第二章 「物事の価値」と「パラダイムの転換」

 

 

。 世の中の小さな転換を分析しよう!

(マーケティング戦略の核心)

----- 商品/商売/店舗にみる「価値形成の構造転換」 -----

 


「品種」から「品態」へ



 みなさんは「品種」という言葉を、耳にしたことがあるでしょう。
 しかし、「品態」という言葉は、聞いたことがないと思います。
 これは、追って解説する「業態」「店態」「事業態」と4つ合わせて1セットになる私の考案した造語です。

 これから、商品、商売、店舗のあり方において、日本の1980年代を中心に起こった「価値形成の構造転換」を分析していきます。まず、言葉の解説をしつつ、どのような転換だったのかという結論を先に述べてしまいましょう。その結論が真実かどうかは、追って具体的な例証を上げていきますので、それに照らして判断してください。

 要は、
 <送り手側=提供者のモノ提供の論理>で価値形成された商品/商売/店舗が
 「品種」「業種」「店種」
 <受け手側=生活者のコト実現の論理>で価値形成された商品/商売/店舗が
 「品態」「業態」「店態」です。
 そして、前者から後者に転換しました。

 この結論が真実であることをおいおい認めて戴いた上で、さらにその転換の構造を、前章で解説しましたコンセプトワークの基礎的方法論で適切に分析できることを示して参りたいと思います。
 

 まずは、人気のある商品や商売や店舗のほとんどは、従来の「○○種」ではなく新しい「○○態」になってきている。それを事例を上げて確認していきましょう。

 「品種」から「品態」への転換
 ある商品分野に「品種」しかなかった状況に「品態」が登場した。つまり新しいパラダイムで商品開発がなされるようになった、という{商品開発のパラダイム転換}に着目します。

 これについては、最初に「コンドーム」を例にするのが分かりやすく、しかも忘れないので良いでしょう。
 薬局で売っているダース売り箱入りの岡本理研のコンドームは「品種」です。
 なぜなら、メーカーと薬局という<送り手側のモノ提供の論理>にのっとって量産し量販する効率性が大前提の最優先課題になっているからです。
 一方、原宿の表参道と明治通りの交差点角のコンドームショップ「コンドマニア」で売っている、修学旅行生などローティーン女子が買うコンドームは「品態」です。これは、一個ないし数個売りの可愛いパッケージ入りのものです。

 「コンドマニア」は、アメリカはニューヨークで1991年開店した、世界で初めてのコンドームショップです。80年代、エイズ問題が浮上しそれへの関心やセックスにおけるフェミニズムを背景に、都会的なお洒落やユーモアを盛り込んだ商品構成がなされました。日本でも同年に原宿店が開店します。しかし日本では、修学旅行生の来訪する竹下通り近くに立地したため、ロストバージン年令の女子という<受け手側の生活実現の論理>で人気を博してしまった。つまり、受け手側の価値形成に合致する「品態」として現象してしまいました。

 「コンドマニア」が登場するまでは、薬局やスーパーでダース売り箱入りのコンドームを買うしかなかった。これはロストバージン年令の女子のニーズに対応するものではありません。つまり、コンドーム業界の<無意識のパラダイム>は、彼らのような女性ユーザーを対象としていなかったのです。
 しかし、大人の世界で女性の社会進出が進むのに並行して、子供の世界でもどんどん女子が強くなっていた。ローティーンのロストバージン行為においても、女子が主導的立場に立つようになっていた。しかし、自分たちのイニシアティブを発揮するためのコミュニケーション・ツールを欠いていたのでした。ここに大きな潜在需要がありました。これを偶然とはいえ発掘して満たしてしまった「コンドマニア」のコンドームがヒットしたのです。
 ひょっとすると、原宿の都会的なお土産であることも、地方の女子にはコミュニケーションのネタという付加価値になったのかも知れません。いずれにせよターゲットが買い、コミュニケーションのネタにして女子らしく明るく楽しくイニシアティブをとる。そんな男子への対応を十分に配慮した商品として受け入れられたのです。 
 竹下通りを訪れる修学旅行生は、90年代前半までは主に高校生でしたが、後半には中学生の割合が高まっていきます。それと並行するかのように、ローティーンの一部でロストバージン年令が低年齢化したり、女子高生の援助交際が社会問題化したりしました。21世紀初頭の現在は、まじめな女子はよりまじめに、くだけた女子はとことんくだけているようです。よって、今は「コンドマニア」のコンドームは、かつてのような人気商品、話題商品ではありません。

 ここで「コンドマニア」のコンドームを好例として取り上げたのは、昔のヒット商品をレポートするためでも、ニッチな隙間商品の成功物語をお伝えするためでもありません。あくまでも、<送り手側のモノ提供の論理>ではけっして意識化できないパラダイム<受け手側の生活実現の論理>を客観視するためです。


 10年前の90年代初頭の日本で、受け手側でセックスライフの低年齢化と並行して明らかに{男子主導から女子主導へというパラダイム転換}が現象していた。そして、コンドームの送り手側にはそれに対応する積極的な商品の打ち出しがなかった。この受給ギャップが大きな潜在需要を生じさせていた。「コンドマニア」はこれを偶然捉えた事例であり、いわば現象だけを解説するものです。
 しかしだからこそ、現象の本質にある<受け手側のコト実現の論理>を踏まえることで、潜在需要を発掘して満たす{商品開発におけるパラダイム転換}がはじめて可能になることを、雄弁に物語っています。



 この転換を具体的に整理すると概念図8のような内容になります。

 

 

 

 


 「コンドマニア」のコンドームは、ニューヨークの母店で品態開発されました。それがまったく別の文脈で日本のローティーンのニーズに合致してしまった。なにか心もとない好例のようですが、80年代を中心とした「価値形成構造の転換期」に成功した開発商品の多くは、偶発的なヒットが発端となったケースでした。後述するソニーのウォークマンしかり、マツダのユーノスロードスターしかり、そして女子高生の間でヒットしたNTTのポケベルしかりです。 
 追って解説しますが、たとえ偶発的であっても、大切なのはむしろ人気を博した現象の本質を理解し意識的にフォローできたかどうかだったのです。

 もちろん、送り手側の意図した戦略が目論見通りにヒットしたケースもありました。その好例であり、しかも「コンドマニア」と同じような男女関係の背景を指摘できるものが次に例解する「バレンタイン・チョコレート」です。
 しかし、これとても、戦略が目論まれてからヒットするまでにゆうに一世代掛かっています。戦略が奏功したというより、時代の方が戦略を受け入れるように変化したと言った方がいい。

 テレビなどマス媒体で広告されコンビニやスーパーで販売される大手メーカーの通常のチョコレートは「品種」です。なぜなら、量産量販の効率性を追求する<送り手側のモノ提供の論理>にあるからです。
 一方「バレンタイン・チョコレート」は、周知のように女性が男性に愛を告白するコミュニケーション・ツールです。いつの頃からかOLが上司をチアアップする義理ツールにもなりました。これは<受け手側のコト実現の論理>にある「品態」です。

 ちなみにバレンタインデーとは、キリスト教の聖バレンチノの日(セントバレンタインデー)です。バレンチノ司教とは3世紀頃のローマの人で、当時ローマでは兵士達の結婚が認められていなかったのに、彼らの多くを密かに教会で結婚させていた。 それを知ったローマ皇帝が弾圧を行い、司教を処刑してしまう。その処刑の日が2月14日といわれている。この日が女性から男性への愛の告白の日になったいわれは、当時ローマで2月15日に行われていた縁結びのお祭り『ルパカリア』が始まりだとされている。このお祭りで、2月14日に女性が自分の名前を書いた紙をかめの中に入れ、翌日に男性がその中の紙をひいて花嫁を決めた。 聖バレンチノによって結ばれた人々、そしてルパカリア。この二つがきっかけとなって、バレンタインデーが誕生した。
 しかし、その日にチョコレートを贈る習慣は日本だけです。
 海外では、女性から男性へという枠にもとらわれず、本などさまざまな贈り物がなされています。
 
 日本でチョコレートをプレゼントするようになった経緯について顧みましょう。
 最初にバレンタインデーを紹介したのは、昭和11年にバレンタインデーにちなんでファンシー・チョコレートを広告したモロゾフでした。しかし大平洋戦争に向かう軍国主義化の時代に、一般の人々にそのような欧米の習慣は受け入れられない。
 戦後も高度成長期にはいった昭和33年、奇しくも当時モロゾフで営業主任であった原邦生氏(現メリーチョコレート社長)がヨーロッパの知人からバレンタインの話を聞き、新宿伊勢丹デパートで「バレンタインデーにチョコレート」を提案する。それがようやくオイルショックの後、昭和50年(1975年)頃から日本中に広がり定着していった。 じつに定着するまで30年ちかくの歳月です。
 現在から四半世紀前の当時、女性から男性に愛を告白するという今では何でもない行為も、まだまだ一般には勇気のいることでした。周囲の状況によっては顰蹙をかうことですらあった。特に地方の封建的な環境ではそうした傾向が強かった。しかし、テレビで欧米の開放的な恋愛生活を見て育った全国の若い女性たちは、男性からの告白をただ受け身で待つばかりでなく、主体的な意志表示を積極的にしたいという潜在的欲求を高めていました。そういう状況で女性たちは、「バレンタインデーにチョコレート」の提案を一つの集団的エクスキューズ(言い訳)として受け入れたのです(コトの画期的な意味)。
 チョコレートというモノがおいしいにこしたことはない。しかしそれ以上にプレゼントするシーンや相手の男性が包みを開けたシーンに女性の思いを込められることが重視されました(コトの個性的な感覚)。そして、プレゼントする行為の意味づけや感覚づけを強調するメッセージ入りのチョコや愛の感じられるパッケージが歓迎されました(モノの特徴的な機能)。

 以上の内容を整理すると概念図9のようになります。 

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 商品という分野における、世の中の変化に呼応するパラダイム転換を分かりやすく説明すべく、「コンドマニア」と「バレンタイン・チョコレート」という事例をみてきた。
 この段階で、「品態」はメジャー商品に対する単なる隙間商品、ニッチ商品であって大した問題ではないのではないか、と誤解されることがある。

 確かに「コンドマニア」の「品態」コンドームの売上シェアは、岡本理研の「品種」コンドームの比較にならないほど小さい。しかし、事業主体の制約条件によって商品開発や商品構成の妥当な戦略というものは異なる。大手企業にとって正しいやり方がそのまま中小企業にとっても正解ではない。そして世の中、大手企業ばかりある訳ではない。ベンチャー企業や海外からの参入企業というものもある。そうした企業にとっては、たとえニッチでも新しい市場を先行確立しそこでのシェアを確保することが生命線となる。打ち出す商品やサービスが最初からメジャーになることは想定外であることの方が実際は多いのだ。
 ここで着目して戴きたいのは、メジャーになりうるニッチは、必ず新しい<受け手側のコト実現の論理>を捉えている、ということだ。そうではないものはニッチを占有することもなければ、ましてメジャーになることもない。

 新しい「品態」商品は、従来の「品種」商品にはない独自の価値をもつゆえ、ヒットすれば指名買いとなり価格決定権を売り手側が保つことができる。類似商品が出るまでは価格競争に巻き込まれない。ということは、それまで利益率を高く維持できる。そして、類似商品が出る前に次なる進化「品態」を開発投入していくことで、現実的にはニッチをメジャーに育てていけるのだ。
 市場規模が拡大しない場合は、追随参入もないから、事業の成長性は小さくともそれはそれなりの事業の安定性を確保できる。日本の「コンドマニア」の場合がそうだった。直営多店舗化を無理に進めずFCを誘致している。しかも店売りだけに依存することなくインターネット通販にも力を入れている。つまりそうした合理化策で事業効率を良くしていける。なにも事業規模の拡大だけが企業の戦略目標ではありえない。

 一方、市場規模が拡大する場合は、追随参入が活発化する。「バレンタイン・チョコレート」の場合がそうだった。モロゾフのはじめた販促戦術はあっと言う間に中小チョコレートメーカー全体の商品戦略に、さらには大手メーカーの商品戦略になっていく。しかしこの場合は、競合の激化よりも市場規模の拡大の方が上回る形で展開した。80年代後半のバブル期には、年間のチョコレート売上全体の6〜7割をバレンタイン関連が占めると言われた。人気製菓老舗を含む中小チョコレートメーカーの、単価の高い高級品や注文手作りサービスが流行ったことの結果だろう。その後、大手メーカーも参入しテレビCMやコンビニ店頭で積極的な販促を行うようになって今日にいたる。
 21世紀初頭の長引く平成不況の現在も、チョコレート売上全体に占めるバレンタイン関連の割合は、少なくとも2〜3割はあるのではないか。これは「ニッチ商品」の話だといって済ませられる規模ではあるまい。

 いまや画一的な「メジャー商品」だけを扱って高いシェアを維持して経営を安定させられる大手企業は、それぞれの業界の1位だけ。せいぜい2位までだろう。劣位大手は、価格圧力にさらされて、かなりとんがった「品態」商品を投入することでしか地歩を固めていけない。なぜなら、デフレ傾向が顕著になってからは、むしろ優位大手の方が「品種」商品で稼いだ余力をとんがった「品態」開発に投入をしているからだ。
 グリコ、森永、明治製菓しかり、
 ソニーしかり、トヨタしかり、最近ではサンヨーしかりである。
 現在から過去を遡ってみると、すでに80年代には、日本のモノづくりを代表する自動車と家電において「品種」から「品態」への転換が起こり始めていて、品態への着眼や志向が、じつは大きな経営パラダイムに直結することを読み取ることができる。具体的に次項で検討していきたい。

 

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 概念図10に示した、自動車と家電におけるパラダイム転換の象徴的な事例について解説していきましょう。

 


日本車におけるパラダイム転換


 

 80年代までは、{トヨタか日産か一目で分からない同じような大衆車}がほとんどでした。カーマニアなら見分けられても、ふつうの女子大生でも見分けられるような大衆車は少なく、似たり寄ったりの車ばかりでした。現在でもある車種ジャンルが売れ筋となると競合が参入してきて同じような状況が発生しています。そんな状態が現在よりももっと顕著だったということです。新しい{車種ジャンル}の登場が乏しく、既存の{車種ジャンル}でのマイナーチェンジを{高級化と高性能化}によって繰り返していました。それはバブル期にピークに達する。劣位メーカーまでが面子を競うかのように、大して売れない最高級車を市場投入したことに象徴されます。

 当時は、「オピニオンリーダーが受け入れたものが一般の人々に売れていく」と言われていました。ここで{オピニオンリーダー}とは車マニア、車というメカに詳しい人ということです。市場全体が<送り手側のモノ提供の論理>にあったために、メーカーに車を作る人がいて、世間に車に詳しいオピニオンリーダーがいて、それに盲従する一般消費者たちが実際にいたのでした。パラダイムとは恐ろしいもので、誰もそんな状態をおかしいと疑うことはなかった。みんながオピニオンリーダーになることや、人より早くより高級高性能の新車を手に入れる初期購入者になることに夢中だった。特に注目すべきは、女性が口を挟む余地がほとんどなかったことです。女性の影響力は強くなりつつありましたが、一般的には「車は男のモノだから男性に任せておけばいい」と思っていたのでしょう。すべて<無意識のパラダイム>の呪縛です。

 そうした状態が、1989年マツダの「ユーノスロードスター」が登場し、女性を含めた人気を博したあたりから変わりました。ちなみに私が「新しい車種ジャンル開発」に携わったのもその当時でした(「主な業歴」)。
 「ロードスター」の開発に携わった人に聞いたところ、じつは、カーマニア向けに{軽量小型の本格的な大衆価格のスポーツカー}を作ったそうです。ところが発売してみると、マツダの予想に反して、特に車が好きだったり車に詳しかったりしない、お洒落な中年男(当時「ナイスミドル」と呼ばれた)や女子大生にも好評だったのです。彼らの方がカーマニアよりも圧倒的多数なのは言うまでもありません。
 つまり、マツダは「大衆スポーツカー」という車種ジャンルにおいて<送り手側のモノ提供の論理>で{高級化と高性能化}を行ったつもりが、生活者側は<受け手側のコト実現の論理>で新しい車生活を実現するツールとして受け止めたのでした。
 敢えて「生活者」と表現して「消費者」と書きませんでした。それは、従来の似たり寄ったりの車なら買うつもりのなかった人までが、「ああ、こういう車なら欲しい」と購入したケースが実際に多かったからです。ドラッカー流に言えば、まさに{顧客創造}をしてしまったのです。お客様という「受け手」は、必ずしも今買っているユーザーとは限らないし、さらにコンドマニアのように実際のユーザーであるとも限りません。
 
 80年代後半のバブル期、人々のレジャー意識が高揚した。会社や学校の行き帰りも自分のレジャータイムにしたい(コトの画期的な意味)。それも休日と同じ自由で解放感に満ちた感覚で(コトの個性的な感覚)。そういう潜在的欲求が高まっていたのです。今でこそ、勤め先の会社にスポーツカーやRVで乗り付けても眉をひそめられないが、80年代前半はまだまだ顰蹙をかう時代だっだ。世の中に大衆スポーツカーがなくて高級スポーツカーしかなかったことも、一億総中流化の社会通念からの抵抗を強めていたと思います。
 それが大衆スポーツカー「ロードスター」が登場して、前述のような潜在的欲求を掘り起こし満たしてしまった。単なるレジャーカーであれば90年代後半にかけてブームとなる4人乗りのRVでもいいのだが、なぜ2人乗りなのか。そこに着目すべきでしょう。通勤や通学は基本的に一人ですることで、寄り道してのデートも二人ですることだからです。なぜオープンカーなのか。日常的なストレスを日々蓄積させないで、発生直後の帰宅時に発散してしまうのに最も効果的だからです。以上のような理由で、生活者からは{2シーターのオープン}だけが注目されました(モノの特徴的な機能)。従来のオピニオンリーダーが蘊蓄を垂れていた、最高速度、駆動方式、馬力回転数といったマニアックなスペック(モノの画一的な機能)は、新しい顧客たちにはまったく問題にされなかったのです。

 新しい顧客たちにとって、ロードスターは「大衆スポーツカー」という「品種」ではなく、「日常的リフレッシュメントツール」という「品態」でした。つまり、新しい顧客を創造する新しい{車種ジャンル}の登場だったのです。
 後に軽自動車枠の同様の「品態」としてホンダの「ビート」が登場します。これも世界的なヒットになりました。

 しかし、マツダにとっては大きな問題が残りました。それは、マツダ自身が「品態」の戦略性を理解しなかったことです。私の主張は単なる発想法として受けとめられてしまいました。マツダの新車開発子会社M2は、「ロードスター」のヴィンテージ・バージョンの限定車を作ることに専念し、マツダ全体としてもバブル崩壊の後まで高級高性能化路線の新モデルを世に送り出すことで巻き返しがはかれると考えたのです。小生が若手プランナーとともに進めていた<受け手側のコト実現の論理>を先取りした新しい{車種ジャンル}づくりは結局日の目を見ませんでした。
 ここで{コト}とは{新しい車生活}のことです。それまでのモノの{高級化と高性能化}という手段ではもはや達成できない目的でした。
 そして皮肉なことに、ロードスター以降、競合他社の方が「品態」の戦略性を打ち出す新商品をヒットさせていきました。

 日産のエスカルゴ
 1989年1月から2ヵ年に約2万台製造された。街のお店屋さんにお洒落な業務用車として人気を博した。特徴はカタツムリのようなスタイリング。内装もセンターメーターにベンチシート、インパネシフトに超ハイトパッケージにキャンパストップと、10年後の人気車「トヨタのファンカーゴ」の特徴を先駆けていました。
 (ただし、日産社内ではエスカルゴの評判は芳しくなかった。技術の粋を結集した日産を代表する車ではないと見做されたのです。小生は、日産の社内指名コンペに参加したことがあります(「主な業歴」)。その際、「恋愛生活車」というコンセプトで、エスカルゴをベースとした、カップルがお台場の海浜道路や、たとえば四ッ谷の上智大学生ならば大学近隣の土手沿いに駐車してままごと遊びのように食事したり昼寝できる「品態」を提案しました。しかし、重役を前にした社内発表会では、エスカルゴをベースにした提案は許されず、関係者の要請に従いスポーツタイプの模式図で発表したという経緯がありました。<受け手側のコト実現の論理>では、花屋さんのエスカルゴを街で見かけてカワイイと思う女子大生の目を引く顧客志向の方が技術の結集よりも重要です。しかし、そうした正にマーケットインの思考が、残念ならが平成6年当時の日産には受け入れられなかったのです。
 ちなみに社内指名コンペの際の小生の副案は、「知識ワーカーとしてのビジネスマンが車を止めて助手席側にある固定テーブルに向け運転席を回転させてパソコン作業などをするパーソナル・オフィスカー」でした。2002年の業務用車のモーターショーで日産が出展したコンセプトカーに、後部座席がベンチシートであるところまで繋がるアイデアでした。しかし、これも当時の関係者からはまったく評価されませんでした。小生は、サンルーフが運転席側上部だけの縦形でリクライニングした時に全身で日を浴びることができることにまでこだわったのですが、コンセプトカーがそのようになっていたかは未確認です。)

 トヨタのRAV4
 1994年に登場したスポーツシューズのような小型SUVの先駆。初代は、革新的なパッケージングとキュートなルックスもあって、若い女性を中心に絶大な支持を集めた。乗用車的なドライブ感覚とオフロード4WDの走破性を併せ持つクルマとして、「ライトクロカン」という新しい{車種ジャンル}を確立しました。

 マツダのボンゴフレンディ
 1995年に登場した4代目は「家族や仲間のためのレジャー基地」をコンセプトに開発された。特徴はロフト(屋根裏)空間をつくりだす電動のオートフリートップ 。車がとまっている時の活用性を訴求したことはまさに画期的でした。
 (解散したM2出身者の話では、この車のロフト空間は、当時まだ4輪駆動ではなかったフォードMVPをどうにかしてマツダが日本で売る苦肉の策として、M2の若手プランナー残党が発案したとのことでした。小生が関わった「車をとめている時に活用する」という抜本的なマーケットイン戦略が日の目をみた数すくない例外でした。)

 トヨタのwill
 2000年1月から2ヵ年に製造されたviは、住居でインテリアやアートを楽しむ時のデリケートな感性で評価される自由で高度なデザインを特徴とする、従来のトヨタにはない打ち出しでした。車を感性表現の一環でとらえる人々、特に女性の好評を得ました。

 「ロードスター」が人気を博して以後、以上のような新しい「品態」が登場して、新たな{車種ジャンル}という市場と、「そういう車なら買ってもいい」と思う新しい顧客が創造されるようになりました。
 つまり、車メーカーが、<受け手側のコト実現の論理>で潜在ニーズを顕在化させる形の商品開発を行うようになったということです。


 「品態」車種は、メジャーな「品種」車種に比較して市場規模は小さい。しかし、指名買いゆえ価格を維持できること、特定の生活シーンへのフィットゆえファンの愛着が強いこと、よって中古でも値崩れしないことなどの市場特徴をもちます。
 一方メジャーな「品種」車種は、似たり寄ったりなので価格競争にさらされ利益率が圧迫される。そして、頻繁なマイナーチェンジで陳腐化がはげしいので中古が値崩れしやすい
 このように大きな違いのある「品種」市場と「品態」市場の優劣を、単純に新車の売上台数の多寡で評価することはできません。
 たとえば、かつては顧客が中古価格が値崩れする前に新モデルに乗り換えるという購買行動が旺盛でした。メーカーもそれに呼応することで売り上げを維持拡大してきました。しかし、新車への買い替えが鈍化し中古市場が拡大してくると、中古でも値崩れせず、自分のライフスタイルの個性的表現となるこだわりの「品態」車種の顧客にとっての価値は、新車中古の両方で高くなります。そして優位メーカーほど中古車販売やレンタルリースを含むトータルな事業再編を、顧客価値に呼応した形で押し進めています。今後は、トヨタを中心に通信や保険などのサービスを一体化した「品態」車種が登場してくることでしょう。

 

 

オーディオにおけるパラダイム転換


 
 80年代までは、{ビクターかサンスイか一目で分からない同じような日本製オーディオ}がほとんどでした。オーディオマニアでなくても、ふつうの女子大生でも見分けられるようなオーディオ機器は少なく、似たり寄ったりの商品が多かった。現在も、一つの新しい機種ジャンルが売れ筋となると競合が参入してきて同じような状況が発生している。そんな状況が現在よりももっと顕著だったということです。新しい機種ジャンルの登場が乏しく、既存の機種ジャンルでのマイナーチェンジを{高級化と高性能化}によって繰り返していた。それはバブル期にピークに達する。ステレオだけでなく、大型CDラジカセまでもが{高級化と高性能化}を追求して似たり寄ったり状態になったことに象徴されます。ラジカセが高級になってどうするのだろう?とは誰も思わなかったのです。

 当時、「オピニオンリーダーが受け入れたものが一般の人々に売れていく」と言われていました。ここで{オピニオンリーダー}とはオーディオマニア、オーディオ機器というメカに詳しい人のことです。市場全体が<送り手側のモノ提供の論理>にあったために、メーカーにオーディオ機器を作る人がいて、世間にオーディオ機器に詳しいオピニオンリーダーがいて、実際にそれに盲従する一般消費者たちがいたのです。パラダイムとは恐ろしいもので、誰もそんな状態をおかしいと疑うことはなかった。みんながオピニオンリーダーになることや、人より早くより高級高性能の新商品を手に入れることに夢中だった。特に注目すべきは、女性が口を挟む余地はほとんどなかったことです。女性の影響力は強くなっていましたが、たとえ自分用のオーディオでも「オーディオ機器は男のモノだから男性に相談しよう」と思う人が多かった。なぜでしょう。それはパラダイムが、音楽を愛する生活へのこだわりではなく、オーディオ機器へのこだわりでしかなかった、ということです。すべて<無意識のパラダイム>の呪縛です。

 そうした状態が、1979年ソニーの「ウォークマン」が登場し人気を博したあたりから変わりました。
 ウォークマン1号機「TPS−L2」は、「いつでもどこでも手軽に音楽を楽しむ」をコンセプトに1979年に発売された。以来「外に音楽を持ち出す」というライフスタイルの変革を起こし、そのコンセプトはCDやMDなどの新メディアに受け継がれ、今もなお市場を拡大し続けている。

 ウォークマンが登場するまでは、オーディオ音楽はどこかに座って聴くものだと誰もが思っていました。携帯ラジカセはあったものの、一般的に持ち歩きながら聴くことはなかった。それがウォークマンの登場で、会社や学校の行き帰りも自分のリスニングタイムにすることができるようになった(コトの画期的な意味)。さらに、ヘッドホンで聴く音楽は、まるで頭の中で鳴っているような従来にない感覚でした。歩きながらあるいは通勤電車の中で頭の中で音楽が鳴っていると、まるで映画の世界に舞い込んだような妙な気持ちになったものです。自分だけの世界に入れるという意味で自由で解放感に満ちた感覚でした(コトの個性的な感覚)。
 初代のウォークマンは、子供のお弁当箱くらいの大きさと重さがあって、肩からさげました。今のMDウォークマンに比べて比較にならないほど嵩張るものでした。それでも当時、ウォークマン以外では得られない快適な使用感が不都合を意識させなかった。生活者には、機器というモノのスペックの善し悪しではなく、新しいライフシーンというコトが何よりも魅力だったのです。そんなコトを実現する{携帯ヘッドホンステレオ}という点だけを人々は評価しました(モノの特徴的な機能)。従来のオーディオのオピニオンリーダーが蘊蓄を垂れていた、○○デシベル、○○ウーハーといったマニアックなスペックは、女性を含む新しい顧客たちにはまったく問題にされなかったのです。

 女性を含む新しいオーディオの顧客にとって、ウォークマンは、「携帯ヘッドホンステレオ」という「品種」ではなく、「日常的リラグゼーションツール」という「品態」なのでした。そのことは、それまでの高級高性能化路線が「非日常的なリスニング空間」を標榜していたことと対照的です。つまり、新しい顧客を創造する、新しい{機種ジャンル}の登場だったのです。
 じつはマツダの「ロードスター」と同様、ソニーも<送り手側のモノ提供の論理>で「ウォークマン」を{携帯可能な軽量小型の本格的なヘッドホンステレオ}として作ったそうです。しかし、世界の若者たちは<受け手側のコト実現の論理>でウォークマンに飛び付いた。マツダと決定的に違ったのは、ソニーが<受け手側のコト実現の論理>を客観的に理解して{商品開発のパラダイム転換}を世に先駆けて明快に遂行したことでした。
 ウォークマンを軽量小型化する過程で、特に女性に好感されるファッションアイテム化、若年層に好感されるガジェットアイテム化するデザイン戦略をとる。これは機能をパッケージングするだけの従来の男性に好感された工業デザインとは一線を画すものでした。この流れは、今日のサイバーショットやバイオといった象徴的ソニー「品態」の開発戦略とデザイン戦略に繋がっています。
 ソニーとマツダにみる{商品開発のパラダイム転換}戦略の採用不採用の違いは、バブル崩壊後の長引く平成不況の下、片や世界を代表する優良企業に成長し、片やフォードに吸収されるという企業の命運の違いに繋がっています。
 考え方の基本的な枠組み「パラダイム」、それも無意識のパラダイムをいかに意識化してそれを踏まえた戦略性を体質化できるかどうかは、企業にとってことほど左様に重大な分岐点になります。


 21世紀初頭の現在、情報家電業界に限ってみても、総合家電と呼ばれるメジャーな「品種」をラインアップしてきた大手メーカーが落ち込み、特定のライフシーンにフォーカスして新しい「品態」を次々に打ち出してはメジャー「品態」に育ててきたソニー、シャープ、カシオ、最近ではサンヨーといった個性派の大手メーカーが健闘しているのは、偶然ではないでしょう。 

 潜在ニーズという受け手の<無意識のパラダイム>、そして本来それに対応すべき自分たち送り手の<無意識のパラダイム>の両方を明快に意識化してその問題性に対処できるかどうかが、企業の経営戦略に決定的な影響を与えることは、明白です。

 

 

 

 

 

************************ 閑話休題************************


 「日本は男社会だから・・・」という言葉をかつてよく聞いた。今も聞くことがあり、まだそうなんだなあと思うときもある。しかし、いろいろな商品やサービスの動向をみていると、お客様志向イコール女性志向といえる実態が目につく。
 「生産は男社会、消費は女社会」ということだろうか。

 かつては「消費も男社会」だった。
 いつの頃から「消費は女社会」になったのか。

 若者のファッションに着目すると、オイルショックまでは「消費も男社会」だったことが分かる。アイビーやヤンキーは、男のファンションをそのガールフレンドが真似るという構造になっていた。

 それが1970年代後半、ニューファミリーがもてはやされた頃、若者たちの間で発生したテニスブームのテニスウエアそしてDCブランドブームはユニセックスを基調とした。男女両用のデザインを着るという構造になった。これは無意識下では、自分達が目指すニューファミリーのペアルックの予行演習みたいな位置づけだったのかも知れない。テニスは最も男女差の出ないスポーツであり、混合対戦が公式にある数少ないスポーツでもある。

 それが1980年代後半のバブル期には、若い女性は経済的に将来性のある「3高」の男を理想とし、ヤングアダルトから中年まで男は「3高志向」の女にうつつをぬかす女子大生ブームにはまっていった。それ以来、女性が好むブランドの男物を男が身に付けたり着るようになった。その傾向が低年齢化して今日に至る。アニエス・ベー・オム、そのオムとは男のことだし、最近の一般的な茶髪の普及も女性が先行して男性が追随している。



 「消費は女社会」は、どうも70年代の後半から80年代の前半にかけて、オイルショックのインパクトを切っ掛けに、最初は東京からはじまり徐々に地方都市に伝播していったようだ。オイルショックを転換点に、重厚長大から軽薄短小、猛烈からビューティフルへということが盛んに言われるようになったが、そのこととも符号している。

 これまで述べてきた80年代を中心に誕生してヒットした新しい「品態」のほとんどが、「消費は女社会」への転換を正確に捉え他に先駆けて対応するものであったことは、偶然ではないだろう。

 ここから得られる教訓は、今さら「男社会から女社会へ」ではない。
 私達が、これからメジャーに育っていくニッチな潜在需要を捉えるためには、今「いかなる社会からいかなる社会への転換の渦中にいるか」を、自分達をふくむ人々や社会の「無意識のパラダイムを意識化する課題」として洞察しなければならない、ということである。

 「モノづくりの独創」は、他に先駆けた技術から生まれる。
 一方、「コトづくりの独創」は、他に先駆けた洞察からしか生まれない。

 

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