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名古屋と周辺の街:03年2月
母の生家が岐阜にある。両親が亡くなったこの機会に、お礼の挨拶回りをかねて行った。ついでに、名古屋の街と周辺の岐阜、大垣、豊橋を歩いてみた。ぼくの仮説は、「人の空間認知は左右対称ではなく、左と右で意味づけが異なる。それは絵画にも現れるし、座席の位置にも現れる。また、個々人の行動の集積としての街における建物や機能の配置にも現れる。したがって、街には主たる人の流れの方向があるが、その左方向に癒しの空間としての歓楽街ができやすい。また、流れに沿って、あるいは、流れの右方向に街での正統的な機能が配置されやすい」というものである。
名古屋には何回か行ったことはあったが、街をじっくり見たことはなかった。中心街は駅前ではなく栄町の方だということは、あらかじめ知ってはいた。しかし、栄町に行ったことはないので感覚的には分からなかった。新幹線で名古屋に着いて、まず駅前を見た。駅前が中心街ではないとはいえ、215万人の市である。それなりの繁華街になっているはずである。見てまわって、たしかに立派な建物はあるし、繁華街も少しある。しかし、200万都市の駅前としては少し寂しい。また、建物配置もぼくの理論とは違っていた。道路のあり方が問題かとも思ったが、一番影響しているのは、地下街が主たる人の流れになっていることだろう。地下街にスナックなどは配置できない。とにかく、ここは中心街ではないので、あれこれ考える必要はないだろう。
(出典:Super Mapple Digital Ver.2)
栄町の方に行ってみようと思い、駅前通りである桜通を歩き始めた。名古屋の通りは幅が広くて立派である。終戦直後、反対を押し切って拡幅工事をしたと聞いている。桜橋を渡り、丸の内に出た。桜通と直交して伏見通(国道19号線)がある。その北の方向に名古屋城がある。「丸の内」というからには、伏見通に面して正門があったはずだ。ということは、繁華街である栄町はその反対の南方向か。駅前周辺を1時間以上も歩いていたので、かなり疲れていた。その上、広い通りを歩くのは疲れる。でも久屋大通に向かってさらに歩いた。本町通、七間町通を過ぎて呉服町通に来た。3時半を過ぎていた。昼も食べていない。腹が空いて倒れそうだ。どこでもいいから入りたい。とにかく呉服町通を右(南)に折れて、栄町とおぼしき方に向かった。すると、すぐにヘルスの看板が目に入った。ここにも、あすこにも。おいおい、ここが場末かよ。こんな明るい場末があるのか! ここが場末だとすると、栄町はこの左手方向にあるのか。とにかく喰いたい。適当な食べ物や! 見つかるのは、スナックとか居酒屋。そうこうしているうちに広小路に出てしまった。三越がある。丸栄というデパートがある。丸栄? 知らないな。二流のデパートか。それでもいい。とにかく上層階に飲食店があるはず。
煮込みうどんの山本屋に入った。4時だった。だれも客はいなかった。花粉症でやたらにくしゃみが出始めた。やっとくしゃみが止むと、エネルギーを使ったのか、汗が噴き出して止まらなかった。店員がおしぼりをさらに2つ余分に持ってきてくれた。
(出典:名古屋観光コンベンションビューロー『チャット見ナゴヤ』)
一息ついて、三越前の大津通を大須に向かって歩き始めた。ここの通りは名古屋の中ではシャレたところだ。とくに三越の並びには、松坂屋、パルコといったデパートがある。これらのデパートは大津通とともに一筋向こうの久屋大通にも面している。久屋大通がメインで大津通にも面していると言った方がよいかもしれない。しかし、人通りは大津通の方が多く、久屋大通は寂しい。車のための道路と言った方がよい。人の主たる流れは、この大津通か。でも、それにしては人通りはそれほどでもないな。
700mほど行くと広い若宮大通に出た。そこを渡ると大須地区である。少し行って赤門通を右に折れ、ぶらぶら行くと大須本通にでた。本通を左折し少し行って仁王門通に沿って右折すると、そこが大須観音の門前ということになる。ういろう、煎餅などの老舗が並んでいた。煎餅屋で一休み。大須地区は名古屋の下町といわれている。とくに大須商店街はその活気と気さくさが評判である。しかし、正直言って、あまり活気を感じなかった。時間が悪いのか、人通りが少なかった。
(写真:大須観音にて)
栄町の方に戻ることにした。疲れていたので、ゆっくり歩いた。わからん。どう解釈したらよいのか、なかなか名古屋は把握できない。日も陰ってきた。その日は岐阜市に泊まろうと思っていたが、名古屋に泊まることにして、出直してこよう。栄駅から地下鉄に乗り、名古屋駅前のビジネスホテルをとった。
シャワーを浴びてから外出。栄駅に戻った。名古屋は地下街が発達している。それも半端ではない。セントラルパーク地下街から外に出て、愛知芸術文化センター前の空間にでた。空間が光とガラスと鉄骨で階層状をなして広がり、ひところ描かれた未来空間を思わせる。異空間に少しくらくらきた。
(写真:愛知芸術文化センター前からみた夜景)
栄駅を起点に、大津通、プリンセス大通を桜通の方向にくまなく歩いた。居酒屋、スナックがあり、呼び込みの兄さんがいて、ヘルスがあった。腹も空いていない。呼び込みにも耳をかさない。桜通まできて折り返し、広小路に戻った。9時を過ぎていた。あまり空いてはいなかったが、食べないわけにはいかない。鰻のひつまぶしを食べるか。広小路を横切ってプリンセス大通を若宮大通の方に向かった。そこは、居酒屋、スナックというよりは、飲食店の空間だ。鰻屋はないか。きょろきょろ見たが、みつからない。すぐに飲食店のない暗い道まできてしまった。こういう場合は、正統派に限る。大津通を探せばよい。といって、9時を過ぎると、正統派地区はシャッターが閉まって暗い。鰻はあきらめ何でもいいという気持ちになったときには、すでにパルコの前まできていた。三越の飲食街に行けばよかったな。でも、パルコで我慢するか。結局、東京にもあるトンカツや和幸に入った。あらかじめ味は分かっている。せめて味噌カツにして、名古屋の雰囲気をだすか。
食事をすませると、10時に近かった。まだ、城は見ていない。城の付近に繁華街がないことも確かめなければ。城までは距離がある。地下鉄に乗ろう。名城線の矢場町で乗り、栄、久屋大通をへて、市役所前で降りた。地下鉄をでると、すぐに城の壕だった。暗くてよく分からないが、立派な壕だ。水があるのかないのか。壕に沿って出来町通を歩いた。向かいは官庁街だ。だれもいない。広い通りを車が通過していくだけだった。800mほど歩くと、壕の端まできた。さすが尾張徳川の城である。大きい。地下鉄の駅を探した。中日新聞社の建物が城垣に囲まれてあった。名古屋の新聞だから当然か。それにしても駅が見つからない。あった、あった、あそこにある。丸の内駅だった。ということは、名古屋駅まで1駅である。乗る必要はない。角のコンビニで水を買い、ホテルまで歩いた。着いたのは11時だった。
ひとまず結論として考えたことは、名古屋は、図に示したように、久屋大通公園を矢場町から城に向かっていく流れを象徴としている、ということだ。しかし実際には、一筋左の大津通を主たる人の流れにしている。久屋大通の先に象徴としての名古屋城があり、その手前にテレビ塔を配置した。久屋大通に沿って、あるいはその右地区に正統的な立派な建物を配置している。その象徴が愛知芸術文化センターの空間だ。広小路より手前で、大須寄りにある大津通にデパート等しゃれた店舗が並んでいる。その左手地区が飲食店街である。広小路を横切って北の大津通、さらに左のプリンセス大通に行くほど、居酒屋、スナック、あるいはヘルスと、いかがわしい店舗が多くなる。
でも、この説明は少し強引なところもある。久屋大通公園を主たる人の流れに見立ててしまっているところだ。たぶん、象徴としてはそうなのであろうが、実際の人の流れは違う。名古屋の説明がしっくりこないのは、たぶん地下街が異常に発達していることと無関係ではないであろう。地下街は人の自由な感覚を奪う。地下であるゆえに、明るい店舗を配置せざるをえない。明るい地下街が縦横に配置されているとき、地上の空間配置はどこを基準にして場末を作ったらよいのであろうか。
(未完)