。

家庭でも、たまには、まじめにコメントしとかないと、おいしい物食べられないよ。


ニッポン食事情咄 第30回:分散こそ安全、採算度外視趣味の食糧生産

インターネットの発祥は、総てが巨大なコンピュータに集中するよりも分散させて相互にアクセス可能にしたほうが安全という思想だ。

効率を求めて一元化、巨大化すると、いったんことあれば大変。

ニッポンの食糧生産は、採算のとれる集約化が検討されてきた。経済的には妥当だが、ここは、ネットの発想も重要だ。超小規模の採算度外視の趣味の農業。これって、いいかも。

農作物の価格が自由主義経済になじまないのは残念ながら明らかだ。価格のギャップは埋められそうもない。いまや、農業問題は国家の危機管理の要素が大きい。農業の消滅は危険だ。

ネットの発想からは、農地は分散させて、多くの人が自由に耕作すれば最も安全だ。

市民農園なんてのもいいよね。中高年は健康のためと張り切ってるけど、自分の食べるものを作っている安心感もあるはずだ。ものを作る喜びも大きい。

1反(10a)の半分、五畝も借りれば、熟練したら2,3俵の米は作れるかな。中年家族なら1年間食べてゆける。これって安心だぞ。

小さい面積だから草取りだって何とかなる。盛大に農薬を撒かなくても済むだろう。大げさなコンバインもいらない。乾燥だってガレージあたりでできる。水は大事だけど、水さえあれば可能だ。採算を考えなかったら農業はけっこう楽しいぞ。

売ってる米や野菜より高くついても、趣味ならいいじゃあない。汗を流して健康だし、もの作ってるのは幸せだ。米が大変なら野菜だっていい。大豆だってなんだって、経済的には採算のとれない作物が平気で栽培できる。農地や農業には細かい規制があるようだけど、国民の食糧も確保できないお上にあれこれ言われたくはないよね。目をつぶってよ。

趣味の農業。アマチュアだってやればできる。

農業は手間が大変で楽じゃあない。それは承知の上。楽しい農業のはじまりだ。

残りの田畑は、プロの農家がやればいい。極端に大規模集約しようと、通販と結んで会員制にしようと株式会社にしようと工夫次第だ。

ご近所で物々交換しちゃえば、いっぱい食べられるぞ。朝市なんかもいいかもね。野暮な規制はいいっこなし。減反で100万ヘクタールも、なんにも植えない田んぼを遊ばせておくより、ニッポンにとっては安全だよ。減反100万ヘクタールといえば1000万反だ、五畝ずつ分けたら、2000万家庭にいきわたる。みんな農業できるぞ。

安い補償金で遊ばせておくぐらいなら、水だけ供給してゼーンブ賃貸すればいいじゃない。

大都会の住民は不公平かな。自分の畑がもてない。退職金もらったらさっさと田舎に散らばるしかないね。

●本当に欲しいのは『安心』だ
農業って、もう鉱工業のような採算の世界じゃあない。安心が欲しいんだよ、みんな。10キロの輸入米が500円で買える時代が本当にハッピーか?心の底の不安はなくならない。いつまでも安定して食べ続けられる保証が重要だ。

いわゆる、年金にしても老後にしても、究極の安心を求める国民の心理がわかってないよね。ニッポン人はノー天気に見えても、アメリカ人みたいに楽観的じゃあない。クレジットカードじゃあなくてプリペイドがなじむ国民だ。不安があれば貯金に精を出す性格は変えようがない。

アメリカ風の自由競争で、会社や年金が潰れる社会に暮らしたいかい。多少は不満足でも最低限の保証が確約されれば安心して働けるのにね。健全な自由主義経済や自己責任は聞き飽きた。なんか、騙されてるんじゃあない。大もうけの可能性を残すために、最終的な保証を手抜きする。逆だね。ニッポンには合わないよ。

年取ったら、もう退職金も、年金も健康保険も危ういかも。介護も中途半端。食糧は、今は大丈夫だけど・・・。そんな将来に老後の夢を描けるかね。

『ある歳こえたら、全員に年金と畑を』

こんな宣言をしてくれる内閣って無いんだろうか。老後の不安に怯えて財布を閉ざすこともない。

老後が安心ならバンバン使いますよ。

財源はどうするかって、これを可能にすることを国家目標にして、現在を逆算すれば無理じゃあないでしょ。プリペイド好みの国民なんだから、ホントにこれだけ確実に保証してくれれば、20%の消費税でも払いますよワタシは。

安心できる保証と楽しい農業。老後はこれだよ。


ニッポン食事情咄 第31回:韓国料理は辛さがうまい

最近特に韓国料理が元気がいい。焼き肉とキムチだけだったけど、今ではいっぱい上陸している。若い世代にも浸透している。

辛くても、それが病みつきになるようだ。

「こないだテレビでユッケジャンクッパとビビンバの対決やってたけど、どっちもおいしそうだった」

「見た見た、あれは、レベルの高い争いだった。食べたいー」

「ちょっと懲りすぎというかんじだったけど。シンプルでもおいしい」

「最後の、クッパのカルビが必殺だったよね」

完全に浸透している。

韓国風味は最近では、ピザのトッピングにも登場している。

「辛味のカプサイシンが痩せる効果があるという噂ですが」

「野菜をたくさん食べるから健康的かも」

辛味ブームの火付け役にはなったかも知れないが、それだけでは韓国食ブームは理解できない。美容や健康を除いても、たしかに、うまい。

辛味は、韓国だけでなく、中国の四川やタイなどの東南アジア、メキシコ、ロシアなど多くの地域で愛用されている。しかも、どれも尋常な辛さではない。おいしさや満足感に関わるそれなりの意味があるはずだ。

いったん辛味を覚えた民族は、相当辛いところまで止まらない。ニッポンはやや中途半端だったけど、ここにきて辛い方へのシフトが鮮明になってきた。

●異国情緒となつかしさ
真っ赤な異国の料理ではある。食卓に大きなハサミを持ち込むのもおもしろい。金属の箸とスプーンも異国情緒だ。でも味は意外に懐かしい。そんな安堵感が韓国料理にはある。だしの味も効いてて、ベースの満足感には共通部分が多い。食材にもなつかしい日本が見える。漢方の医食同源の影響もある。近い国だったことは食で感じる。

日本で食べられている食材も使われる。釜山なんかじゃ刺身もうまい。野菜で巻いて、コチュジャンとニンニクと青いトウガラシはさむといくらでも食べられる。胡麻油の風味もうまい。肉もいいけど刺身も病みつきになるぞ。

スーパーでは野菜や魚も驚くほど豊富だ。言ってみれば、なんでも、コチュジャンとニンニクの味みたいだけど、ニッポンだってなんでも醤油をかける。どちらも国民の風味といえる。慣れればやみつきだ。

●辛味がなぜおいしい
「辛さがいいんですよね」

「辛くなくちゃあものたりない」

「でも辛さって痛みでしょ」

たしかに、カプサイシンの辛さは口の中の痛覚を刺激している。痛いのが辛く感じる。

痛いのがなぜおいしいのかは不明だけど、それらしい仮説はある。

「マゾ、とか」

遠からずだけど、ここは不正解。

痛みを感じると、それを和らげようとして鎮痛作用物質が働くと言われている。傷の痛みに対しても鎮痛の反作用はあるらしい。

ジョッギング愛好家の『ランナーズハイ』も苦しさの反作用としての和らぎ物質が心地よいと言われている。

「エンドルフィンですよね」

病みつきになる原因らしい。

トーゼン、辛さに対しても類似の反作用の存在が想像されている。

はっきりした証拠はないけど、おそらく、鎮痛剤であるモルヒネの作用と同じ可能性がある。

「トウガラシにモルヒネがあるんですか」

いや、痛みを和らげるために脳から鎮痛物質が放出されるらしい。エンドルフィンなどはその候補だ。

このモルフィネ作用のある物質が出ているとすると、おいしさの高揚感とか、幸福感とも関係が深い。

「辛味がおいしさと満足感ですか」

ダシや食材のおいしさに加えて、辛さの満足感がとどめを刺す。韓国料理のおいしさの理由の一つだろね。無意味に辛いだけではないのは確かだ。

友人の話では、韓国でも、幼い子供は辛いのは嫌いらしい。でも、小さい頃から親が食べてるから、見慣れてすぐに、好きになるようだ。文化が脈々と継承されている。

●ニンニクの匂いをどうする
「問題はニンニクの匂いなんですよね」

「やっぱり、週末には安心して食べられるけど」

無臭国ニッポンでは、ここが障害かも。まだ、異国の匂い扱いだな。距離を置いている。

ニンニクの代謝された匂いがあちこちでするようになったら、完全な文化の浸透だ。

この勢いだったら、もうすぐ、そんな日が来そうだけど。


ニッポン食事情咄 第32回:コンビニ食はポルノか

下ネタを多用する噺家は昔から評価が低かった。下ネタを連発すれば誰でも笑う。簡単だけど、そんなところで芸は磨かれない。

「下ネタを使うようになっちゃあ芸人もおしめぃだよ」これは噺家の常識。

いわば劣情を刺激する快感は、話術であろうと文章や画像であろうと上品な快感ではない。ポルノも同じ。一方、さほどの派手な刺激はないが、心に深く残る味わいの話術や文章もある。ワタシには無理だけど。

どれも個性といってしまえばそれまでだが、満足の質は異なる。

味覚の世界に、大げさに言えば劣情?を刺激するおいしさと、心に響く味わいとが存在するとしたら、食を愛でる人々は後者を捜し求めているはずだ。そんな人には騒々しい時代になった。

●おいしさとは何か
一言でいっちゃえば、おいしさは脳の快感だ。

脳で分泌される『βエンドルフィン』や『ベンゾジアゼピン様物質』などが快感らしい。最近では、『オレキシン』も候補にのぼっている。

「難しいな。食欲がなくなる」

おいしい快感のメカニズムは、実はまだよくわかってはいない。

チョコレートや霜降り肉のステーキ、こってりのラーメンなんか、かなり直接的なインパクトがある。初めて食べてもおいしい。濃厚なアイスクリームなんかも直接的な快感だろう。

「みんな好きです」

懐かしいおいしさとか、じっくり噛みしめると深い味わいとか、あるいは、ほろ苦さの中の淡いうま味とか、微かな味の癖が止められないとか、そんなのは脳の情報処理から見てもかなり複雑なおいしさのようだ。個人的だし、チョコレートのように直接的じゃあない。両者は区別できそうだ。

「わかりやすいおいしさと、面倒なおいしさですね」

●劣情?を刺激する分かりやすいおいしさ
快感を直接刺激する分かりやすい味の世の中だ。コンビニにはそんな食品がずらりと並んでいる。お客の反応が弱いとすぐに棚から下ろされるからしかたがない。メーカーも必死。あの手この手と味に化粧する。ストレートな快感いっぱいだ。

「コンビニオニギリは、工夫されてますよ。マヨネーズ風味系がおいしい」

「ピザも。宅配カタログ見るだけでよだれが出そう」

油をたくさん使った料理のおいしさは言うまでもない。わかりやすい。

つゆが自慢のラーメン店だってやっぱり決め手は油だ。駅前のファーストフードは砂糖と油の快感天国。ピザやマヨネーズのブームだって油だ。わかりやすいおいしさの世界は繁盛している。

「カップラーメンも、本物みたいにおいしい。」

ラーメンといえば、客が行列するほど賑わっている。

「夜中でも遠くまで車でラーメン食べにいきますよ、おいしいという評判だったら」

「満足感がある」

世の中、おいしいものだらけだ。みんな舞い上がっている。

でも、まてよ、とワタシは思ってしまう。

そんなお手軽なおいしさばかりではなかったはずだ。

修練の必要なおいしさもある。微妙だが深い洗練された味。

「お値段も高そうですね」

「若い年代には、無関係」

そんな味わいは古くさいらしい。

●感銘はこちらの肉付けを待っている
古くさいおいしさも捨てたものじゃあない。

枯山水には、自然の草木は存在しない。能には、リアルな演技をする俳優も美女も現れない。

しかし、どちらも、深く心の現実を感じさせる。感銘もある。

「突然、何を言い出すんですか。枯山水や能の感銘なんて」

「いよいよ、オジンですね」
うるさい。

ポルノも刺激だけど、石庭や能も慣れれば刺激だ。そういう深い味わい方もあるのだ。

「ますますわからない」

京都の庭園や石庭には連日、修学旅行の高校生が訪れる。だぶだぶのズボンをずらしてはいた生徒なんかでごった返している。よくずり落ちないね。みんな下向いてケータイに夢中だ。少なくとも、石庭に対してはちっとも感銘してるように思えない。

当然だよね。

枯山水を感激しろなんて、無謀というもんだ。

『ただの石ころじゃん』

『こんなの、オレだって作れるぜ』

ごもっとも。ほんとに、ただの石ころなんだから。

ただの石ころに深山幽谷をみるなんて、庭園や自然を飽きるほど満喫した末の、妄想や幻想や耽美のなせる技だ。

深い感銘のための肉付けは、ほとんど、観察者が自分で用意すべきものなのかも知れない。庭だけではない。おいしさにも、そんなのがありそうだ。

「やっぱり面倒なおいしさですね」

そんな食経験が必要かも。修練だ。

この面倒な肉付けの代わりにコンビニ風味が繁盛してるんだよね。わかりやすい快感だ。快感はすぐに色あせる。受け身のお客は、ひたすら次の快感を待ちわびる。便利じゃないの。おいしさの肉付けの修練や経験なしでもおいしい。

●砂糖や油ばかりを喜んじゃあ、おしめぃだよ
例えば、よくできた吸い物の味わいには、感覚の総動員が必要だ。油も砂糖もない削ぎ落とされた要素でも、『うまい』という興奮となって、おだやかに快感を刺激する。

わかりやすくはない。感覚の動員には経験と記憶の蓄積が必要だな。

「ずいぶん、難しいことばかり言いますね」

噺家の言葉を借りれば、油や砂糖ばかりを喜んでちゃあ、おしめぃだよ。

感覚を動員して肉付けするおいしさこそが、直裁的な劣情のおいしさに対して、品位なのかもしれない。


ニッポン食事情咄 第33回:食品中の有害物ゼロのない時代

食品の安全性には、次々と新たな問題が発生しており、消費者の不安はなかなか収まらない。有害物が基準値を超えるものも後を絶たない。

「あれ、基準限界以上ですか。ゼロであるべきじゃあないの」

天然にも微量存在する成分は多い。大量だと毒物になるが、微量なら今の科学では問題が見あたらない『有害物』も多い。必ずしもゼロだけが重要ではない。

「食べるものくらいは、有害物ゼロが基本でしょう」

「微量でも有害物があるって知ったら食べられないもの」

●検出感度が上がるとゼロではなくなる
検出感度が極端に上がると、ゼロはなくなる。空気中のチリなどからも超微量の有害物がどんどん検出される時代が来るかもしれない。息もできない。数字を出そうと思えば、野菜や魚でも何でも、それなりの数字は出てしまうだろう。

「一大事でしょう。国中が有害物だらけだ」

検出感度が上がっただけだ。新たに健康に問題が生じることはない。

「どうなるんですか」

今まで、0だったものが、0.0002になる場合もある。

「増えたんですか」

増えてはいない。ゼロという表現が具体的になっただけだ。

「有害物がゼロではないのを認めるのは、すっきりしない」

有害物とか発ガン性物質とか、性質を100%決めつける表現が誤解のもとだ。正確には、『ある程度以上摂取すると有害物』、とか、『ある程度以上摂取すると発ガンの可能性のある物質』とか『微量でも危険な発ガン物質』とか言う方が親切だ。長ったらしいけど。これを省略して有害物、発ガン物質と言ってしまうと量の問題がすっ飛んで、不毛な『あるなし論』になる。

こないだの未承認香料のアセトアルデヒドの時には、『発ガン性物質』って解説していた新聞があったけど、本気かね。WHOの付属機関である国際がん研究機関の検討よる分類ではグループ2B「人に対する発ガン性の可能性はあるが、低い」のカテゴリーで、このグループには我々が日常消費する食品もいくつか含まれているほどだから、無視はできないが、あえて大騒ぎするほどのこともない。極低周波の電磁場などもこのグループの新顔で、可能性は否定はできないぐらいのニュアンスだ。

それを単純に発ガン性物質と言ってしまうと、グループ1のダイオキシンなど強烈なやつと区別なく恐怖感をあおることになる。それを狙ったんだったら論外だけど。

しかも量の意識が希薄だ。香料だよ。超微量だ。皆が誤解するじゃあないの。

●ゼロはゼロではない
純粋な事実というのは感覚的にはすっきりしないものだ。0,0001なら数字を丸めて事実上ゼロだという合理的な判断があってはじめてすっきりしたゼロになる。このゼロは『無視できるほど僅か』という言葉に近い。

ゼロというのには、多くの場合、これ以下は測定不可能だから表現しないとか、極端に僅かだから許しちゃうという判断がすでに含まれている。純粋な数字の0を混同したらパニックになりやすい。

「でも、検出できるんだから、ないとは言えない」

有害物を『ある』と『ない』とに峻別する時代ではなくなってきた。どれだけ少ないかという量の時代だ。『全くない』しか許せない人は食べるものがなくなる。

●金市場は知恵がある
ところで、君のリングは純金だって威張っていたけど。

「保証付きです。9999て刻印してある」

99.99%以上が金であることを保証しているだけで、不純物ゼロではない。基準値をクリアーしてるに過ぎない。もちろん純金と呼べる。

「やだなあ」

いいじゃあないの。不純物は1万分の1に満たない。スゴイ精製技術だ。

「でも、完全じゃあない。」

分析精度が上がっても9の数が増えるだけだ。小さい指輪だったら9が1周してはみ出てしまうぞ。デザインとしては悪くないけど。

適当なところで、限りなくゼロに近かったらゼロと考えるしかない。

『ほとんどない』と『ゼロ』との溝を埋めるのには脳の柔軟性が必要だ。判断とか決断とかも必要になる。人間の知恵にかかっている。生活体験とか、生活実感とかも関わるかもしれない。金市場は知恵がある。

●絶対安全は神棚にしかない
有害物はもちろん全くないのが安心だ。せめて食べるものだけは安心をと言うのは切実だ。しかし、安心イコールゼロではない。食品中の『有害物』の検出感度が上がって、総てにゼロはない時代には、基準値や限界量の数字を信じるしかない。『あるなし』で判断すると、ゼンブ『あり』になる。

「基準値以下なら絶対安全なんですか」

今の科学による検証では、限りなく安全に近い。ワタシはこれで充分だけど。

「また、限りなく、ですか。絶対に安全が欲しいのに」

科学は神様じゃあない。研究者はもっと神様じゃあない。お役所はもっともっと神様じゃあない。多くの企業は・・・。

「もう結構ですよ」

絶対安全は神棚にしかない。現実には可能な限り安全を求めるという姿勢に頼るしかない。生産側も、そこから信頼感を得るしかないだろう。

「ゼッタイ安全というのは、なかなか難しいんですね」

食べる側の知恵の問題でしょ。微かな不純物さえ拒否したら、純金は身につけられない。適当なところで手を打つ知恵が必要だ。

「純金はいいですけど、食べ物は、どこらあたりで手を打てば」

安全に不都合があったらまずいよね。不都合が起こる限界よりも充分低い値かな。

「予想もしない不都合がある可能性は?」

これは難問だ。あんた、予想もしない不都合の可能性を否定できる?

総てのものに現時点で予想不可能なことが起こる『可能性』はある。情報を隠蔽するのは重罪。でも、まるっきり予想不可能なものは不可能だ。

『絶対ない』はない。あるなし論ではこれ以上は進めないね。

『充分と思われる科学的検証がありますが、絶対ではない。あなたは食べますか』

問われているのは実は消費者だ。

あんたはどうする。

納得する基準を自分が持たねばならない時代だよ。

ワタシは食べる。『新たな問題が明らかになったら、すぐに逐一お知らせします』という条件つきで。

一方の肩を持つわけじゃあないけど、現実には、利害に関係のない人たちが作った安全の基準値を信頼することしかないだろうね。第3者機関の基準値が信じられるならそれもいい。

皆が合意する数字がはっきり決まればクリアーする努力も可能だ。重要なのは基準値に関わる人の責任感と努力する姿勢。

マスコミさんもインパクト欲しさに恐怖をあおらないでね。

そして『あるなし』を超えた冷静な議論が必要だね。


ニッポン食事情咄 第34回:清潔よりも清潔らしさが重要か

人間は情報を喰う生き物だ。

「どういう意味ですか。情報を食べるって」

情報はなによりもおいしい。情報がなくては人間はおいしくものを食べられない。

「例えば?」

このペットボトル、飲んでみてよ。中身は秘密だけど。

「アルミホイルで包んであるじゃあないですか。怖いな。」

まあ、一息に、ぐっと。

「ウエー、なんですかこれ、酷い味じゃあないですか。」

そうでもないけど。

「酸っぱいし、変な刺激があって、腐ってますよ」

吐いちゃったよ。もったいない。焼酎の薄い水割りに梅干し潰しただけなのに。

「最初からそう言ってくださいよ。梅干し焼酎ですか。なんだ、もう一度飲みますから」

うまいだろ。

「なるほど。でも、中身が見えないと気味が悪くて飲めない」

じゃあ、これはどうかね。

「透明の液体ですよね。中身は見えてるけどやだな。わー、これもへんてこな味だ。むかつく」

よく吐く男だね。これは、ハマグリの味の合成品。

「そういわれれば、貝の風味だ。よくできてますよ。でも、知らずに飲んだら気味悪い味だな」

梅干し焼酎もハマグリエキスも、突然飲まされたら不気味だ。

安全な食品だという保証がなければ、知らない液体なんか怖くて口にできない。情報による納得と期待が先にあって、初めて味わえる。情報はそれほど重要だ。

●知ったら飲めない
しかし、情報にもいろいろある。

「まだあるんですか」

これはどうだ。

「ただのコーヒーみたいですが」

そのとおり、ただのインスタントコーヒー。

「容器が小さくてかわいい」

いつもは解剖したネズミの肝臓を入れて凍らせるのに使っている。

「うわー、いやだ、汚いですよ」

充分洗った。洗剤で3回洗って煮沸殺菌。蒸留水でさらにゆすいだ。おまけに140度で一晩乾燥。完璧なクリーン。

「いくら洗っても飲めるわけないです。吐きそうです」

知らない方がいい情報もある。

●清潔らしさがない
完璧に洗って殺菌した実験容器は科学的には清潔だ。しかし、普通の神経ならこれを食器に使う気にならない。清潔だけど、『清潔らしさ』が無いからだ。

実験器具だという情報が清潔らしさを消してしまった。

こんな例はいくらでもある。まっさらの検尿コップでお茶が飲めるか。泡立ってたら臨場感もあるぞ。

「もっと、品のいい例はないんですか」

じゃあ、こんなのはどうだい。海外にホームスティしてた人の話。

毛先がぺたんこになった歯ブラシを使っていると、ホストの奥さんが1本くれたそうだ。

『その歯ブラシじゃあ、隅まで清潔に磨けませんよ。これ、よかったら使いなさいよ』

「ありがたい話じゃあないですか、親切な」

続きがある。『遠慮しなくていいのよ、主人には少し堅すぎたから』

中古かい。他人の歯ブラシで死ぬことはないけど、どうもねえ、、。

清潔感というのは人によっても違う。

歯ブラシは2回目からは気にならなくなったそうだ。自分のものと思えば平気らしい。

●清潔らしさがあれば清潔はテキトーでも
ホントは清潔かどうか怪しいけど『清潔感』がある場合もある。

これも情報のいたずらだけど。

「うそでしょ、どんなのですか」

『神社の清めの水』

みんな参拝前に手を清めている。口をすすいでる人もいる。禊(みそ)ぎだね。もう、身も心も清浄無垢だ。

でも、あの水はホントに飲めるの?だれか、水質管理の記録見た?

たぶん上水道だろうけど、疑問持つひと少ないだろな。

それに、あのアルマイトのベコベコになった柄杓(ひしゃく)は前に誰が使ったかわかりゃしない。

情報の副作用はまだあるぞ。

『焼き芋包んでくれる新聞紙』

紙で包むという行為は、それだけでなんとなく清潔感だ。

「直に持ったら熱いですよ」

「焦げで真っ黒になる」

「新聞紙だからいいんですよ」

あの、新聞紙の保存状態を想像したことあるか?日付を見たことあるかね。

かつて、ワタシのイモは10ヶ月前の新聞紙でくるまれていた。

その間、倉庫の新聞紙の上ではゴキブリが毎晩宴会やってたかもしれない。ほこりやクモの巣や蛾の死骸をパンパンはたいて使ったかもしれない。

しかし、紙で包むことは清潔らしさなのだ。

しょせん、身の回りのものはそれほど清潔でもないし、かといって、経験的には危険でもない。充分な免疫機能もあるし、胃の中の酸性でたいていのものは殺菌される。人間も地面に落ちているものを食べて生きてきた野生動物の末裔(まつえい)だ。簡単に死にはしない。きれいだとかきたないってのは、気分に過ぎないことが多い。

つまり、清潔よりも清潔らしさが欲しい。ゼンブ情報の副作用だ。

●風評も情報の副作用
風評だって似たようなものだ。かつての騒動を思い出して欲しい。キムチにイモムシ1匹でみんなが気持ち悪がってたけど、これも情報のいたずらだね。イモムシに清潔感がないだけだ。

イモムシは、タンパク質のかたまりだ。栄養にはなっても毒物ではない。漢方薬なんかもっと凄いのがあるぞ。しかし、清潔感がないという風評が立つと、もう、大量廃棄でもしないと清潔感は取り戻せない。もったいない。なんか、ばかげてるよね。

真の清潔は判定困難だから、清潔らしさで納得する。安全なものを食べるための情報の本来の役目だった。しかし、現代ニッポンは『清潔らしさ』が一人歩きしている。清潔でも『らしさ』がなければ失格だ。

風評はそれだけで『らしさ』を失わせる。たった1本の事故でも総ての缶にハエが入っていたようで気分が悪い。生産者には恐怖だ。おかげで、たくさんの食品が廃棄の憂き目にあった。周辺の総てを捨てるパフォーマンスでやっと『らしさ』がもどる。

情報の副作用に右往左往しないで、本当の清潔だけを信じる理性の時代が来て欲しい。