『アンティゴネ』(前半)



登場人物

アンティゴネ オイディプスの娘
イスメネ アンティゴネの妹
老人(たち) テーバイの長老(たち)
クレオン 新しいテーバイの王
ハイモン クレオンの息子、アンティゴネの許嫁(いいなずけ)
テイレシアス 予言者
番兵
伝令
召使たち(無言)
ポリュネイケス(死体となっている) オイディプスの息子、エテオクレスの兄弟
メガレウス(言及されるのみ) クレオンのもう一人の息子、テーバイを救うために自殺している

場所  ギリシャのテーバイの王宮の前
 オイディプス追放後、アルゴス軍を率いたポリュネイケスが、テーバイ王エテオクレスと、テーバイの王座をめぐって戦争をおこす。舞台は、この両者が共に戦死してアルゴス軍が引き上げた次の日の 夜明け前の薄明。
 

アンティゴネ ああ、妹よ、わたしの大切な妹よ、イスメネ! あなたは知っていたかしら。父オイディプスが残した呪いのうちで、わたしたちが生きている間にまだ成就していないものがあったのよ。

 わたしとあなたの身の上に降りかかったつらいこと、惨めなこと、ひどいこと、恥ずかしいこと、不名誉なこと、わたしはもう全てを見つくしたと思っていたわ。

 ところが、支配者が先ほど国中に触れさせたというあの禁令はいったい何よ。あなたはもう聞いたている? それとも、わたしたちの一族に対して、不当な仕打ちが加えられようとしているのに、あなたはそれを知らないの?

イスメネ いいえ、アンティゴネ。二人の兄が相打ちで、一日の間に二人とも死んでしまってから、一族についての話は、良くも悪くも、何も聞いていないわ。アルゴスの軍勢が昨夜逃げてしまったことは知っているけど、それで自分の運命が良くなるのか悪くなるのかも分からないのでいるの。

アンティゴネ きっとそうだと思ったわ。あたし、あなただけに聞いてほしいことがあって、それであなたを家の外に呼び出したのよ。

イスメネ 何なの? その様子から、きっと何か悪い話なのね。

アンティゴネ 何とまあ、クレオンはわたしたちの兄たちのお墓を、一人には作って、一人には作らなかったというじゅないの。聞くところだと、あの人は、エテオクレスには、ちゃんと葬式を行ってから、土の下に埋めて、あの世の人たちに大切にされるようにしたのに、

 かわいそうに、ポリュネイケスの遺体の方は、埋葬するどころか、弔いをすることさえ禁止する布告を国中に発令したというのよ。彼の遺体は、葬式もせず墓にも入れずに、そのまま放置して、鳥たちのおいしいえさにして空から好きなようにつつかせるというのよ。

 この禁令は、あのご立派なクレオンが、あなたとわたしに──とくにこのわたしに対して出したものだということだわ。おまけにあの方は、まだこの禁令を知らない人のために、自分でここに来て発表するというのよ。あの人はこの問題をとっても重く見ていて、もしこれを破る者がいたら民衆の前で石打ちの刑にするということなのよ。
 
 わたしの話はこれだけよ。さあ、あなたは自分が良家の生まれにふさわしい立派な女であることを見せてちょうだい。それとも、あなたは家名を汚す情けない女なの?
 
イスメネ まあ、姉さんたら、馬鹿ねえ、事態がここまで来てしまっているのに、わたしがどうこうしたところでいったい何になると言うの?

アンティゴネ あなたにわたしといっしょにやる気があるかどうか、わたしに力を貸してくれるかどうか考えてほしいのよ。

イスメネ あなたはまた何をやらかそうというの? いったい何を考えているのよ?

アンティゴネ わたしといっしょに遺体を運んでくれるか聞いているのよ。

イスメネ それでは、遺体を埋葬しようと考えているのね、国が禁止しているというのに。

アンティゴネ あなたがいやでも、わたしはそうするつもりよ。だって、あの人はわたしたちの兄弟ですもの。

イスメネ まあ、恐ろしいことを、クレオンがするなと言っているのに。

アンティゴネ わたしを自分の身内から引き離す権利は、あの人にはないわ。

イスメネ あのね、姉さん! 考えても見てよ。わたしたちのお父さまは、自分で自分の罪を暴いたすえに、両方の目を自分の手で突き刺すという、忌まわしくも不名誉な死に方をしたのよ。それから、お父さまの妻で同時に母でもあったあの人も、自分で結んだ縄にぶら下がって命を落としたのよ。そのうえに、あの二人の兄たちも、いたましいことに、一日の間に、互いの手にかかって討ち死にしてしまったのよ。

 それが今度はわたしたちの番だとでもいうの? 一族のなかで残ったのはもうわたしたち二人だけなのよ。それなのに、法に従わずに、禁令を無視して、王権を踏みにじるようなことをしたら、わたしたちはどんなに惨めな最後を迎えることになるか、よく考えてみてよ。
 
 それに、何よりもわたしたちが女であることを忘れてはいけないわ。男の人たちと争ってはだめなのよ。それに、わたしたちはご主人さまに仕える身だわ。だから、このお指図にも、これよりももっと辛いお指図にも、黙って従うしかないのよ。
 
 だから、わたしはお偉い人たちの言う通りにするわ。そして、あの世の人たちには、こうするしか仕方がないのだと言って、許してもらうことにします。よけいなことに手を出すのは、愚かなことだもの。
 
アンティゴネ あなたにはもう絶対頼まないわ。あとであなたが やる気になっても、わたしはもうあなたといっしょにやるのはいやですからね。あなたは好きなようにしていればいいわ。兄はわたしが埋葬します。それで死ぬならわたしは本望よ。きっとあの世で兄も喜んでくれるわ。そうなればわたしもうれしいわ。浄い罪を犯した上での死ですもの。

 なぜって、この世の人よりあの世の人に好かれるほうがずっと大切だからよ。この世の人に好かれても、それは一瞬のこと。ところが、あの世の暮らしは永久に続くのよ。でも、あなたがそれでいいと思うなら、神さまが大切にしておられる掟(おきて)を馬鹿にしていればいいんだわ。

イスメネ わたしは神の掟を馬鹿にするつもりなんかありません。でも、国家に逆らうなんて、そんなこと、わたしにはとても出来ないわ。

アンティゴネ あなたはそうやって言い訳をしていればいいんだわ。わたしは誰よりも大切な兄のためにお墓を作りに行って来ますから。

イスメネ ああ、馬鹿なことを。わたしは姉さんのことがとても心配だわ。

アンティゴネ わたしの心配なんかやめてよ。あなたはあなたで幸せに暮らすのね。

イスメネ 仕方がないわ。でもそのことは誰にも知られないようにしてね。わたしたちだけの秘密にしてくださいね、わたしもそうするから。

アンティゴネ いやよ、密告すればいいんだわ。隠してなんかいないで、このことをみんなに言い触らしたらいい。さもなきゃ、わたし、あなたがもっと嫌いになるから。

イスメネ 姉さんは、こんなぞっとするような計画のために、熱に浮かされているんだわ。

アンティゴネ でも、これをすれば一番大切な人たちが喜んでくれることは確かだわ。

イスメネ それはうまく行ったときの話でしょう。でも、きっと姉さんの思うようには行かないわ。

アンティゴネ そうかもしれないわ。でも、失敗すれば、それはその時の話です。

イスメネ 失敗するようなことなら、初めからやらない方が賢明だわ。

アンティゴネ そんなことはがり言っていると、あなたはわたしから嫌われるだけでなく、死んだ兄からもきっと嫌われるわよ。わたしのことはもう放っておいて。わたしは馬鹿だからこんな危険を冒すのよ。でもどんな目に会おうとも、すくなくとも、わたしは不名誉な死に方をすることはないわ。

イスメネ そういうことなら行きなさい。(アンティゴネ左手に退場) でもこれだけは忘れないでね。姉さんは、どんなに馬鹿な考えを起こしても、わたしたちの一族にとって、かけがえのない人なのよ。

(イスメネ脇の扉から王宮の中に入る。日が昇る。テーバイの十二人の長老たちからなる合唱隊入場)
 
 

老人たち(歌う)
 七つの門もつテーバイにかつて現れたことなき美しい太陽の光よ、おまえは金色の目をして、ディルケの泉の上に、とうとう現れた。よろい兜(かぶと)を身につけたまま逃げだした白い盾もつアルゴスの軍勢は、おまえの光を見ると逃げ足を速めた。

老人(音楽に合わせて語る)
 その軍は、ポリュネイケスが因縁の争いに決着をつけようと、わが国へ引き入れたもの。馬の毛房のついた兜をかぶり、大勢の兵士を引き連れて、真っ白な翼を広げた荒鷲(わし)のように、鋭い叫び声をあげながら、この土地に舞いこんだ。

老人たち(歌う)
 荒鷲は館の屋根に舞い降りると、口を大きく開いて、血に飢えた槍を振りかざして、七つの門を荒らし回った。だが、その顎(あご)がわれらの血に飽き足りて、松明(たいまつ)の火が城壁の櫓(やぐら)に燃え移るまえに、荒鷲は退却を余儀なくされた。軍勢のけたたましい喧噪がそれを追いかけた。荒鷲は龍を敵にしては勝ち目がなかった。

老人(音楽に合わせて語る)
 ゼウスは増長した大言壮語を大いに嫌う。アルゴス勢が誇らかな黄金の響きとともに、大河のように攻め入るのをご覧になると、ゼウスは、砦の頂で勝ち鬨(かちどき)を上げようとはやる者へ、稲妻を投げつけた。

老人たち(歌う)
 稲妻に打たれた男は、松明を手に、すさまじい音を立てて地上に墜(お)ちた。男は半狂乱で突き進んで、憎しみの嵐を吹きかけていた。だが、その企みは成就せず、大いなる戦(いくさ)の神が、われらの国の強力な援軍となり、残りの者たちを打ち倒して、ことごとくあの世へ導いた。

老人(音楽に合わせて語る)
 七つの門を攻める七人の大将は、相手の同数の将軍と相対したが、その青銅の武具は戦勝記念碑の飾りとなった。ただ、同じ父母から生まれた不幸な運命の二人だけは、二本の槍を互いに向けあい、同じ時同じ場所で最期を遂げた。

老人たち(歌う)
 だが、誉れ高き勝利の神ニケーが、テーバイの勝利を喜んで、多くの戦車を持つこの国へやって来たからには、もう今度の戦いのことは忘れよう。そして、夜通し歌い踊りながら神々の社(やしろ)をことごとく詣でよう。テーバイを揺すぶり動かすバッカスの神よ、われらの先頭に立て。

老人(音楽に合わせて語る)
 おや、そこに、神々のもたらしたこのたびの運命の変転で、この国の新しい王になられた、メノイケウスの子のクレオンさまがお見えになった。長老たち全員にお触れを出して、このような特別の集会を開いたのは、何のためだろう。

(王宮の扉が開いて、クレオン登場。二人の召使を従えている)

クレオン 皆の者、神々はわが国を大きな波で揺り動かされたが、やっと元の平穏な状態に戻して下さった。そこで、わたしは国民の中から特におまえたちに使者を送って来てもらった。

 それはほかでもない、おまえたちがライオス殿の王権に対して常に尊敬を払い、オイディプス殿がこの国を支配していたときも同様に、さらには彼が破滅したあとも、彼のご子息たちに対して、堅い忠誠心を示していたことを、わたしはよく知っているからである。

 そのご子息たちが、互いに殺し合い、同族の血にまみれて、一日の間に二人とも亡くなってしまわれたので、亡きお二人との血縁から、このわたしが王座とそれに伴うすべての権力をお引き受けすることになった。
 
 さて、どんな人であろうと、実際に王座について命令を下すようにならないと、その人の資質や主義主張や考え方がどのようなものであるかを、充分に知ることはできないのものだ。
 
 たとえば、全国を支配する地位につくと、ささいな恐怖心から、最善と思うことを押し通せず、それを言い出すこともできないような人がいるが、そのような支配者は最低であると、わたしは以前から思っている。また、自分の国よりも自分の身内を大切にするような支配者も、駄目な支配者だとわたしは思っている。
 
 その反対にわたしは──これはすべてをとこしえに見そなわすゼウスの神に誓って言う──わたしは、平和に代わって災いが国民に迫っているときには、けっして黙ってはいないし、国家の敵を自分の家族として認めるなどということもけっしてない。
 
 というのは、国家とは人々を安全に運んでいく船であり、その船がしっかりと航海を続けていてこそ、わたしたちは真の家族を作ることが出来るということを、わたしは知っているからである。以上、わたしはこのような方針で、この国を繁栄に導いていこうと思っている。
 
 ところで、今もこのような趣旨にしたがって、オイディプス殿のご子息たちについて、次のような命令を国民に対して公布した。
 
 まず、エテオクレス殿は、この国を守るために戦場に出て勇敢に戦って討ち死にされた方である。したがって、この方はお墓に葬って、亡くなった勇者にふさわしいあらゆる儀式を執り行うべきである。
 
 それに対して、彼の兄については、ボリュネウケスのことだが、あの者は追放された身でありながらこの国に戻ってきて、この国とこの国の氏神さまを炎で破壊しつくそうとしただけでなく、一族の者の血で自分の腹をふくらませ、残りの者たちを奴隷にして連れ帰ろうとした男だ。
 
 それゆえ、この者については次のような布告を国中に発令した。すなわち、何人といえどもこの者に対して墓をつくったり、葬式をあげたりしてはならない。その死体は、野ざらしのまま放置して、鳥や野犬に食わせて、無惨な姿をさらせと。
 
 わたしの考えは以上である。善い人間をさしおいて悪い人間が特別扱いされるなどということは、わたしに関するかぎりこれからもないだろう。いっぽう、国のためにつくした人は、その生死にかかわらず、わたしから栄誉を受けることになろう。
 

老人 メノイケウスの子のクレオンさま、この国にあだなす者、この国につくす者に対して、そのような処遇を与えるのが、陛下のお考えでございますか。もちろん、陛下は、死んだ人間に対しても、はたまた、われらのように生きている人間に対しても、お好きなように法律を定めることがおできになりますが。

クレオン というわけで、おまえたちもわたしの命令が守られるよう見張っていてほしいのだ・・・

老人 それは誰かもっと若い者にお申し付け下さいませ。

クレオン いや、死体の見張りならもういるのだ。

老人 そのほかにわたくしどもに何をしろとおっしゃるのでごさいますか。

クレオン この命令に従わない者に与(くみ)しないでもらいたいのだ。

老人 わざわざ死にたがるような愚か者はおりますまい。

クレオン もちろんこの命令に従わない者はそうなる。しかし、金になると思うと人は簡単に堕落するものなのだ。
 
(番兵、登場) 
 
番兵 陛下に申し上げます。わたくし、大急ぎで息を切らして走って参りましたと申すつもりはありません。実は、わたくし、思い直しては何度も立ち止まり、回れ右をして引き返したりしておりましたからであります。

 と申しますのは、わたくしの心がしきりにこう話しかけてきたのであります。
 「お前はばかだ、このまま行ったら、懲らしめを受けに行くようなものではないか」
 「何をおまえはぐずぐずしているのだ。もしクレオンさまがこの話をほかの者から聞いたら、どんな目に会わされると思っているのだ」
 
 こんなことをあれこれ考えておりましたので、足取りが重くなってしまい、なかなか前へ進めなかったのであります。そのために短い道のりが長くなってしまいました。しかし、結局ご報告に参上することに決心いたしました。
 
 たとえこの身が死罪になるとしても、とにかく申し上げることにいたします。自分の運命にないことがこの身に起こることはないと覚悟を決めて、ここに参ったからでございます。

クレオン おまえをそんなにおびえさせている事とは何なのだ?
 
番兵 まず最初に、自分のことを言わせていただきます。要するに、わたくしはこの事件の犯人ではありませんし、犯人が誰かも存じません。でありますから、わたくしがひどい目に会うとしたらそれはお門違いというものでございます。

クレオン うまくわたしの先回りをして、予防線をはったというわけか。おまえの様子から察すると、何か変わった知らせを持ってきたようだな。

番兵 はい、不思議なことが起こったために、ひどく臆病になっているのであります。

クレオン さっさとしゃべらないか。そして、終わったらとっとと帰るがいい。

番兵 はい、いまから申し上げます。あの死体のことでありますが、さきほど誰かがそれを埋葬して行ってしまったのであります。つまり、遺体の上にかわいた砂をふりかけて、お供えをしていった者がいるのであります。

クレオン 何だと! そんな大胆なことをやってのけたのは一体どこの誰だ?

番兵 それは分からないのであります。あそこにはスコップで掘ったようなあとも、つるはしでたたいたような痕も、何も残っていないのであります。土は固くかちかちに干上がっていて、車の通った痕も残っていないのであります。つまり、この犯人は何の手かがりも残していないのであります。

 朝一番の番兵がこの事実を報告したときには、全員驚いてあっけにとられてしまいました。なぜと言いますと、あれが全然見えなくなってしまっていたからであります。と言いましても、墓の中に埋められていたというわけではなく、たたりをさけるために人々がよくやるように、砂がうすく全体にかけられていたのであります。そのために、野獣や犬がやってきて死体を食い散らした様子は少しもないのであります。

 それから、ひどいののしり合いが始まりました。番兵が別の番兵をつかまえては、おまえがやったのだろうと言い合ったのであります。あげくのはてに殴り合いになったとしても、止めるものは誰もいなかったと思われます。番兵の誰もが容疑者なのですが、誰が犯人かははっきりせず、誰もが自分は知らないと言い「なんなら、焼けた鉄を手に持ってもいい、火の中を歩いてもいい、神に誓ってもいい、自分はやっていないし、やった奴にもこれを企んだ奴にも自分は手を貸してはいない」と言うのです。
 
 とうとう、これ以上調べても無駄とわかったとき、みんなが怖じ気づいてうつむいてしまうようなことを、一人が言い出したのです。わたしたちには返す言葉がありませんでした。しかし、かといってそれでうまくいくとはとても思えなかったのです。
  
 というのは、その男は、この事件をあなたにお知らせすべきで、隠すべきではないと言ったからです。この意見はもっともだということになり、くじをひくと、運の悪いことにわたしがこの結構な役を引き当てたのです。
 
 そういうわけで、わたくしは不本意ながら、歓迎されない使いであることは重々承知の上で、陛下の前にこうして参上したのであります。まったく、悪い知らせの使いなど、誰にも喜んでもらえるはずはありません。
 

老人 陛下、わたくしが先ほどから思っていることを申しあげますと、この事件は神さまのご意志の現れではないかという気がいたします。

クレオン やめろ。そんなことを言って、わたしをもっと怒らせたいのか。おまえたちはもうろくしてぼけていると言われるぞ。今の発言には耳を疑う。それではあいつの死体のことで神々が心をくだいておられるとでも言うのか。

 ええ?! あいつは神々のお社と奉納物を焼き払おうとしたのだぞ。神々の国土と神々の掟を混乱に陥れようとしてやって来たのだぞ。そんなやつを神々がまるで功労者のように尊んで、砂でおおったと言うのか。それとも、神々は悪い人間を尊ぶようになったとでも言うのか。

 そんなことはありえない。ところが、この国にはかねてからわたしの支配に不満をいだく者がいて、秘かにそんなことを言っているのだ。彼らはわたしに反抗して、首を振って、おとなしくくびきの下につこうとしない連中なのだ。そういう連中がこいつを買収して、こんなことをさせたに決まっている 。

 まったく、人間の世界で金ほど悪い習慣はない。金のために国は滅び、金のために民衆は家から追い立てられ、金のために正直者の心が迷わされて恥ずかしい行動に走る。要するに、金のために人間は悪の道に染まり、神を冒涜するあらゆる行動を学ぶのだ。いずれにしろ、金をもらってこんな事をした人間は、必ず罰を受けるのだ。
 
 (クレオン、番兵に対して言う)
 
 いいか、よく覚えておけ。これをわたしはおまえに対して誓って言う。わたしがゼウスに対する敬意を失わない限り、もしおまえがこの埋葬の真犯人を見つけ出して、わたしの目の前に連れてこないなら、おまえはあの世に行くだけではすまない。その前に、生きたまま縄につるされて、罪を白日のもとにさらすことになるぞ。

 そうなれば、おまえは、これからは金はどこからくすねるべきかを知ってからくすねようになるだろうし、金のために何でもしてはいけないことを学ぶだろう。要するに、不正な利益は人を救うどころか、破滅に導くものだということをよく知るがよいのだ。

番兵 ひとこと言ってもかまいませんか。それとも、すぐさまお暇した方がよろしいでしょうか。

クレオン いい加減にしろ。おまえはまだ不愉快なことを言うつもりか。

番兵 陛下が不愉快になられるのはお耳のほうですか、それともお気持ちのほうですか?

クレオン どこが不愉快になったかを詮索して何になる?

番兵 お耳が不愉快ならわたくしのせいですが、お気持ちが不愉快ならそれは犯人のせいです。

クレオン ああ、まったくおまえは口から生まれたようなやつだ。

番兵 そうかもしれませんが、わたくしはこの事件の犯人ではないのです。

クレオン いいや、おまえが犯人だ。おまえは金のために魂を売り渡したのだ。

番兵 ああ、何ということでしょう。あなた様ほどのお方が思い違いなされるとは不思議なことでございます。

クレオン 今のうちに、生意気を言っているがよい。もしおまえがこの事件の真犯人を明らかにできなかったなら、その時こそ、おまえは不正な利益は災いのもとになると認めることだろう。

(クレオン、王宮の中へ退場)

番兵 犯人を見つけたいのは山々だ。しかし、見つかるか見つからないかは運次第。いずれにしても、おれがあんたの前に出てくることは二度とあるものか。今おれがこうして生きているのが不思議なくらいだ。これこそまさにもっけの幸いというものだ。

(番兵、退場)

老人たち(歌う) 
 不思議なものは数あれど、人間ほどの不思議はない。南の風が吹き荒れる灰色の真冬の海を、逆巻く怒濤(どとう)をくぐりぬけて行くのもまた人間。神々の中でも最古の神、永遠に実り絶やさぬ大地の神を、毎年(まいとし)休まず鍬を動かしラバで耕し、わずらわせるのもまた人間。

 物を思わぬ鳥たちも、野にすむ獣たちも、波打つ海に暮らす魚たちも、網を打ちかけからめとるのは、知恵の豊かな人間なり。山に暮らす羊たちを道具を使って取り押さえ、たてがみ豊かな馬たちと、疲れを知らぬ野の牛に、くびきをかけるのもまた人間。

 言葉も、速やかなる知恵も、国を治める熱意さえも、自分自身で身に付ける。どんなことにも知恵を発揮し、田畑を襲う厳しい霜や烈しい豪雨の矢玉からも、逃れる術(すべ)を心得ている。用意なくして未来に臨むことなく、死の神ハデスから逃れる術は見つからなくとも、困難な病から逃れる術は編み出している。

 信じ難い知恵と技術を備えた人間も、時によっては幸福に、時によっては不幸になる。国の掟と神の掟をともに忘れぬ人間は、国にとっての名誉となるが、恐れを知らず悪に染まる人間たちは、国から追われることだろう。こんな人間が仲間や家族にいないことを我らは願う。

(番兵、アンティゴネを前にして登場)
 

老人(音楽に合わせて語る)
 これは摩訶不思議な、信じられない。だが、あれはどう見てもアンティゴネお嬢さまにちがいない。ああ、おかわいそうに。父オイディプスの不幸にまたこの不幸。一体、どうしたことだ。まさか、あなたが王の掟を破って、馬鹿なことをしているところを捕まって、連れてこられたのではあるまいな。

番兵 事件の犯人はこの娘だ。死体を埋めようとしているところを捕まえたぞ。クレオンさまはどちらにおられる?

老人 クレオン様なら屋敷からちょうどいいところに戻って来られたぞ。

クレオン どうしたのだ。どうしてわたしががちょうどいいところに出てきたことになるのだ。

番兵 陛下に申し上げます。人間の世界には絶対にないなどと誓えるようなことはございません。人の決心も考え一つで変わることがあるのでございます。

 わたくしもさきほどは陛下の脅し文句に恐れをなして、二度とここへは戻って来ないと誓いました。しかし、思いがけず願いがかなうという、この上なくうれしいことがございました。それで、わたくしは誓いをやぶって、この娘を連れて戻って参りました。

 この娘が墓を作っているところを捕らえたのでございます。今回はくじは引いておりません。この幸運な伝令役は、ほかならぬこのわたくしがいただきました。

 では、陛下、娘をお受け取り下さい。ご自分で尋問をなさるなり、お取り調べをなさるなり、ご随意になさって下さい。わたくしはこの災いから解放されて、晴れて自由の身となったのであります。
 
クレオン この娘をどこでどうやって捕まえてきただと? 

番兵 この娘があの男の埋葬をしようとしていたのです。以上であります。

クレオン おまえは正気か? 自分の言っていることが分かっているのか?
 
番兵 陛下が埋葬を禁じたあの死体をこの娘が埋葬しているところを、わたくしはこの目で見たのであります。これほどはっきりしたことはございますまい。

クレオン どのようにして見つけて、どのようにして現場をとり押さえたのだ?

番兵 それはこういうことであります。わたくしたちは、陛下の脅しに駆り立てられて、持ち場に戻ると、死体を覆っていた砂を全部払い落として、腐りかけた体を出来るだけむき出しにしました。

 それから、死体から出る悪臭が来ないように、風上の岩の頂に座りました。そして、みんな目をよく見開いて、仕事を怠けるものがいれば、大声でののしって、見張りをつづけていました。

 そうしているうちに、丸く輝く太陽が空の真ん中までのぼって、とても暑くなってきました。すると、突然つむじ風が起こって、地面から埃を巻き上げました。困ったことに、その土埃は大地を覆い尽くして、木立という木立を揺らして、あたり一面に広がりました。
 
 わたくしたちは目をつぶって、この災難にじっと耐えました。しばらくして、砂嵐がやむと、この娘が悲しそうに泣いている姿が見えてきたのです。娘はむきだしになった死体を見て、激しく泣いていました。それはまるで雛をとられて空になった巣を見つけた親鳥のようでした。そして、死体にこんなことをした者たちに対して、恐ろしい呪詛の言葉を並べたてました。それから、すぐに死体の上へ乾いた砂を両手でかけて、青銅の美しい水差しから三度御神酒(おみき)をそそぎかけたのです。
 
 その様子を目撃したわたくしたちは急いで駆けつけてみんなで娘を捕らえました。しかし娘はまったく動じる様子がありませんでした。わたくしたちが前の犯行と今度の犯行について問いただすと、娘は何も否定しませんでした。
 
 それはわたくしにとってはうれしいことでも悲しいことでもありました。なぜかと申しますと、自分が災難から逃れたことはうれしいことでしたが、陛下のお身内を災難に引きこんでしまったことが悲しむべきことだったからであります。しかしながら、何と申しましても、わたくしにとっては自分の身の安全が一番大切でございました。
 
クレオン(アンティゴネに) これ、おまえ、うつ向いているおまえだ。おまえは犯行を認めるのか認めないのか。

アンティゴネ はい、やったのはわたしです。否定はいたしません。

クレオン(番兵に) おまえの容疑は消えた。おまえは晴れて自由の身だ。どこへでも好きなところに行くがいい。

(アンティゴネに)さあ、次はおまえだ。さあ、答えなさい。要するに、これはどういうことなのだ。おまえはこんなことをしてはいけないというお触れが出ていたのを知らなかったのか。

アンティゴネ いいえ。知っていたわ。知らないわけがない。あのお触れなら誰でも知っていたわ。

クレオン それなのに、おまえはあの禁令をあえて破ろうとしたのか。

アンティゴネ そうよ。それは、あのお触れを出したのはゼウスの神でもないし、あの世を治める正義の女神でもないからだわ。神々はあんな掟を人間の世界に対してお決めになってはいないわ。

 それに、あなたの禁令には、神さまがつくった揺るぎない不文律を人間が踏みにじることができるほどの力があるとは思えなかったわ。

 この不文律は昨日今日に始まったものではなく、ずっと昔からあったもので、いつ始まったのかは誰も知らないくらいのものなのよ。これほどの掟をわたしが誰かの思惑を恐れて破るようなことはありえないわ。もしそんなことをすれば神さまから罰を受けるわ。
 
 たとえあなたのお触れがなくても、当然わたしもいつかは死ぬわ。それに、もし若死にするとしても、それはわたしには有り難いことだわ。わたしのように数え切れない災難に取り囲まれて生きている人間には、いっそ死んでしまった方が有り難いと、どうして言えないかしら。
 
 だから、死ぬことは、わたしには苦痛でも何でもない。でも、わたしの母から生まれた人が死んだのに、その亡骸を葬りもせずに放っておくのは苦痛だわ。そうよ、自分が死ぬことには耐えられても、これだけは我慢できないわ。あなたにはわたしが馬鹿なことをする娘だと思えるでしょうね。でもきっと、人のことを馬鹿呼ばわりする人こそ本当の馬鹿なんだわ。
 

老人 この子の強情さは、明らかに父親ゆずりです。災いを前にしてもひるむことを知りません。
 
クレオン そのとおりだとも。しかし、頑なな心ほどくずれやすいものだということを忘れるな。どんなに折れにくい鉄でも、焼き入れをして硬くなった鉄はよく折れて粉々に砕けることは知っているはずだ。荒くれ馬が小さなくつわ一つでおとなしくなることをわたしは知っているぞ。

 他人に仕える分際で、人に偉そうにするとはもってのほかだ。この娘は、決められた掟を破ってその生意気ぶりを見せたばかりたが、今度は、罪を犯しておきながら、それをまた生意気にも得々と自慢しよる。
 
 ここまで馬鹿にされていながら、もしもわたしがこの娘に何もできないようでは、もはやわたしは男ではない。この娘こそ男だ。
 
 この娘がたとえわたしの妹の娘であろうと、いや、もっとわたしと血のつながりの濃い者であろうと、かまうものか。この娘と、そしてついでにその妹も、極刑を免れないものと知れ。そうだ、わたしは妹もこの埋葬のたくらみに加担しているとにらんでいるのだ。

 さあ妹を呼べ。先ほど屋敷の中でうろたえて落ち着きをなくしているのを見たぞ。人に隠れて悪事を企んでも、盗人根性は自ずから明らかになるものだ。しかし、何と言っても、わたしは、現行犯で捕まっていながら自分の犯罪を正当化しようとする人間にはまったく腹がたつ。

アンティゴネ わたしを殺す以外にわたしに何か用があるの?

クレオン いいや、何も用はない。それで充分だ。

アンティゴネ だったら、早くしたらどう。あなたが何を言おうと、わたしはあなたの言うことを一言も受け入れることはないわ。そんなことがあるわけがない。あなたもわたしの言うことには賛成できないはずよ。

 でも、わたしは自分の兄を埋葬することで、どんなことをしても得られないほど大きな名誉を得たんだわ。ここにいる人たちも、きっとみんなもわたしに賛成してくれているわ。いまは恐ろしくて黙っているだけだわ。ところが、王さまなら、わがの世の春を謳歌できるだけでなく、何でも好きなことを言ったりしたり出来るのよね。
 、
クレオン テーバイの市民の中であの埋葬が名誉だなどと考えているのはおまえ一人だぞ。

アンティゴネ この人たちもわたしと同じ考えだわ。あなたの前をはばかって黙っているだけだわ。

クレオン それならそれで、自分だけ違う行動をとったことを、おまえは恥ずかしく思わないのか。

アンティゴネ 兄弟を大切にして何を恥ずかしがることがあるというのよ。

クレオン あの男と立ち向かって殺されたエテオクレス殿もおまえの兄弟ではないのか。

アンティゴネ 同じ父と母から産まれた兄弟ですとも。

クレオン では、どうしてエテオクレス殿にとって非礼ことをしたのか。

アンティゴネ 死んだ人間に聞けば、そんなことは言わないわ。

クレオン おまえは極悪人とエテオクレス殿を同列に扱うつもりか。

アンティゴネ 当然だわ。死んだポリュネイケスはエテオクレスの兄であって、奴隷ではないのだもの。

クレオン しかし、彼はこの国を荒らしに来て死んだのだぞ。この国を守るために死んだ人とは違う。

アンティゴネ それでも、あの世の神さまは、この儀式を要求するのです。

クレオン それでも、善人と悪人とが同じ扱いを受けていいはずがない。

アンティゴネ ひょっとしたら、あの世ではそれが敬虔というものかもしれないわ。

クレオン いいや、敵は死んでも決して味方にはならないものだ。

アンティゴネ いいえ、わたしは憎しみを共にするのではなく愛を共にする性分なのです。

クレオン 愛を共にしたのなら、あの世に行って、二人をいつくしむがいい。わたしが生きている限り、女の言うとおりにはさせないぞ。

(イスメネ、召使に連れられて王宮から出てくる)

老人(音楽に合わせて語る)
 おやあそこに、イスメネさまが現れた。姉思いの涙に濡れて、眉を曇らせ、美しい頬をぬらし、赤く染まった顔をゆがめて。

クレオン おまえは、わたしの家の中にまるでまむしのように隠れていて、密かにわたしの血をすすっていたのか。わたしは知らずに、自分の王座の転覆をねらう一味を二人も養っていたのだ。さあ、はっきりと言え。おまえは、この埋葬の企みの共犯であることを認めるのだ。それとも、知らぬ存ぜぬとあくまでしらばくれるつもりか。

イスメネ この人が犯人なら、わたしも犯人だわ。合意の上で共犯に及んだのだから同罪だわ。

アンティゴネ あなたが断ったからわたしは一人でやったのだから、あなたにはそんなことをいう権利はないわ。

イスメネ でも、姉さんが窮地にあるときに、妹が姉と苦しみを共にしようとするのは当然よ。

アンティゴネ 誰が犯人かは、あの世の神さまとあの世の人たちがよく知っているわ。口先だけで仲良くしようとする人は、わたしは嫌いよ。

イスメネ 姉さん、わたしにも死なせてよ。そして、姉さんといっしょに兄の弔いをさせて!

アンティゴネ あなたはわたしといっしょに死んではいけません。それに、自分が手がけもしないことを自分のものにしてはいけないわ。わたしが死ねばいいのよ。
 
イスメネ 姉さんがいなくなったら、わたしは何のために生きていけばいいの?

アンティゴネ クレオンさまにお聞きなさい。あなたはこの人が大切なのでしょう。

イスメネ どうしてそうしてわたしをいじめるの? 何にもならないのに。

アンティゴネ そう、あなたをからかったところで、わたしは辛いだけだわ。

イスメネ とにかく今わたしが姉さんの役にたてることは何もないの?

アンティゴネ あなたは自分の命を大切になさい。逃げたといってあなたを恨みはしないから。

イスメネ なんて悲しいの。それでは、わたしはいっしょに死ぬことはできないの。

アンティゴネ あの時あなたは生きることを、わたしは死ぬことを選んだのよ。

イスメネ わたしが反対したから姉さんはそんなことを言ったんだわ。

アンティゴネ あなたはこちら側の、わたしはあちら側の人たちに立派に思われるということだったわね。

イスメネ でも、禁を破ったということでは、あなたとわたしは同じだわ。

アンティゴネ 元気を出してあなたは生きるのよ。わたしの魂は、あの世の人たちにお仕えするために、とっくにあの世に行っているのよ。

クレオン この娘たちはどいつもこいつも馬鹿者ぞろいだ。一人は生まれつきの馬鹿だが、もう一人は今の今大馬鹿者になりよった。

イスメネ 当然だわ。生まれつきの分別も、悪い境遇にいると狂っておかしくなるものよ。

クレオン そうだとも。おまえの分別は、悪い人間といっしょに悪い事をやると決めたときに失われたのだ。

イスメネ ここにいる姉が死んだら、わたしはどうやって生きていけばいいの?

クレオン ここにいるなどと言うな。おまえの姉はもうこの世の人ではないのだ。

イスメネ じゃあ、あなたは自分の息子の許嫁を殺すつもりなの?

クレオン あの子の結婚相手ならほかにもたくさんいる。

イスメネ でも、この二人ほどは仲の睦まじい人たちはほかにはいないわ。

クレオン 悪い女を息子の嫁にするなど、考えただけでも恐ろしい。

アンティゴネ まあ、いとしいハイモン、お父さまはあなたの気持ちをないがしろにしているわ。

クレオン もう結構。たくさんだ。おまえもおまえの結婚話もうんざりだ。

アンティゴネ では本当に、あなたは息子さんとわたしの仲を引き裂くつもりなのね。

クレオン この結婚をやめさせるのは、わたしではなく地獄の神だ。

アンティゴネ どうやら、わたしの死が決まったということね。

クレオン そうだ。おまえとわたしがいっしょに決めたのだ。さあ、家来たち、さっさと二人を屋敷の中へ連れていけ。この女たちを自由にしておかず、しっかりと縛っておくのだ。どんなに腹の座った男でも、死に際になると逃げ出そうとするものだからな。

(召使と番兵、アンティゴネとイスメネをつれて王宮の中に入る。クレオンは留まる)

老人たち(歌う)
 一生の間不幸を知らずに生きた者こそ幸せ者よ。
なぜなら、ある家がいったん神の呪いに取り憑かれたら、
その家の不幸は代々の子孫に及ぶからだ。

 それは、トラキアから吹く海風にあおられた大波が、
暗い海底を走るとき、黒い砂粒を底から巻き上げ、
嵐に打たれた浜辺が、うなり声を上げるのに似ている。

 由緒あるラブダコス家では、死者の不幸の上に新たな不幸が
次々と重ねられていくのが見える。この家のどの代も呪いから逃がれられない。
この家にはとある神が取り憑いている。この家に救いはない。

 今、オイディプスの家の最後の子孫の上に輝いた希望の光は、
冥土の神にささげる血に染まった砂と、
愚かな言葉と心の迷いによって、消え去った。

 ゼウスよ、人間はどんなに背伸びをしても、あなたの力に勝つことはない。
すべてを誘う眠りも、神が決める年月(としつき)のたゆまぬ歩みも、
あなたの力に勝てはしない。

 時を経ても老いを知らぬ支配者であるあなたは、栄光のオリュンポスに座を占める。
近い未来も遠い未来もまた過去も、次の掟が支配する。
過度なものが死すべき人間を訪れるとき、必ず災いがつきまとう。

 はてしなく広がる希望は、多くの人の楽しみだが、
多くの人にとって、それは浮ついた欲望がもたらす罠である。
無知な人間は、熱い炎に足を焦がしてはじめて、その罠に気がつく。

 ある賢人が格言を残している。
「神が人の気持ちを破滅に導くときは、悪がいつのまにか善に見えてくる。
そうなれば、すぐにでも破滅に陥る」
 
 

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