海洋機械工学科4年 北脇 隆太郎
私達の全日本合宿は、大きな目標の元にスタートを切った。「日本一」 確かに大きな目標ではあったが、前年度の全日本クルーの一員として実際に日本一になる経験をしていた私には、ある程度身近に感じる言葉であったし、他のクルーも自然と連覇を意識していたと思う。このような環境の中で私達の全日本合宿は始まったのである。
実際、合宿中の練習もすこぶる順調にすすんだ。例年になく、波風の強い年だったので回頭フラッグが何度も流されたりはしたが、漕ぎ込みもしっかりできたし。過去の全日本優勝クルーと見比べても遜色ないタイムを何度と無く叩き出した。当然の事ながら、我々は日本一をより身近に感じ、必ず優勝できると信じて開催校である海上保安大学校に乗り込んでいった。しかし、そこには大きな落とし穴が有った。
それは、公開練習2日目のことだった。海保のマイルコ−スの歴代最高タイムより20秒近くも早いタイムを防大が叩き出したのだ。慣れない漕ぎ味の海保のカッターに悪戦苦闘していた私達は、その事実を知らされ叩きのめされた。表面上は平静を装っていたが、優勝だけしか考えていなかっただけに、そのショックは大きかった。そしてその状態から立ち直ることも出来ないまま、全日本は終わった。結果は7位。この時ほど長くそしてオールを重たく感じたマイルは無かった。
私が水大に入学して、早くも4年が過ぎようとしているが。その間、様々な事を経験し多少なりとも成長できたと自負している。そのなかで私にっとて一番学ぶことが多かったのが、あの惨敗した全日本であろう。負け惜しみでは無いが、我々は決して決勝に残れないクルーではなかった。だが力を出し切ることなく、なにも出来ずに負けた。あの時、どんなに大きな相手でも、物怖じすることなく立ち向かい、そして負けることが出来ていればと今でも思う。惨敗し、号泣する私達に下川教官が掛けて下さった「大切なのは、この経験を今後の君達の人生に、如何に生かすかだ。」という言葉と共に、あの時の悔しさは一生忘れることは無いだろう。
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