|
|
鈴木祥子作品評
■ VIRIDIAN 1988.10.21 EPIC/SONY RECORDS 28・8H-5052 高校生の時からハコバンでどさ回りをし腕を磨いてきた彼女が、原田真二のバンドのサポートの時に、後に所属する事務所社長にその独特な声を見初められ自身の曲のレコーディングを開始。'88年 Singl 『夏はどこへ行った』でデビューした。その直後に発売されたのがこの『VIRIDIAN』である。 元々歌手デビューを目指していたわけではなく、プレイヤーとしての自分しか思い描いてなかった彼女に、自分のアルバム作りという感覚がどこまであったのだろうか?降って湧いたようなこの歌手デビューに、その実感の無いまま臨み、戸惑いも大きかったであろうことは想像に難くない。 その為、鈴木祥子自身がアルバム中全ての曲の作曲を手掛けているにも拘わらず、彼女の意志は隅に追いやられてアルバムは作られた。全体的に内省的な雰囲気の支配するアルバム(鈴木祥子)に仕上がっているのは、作成スタッフによって作り上げられたまったくの偶像なのか、それとも当時の彼女の戸惑いが的確に投影された結果なのだろうか? ファンの間では『夏どこ』の愛称で親しまれているデビュー曲『夏はどこへ行った』。彼女自身もこの愛称で呼んでいるほどで、ギター一本でも歌えるシンプルながら充分な重量感があり、今でもLiveで歌われている秀作である。 作詞は全て、作家でもある川村真澄の手によって書かれている。当時刊行された川村真澄著作の「いつか王子様が」(講談社スニーカー文庫)の巻末に「今度デビューする新人」として紹介もされている。タイトル曲の『VIRIDIAN』を初め『恋は罪』『サヨナラの朗読』などの詩のイメージである「どこか悲しげで伏し目がちな少女」には、バブル景気まっただ中こぞって海外旅行やディスコに詣でる大衆を振り向かせることはできない。 アルバム中にはドラマのテーマ曲にも使われたアップテンポな『ベイビー イッツ ユー』もある。一応ここでは気丈な少女が歌われているし、確かにこの曲が鈴木祥子と出会うきっかけとなったファンも多い。だが、この曲こそがデビュー時のコンセプトの曖昧さを象徴している曲である。全般に内証的な仕上がりとなっているアルバムの中に、商業的な作意で無理矢理詰め込まれた感は否めない。 その為、この頃彼女に注目したのは、(a new. acoustic fragrance series liveで競演していたこと等があり) 遊佐未森から流れてきたファンタジー好き夢見がちの、または、アコースティック・フォーク指向の注意深い一部の良質な音楽ファンにとどまった。今でもこの『第一期・鈴木祥子』を追い続け、現在のロック、バンド指向に移行した鈴木祥子を受け入れられないファンは多い。そんなファンに、アーティストやクリエイター側は苛立ちを感じることも多いだろう。
■ 水の冠 1989.04.21 EPIC/SONY RECORDS 32・8H-5082 ひとつの偶像がこのセカンドアルバムで誕生する。『VIRIDIAN』から引き続き川村真澄が全曲の作詞を担当。その歌詞がすごく巧妙な仕上がりである。『サンデーバザール』をはじめ『電波塔』『ムーンダンスダイナーで』などは、シビアな日常の風景を何気なくシュールに、時には胸が高鳴るほどに美しく描き出している。また、素朴な感動を詩に織り込み、大人の女性が見せる可愛らしさを歌うタイトル曲の『水の冠』や『最後のファーストキッス』『Sweet Basil』など、川村真澄の代表作といっても良いほどの秀作ばかりである。当然この全ての曲に完璧なまでの曲を付けているのが「鈴木祥子」その人であり、更に編曲も、デビューアルバムから続いて若き日の、佐橋佳幸、西平彰の両名が担当している。特に現在では敏腕アレンジャーとして名高い、名ギタリストでもある、佐橋佳幸が数的に多く編曲を担当し、演奏も手掛けているためギターのサウンドが強く耳に響き印象に残る。しかしいわゆるギターポップかというとそうではない。メロディーラインはどちらかと言えばアメリカン・ポップミュージックの影響の方が強い。それをまさに彼女自身が自分の声の魅力を知り尽くした様な歌い方をしているのだ。セクシーな声から裏声へと移るその狭間の弱々しいヴィブラート。ボーカリストとしての戸惑いを残していた前作から僅かな時間で、これらの「自分の武器」を身につけた成長ぶりは「天賦の才」としか言いようがない。今でもこのアルバムを聴くと「心が安まる」「浄化される」「切なくなる」「涙が出てくる」などというファンの賛美の声は絶えない。それらはこのアルバム世界が作詞・作曲・編曲・ボーカル・演奏、全ての要因が完璧なまでに融合して出来上がっっているということを立証している。しかし、こうして作り上げられたものが果たして「鈴木祥子」だったのだろうか?別の何かを目指した産物ではないのか?当時は、いわゆる歌番組が次々と終了し、画一したヒット曲というものが無くなりつつあった。それによってあぶれたファンを吸収するべく生まれた「ガール・ポップ」というジャンル。そのファンの獲得を目指したのではないか?良く言えば好きになれる曲が多いのだが、逆に曲の傾向が多角的でひとつの傾向に搾りきれていないとも言える。鈴木祥子のファンがこのアルバムのことを語っているところを見ると、まるでアイドル歌手のことについて話しているかのような奇妙な感覚に見舞われるのはそのせいなのかもしれない。勿論それでも、彼女の才能は十分に生かされているのだが。少なくとも当時は「ガール・ポップ」の型に填めようというスポンサー側の恣意が強く、彼女がそれに応えようと必死だったこと(激ヤセで39キロに)は確かなようだ。
■ 風の扉 1990.03.1 EPIC/SONY RECORDS ESCB 1027 この頃、SONY RECORDの特に女性ミュージシャンの人気が出始める。その追い風に乗せるように、デビューしてまだ2年に満たない鈴木祥子を豪華なゲスト陣が盛り立て、強力に後押しした。コーラスで参加している遊佐未森をはじめ、なんと日本歌謡界を代表すると言っても過言ではない"ポンタ"こと村上秀一がドラムを叩く。プロデュースは引き続き佐橋佳幸、西平彰が担当。作詞家陣にはデビューから「鈴木祥子」を一人代筆しつづけてきた川村真澄に加え、戸沢暢美、尾上文がそれぞれ一曲づつ担当。戸沢暢美の『愛はいつも』(村上秀一はこの曲に登場)では、今まで川村真澄に描かれていたある種身近で日常的な世界と対峙した、グローバルな視野に立った普遍的な世界が描かれていて、このアルバムを代表する曲のひとつに仕上がった。他にも多くのサポート陣が参加しているこの『風の扉』は、今日でも各曲が鈴木祥子の代表作と言って良いほどの秀作ばかりを収めており、今までのアルバム作品中最も華やかな光を放っている。実際その為にこの『風の扉』がアルバムとして鈴木祥子と出会うきっかけとなった、と言うファンが目立つ。しかしその反面、他のアルバム作品に無い余所々々しさが感じられる。まるで皆で豪華なドレスを仕立て上げ、彼女に着せ、社交界での挨拶に連れ廻しているようだ。そんな周りからの強いプレッシャーに駆り立てられて、押し潰されそうな自分を感じつつ、かろうじてバランスをとっていたという時期、鈴木祥子は自身初めての作詞に挑戦した。タイトル曲の『風の扉』である。実はこれも当初は川村真澄が作詞をしたらしいのだが、彼女がその完成度を拒否してまで書き上げたという曰くがある。音楽業界への不信や、自分の所在が見えないことへの不安という、彼女自身が「落ち込みの最絶頂期」と語るほどの当時の精神状態を如実に現す曲となっている。そんな環境の中、彼女はまたも全曲の作曲を手掛けていて、全般にバート・バカラック等のオールディーズポップスのエキスを染み込ませ、上質のポップスアルバムに仕上げている。自分らしいものをやりたいと強く願いながらも、その方法を見いだせないままでいたと当時を振り返る彼女だが、そんなことを微塵も感じさせない最良のメロディライン、特に川村真澄の小説「危ない橋」からのフレーズを、その危うい世界観そのままに歌い上げた才能には、ただただ驚かされるばかりである。ほぼ全曲がシンセサイザーのアレンジで様々な味付けがなされているにも拘わらず、今日のライブで当時のファンの曲に対する思いを壊すことなく、むしろその思いを助長させる演奏を可能にしているのは、ひとえにその完成された美しいメロディーラインの賜物である。それは「鈴木祥子には豪華なドレスなど必要なかった」という証でもある。
■ Long Long Way Home 1990.11.21 EPIC/SONY RECORDS ESCB 1106 このアルバムが、『風の扉』から僅か九ヶ月足らずの短期間に急造されたとは、にわかには信じ難い。しかし、六曲目の『夏のまぼろし』は矢野顕子に、七曲目の『あの空に帰ろう』はアジアの歌姫フェイ・ウォンに(『享受』として発表)それぞれカバーされた。常に音楽性クオリティーの高い楽曲を発表し続けている鈴木祥子を、徐々に多くのミュージシャン達が注目しはじめた。さらに、松田聖子に楽曲を提供したのもこの年で、作曲家としても、その存在をアピールするきっかけとなっている。後に彼女が「ミュージシャンズ・ミュージシャン」と呼ばれるようになった礎が、この四枚目のアルバム『Long Long Way Home』なのである。仮に、リスナーへこのアルバムのコンセプトを問うた場合、おそらく殆どのリスナーは「旅」という言葉を使って返答してくるに違いない。そしてそこには悲観的なニュアンスを多分に含んでいる。『Long Long Way Home』を象徴する『青い空の音符』『かもめ』の二曲は、彼女が「津軽」(太宰治著)に感動し、其処へ旅した時の体験をベースにして作られている。曲全体を覆う感傷的なイメージ。そこには本来「旅」という言葉に内在されているはずの開放感が希薄で、むしろ盲目的、内向的といったイメージの方が強い。この「旅」と「内向」という二律背反が成立した背景は、当時の制作の状況を振り返る鈴木祥子の言葉から推測することができる。彼女がその私生活、特に精神的要因について「極めて視野が狭く、音楽と恋愛のことしか頭に無かった。」「何か自分を慰めて欲しいとか、すがりたいとか、そういう自分の中の欠落したものを音楽や恋愛で埋めようとした。」と告白しているように、まさに最悪の状態だった。そしてもう一方の要因、最悪な社会的要因の急迫。「前作発表後、全てを放出しつくしたと感じていたのに、すぐに新作の作成が科せられた。」「もっとシンガーソングライターらしいものを作りたい、という思いとは裏腹に、どんどん次が決まっていった。」「夢中でやるという段階を超えて、その先にいかなければ、というその気持ちはただ空回するのみだった。」。実際制作は、その期間中、ほとんどスタジオに軟禁状態で臨んだらしい。不安定極まりない彼女が、このような過酷な状況下に置かれ、必然的に音楽と向き合うことが強制されたのだ。彼女を厚く覆う束縛を破るために、社会性が底をついた状態から「鈴木祥子」自身をぶつけるしか無くなった。それは、音楽と恋愛に感じていた不安や心細さを一時的にでも忘れさせる環境が与えられ、自らを束縛している恋愛や、環境の変化に抑圧されている自分を解放する方法を模索し、逃避という概念を「旅」へと還元させて作品世界に写し込むことが可能になった為、最悪化する環境と反比例して、作品の完成度は高められる結果になっていった。それゆえ『Long Long Way Home』には、それまでになく「鈴木祥子」が織り込まれており。皮肉なことだが、自然と前述のように彼女が望んでいたような、シンガーソングライター性の高いアルバムになったのだ。収録曲の中には幾つかポップな曲もあり『どこにもかえらない』などは、どこまでも旅を続けるバイタリティーさえ感じられる曲で、このアルバムを締め括るにしては、とてもユニークな曲だ。旅をし続ける彼女を象徴しているかのようにもとれる。しかし実際は、ただひたすら幼稚に迷うだけで精一杯の彼女は、束縛に身を委ね、そこから旅立つことさえ出来なかった。
■ Hourglass 1991.12.01 Epic/Sony Records ESCB 1252 このアルバムの完成度が非常に高いと言いきれる理由に、それぞれの作品の方向性が、誰の耳にも明確でこれ以上無いほど画一されていることがあげられる。 各曲の歌詞は、自分の意志や物に対する見方の定まっていない、20代前半の女性心理の不安定さを見事に浮き彫りにしている。その特徴として挙げられるのは、一曲目の『Sweet Thing』から数曲の中で歌われている「あなた」の不在性だ。それは過去の記憶や思い出だったり夢の中の幻影だったり、時には「もし今此処に居たなら」という仮定や後悔というように、触れることのできない虚無的な存在であり、けして「わたし」の目の前には居ない。実存性がないのだ。さらに後半の曲では、その「あなた」すら登場せず、ただ淡々と端麗な風景だけが描写され、もはやそこには「わたし」すら存在していない。此処に出現する「あなた」とは、これまでのような綺麗に構築された物、言い換えれば、ディレクターやプロデューサーの影響に強いられ、自己を見失うと同時に身動きが出来なくなった鈴木祥子自身である。それを「あなた」という実体のない「過去」として鮮明に想い描くことで、卑しむ自分自身をどこか他人事で夢の中をさまよい行くうちに出会った幻影にしようとしている。綺麗な「過去」に「あなた」を追い求めることで「現在」に存在するはずの「わたし」を見つめることを拒否しているのだ。そしてこの様な虚無の世界を、彼女はそれまでとは違った透明感のある鍵盤の音色をベースとしたメロディーによって、接触不可能でいつまでも美しく透明な光を放つもののごとくに、完璧なまでに表現している。しかしこの「ギターベースから鍵盤ベースへ」という音楽的な変化、加えて作品を作り上げていく過程に対する視点の変化は、彼女が或る大きな影響を受けた結果であるということを見逃すことは出来ない。このアルバムからはアレンジを、後に彼女の伴侶となる菅原弘明氏が担当することになる。最初にピアノを録って後から他の音を入れていったり、シンセベースと生のドラムを一緒にやったりという、今までに無かった彼の型にはまらない様々な手法は、前述の歌詞にみられるような精神状態と、「同じイメージのところにいちゃダメだ」という強迫観念との板挟みになっていた彼女を解放すると同時に、多くの可能性の扉を彼女の前に指し示した。アルバムの虚無感とは裏腹に、その頃からの鈴木祥子には「発見」と「自立」という新たな力が満ち溢れるようになる。前作までアートワークなどにはノータッチだった彼女だが、アートディレクターも同世代の平野文子を迎え、ジャケットデザインひとつにしても、より自分に近いと思われる作品作りをアイディアを出し合いながら行えるようになっていったのも、その現れのひとつだ。そしてその特徴の最も如実に現れている曲が、カーティス・メイフィールド風のメロウスウィートな『Happiness』で、西本明アレンジのシングルバージョンとは違い、アルバムでは菅原弘明のアレンジ。コード進行をみると明らかに鍵盤中心と考えられるのだが、小倉博和 (サザン・オールスターズ等のサポートで定評がある)のギターをサイドで鳴り響かせ、シングルよりもさらにR&Bの「嘆き」を演出、間違えなくこのアルバム、いや、鈴木祥子を代表する曲のひとつとなっている。この中の歌詞の部分「生まれてからもう25年も・・・」でプロデューサーと意見が対立したようだが、これも自分の意志を押し通している。一聴するとネガティブな印象しか受けない『Hourglass』の裏には、砂時計から滑り落ちた砂「過去」への反抗と、そこから生じた可能性「未来」が内在されているのだ。
■ Harvest The Very Best of Shoko Suzuki 1992.08.01 Epic/Sony Records ESCB 1310
■ Radio Genic 1993.11.01 Epic/Sony Records ESCB 1444
■ Shoko Suzuki Sings Bacharach & David 1994.06.01 Epic/Sony Records ESCB 1486
■ SNAPSHOTS 1995.06.21 Epic/Sony Records ESCB 1597
■ Candy Apple Red 1997.03.01 Epic/Sony Records ESCB 1789
■ 私小説 1998.08.26 Warner Music Japan WPC6 8459
■ 研究室 ■ 時系 ■ 体系 ■ 対話
|