第二章 「物事の価値」と「パラダイムの転換」

 

 

」 今私たちがいる歴史的な位置を確認しよう!

(互恵型関係づくりの核心)

----- 「モノからコトへ」のパラダイム転換の歴史的位置づけ -----

 

「コト」の実現から「こころ」の受け入れへ



 前項までで、日本の1980 年代を中心に起こった商品/商売/店舗の「価値形成の構造転換」と、バブル崩壊以降の1990年代顕著になった人/暮らし/地域社会の「価値形成の構造転換」を見てきました。

 21世紀初頭の現在、ある物事はすでに新構造に移行し、ある物事はいまだ旧構造にしがみついています。しかしすでに、「ポスト現代」におけるより次元の高い「価値形成の構造転換」の歴史が始まっています。

 ここで「ポスト現代」とは、過去の延長としての「現代」ではなくて、予想される未来の理想的状況から遡ったターニングポイントとしての「現代」のことです。
 「ポスト現代」は、おおよそ1995 年から2005年くらい、つまり西暦2000年を中心とするほぼ10年間ではないかと、小生は推測しています。
 
 CNNで世界のどこで起こった事件のニュースも一瞬にして世界中に駆け巡り、金融商品市場で国際的な取り引きが24時間間断なく続けられ、インターネットが企業の生産や輸出入や販売、NPOやNGOの活動、人々の生活や活動などをグローバルかつ緊密に結び付け、世界が小さくなっています。よって、この「ポスト現代」は不可避的に世界共通のターニングポイントになろうとしています。
 つまり、日本の「ポスト現代」の動きは、世界の「ポスト現代」の動きに影響を受けると同時に影響を与える。日本の国や企業や市民による社会貢献と国際貢献は、まさにこの世界共通の「ポスト現代」というターニングポイントを見据えて行われるべきでしょう。

 
 では現在、「ポスト現代」のただ中にいる私たちの目の前で、いったいどのような「価値形成の構造転換」の歴史が始まっているのでしょうか?

 

 

 

 
 私は、概念図23に示すように考えます。

 歴史は、おおざっぱにみて<政治><経済><生活文化>という3つのセクターの相関関係の変化として展開してきました。
 (「宗教」が政治理念とされた時代も<政治>セクターの動きに含めて捉えます。)

 第一期は、<政治><生活文化><経済>をコントロールした。
 第二期は、<経済><政治><生活文化>をコントロールした。
 第三期は、<生活文化><経済><政治>をコントロールする。
 
 以上の展開は、東西冷戦によって旧東側諸国と旧西側諸国で多少のタイムラグを生じましたが、先進諸国および大国で同じ順序で起こり、また起ころうとしています。
 そして「ポスト現代」は、第二期から第三期への転換期に位置づけられます。

 ちなみに、80年代を中心とした商品/商売/店舗の開発パラダイムの転換と、90年代の人/暮らし/地域社会の理想パラダイムの転換の分析は、90年代初頭のバブル崩壊直後{何が終焉し何が始まろうとしているのか}を検討した内容を土台にしています。
 前者は、マーケティング戦略分析の視点から、第二期の終焉において第三期の予兆が登場してきた事実を捉えたつもりです。
 後者は、コミュニケーション構造分析の視点から、第三期の胎動が人々の理想や目的意識という心の中で始まった事実を捉えたつもりです。

 
 第三期は、すべての物事が<生活文化>のパラダイムで捉えられる、ということです。つまり、生活者という「受け手側のコト実現の論理」です。
 「ポスト現代」は、受け手側の生活者である私たちが、まず自分自身を本質的に見つめ直し問い直す段階から始まります。「理想とする自分」「理想とする暮らし」「理想とする地域社会」について、このままの自分で、このままの暮らしで、このままの地域社会で果たして本当に幸せなのだろうか?良いのだろうか?と思い当たらざるを得なくなってきたとは、まさにこの段階に入ったことを意味します。
 この思考の転換過程には、その人の立場や都合によって早い遅い、深い浅いの個人差があります。ある人の思考や行動は早くかつ深いために、すでにさらに次の段階にまで進んでいて、21世紀の先行指標となっています。
 それは、生活者をなるべく高い次元の存在として捉え直そうとする段階です。
 具体的には、有意義な形で消費者が同時に生産者にもなる存在として捉え直そう受益者が与益者にもなる存在として捉え直そうという、以下のような動きであります。
 

 いくつかのキーワードを上げながら象徴的事例を解説しましょう。

リサイクル  

 各種のリサイクル

  モノを買って使った受け手が同時にリサイクルの送り手 
  になっている。
  企業が回収を義務づけられる場合は、モノの送り手が同
  時に受け手にもなっている。

自助努力セルフサービス 

 ゴミ分別のセルフサービス
 手間のかかるショッピングバッグの持ち込み使用
 洗い手間のかかる化学成分を含まない洗剤の使用
 電気自動車の共同使用の際の各種セルフサービス

  サービスの受け手が同時に送り手になっている。

自助努力支払いコスト  

 グリーン電気料金
 住宅における初期投資のかかる太陽光発電
 少し高くても利用するコミュニティトレード・ショップ

  環境破壊というコトの受け手が
  主体的に環境保全というコトの送り手になっている。
  グローバル経済の一方的な受益者が
  互恵的な与益者になろうとしている。

共同カスタマイズ  

 
オンネット募集限定生産販売
 (限定企画商品を必要人数の注文主が揃った段階で受注生産する)
 集合住宅グループ注文設計
 (注文設計の施主をグループ化してマンション棟を設計施工する)

  従来のオーダーメイドの商品やサービスは
   一個人の注文への対応に限定されていたが、グループの
  個々それぞれ違う注文のへの対応に拡張した。
  やがて成熟したITコミュニケーションによって、圧倒的
  多数の個人の集合として一般大衆の個々それぞれ違う注
  文への対応にまで拡張するだろう。
  すでにワン・トゥ・ワン・マーケティングで主張されて
  いる「マスカスタマイゼーション」の延長ではあるが、
  現段階のものとは次元を異にする。
  異なるポイントは、モノの売り買いの主導権がマルクス
  資本論以来の生産手段をもつ送り手側から、受け手側の
  主体性をもった多数の個人の集合である一般大衆に完全
  に移動してしまう、ということだ。
  この主導権は、売り買いの力関係ではなくて、売り買い
  以前の生産や開発や投資という経済活動を発生させる契
  機を受け手側が最初に掌握してしまうことを意味する。
  現段階の「マスカスタマイゼーション」は、最後の選択
  ユニットの組み合わせだけお好みに応じます、という受
  け手側が最後に登場するもので、しかもワン・トゥ・ワ
  ン・マーケティングではその後、受け手側は囲い込まれ
  た顧客として関係を維持されてしまう。しかし、究極の
  「マスカスタマイゼーション」は、生活者は自由に一回
  一回最適な発注グループに参加することができ、特定の
  企業との関係に囲い込まれることはない。
  (何が最適かどうかの基準になるかというと、商品やサー
   ビスの価格や特徴的要素だけではなく、取り引きによっ
   て生じる社会貢献や生産消費のあり方の環境負荷など
   が重視されよう)
  これはワン・トゥ・ワン・マーケティングの究極のマス
  化であって、21世紀の経済活動パラダイムである。

  20世紀の経済活動パラダイムにある生協の共同購入と
  は次元が異なる。
  生協のような受け手側組織が送り手側組織に成り代わっ
  て、組合員という集団に対して継続的に画一的な商品を
  提供する社会主義型は、人々の主体性が組合によって統
  括されて個人の嗜好や信条という概念が認められない。
  もっとも窮屈なマス・マーケティングの地域社会版でし
  かない。

共同知識創造 

 LINAX
 (無償で公開され無償の協力者によって改善されているOS)

  マイクロソフトを筆頭とする知識資産の商品化および利
  権化の動向に大きな問題提起と問題解決の新しいパラダ
  イムを明快に示した「21世紀型ナレッジクリエイショ
  ン」の最初の金字塔ではないか。
  モノや労働は無償にしにくい要素があるが、知識は無償
  にしようと思えばしやすい要素がある。知識は、人に提
  供しても減らないことと、他者に一緒に研いてもらった
  方が自分も含めてみんなが得をする場合が多いためだ。

  LINAXでは、知識というコトの送り手が受け手に、
  そして受け手が送り手になっている。

 オンネット互助コミュニティ

  前項と同じ構造のネット上の象徴的事例として、
  子供のアトピーや育児の悩みなどの特定テーマの相談を
  持ちかけると誰かが教えてくれるサイトがある。
  よく聞かれる質問はFQAに蓄積され、共同の知識ベー
  スとなっている。

 自主カリキュラムのフリースクール

  前項と同じ構造のリアルな現実社会の象徴的事例として、
  不登校児を集めて彼らに自主的につくらせたカリキュラ
  ムで協働学習させるフリースクールがある。
  学齢の異なる生徒たちが互いに協力しあって年長のもの
  が年少に、ある科目の得意な者が不得意な者に教えてい
  る。
  まさに知識偏重の管理教育には発想しえないパラダイム
  である。管理者がいない、共感共鳴する支援者がバック
  アップする体制ならではの考え方である。
  協働学習によって「人となり」をベースとする態度能力
  が着実に育成されている。

NPO(Non-Profit Organization 民間非営利組織)
(利潤を上げることを目的としない、公益的な活動を行う民間の法人組織。
 福祉、環境、文化、人権などの様々な分野で、先進国、途上国を問わず     
 世界中で拡大している。)
        
  先進国での拡大は、国による社会福祉サービスの民営化
  と有志市民の増大が背景にある。
  これはコトの受け手である受益者が、与益者という送り
  手に成り代わったという経緯である。
  NPO現場での「人となり」同士のコミュニケーション
  状況をみると、「カウンセリングの受け手だった相談者
  が共鳴して、有志として相談員になる」「リハビリのイ
  ンストラクションを受けた者が、その体験から気づきを
  得て自らインストラクターになる」といった気づきとい
  う新しいパラダイムの存在に気づかされる。

  それは、人の助けを受け入れた者ゆえに人を助けること
  の価値を身をもって知り、それを自らの喜びにしていく
  という「人となり」「暮らし態」のパラダイムに他なら
  ない。
  コトの受け手が時間差をもって送り手になっている。
  これが継続的に多発していくと、福祉活動という「コト
  の受け手=送り手の互助体制」という「地域態」が形成
  されていく。

 

 以上の象徴的事例を踏まえて言えることは、

 <受け手側のコト実現の論理>を推し進めれば、
 送り手に対し相対的に位置づけられてきた従来の{受動的な受け手}の段階から      送り手の方を相対化しコントロールしていく新しい{能動的な受け手}の段階に
入っていくということです。

 そして、上記のキーワードで解説したモノやコトをめぐる人々の交流は、「人となり」という態度能力によってのみ生まれ活かされるということです。

 このことは、本章冒頭で述べた第三期の<生活文化>の時代「暮らし態」「地域態」を具現化していく鍵になることは間違いありません。
 
 NPO的組織やボランティア活動は、
 従来の企業のイメージアップにつながる社会貢献事業(フィランソロピー)や、非効率な公的サービスと赤字を積みますだけだった第三セクター方式(民活)の地域活性化事業といった<送り手側のモノ提供の論理>では到底なしえなかった有意義な課題を明快に掲げてどんどん達成していっています。
 その際の有効なモノやコトをめぐる人々の交流は、上記のキーワードにとどまらない。ここでは、ざっと見回しただけでもすでに周知のものがこれだけあり、それらはすべて<受け手側のコト実現の論理>で解釈できるという主旨をご紹介したまでです。



 「人となり」は、それに徹せられるかどうかに関わらず{理想とする自分}である。
 「暮らし態」は、それを達せられるかどうかに関わらず{人生の目的}であろう。
 「地域態」は、まず先行提示される{社会のヴィジョン}として存在する。

 {理想とする自分}{人生の目的}{社会のヴィジョン}、それらすべては、生活者の頭の中でそれぞれの関心ある特定テーマに応じて具体的に描かれ始めています。
 あとは私たち一人一人が、共生によって自分本来の心の状態を活性化して、実現したいと望み、そんなお互いの「こころ」を受け入れあっていくだけなのでしょう。
 小生は、すべての人にそうしろ、あるいはそうすべきだと主張するつもりはありません。また、ほっておいてもみんながそうするだろうと楽観するものでもありません。始めたい人が始めたいタイミングとやり方で始めていけばよいし、実際そういう人々が増えているということを指摘しているだけなのです。
 主体的な個性の自由な発揮(volunteer)が拡大してその影響力が拡大しているのは明らかな事実なのです。
 だから、創造的な企業人として、あるいは公僕的な官僚として、顧客や生活者に有意義と受けとめられる商品やサービスや事業を企画構想する立場の者ならば、人々のすでに転換してしまっている人/暮らし/地域社会についての{理想や目的やヴィジョン}を踏まえない訳には、もはやいかない。
 それが「ポスト現代」の今を生きる私たちの歴史的な位置づけなのです。

 行政がNPOの拡大と発展を支援すべきことは論ずるまでもありません。
 21世紀に入って企業も、従来の「利益追求型部門」に加えて、「公益追求型部門」を併存させ有機的に連携させて、マーケティング的にも有効で、しかも社会貢献的にも有意義な組織や事業のあり方を工夫していくことが求めらてきました。コンビニや家電パソコン・メーカーがリサイクル回収を競合各社共同でする、などはこれに当たります。
 その際、「公益追求型部門」の商品やサービスは、前述の{能動的な受け手}を適切に想定組織して与益者の輪、社会貢献の輪を広げて行く工夫をするべきでしょう。
 EUのコミュニティトレードなどの動向から、人々は似たような商品やサービスならば「公益追求部門」の社会貢献度合いの高い企業を選考して買うようになることが予測されます。
 すると株主や株価も同様の企業の方に有利に動く。さらに国も「公益追求部門」の売上に応じた税制優遇策を講じるなどして、大手企業ほど「公益追求型部門」に力を入れざるを得なくなるでしょう。

 企業や業界ごとに多種多様な「公益追求型の商品やサービスのアイデア」があるでしょう。
 「我が社の事業資源をこのように使えば、こういうことで困っている一部の人々に貢献できるのになあ」と気づいている「人となり」をベースとした態度能力の持ち主はじつはたくさんいます。アイデアは、彼らの発案や抜てきによって容易に導き出され具体化されるでしょう。
 楽観的に過ぎると言われるかも知れませんが、小生は企業研修の場で演習を指導してきた経験から、「人は自分の会社や業界のパラダイム(人種)から自由になれば、驚くほどユニークな発想と思考を展開することができる」ということを実感しているのです。
 私の利得と上昇志向を求める商売という<無意識のパラダイム>の呪縛から解放されさえすれば、人は容易にしかも喜々として、商売の対象とされない一部の弱者や不利益や不便を被っている受け手のことに、思いを砕き創意工夫するのでものなのです。おそらく、その方がより価値のある貴重な報酬を得ることを知っている心が反応するのでしょう。


 「利益追求部門」は競争原理にしたがって競合企業と競争する。
 これに対して、「公益追求部門」は、特定テーマにそって同業界異業界の企業の「公益追求部門」やNPO(国際的課題についてはNGO)そして国や地方自治体とネットワークして協力しあう。それを国が省庁横断的な政策として促進する。
 特定テーマごとの横断的な協力内容の取りまとめ提言は、第三者的なNPO(国際的課題についてはNGO)のグループが行い、国はあくまで世話役としてこれを受け入れる。

 このような企業の「公益追求部門」を主体としたネットワーク体制は、企業だけ、NPOやNGOだけ、国や地方自治体だけでは到底なしえなかった有意義な発想とその実現に向けた多方面の知恵を結集させるでしょう。
 さらに、万一企業本体や業界が傾いた場合でも、「公益追求部門」のネットワークを母体とした雇用吸収力のあるNPOやNGOを立ち上げることを国や業界が支援するならば、有意義な事業と雇用の両方を保全することができましょう。