おわりに

 

 私たちは、政治や経済だけでなく生活文化においても、これまでの考え方の限界と、これまでのやり方の行き詰まりに直面しています。
 様々な危機的状況が迫る場合、ともすると人間は「公」を意識するよりもエゴを優先し、共通の利害によって、自分の所属する受益者集団だけを肥え太らせてしまう傾向をもちます。そして、それが極限にまで達したとき、すべての過ちや滅びは起こると歴史は教えています。

 受益者集団とは、政治経済的なものだけではありません。
 テレビの視聴者や商品の消費者である私たちは、生活文化的な受益者集団です。
 すでに私たちは、テレビ番組で笑わせてもらえれば良いという受益者集団の一員になってはいないでしょうか?
 お店で得さえできれば、商品が便利であればそれで良いという受益者集団の一員になってはいないでしょうか?
 そして、笑う集団や得する集団、便利を求める集団だけを肥え太らせてしまっては
いないでしょうか?

 私たち一人一人が真剣に「市民」として目覚めて、それぞれの立場で仕事や暮らしに臨むようになれば、個人や企業そして国家はみな、本当の自分らしさやアイデンティティ、つまりは独自の存在理由というものを問わざるをえなくなります。
 自分という個人は、どのような独自の存在として存在すべきなのだろうか?
 わが社という企業は、どのような独自の存在として存在すべきなのだろうか?
 わが地方わが地域社会というコミュニティは、どのような独自の存在として存在すべきなのだろうか?
 日本という国家は、どのような独自の存在として存在すべきなのだろうか?
 これらはすべて、可能性を含めた自分らしさへの問いかけです。私たちは、自らの個性を問いかけることで、はじめて、自分が担える最も有意義な課題を創造していくことができます。それは、自己の他者との単なる差別化や競争ではありません。むしろ有意義な互恵関係という共存や共生の可能性を探ることです。

 すべての「ヴィジョン」は、最も有意義な課題を達成するものでなければ意味がありません。独自の存在理由を問わない個人や企業、そして地域社会や国家がただ生き永らえるだけのための課題からは、「ヴィジョン」などという高尚なものを導くことはできません。単なる闇雲なサバイバルゲームの目標だけが、引き出されるだけです。
 
 長引く平成不況のもと、政府も企業も個人も、不況脱出や経済再建を最優先課題にしています。しかし、私たちにとって最も根源的な問題は、じつは私たちが「たとえ不況になっても安心と希望を失わない社会」を築いてこなければならなかったのに、そうしてこなかったということに他なりません。この問題を抜本的に解決することこそ、私たちが最優先すべき課題ではないでしょうか。
 このパラダイム(考え方の基本的枠組み)に則れば、経済再建とは、財政赤字を減らして消費支出を増やし経済成長率を高める機能論、つまり手段論である以前に、どのような経済社会を理想として追求すべきかという意味論、つまり目的論こそを、落ち着いて議論しなければなりません。
 お上の公共事業を排して民間にゆだねる際にも、営利追求型の一般企業だけでなく公益追求型民間事業をいかに育てていくかが、まず議論されてしかるべきです。民間の営利追求型事業と公益追求型事業がいかに役割分担しいかに協力して共存共栄するかが、検討されてしかるべきです。
 私たちの生活文化の根底をなしている環境、福祉、人権などのテーマを深くそして広く検討していけば、「利益追求型経済」ばかりの現状に対して「互恵実現型経済」を拡大していくべしというパラダイムの大転換は、公的な事業に限らず、すべての企業活動の様々な局面に反映してこざるを得ません。

 
 正念場といわれる日本経済ですが、いわゆる9.11以来、世界経済が正念場を迎えつつあります。私たちは、日本という枠組みでこれまでの延長で「闇雲に頑張る」のではなく、まず一息いれて人間や社会の「無理のない自然体」という理想状態を想い起こして、その具体化を世界と未来に向けて創意工夫する「コンセプトワーク」をするべきでしょう。

 今日、日本社会の様々な閉塞状況を前にその早期解決が望まれていますが、私たちは不用意に日本政府による応急処置の乱発を期待するべきではありません。
 私たち一人一人が市民としての克己心と明朗快活な「人となり」をもって、それぞれの立場や役割において「コンセプトワーク」を発揮し交流させることで、ゆっくりだが着実に問題の根源である「無意識のパラダイム」を意識化して転換していけるのだと考えます。

 私たち一人一人が、それぞれの立場や役割において、「少しでも社会をより良い状態にするためにできること」を心掛けていく。そうすれば、その成果よりもむしろその姿勢がお互いの共感と信頼を生んでいく。まずそのことが、大切な第一歩なのではないでしょうか。

 私の用語法では、「コンセプト」とは、パラダイム転換を図るための戦略的な概念体系のことです。よって、「コンセプト」はプランやヴィジョンといった構想の骨子であり、よくできているに越したことはありません。しかしそれ以上に、自分で自分自身を尊敬できるような態度能力(人となり)を発揮して理想を追求していく姿勢こそが大切な必要条件です。その姿勢にこそ人は共鳴してくれます。その姿勢と求める方向性が立派で魅力的であれば、共鳴する人々が構想を完全なものにすることに喜んで協力してくれるでしょう。
 会社や役所の同僚やコラボレーションのパートナーといった商品やサービスの送り手側の協力者だけではありません。受け手側の生活者や地域社会の人々も主体的に「コンセプト」を受け入れて積極的にパラダイムの転換に協力してくれるでしょう。

 「コンセプト」は全体像が分かりやすく魅力的でなければならない(象徴性)。
 対象の主体的な思考と行動を自然と誘発するものでなければならない(起動性)。
 そうでないとパラダイム転換はけっして起こりません。
 パラダイム転換は、送り手側の専門家の難解な論理の押し付けでは実現しない。受け手側自らの主体的な理解と自発的な参画によってしか実現しないからです。
 そして、私の用語法でのこの「象徴性と起動性」は、コンセプトワーカーの「熱意に裏打ちされた態度能力」によってのみ創造され伝播されるものです。

 コンセプトワーカーとは、現実の問題の根源である「無意識のパラダイム」を意識化し「理想のパラダイム」への転換を図る者のことであると私は捉えます。

 そして、なるべく多くの方々にそれぞれのお立場で魅力ある「コンセプトワーカー」になって戴くことこそが、「公」をより良いものにしていく最も着実な一番の近道であると信じます。/