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********************** 閑話休題(1)*********************
誰もが何かについての「一次情報源」になりたくなり始めた
バブル以前の豊熟消費期にも、堅実生活期のダイナミズムが予兆として見ら
れた。
その一つは、趣味やスポーツに本格的にハマルという個々人の経験である。
サーフィンを例にすれば、渋谷の公園通りをサーフィンを積んだ車でこれ見よ
がし徘徊したかつての「丘サーファー」は、<自我(承認)の欲求>を満たそ
うとしていた。これはまさに豊熟消費期のパターンである。
しかし、サーフィンに本格的にハマッテしまった人々もいた。プロを目指し
たり、湘南に引っ越したりしたような人々は、<自己実現の欲求>に従ったわ
けだ。彼らの中から、プロのサーファーやサーフィンショップの経営者といっ
た「一次情報源」(生活創造者やビジネス創造者)になる者が出てくる。
主婦の趣味や料理でも、お仲間がやってるからと周りに追随してやる人々は、
<親和(帰属)の欲求>を満たしている。しかし、趣味が講じて先生になって
しまった人は<自己実現の欲求>に従ったわけだ。自分流の料理好きが高じて
プロの料理研究家になった人は、「一次情報源」であり続けている内に生活創
造者からビジネス創造者になってしまったということだ。
スキューバダイビング、スカイトレーやハングライダーなどの新スポーツは、
ゴルフやテニスと違って、「みんながやっているから遅れまい」とやったり
「お付き合いではじめた」なんてことはほとんどない。
たいてい友人や知人がやっていてとか、たまたま訪れた所でやっていてとい
う{機会の情報}に遭遇してハマッタのである。ハマルとは、面白さ楽しさの
中で{好ましい自分らしさ}を味わってしまいそれを止めるわけにはいかなく
なることだ。
バブルに至る1980年代前半、「一億総中流意識」が蔓延しつつ「大衆か
ら小衆へ」とか「大衆から分衆へ」といった人々の捉え方が説かれた。人々の
「個性化」や「多様化」ということが強調されるようになった。
マズローの欲求段階説に従えば、小衆や分衆への個性化多様化の土壌には、
さまざまな生活分野で
第三段階<親和(帰属)の欲求>や第四段階<自我(承認)の欲求>を卒業
し、
第五段階<自己実現の欲求>に達する人々が出始めたことがあった。
これはある程度の豊かさが大衆化したことではじめて可能となる状況である。
この時点をもって、日本が世界の先進国入りをしたと言えるのではないか。
********************** 閑話休題(2)*********************
長引く平成不況の中、なぜ空前のブランドブームが?
戦後日本は、経済至上主義の大号令の下、上昇志向を全国津々浦々に浸透さ
せ、誰もに東京を目指させる情報構造を定着させた。また、マイホームをもち
車や家電を揃えることを画一的な目標とさせる消費構造を構築した。
このために「自由と自足」、つまり「自らを由として自らで足りる」ことが
できない人間と地域社会と地方とを、全国に量産してしまった。これほどまで
に、何もかもが中央集権になった国は世界で唯一なのではないか。
しかし、一億総中流といっていたのが、バブル崩壊後の平成不況をへて、露
骨なまでに所得層が一部の勝ち組と残るほとんどの負け組に上下二分化した。
このことは、経済統計など一度も見たことのない女子高生だってテレビや雑誌
を眺めていれば分かる。
日本および日本人は、これまで経済至上主義の上昇志向できたために、所得
や所有物にしか自尊心の拠り所を持てない人がほとんどである。当然、彼らの
ほとんどは勝組ではないのだから、嫉妬と不満と不安をかこつことになった。
勝ち組だって上をみればきりがないし、勝ち残りつづけるためにはより多くの
ストレスを甘受しなければならないのだ。
若い女性が、街行く同年代の者がこれ見よがしにブランド物を持ち歩いてい
ると思い込んで、馬鹿にされまいとのコンプレックスから無理をしてでもロー
ンで買う、そしてこれ見よがしにブランド物をもち歩く。すると同様の現象が
伝染して行く。被害者意識やコンプレックスの程度は人それぞれだが、自分も
一つくらいはブランド物をもっていた方が何かの時に恥をかかなくていい、と
思うくらいの感情はしごく一般的だ。
それがこの不況下に、ブランド物だけは隆盛を誇ってきた異常現象の仕組み
である。
極端な話だが、彼女たちの中には、ブランド物を貢ぐ複数のカレシに二股を
かける者や、ブランド物を買うために風俗で働く者までいる。逸脱者はいつの
世にもどこにもいるが、ブランド物がほしいために、という動機に現代日本の
特異性を見ることができよう。
これは彼女たちの親が競ってマイホームを買って世間体を保ったり、教育マ
マが子供を有名校に入れて自分のコンプレックスを晴らそうとしたことの、め
ぐる因果でもある。
これまた極端な話だが、テレビ番組で、リストラされた亭主と離婚した母親
が娘が風俗の仕事をするのを容認して、家で彼女の世話をする専業主婦をしつ
つ住宅ローンの返済をしているドキュメンタリーを見た。娘は嫌がりもせずに
母親との暮らしを守るためと気丈に言って頑張っていた。
しかし、彼女が守っているのは暮らしの容れ物である住宅の所有権であって、
暮らしでもなければその容れ物でもない。無論、住宅が担保割れしていて、売っ
ても借金だけが残るので、借家で借金返済だけの日々を送るよりは、家に住み
続けてローンを払う選択をしたということかも知れない。いずれにせよ、彼女
が守っているのは、母親の気持ちなのではないか。自分一人ならば借家の借金
返済生活でもいいが、母親を悲しませたくはない。それが彼女の本音のように
思えてならない。母親の悲しい顔を見せつけられるよりは、風俗で働く方がま
しだと感じさせる何かがあるのだろう。
男である私は、女の気持ちが分からないが、女同士ならばしかも親子であれ
ば手に取るように分かるに違いない。亭主に依存していた母親がいて、亭主に
依存できなくなったら娘に依存している。そして住宅の所有権の名義は母親の
ままなのだ。
母原病でもあり、自立できない女性の問題でもあるが、そこに戦後日本のモ
ノの人並みへの執着が絡むことで、日本に特異な展開になっている。
平成不況下のブランド物の空前のブームは、それよりも10年前のバブルに
至る時期のブームとは違って、母親の世代と娘の世代を同時に巻き込んでいる
ことが特徴である。その分、市場規模が大きいのだ。
バブルに向かう時期に結婚し後にその崩壊にあった母の世代は「こんな筈で
はなかった」と嘆いただろう。幼心がついた時にはすでに平成不況であった娘
の世代は、そんな母の嘆きをみながら大人になって「今が楽しければよいのだ」
と先々の何かを諦めたに違いない。
ブランド物を持つことで、母と娘がともに嘆きを晴らし諦めを忘れることが
できているのだとすれば、それは持ち家を筆頭とするモノの人並みへのこだわ
りしか持てない人たちの最後の徒花なのかも知れない。
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