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『ゴシックとは何か』酒井健著、講談社現代新書、本体六八〇円
ヨーロッパを訪れる楽しみの一つは、壮麗なゴシック建築の教会を見ることだ。街の中心に位置し、天に向かって伸びるその姿は、ヨーロッパ精神そのものを表しているかのように思える。本書は、ゴシック建築の誕生と変遷を、ヨーロッパの精神史の中に位置付けながら描いている。
ゴシックのいわれは、「ゴート人の様式」という、侮蔑を含んだイタリア語である。十五―十六世紀、ルネサンス期のイタリア人はアルプス以北の大建築をそう批判したという。ゴシック建築が誕生したのは十二―十三世紀の中世。その後、宗教改革期には廃れ、十八―十九世紀になって再生復活した。
十二世紀のヨーロッパでは、都市化が急速に進んでいた。都市を興隆させたのは農村からの移住者で、彼らは一様に捨ててきた故郷の森への思いを強く持っていた。巨木に覆われた聖なる森である。一方、教会の聖職者は、移住者に欠けている聖性を補うため、彼らに強い宗教的感情を起こさせるような仕組みを必要としていた。その両者の思いが結実したのがゴシック建築だった。
そそり立つような構造は、確かに巨大な森林を連想させる。中に入ると、ステンドグラスを通して神秘的な光が内部を照らしている。それも森の中にいる気分だ。そして、聖なる雰囲気の中で、人間の罪深さとキリストによる救いとが、ドラマチックに描かれている。
教会の中には様々な絵が描かれているが、中でも印象深いのは地獄の絵だ。人々は、それを見るたびに自分の罪深さを思い知らされたのだろう。その思いが強いほど、キリストによる救いが光明になる。単純と言えば単純だが、異教徒にキリスト教を広めるのに、それは大成功した。しかし、そうした権威主義的なやり方は、宗教改革によって否定される。
近代になってゴシックが復活したのは、やはり文明の源泉に対する郷愁であろう。人は合理主義だけでは生きていけないからだ。(T)【講談社現代新書、本体六八〇円】
人間はこんなにも簡単に落ちてしまう、と前半を読んで思い、努力次第で道はいつも開かれる、と後半を読んで思う。いま三十四歳の著者は、中学二年の時に、いじめを苦に河原で割腹自殺を図った。幸い、通りかかった人に発見され、病院に運ばれて一命をとりとめた。しかし、いじめは収まらなかったため、それまでのまじめな生き方を一変させ、夜の街を放浪するようになる。そして不良仲間の間に、やっと安心できる世界を見つけるが、それからは転落の人生。気が付いてみると十六歳で極道の妻になり、背中には刺青が彫られていた。
両親に問題があったわけではない。父親は子煩悩で、母親もやさしかった。しいて言えば、「叱られるべきときに、叱られなかった」ことを、著者は悔やんでいる。いじめは転校がきっかけで、いじめの対象をてぐすね引いて待っているような生徒の雰囲気が伝わる。担任は生徒の動向に無知で、著者の助けにならない。公立中学にはよくある風景だ。
極道と離婚し、クラブで働いている時、父親の友人と出会ったことが転機になった。後に著者の養父となる大平氏は、何人もの非行少年を更生させている慈善家で、いまからでも遅くないから立ち直るよう説得を重ねる。つい周りのせいにしがちな著者を、「いつまでも立ち直ろうとしないのは、あんたのせいやで、甘えるな!」と叱った。著者は「やっと、私と真剣に向き合ってくれる人と会えた」と泣き崩れる。
立ち直った著者は猛勉強を始め、最初に「宅建」の資格をとる。次いで司法書士、そして大検資格をとって通信制大学に入学。卒業後、二十九歳で司法試験に一発合格した。その経緯は信じられないくらいだが、もともと能力には恵まれていたのだろう。
弁護士活動を始めた著者は、経歴を生かして、主に少年犯罪を担当するようになる。失われた家族との信頼も回復した。今では講演活動にも積極的で、少年たちの更生に努めている。(T)【講談社、本体一四〇〇円】