第五章 コンセプトの情報化と具現化

 

  価値形成ダイナミズムの変遷



 
「情報の領域」について



 あらゆる価値は「情報」として伝えられる。つまり「情報化」しなければ伝えることができません。
 そして「情報」には、その性質によって異なる領域があります。
 異なる領域の「情報」がダイナミズム(力学)をもって相互に影響しあいながら、社会全体にパラダイム(考え方の基本的枠組)を定着させていきます。

 世間では、一般に「情報」というと、知っているか知らないか、あるいは理解しているか理解していないかだけが問われがちです。
 しかし、ある人がある「情報」を知る知らない、理解する理解しないに関わらず、社会に<無意識のパラダイム>が定着しいていくことで、その「情報」に一見無関係な人さえも深い影響を被ることになります。
 身近な例をあげれば、メールや携帯電話の普及によって、従来通りに固定電話を使っているお年寄りは、離れた子供の家族から以前とは異なる電話の掛けられ方をしていたり、以前のようには手紙をもらわなくなった筈です。

 この章では、社会全体のパラダイムの変遷を、誰もが常識として知る戦後の日本人全体が体験した事実に照らしながら明らかにして行きます。

 

 「情報」とは、知識を蓄積したり伝達したり、加工したり編集したりできるような形にしたものです。しかし、こうした概念規定は「情報」を{モノとして機能論で捉える}一つの捉え方に過ぎません。確かに、たとえばコピー紙の消費量の推移とかインターネット上のトラフィックの状況といった「情報」現象の定量的な実態を知るにはこの捉え方で構いません。
 しかし、「情報」作用や「情報」効果という定性的な実態を分析するためには、{コトとして意味論で捉える}ことが必要不可欠です。
 具体的に「情報」の領域を分析しながら、そのことを提示していきましょう。

 

 まず「情報」は、その伝達の目的(what for)によって、2つに分類されます。
 それは、「知識啓蒙情報」「行動誘導情報」です。
 前者は、知識を啓蒙することを目的とした{静態的}な、つまり止っている情報であります。
 後者は、行動を誘導することを目的とした{動態的}な、つまり動きのある情報であります。
 もちろん前者の知識を啓蒙する情報も、最終的には対象の行動を誘導する目的をもっていることが多い。しかし厳密に分析すると、ある段階まではもっぱら知識を啓蒙する静態的情報であって、ある段階から、その知識をベースにした行動を誘導する動態的情報に引き継がれています。
 たとえば、店員は客にまず商品を解説し(知識啓蒙情報)、その後「今だとお買い得ですよ」と購入をすすめる(行動誘導情報)という展開です。


 さらに「情報」は、何についての情報なのか(what about)によって、2つに分類されます。
 それは、モノについてを内容とする「モノの情報」と、コトについてを内容とする「コトの情報」です。
 もちろん後者の場合、生活や仕事といったコトのテーマのもとでモノが語られることがあります。しかし、内容の重点がモノそのものではなくて、モノによって可能となる生活や仕事である場合、それはコトを内容とする情報と考えるべきです。

 以上の事実から、概念図55に示すように、「情報」にはその性質や作用によって、

A =「モノについての知識啓蒙」の情報
B =「モノについての行動誘導」の情報
C =「コトについての知識啓蒙」の情報
D =「コトについての行動誘導」の情報


の4つの異なる「情報の領域」があることが確認されます。

 

 

 

 
A =「モノについての知識啓蒙」情報は、

 商品そのモノやパンフレットにある商品解説の情報です。
 モノを作るメーカーが主導権を握る領域です。
 ここでは、いわゆるハードばかりでなく、パソコンのソフトウエアのようなソフトも生活や仕事の道具としてモノと捉えます。
 よってメーカーにはソフトメーカーも含まれます。

B =「モノについての行動誘導」情報は、

 商品購入という行動を誘導する販売促進情報です。
 モノを売る小売りが主導権を握る領域です。
 自動車メーカーの販売部門やディーラーは小売りに準ずるものと捉えます。

C =「コトについての知識啓蒙」情報は、

 いま流行っている生活や儲かっているビジネスの内容を報告する情報です。
 テレビや新聞、生活情報誌やビジネス情報誌といったコンテンツメディアが主導権を握る領域です。
 ここで「コンテンツメディア」とは、取材して編集した内容の対価としてもらう情報料と掲載する広告の広告料によって成立する媒体のことです。

D =「コトについての行動誘導」情報は、

 受信者が生活やビジネスを創造していくための機会の情報です。
 雑誌で言えば就職情報誌やアルバイトマガジン、アパートマンション情報誌、ぴあやケイコとまなぶ、じゃまーるに掲載されている情報です。そしてテレビや新聞におけるイベントや展示会などの開催情報です。
 特定テーマにおいて、人を求める発信者(たとえば求人企業)と機会を求める受信者(たとえば求職希望者)を繋ぐ情報交流の媒体のことを「マッチングメディア」と呼ぶことにします。「コンテンツメディア」と峻別するためです。
 「マッチングメディア」は、マッチングの対価として求人主や売り主貸主からもらう情報掲載料と、読者からもらう情報提供料とによって成立する媒体のことです。
 情報を媒介するだけであって、「コンテンツメディア」のように情報的に主導権をもつわけではありません。
 新しい生活や仕事を実践した「一次情報源」である生活者やビジネスマン(これを「生活創造者」「ビジネス創造者」と呼んで追って解説します)が、情報的に主導権を握る領域です。

 各種テーマの個人やサークルの活動についてのいわゆる「口コミ情報」も、たいていの場合、聞き手が新しい生活やビジネスを創造する機会の情報として展開しています。

 バブル崩壊後、雑誌の売上不振が言われますが、コンテンツメディア系の雑誌の競争とはやり廃りの激しさに比べて、あるテーマ分野で優位を築いたマッチングメディア系の雑誌は安定しています。リクルートの出版事業そして情報事業はこのマッチングメディア系に重心を置く戦略で成功してきたと言えます。

 

 

 

 

 


価値形成ダイナミズムの変遷



「高度成長期」の価値形成ダイナミズム

 昭和20年代の戦後復興期を終えた昭和30年からオイルショックまでの「高度成長期」は、現在と比較して、社会にはまだまだモノが乏しかった。電気洗濯機、電気掃除機、電気冷蔵庫が「三種の神器」と呼ばれた。またカラーテレビ、クーラー、カーが「3C (新三種の神器)」と呼ばれた。こうしたことに象徴されるように、人々はモノを買い揃えることで、{人並み}の生活を確保しようとしました。
 製品そのモノが新しい電化生活の情報であり、購入を促進する情報でした。そしてモノを買うことが、イコール新しい電化生活をはじめる機会となりました。

 つまり、概念図56に示すように、
 A =「モノについての知識啓蒙」情報である商品解説情報がそのまま、
 B =「モノについての行動誘導」情報である販売促進情報、
 そしてC =「コトについての知識啓蒙」情報である生活報告情報、
 さらにはD =「コトについての行動誘導」情報である生活創造情報に
 直結していた訳です。
 モノを作るメーカーが、社会における価値形成の主導権をもった時期でありました。

 (「マズローの欲求の発展段階説」に従えば、
   戦後復興期に第一段階「生存の欲求」と第二段階「安全の欲求」を満たした
   日本人が、高度成長期に第三段階「親和(帰属)の欲求」を抱くにいたった
   と解釈できる。
   みんと同じ家電製品を買い揃えることで{人並み}の中流に帰属することに、
   日本人全体が躍起になっていたからです。)


「豊熟消費期」の価値形成ダイナミズム

 オイルショック(1973年)を境に、人々の価値観には、モノそのものの価値ではなくて、モノに付加されたソフトな価値を求めるという変化が生じてきます。
 「アンアン」(1970年)「ノンノ」(1971年)といった生活情報誌が創刊され定着していく。やがて舶来高級品ブーム、DCブランドブーム、高級レストランを食べ歩くグルメブームなどが定着していく。それはバブル期における海外買い物ツアーや高級外車のブームにまで行き着きます。
 バブル崩壊までの「豊熟消費期」は、商品が消費されたと言うよりも、商品に付加された社会的評価という情報性や記号性が消費されたと言えます。
 消費生活の情報性や記号性を広告や店舗開発に巧みに取り入れた西武百貨店や丸井などの小売りや、テレビCMや店鋪演出を不可欠の販促媒体とする製造直売である資生堂やDCアパレル等の小売り系セクターと、それら商品を買って使う生活の素晴らしさを魅力的に報告する生活情報誌やモノ雑誌を筆頭とするコンテンツメディア系セクターとが、相互に連携しながら、社会における価値形成の主導権をもちました。
 両者の連携は、小売りが記号を陳列し、コンテンツメディアがその意味づけをする、というものです。
 マンションやリゾートなどの不動産の製造直売にあたるディベロッパーやそれに準じた活動を自ら行ったゼネコン等のセクターが、金融緩和政策や民活政策やリゾート法といういわば国による販売促進情報を背景に、バブル期に向けて活発な事業展開をしました。ここでも情報的に、住宅やリゾートに関する生活情報誌等のコンテンツメディアのセクターとの相互連携があり、それは基本的に前述した一般消費財と同じダイナミズムでありました。
 株のいわば小売りセクターである証券会社と、バブル当時主婦までがみたという財テクのテレビ番組や雑誌のコンテンツメディアとの情報的な相互連携も、同様です。

 つまり概念図56に示すように、
 B =「モノについての行動誘導」情報である販売促進情報と、
 C =「コトについての知識啓蒙」情報である生活報告情報との相互連携が
社会における価値形成の主導権をもって、
 A =「モノについての知識啓蒙」情報のメーカーのセクターと
 D =「コトについての行動誘導」情報の生活創造者やビジネス創造者を
コントロールしたのでした。

 (新しい情報にアンテナをはっていてすぐに飛びつく人のことが「高感度人間」と
  呼ばれ、いわば「買物リーダー」「蘊蓄リーダー」として評価された。
  メーカーの商品やコンテンツメディアの情報誌の多くは、この「高感度人間」を
  ターゲットに発売され発刊された。

  マズローの欲求の発展段階説に従えば、
  豊熟消費期は、日本人全体が第四段階「自我(承認)の欲求」を抱くに至った
  時期と解釈できます。)


「堅実生活期」の価値形成ダイナミズム

 バブルの崩壊とそれに続く平成不況を境に、人々は自分の生活の足下を堅実に見据える視点をもつようになった。「堅実生活期」の始まりです。
 自分らしい生活を見極めて、そのために必要なモノは買うが、そうでないモノには見向きもしない。借りて済ませられるモノは買わない。モノに付加されるソフトな価値も冷静に見抜き、情報コンテンツを含めて自己実現に無関係なモノや、自己実現を妨げるような買い方を避けるようになりました。
 典型的には、若年層における持ち家志向の後退、そして中古品敬遠の減少が注目されます。いまや家を持つことは夢ではなく、リサイクル商品を活用するのはむしろ賢く、楽しいあるいはカッコイイことになりました。
 日本人のマイホームの夢が住宅価格が下がっても後退するということは、
 日本人が家という{モノの人並み}ではなく、
 暮らしという{コトの自分らしさ}に、
こだわりの重点を移行させたことを意味しています。
 車や家電製品において、自分の生活にとって過剰な機能や性能は、敬遠される。これまで画一的な高級化と高性能化を追求してきたメーカーの商品開発姿勢は転換を求められました。
 さらに、中古品を敬遠する傾向の減少は、レンタルを歓迎する傾向の拡大につながる。子供の世代は、バブルにかけて家をはじめモノを買い込んできた親の世代の空しさを見抜き、それが長引く不況において大きな足枷になる現実を冷静にみたのでしょう。結果、本格的なモノ離れの価値観をもつに至っています。彼らは、ビデオから車、アパートに至るすべてのレンタルを、自分らしい生活を自由に維持するコトとして、肯定的に受け止めている。つまり、親の世代のように、家や車に代表される{人並み}のモノを自分もいずれ買って所有することを、必ずしも目標にしないようになりました。

 人々は、メーカーや小売りによる販売促進情報、つまり購買誘導に乗せられない。もはや、自分が{消費者}であることに喜びを見い出すよりも、自分らしい暮らしを実現する{生活者}であることに喜びを見い出す傾向を強めています。それは、精神的な満足や安定を消費に頼らない生活、そして生活の中心に消費を置かない人生観につながっている。この価値観は、21世紀により深化し、社会の基調となっていくでしょう。
 「堅実生活期」の当初、90年代前半、バブル崩壊後の不況突入期、各種のディスカウンターが刺激的な低価格政策を推し進め「価格破壊」が声高に叫ばれました。しかし、21世紀初頭の現在、生活者は当時を振り返って、日本の価格水準が正常化しただけのことだと冷静に受けとめています。人々はこの「空白の10年」と呼ばれた10年を経て、いくら安くてもムダなモノは一切買わないという姿勢をもちました。
 (逆に、自分らしい毎日をおくるために必要と感じるモノはいくら高くても買うという現象が見られます。欧州高級ブランドの激しい直営店日本進出攻勢を招くほどの空前のブランドブームはその一つの典型です。これについては、バブル期のブランドブームの違いを解説すべく、<閑話休題>で触れたいと思います。)

 「堅実生活期」では、社会における価値形成の主導権は、特定の生活テーマで主体的な生活実現を図る「生活者創造者」(追って解説)が握るものとなりました。
 たとえば、スノーボードが若者にブームとなり定着していきましたが、それはスノーボードをメーカーが作ったからでもなければ小売りが売ったからでもありません。事の始まりは生活情報誌が掲載したからでもありません。
 まず主体性のある創造的な生活者がいて、彼らがスノーボードを自分らしい暮らしを実現する自分流のスポーツライフとして実践したのです。それが{機会の情報}として口コミで広がり同好の士が集まっていった。スケートボードの場合、スポーツ系のコンテンツメディアや小売りやメーカーの方がそうした動向を後追いして、取材したり品揃えしたり自社ブランドを生産するようになったのです。

 つまり概念図56に示すように、
 D =「コトについての行動誘導」情報の生活創造者やビジネス創造者の一次情報が、
 C =「コトについての知識啓蒙」情報である生活報告情報としてコンテンツメディアに取り上げられる。
 B =「モノについての行動誘導」情報である販売促進情報を、話題や人気の拡大をみてとった小売りが品揃えをして発信する。
 A =「モノについての知識啓蒙」情報である商品そのモノと商品解説情報は、メーカーが以上の動向からマーケットの拡大を予測してはじめて生産して発信する。
情報的にはこうしたダイナミズムが働くようになりました。

 (マズローの欲求の発展段階説に従えば、
  堅実生活期は、日本人全体が第五段階「自己実現の欲求」を抱くに至った
  時期と解釈できます。)

 

 

 

 

 

********************** 閑話休題(1)*********************



    誰もが何かについての「一次情報源」になりたくなり始めた

 バブル以前の豊熟消費期にも、堅実生活期のダイナミズムが予兆として見ら
れた。
 その一つは、趣味やスポーツに本格的にハマルという個々人の経験である。
サーフィンを例にすれば、渋谷の公園通りをサーフィンを積んだ車でこれ見よ
がし徘徊したかつての「丘サーファー」は、<自我(承認)の欲求>を満たそ
うとしていた。これはまさに豊熟消費期のパターンである。
 しかし、サーフィンに本格的にハマッテしまった人々もいた。プロを目指し
たり、湘南に引っ越したりしたような人々は、<自己実現の欲求>に従ったわ
けだ。彼らの中から、プロのサーファーやサーフィンショップの経営者といっ
た「一次情報源」(生活創造者やビジネス創造者)になる者が出てくる。

 主婦の趣味や料理でも、お仲間がやってるからと周りに追随してやる人々は、
<親和(帰属)の欲求>を満たしている。しかし、趣味が講じて先生になって
しまった人は<自己実現の欲求>に従ったわけだ。自分流の料理好きが高じて
プロの料理研究家になった人は、「一次情報源」であり続けている内に生活創
造者からビジネス創造者になってしまったということだ。

 スキューバダイビング、スカイトレーやハングライダーなどの新スポーツは、
ゴルフやテニスと違って、「みんながやっているから遅れまい」とやったり
「お付き合いではじめた」なんてことはほとんどない。
 たいてい友人や知人がやっていてとか、たまたま訪れた所でやっていてとい
う{機会の情報}に遭遇してハマッタのである。ハマルとは、面白さ楽しさの
中で{好ましい自分らしさ}を味わってしまいそれを止めるわけにはいかなく
なることだ。

 バブルに至る1980年代前半、「一億総中流意識」が蔓延しつつ「大衆か
ら小衆へ」とか「大衆から分衆へ」といった人々の捉え方が説かれた。人々の
「個性化」や「多様化」ということが強調されるようになった。
 マズローの欲求段階説に従えば、小衆や分衆への個性化多様化の土壌には、
さまざまな生活分野で
 第三段階<親和(帰属)の欲求>や第四段階<自我(承認)の欲求>を卒業
し、
 第五段階<自己実現の欲求>に達する人々が出始めたことがあった。
 これはある程度の豊かさが大衆化したことではじめて可能となる状況である。
 この時点をもって、日本が世界の先進国入りをしたと言えるのではないか。

 

 

********************** 閑話休題(2)*********************



     長引く平成不況の中、なぜ空前のブランドブームが?


 戦後日本は、経済至上主義の大号令の下、上昇志向を全国津々浦々に浸透さ
せ、誰もに東京を目指させる情報構造を定着させた。また、マイホームをもち
車や家電を揃えることを画一的な目標とさせる消費構造を構築した。
 このために「自由と自足」、つまり「自らを由として自らで足りる」ことが
できない人間と地域社会と地方とを、全国に量産してしまった。これほどまで
に、何もかもが中央集権になった国は世界で唯一なのではないか。

 しかし、一億総中流といっていたのが、バブル崩壊後の平成不況をへて、露
骨なまでに所得層が一部の勝ち組と残るほとんどの負け組に上下二分化した。
このことは、経済統計など一度も見たことのない女子高生だってテレビや雑誌
を眺めていれば分かる。
 日本および日本人は、これまで経済至上主義の上昇志向できたために、所得
や所有物にしか自尊心の拠り所を持てない人がほとんどである。当然、彼らの
ほとんどは勝組ではないのだから、嫉妬と不満と不安をかこつことになった。
勝ち組だって上をみればきりがないし、勝ち残りつづけるためにはより多くの
ストレスを甘受しなければならないのだ。

 若い女性が、街行く同年代の者がこれ見よがしにブランド物を持ち歩いてい
ると思い込んで、馬鹿にされまいとのコンプレックスから無理をしてでもロー
ンで買う、そしてこれ見よがしにブランド物をもち歩く。すると同様の現象が
伝染して行く。被害者意識やコンプレックスの程度は人それぞれだが、自分も
一つくらいはブランド物をもっていた方が何かの時に恥をかかなくていい、と
思うくらいの感情はしごく一般的だ。
 それがこの不況下に、ブランド物だけは隆盛を誇ってきた異常現象の仕組み
である。

 極端な話だが、彼女たちの中には、ブランド物を貢ぐ複数のカレシに二股を
かける者や、ブランド物を買うために風俗で働く者までいる。逸脱者はいつの
世にもどこにもいるが、ブランド物がほしいために、という動機に現代日本の
特異性を見ることができよう。
 これは彼女たちの親が競ってマイホームを買って世間体を保ったり、教育マ
マが子供を有名校に入れて自分のコンプレックスを晴らそうとしたことの、め
ぐる因果でもある。
 
 これまた極端な話だが、テレビ番組で、リストラされた亭主と離婚した母親
が娘が風俗の仕事をするのを容認して、家で彼女の世話をする専業主婦をしつ
つ住宅ローンの返済をしているドキュメンタリーを見た。娘は嫌がりもせずに
母親との暮らしを守るためと気丈に言って頑張っていた。
 しかし、彼女が守っているのは暮らしの容れ物である住宅の所有権であって、
暮らしでもなければその容れ物でもない。無論、住宅が担保割れしていて、売っ
ても借金だけが残るので、借家で借金返済だけの日々を送るよりは、家に住み
続けてローンを払う選択をしたということかも知れない。いずれにせよ、彼女
が守っているのは、母親の気持ちなのではないか。自分一人ならば借家の借金
返済生活でもいいが、母親を悲しませたくはない。それが彼女の本音のように
思えてならない。母親の悲しい顔を見せつけられるよりは、風俗で働く方がま
しだと感じさせる何かがあるのだろう。
 男である私は、女の気持ちが分からないが、女同士ならばしかも親子であれ
ば手に取るように分かるに違いない。亭主に依存していた母親がいて、亭主に
依存できなくなったら娘に依存している。そして住宅の所有権の名義は母親の
ままなのだ。
 母原病でもあり、自立できない女性の問題でもあるが、そこに戦後日本のモ
ノの人並みへの執着が絡むことで、日本に特異な展開になっている。

 平成不況下のブランド物の空前のブームは、それよりも10年前のバブルに
至る時期のブームとは違って、母親の世代と娘の世代を同時に巻き込んでいる
ことが特徴である。その分、市場規模が大きいのだ。
 バブルに向かう時期に結婚し後にその崩壊にあった母の世代は「こんな筈で
はなかった」と嘆いただろう。幼心がついた時にはすでに平成不況であった娘
の世代は、そんな母の嘆きをみながら大人になって「今が楽しければよいのだ」
と先々の何かを諦めたに違いない。
 ブランド物を持つことで、母と娘がともに嘆きを晴らし諦めを忘れることが
できているのだとすれば、それは持ち家を筆頭とするモノの人並みへのこだわ
りしか持てない人たちの最後の徒花なのかも知れない。

 

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