2月24日(日) 骨で釣りばりを作ろう

 昨日、原始体験「骨で釣りばりを作ろう」という催しに参加した。鹿の角を縦に薄く切りそこに釣り針の形を書いて、周りの余分なところをやすりなどで取り除いていく作業だった。グラインダーも準備されていて、それを使って削る人もいたが、臭いがとてもきつくちょうど歯医者さんで歯を削られたような臭いだった。もっと強烈な臭いだったが・・・それはそれとして、鹿の角の内部を始めて見た。髄のようになっていて、色は茶色がかっており中までぎっしり詰まっているのではなかった。角を削るのはかなり根気のいる仕事だった。それでも3時間ぐらい後には魚がつれそうなはりができあがっていった。もっとも、それは他の人の話でお父さんとかめぽんはできあがらなかった。なんせ原始体験だからグラインダーなどを使うのに抵抗を感じ、使わなかったからだ。家に持ち帰りホームセンターでやすりを買い、5月までに仕上げることにした。かめぽんは熱心に削ってがんばっているが、おとうさんはさっぱり。5月にはその針で実際に魚釣りをするというので、かめぽんは間に合わせるつもりらしい。

3月2日(日) 卒業式の歌

私の勤める学校で2月27日卒業式があった。卒業生は「仰げば尊し」を歌ったが、18才頃の人たちには忘れられつつある歌のようだ。聞いたことも、歌ったことも無いといっていた生徒もいた。確かに歌詞は難しいところも多い。

「あおげばとうとし わがしのおん おしえのにわにも はやいくとせ おもえばいととし このとしつき いまこそわかれめ いざさらば」

1番の歌詞をひらがなで書いてみたが、漢字を混ぜて書いたほうがまだ分かりやすいだろうか。

「仰げば尊し 我が師の恩 教えの庭にも 早や幾年 思えばいととし この年月 今こそ分かれめ いざさらば」となる。コンピューターで変換をかけても、「わがし」が和菓子、「いととし」が意図としとなる。3番には「蛍の光」と関係のある部分もあったりして、難解な歌であった。ともあれ何度か練習をして卒業生は巣立っていった。

4月21日(月)

 桜の時期も終わって、だんだん暖かくなっている。昨年度から「ふれあい農園」ということで場所を借りて家庭菜園をしている。寒い時期、大根、ブロッコリー、みずななどを植えていた。夏の時期には雑草の伸びも速いので草引きの事を気にしていたが、冬はついつい、いい加減になってしまった。そしてまた暖かい季節が巡ってきた。久々に菜園を見に行くと雑草が伸び放題。そして大根、ブロッコリー、みずな全てが菜の花になっていて、黄色い花や、白い花を咲かせていた。先日新聞で大根の花が紹介されていたが、その紹介の文章に「根菜類はその生命をまっとうできることは少ない。」という意味のことが書いてあったのを思い出した。暖かくなると、どの花もお日様に向かって驚くほど背が高くなっている。それは雑草も同じことだった。

5月19日(月)

 先週の土日で畑にトマト、オクラ、ナス、かぼちゃなどを植えた。伸び放題だった雑草を引いてから土を耕した。周りの畑はもう植付けが済んでいるところも多く、雑草がひときわ目立っていた。おまけに我が家の畑は道の際にあるので、なおさらだった。顔見知りのおばさんが「やっと来たったんやな」なんていわれる始末。この夏はこまめに草取りをしたいものです。この季節、イチゴをたくさんの方からいただきます。大きなのはそのまま食べて甘酸っぱいおいしさを、小さいのは牛乳と混ぜてジュースにして賞味させてもらっています。毎日世話ができなくて、だらしない私たちは、イチゴを作ってくださった方の偉大さをかみしめながらいただいています。   

7月31日(木)
 中学生になった娘が中学校生活初めての夏休みを過ごしている。クラブ活動が連日あり、それなりに忙しい日が過ぎている。宿題もたくさん出されているにもかかわらず、クラブ活動が終わって帰宅すると何もせずに漫画を読んだりゲームをしたりして過ごしている。
 母親はしきりに注意したり「誰々さんは宿題がもうすんだらしい。」とか言っている。父親は時々説教するぐらい。しかし娘にはその効果はほとんど現れない。「小さい頃はホントにかわいくて何でもいうこときいとったのに。かわいないわ〜。」「何であんな子になってもたんやろ。」とは母親の嘆き。
 
 ふと畑で作る野菜のことを考えた。トマトの実がうまく育たなかったときに、「土が悪かったのだろうか。いや肥料が足りなかったのだろうか。」と思いを巡らせる。決してトマトの実が悪いなどといわない。子供をトマトの実に喩えることがよくないのかもしれないが、なぜ子供のことになると「本人が悪い。」というふうに子供の責任にするのだろうか。意志を持つものと持たないものの違いなのだろうか。つまらぬ説教はやめようと思った。


 
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