統一テーマ ヨーロッパの帝国主義
個別テーマ ヨーロッパが帝国主義を行えたのはなぜか?
第一章 はじめに
現在のヨーロッパにたどり着くまでに数多くの出来事が、国内、国外を火種として起こり、国を形成してきた。さまざまな文化や特色、考え方があるこの大きな連合国がおこなってきたことは、おそらくわれわれの理解を大きく超えるだろう。
第二章 動機と意義
では、なぜ個別テーマにそれを選んだかを説明していくとしよう。ヨーロッパの帝国主義とその背景について調べようと考えた理由、それは帝国主義について学ぶ上で、ヨーロッパ諸国の行った侵略政策について調べていくのが、ヨーロッパを知り、ヨーロッパに興味を持つ上での一番の近道だと思ったからである。なぜヨーロッパはそこまでして侵略政策を行う必要があったのか?
この疑問を解決したいと思ったことも、このテーマを選んだ理由の一つとしてあげられる。おそらく一つの国がこういった政策を進めていくためには、それ相応の科学と技術の発達力や、政治・経済体制がひつようとされてくるであろう。したがって、ヨーロッパが帝国主義を行えた背景には、政治的に、経済的に、ヨーロッパを強く支援するものがあったといえる。この機会を利用し、ヨーロッパの成り立ち、文化の特色、ヨーロッパの人々の考え方を調べていき、深く知り、理解しようと考えた。以上が今回のテーマに『ヨーロッパと帝国主義の背景について』を選んだ動機である。
次に、それを個別テーマに選ぶことの意義について説明していこう。ヨーロッパが帝国主義という国家方針を選んだ理由を調べていくことで、統一テーマである『ヨーロッパと帝国主義』を深く知ることが出来る。これが、このテーマについて調べることの意義である。このテーマについて調べるということで、今回19世紀末から第一次世界大戦までの「帝国主義の時代」とよばれた三、四十年間を中心として調べて行きたいと思う。この時期、ヨーロッパやアメリカ、驥尾に付して、我らが日本までもが、軍備を拡張して利益圏や植民地獲得に乗り出したそうである。つまり、この「帝国主義の時代」とよばれた三・四十年間を追うことにより、ヨーロッパの科学技術の発達のプロセス、ヨーロッパの政治面、経済面の真実の姿を見ることが出来るのである。ヨーロッパは広く、国の中でも国の中でも地域によって、文化・信仰する宗教など様々なものに大きな差がある。そこを事細かに調べて行くことにも大きな意義があるといえよう。
第三章 文献の理解と要約
ここでは、今回ヨーロッパ文化理解のために集めた10冊の文献について、要約をしていこう。
欧米列強の際のヨーロッパの植民地政策の意図は国民の政治的統一や経済力の拡張にある。これが、国民的統一である。この時期、ナショナリズムの十九世紀とよばれる。「18c末に生まれ、さまざまな社会的土壌に移植可能になった文化的人造物」これが、ナショナリズムである。つまり、欧米列強の帝国主義の際にたくさんの人間がヨーロッパ支配にあったということである。著者はこの時代の国民の扱われ方を反民主主義とした。著者はイギリスの領土征服と植民地の意義を経済効果への影響とした。同時に、労働者は安価な労働力として非人道的な扱いを受け、働かされていた。植民地化したアフリカの労働者達にイギリスは鉄道を建設させた。鉄道建設、大量の労働力をこれにつぎ込んだのは、経済的で迅速な物資の輸送手段である。効率よく大量の物資や、情報を運ぶことは、世界各国が列強となり経済力を競っていたこの時代、何よりも重要だったのだ。小英国主義は革新的思想とは、よくいわれる大帝国主義とは逆の発想で「植民地の拡大は負担にしかならず、植民地政策に反対する。」という思想である。19世紀、ヨーロッパにおいて自由貿易の条約が網の目のように張り巡らされ,貿易自由化の国際的拡大と多角的な自由貿易の端緒が開かれた。が、それは長くは続かず、工業力で英国に対する追い上げを図るドイツが,高率の関税を採用し,アメリカは,建国以来,厳格な相互主義原則を堅持し,高関税率を維持していた。多方面からヨーロッパの趨勢に歯止めをかけんとする出来事が続いた。『ヨーロッパとは何か〜分裂と統合の一五〇〇年〜』より、この本の著者いわく、植民地の占領には戦略的な意図があったと述べている。同時に、植民地の領土拡大にはヨーロッパ諸国における余剰人口増化という問題の解決の糸口としての意味があったのだといっている。統合ヨーロッパで統一されない国民文化を統一することは出来なかったとされていて、産業革命の発展は、それまでの社会構造を突き崩し、議会制民主主義や高度な科学技術は近代ヨーロッパの生み出したものとされている。当時ヨーロッパは、政治的には貴族中心の専制体制が市民による民主主義体制に移行して、さらに宗教の権威が衰退し、科学技術への信仰を拡大させた。
『フランス革命とヨーロッパ近代』いわく、ヨーロッパの近代の歴史とは、大きく言って、人々が徐々に、どんな人間も自由な存在であるということを自覚していき、それを現実社会の中で実現化していく過程だったという。それが、たとえば移動の自由だったり、所有の自由だったり、職業選択の自由であったり、それから政治的な諸権利などである。そういったさまざまな意味での自由を実現しようとすることが、一筋縄ではいかない長い戦いが行われたプロセスなのだという。
『十九世紀のヨーロッパ』の私なりの要約であるが、19世紀末から20世紀初めにかけて帝国主義の時代といわれている。多数の列強国が競って植民地政策に乗り出したのである。欧米の列強は軍備の拡張に徹し、利益件や植民地の獲得に命をかけていた。ヨーロッパ諸国が徐々に工業化を推進して保護主義的な貿易政策に出る中で、イギリスは、19世紀半ばから広範にアジア諸国やアフリカの従属化を強めていくことになる。具体的にはインド支配、アヘン戦争に始まる中国進出、アフリカ縦断政策などである。19世紀末になると、ドイツ・アメリカなどが重工業分野における産業革命を成功させていくが、早くから産業革命を起こしていたイギリスは、逆に工業分野においても古い体質の中小企業が多く残存しており、国際競争においてもこれまでの強い立場を維持できなくなっていった。そこで対外膨張政策が始まったのである。以上からいえることは、ヨーロッパ植民地政策成功の影には時代背景と植民地国などを利用して築き上げた、ヨーロッパの経済力にあるといえよう。
第四章 終わりに
当時のヨーロッパはまさに完全な国家体制といえよう。鉄道、工場などを植民地の人間を労働力として活動し、生産力向上や経済力の発展を行うので、ヨーロッパは自らの労働力を駆使することなく国がとてつもなく速いペースでよい方向へと発展して行くわけである。まさに申し分がないといったところであろう。ちなみに現在国際法において、植民地主義は違法とされ、厳しく罰せられる。そのため、当時争ったどの国においても帝国主義の面影はなく、それぞれ当時とは違った文化の発展の仕方を見せているのである。しかし、また違った形でヨーロッパが世界と競うともわからないと私は考える。