播磨町長の資質について考える



  わたしの住む兵庫県播磨町では、町長が政治手法をめぐって、一部の議員と真っ向から対立している。
 
 ことの起こりは、全天候型体育施設(仮称播磨ドーム)を町に建設することについて、町長が与党議員数名を引き連れて視察旅行をしたことにある。
 
 町が政策立案して議会がそれを審査するのが普通だが、この場合は、町長と与党議員が一緒に政策を立案したのか、あるいは、議会を開く前に町長が公然と議会に根回ししたかのどちらかのように見える(その様子が何と「議会だより」の表紙に堂々と公表されている)。

 それに対して野党議員が、これでは町長と議会のなれ合いであり、議会の存在意義を否定するものだとかみついた。そして町長に同行した議長に対して不信任案を提出した(なぜ町長に対する不信任案でなかったのかは不明)。しかし、内容は町長に対するものであることは明らかだ。しかし、賛成者はたった三人で、否決された。

 それに対して今度は与党議員が、こんな不信任案を出すとはけしからんと、提出した議員だけでなく、それに賛成した議員に対して問責決議案を出して可決してしまった。

 しかも、その際、町長は自分に対する不信任案でなかったにもかかわらず、問責決議案に賛成するためにわざわざ発言を求め「同行したって何の問題もない。こんな無知な議員は許せないと」と怒りをぶちまけた。

 まさにその発言内容が、口吻も生々しく広報「はりま」八月号に掲載されている。
  
 それから今度は広報誌「はりま」十一月号に奇妙な文章が掲載された。題は「町長からのメッセージ」となっているが、実に感情的なものである。
 
 反対派の議員が議会でまたもや先のドーム視察問題を持ち出して質問したり、ドームの必要性に疑問を投げかける質問をしたものだから、腹に据えかねて書いたものらしい。

 しかし、本来、議員に対する反論は議会ですべきある。ところが、「議会だより」を見ると、この人は議会で反対派の質問に会うと、激昂してしまうようなのだ。
 
 よそのドームを視察した感想を聞かれても、「感想については、長に対する執行権の介入、侵害であり、説明する必要も理由もありません」と非常に感情的な答弁をしている。
 
 さらに議会で町長は、議員の視察には今後も同行すると言ってはばからないのだ。何をしようとそれは執行権の行使であり、議員に文句を言われる筋合いではないと言いたいのである。そして、自分の言い分の正しさを主張するために、広報課の職員に命じて、広報誌に自分の文章を掲載させたのである。

 しかし、広報誌というものは町長の私有物ではない。「今月号から数カ月ごとに町長からのメッセージを、お届けしたいと思っております」と前置きしているが、これを書きたくて作らせた欄であることは明白である。

 しかもその内容たるや、もしこんなことを知事や首相が公にしたら、非民主的で強権的だと大問題になるたぐいのものであることは、一読して明かである。以下に全文を引用する。
 
 

 秋も随分と深まってきましたが住民の皆様には、ご健勝にてお過ごしのことと心よりお喜び申し上げます。
 「まちづくりは、みなさんとともに」を提唱してきましたことから、今月号から数カ月ごとに町長からのメッセージを、お届けしたいと思っております。
 今回は、町議会の九月定例会での出来事の一つについてお知らせします。
 六月町議会定例会で「議長不信任を求める決議案」が創生会(三人会派)より議会に提案され、議会審議を経てこれが否決となり、同時にこの行為が議員として著しく適正を欠くものとして、三人の議員にその責任の自覚と反省を求めた問責決議がされました。
 その内容が「議長不信任を求める決議案」としていながら、町長に対するもので、これを看過することは、住民と行政の信頼関係を損なうものとして、広報はりま八月号で住民の皆様にお知らせしたところです。
 議会において、三人の議員に対し問責決議されたことで、三人の議員の責任の自覚と反省があり、また住民の皆様にもあらかたこの件について理解が得られていると思っていましたが、先の九月議会に同会派からこのことについて一般質問があり、当日にはかつてないほどの傍聴者がありました。
 内容については、広報はりま八月号でお知らせしたことと重なる部分が多く、まったく理論のない質問でした。
 どれだけ理不尽な、また破廉恥な質問であっても町長として対応せざるを得ませんが、町づくりにとって何が大切かについて、住民の皆様にもお考えいただければと思っています。
 まちづくりをするために、その根拠として地方自治法が定められています。
 今回のこの件について一番大事なところは、
一 議会と長(町長)とは、それぞれの権限を自主的かつ独立してこれを行使する。
二 その権限行使の適正を確保するため、相互のけん制の手段を与えられている。
とされています。すべてについて、ここでは説明しませんが、ごく簡単に述べてみます。
 議会と町長の権限は自ずと異なります。
 町長は行政執行者と位置づけられ、議会は広義の解釈として町行政の意思決定をするために付与された権限ですが、狭義では議会の意思を決定するためのみの権限を意味しています。
 したがって、町行政の意思を決定するすべての権限について、議会に付与されているものではありません。
むしろ議会の権限が及ぶ範囲は、そのうち基本的なものまたは重要なものの決定に限られ、それ以外は町長の権限により決定されるものとされています。なお、議会の議決すべき事件は、法律により制限列挙されています。
 詳しいことは次の機会に譲るとして、要は議会(議員)も執行者である長(町長)も相互に信頼の上に立って、かつ研鑽を重ね町の発展と住民福祉の向上のために、大いに議論を行うべきでしょう。
 いたずらに自己を満足させるために、理由もなく批判したり相手を傷つけたりするために、お互いに公職に就いてはいないでしょう。こうしたことに時間を割くこと自体、住民の皆様に申し訳ないと思うし、情けないことと思います。
 再びこのようなことが起きないよう念じています。 

 
 
 この文章でおかしなことは、形としては町民に向けたものだが、これは町長が特定の議員に対して反論した文章だということである。そんなことは、議員たちがやっているように、自分の金で新聞でも作ってやるべきことだ。広報誌は町民のためにあるもので、町長のためにあるのではない。
 
 その次におかしなことは、「『議長不信任を求める決議案』としていながら、町長に対するもので」と書くことによって、問責決議案が、議員が出した形を取りながらも、町長の意向で出されたものであることを、暗に認めていることである。
 
 はたして町長がそんなことをしていいのだろうか。それは議会活動に対する明らかな干渉であり、許されることではないだろう。
 
 町長自ら「議会と長とは独立している」と書いているが、その言葉が上辺だけのものであることは、この文章が証明している。実際、彼は多くの議員を取り込んで、意のままに動かしているのである。さもなければどうして議員に他の議員に対する問責決議案を出させるなどという芸当が可能であろうか。
 
 また、現に町長が議会の視察に同行したことが、この条に反しているとどうして言えないのか。
 
 さらにおかしいのは、反対派議員の質問を「理不尽な、また破廉恥」「自己を満足させるため」だと決めつけていることである。こんなことが許されるだろうか。
 
 内容がどんなものであれ、住民によって選ばれた議員の質問に対してこういう表現をすること自体、これらの議員を選んだ住民を愚弄するものだと言わざるを得ない。町長はこのような不穏当な表現を使ったことを、該当議員と町民に対して謝罪すべきである。
 
 自らは議会と長とは相互の牽制だと書きながら、実際に野党の議員に牽制されると、許せないとばかりの言動に走っているのだ。そこには、批判を真摯に受け止めるという姿勢が微塵も感じられない。
 
 たとえ、事実と違うとしても、「そのように受け取られたこと自体本職の不徳の致すところであり、今後そのような指摘を受けることの無いように行動に気をつけていきたい」という謙虚な姿勢こそ、民主主義を尊ぶ人間がとるべきものである。それとも、彼にとっては、与党の甘っちょろい批判だけが、許せる批判なのだろうか。
 
 さらに、地方自治法の説明では、議会の権限を広義に解釈すれば、行政の意志決定の権限が議会にあると認めておきながら、その直後に、行政の意志決定の権限は議会にはないと言っている。
 
 つまり、彼は狭義の解釈を採用して、意志決定の権限は一切自分にあると思いたいのである。この人は市町村合併を拒否しているが、これだけ自分の権限にこだわる人であれば、それが他人に行ってしまう恐れのあることを嫌がるのは当然であろう。とすると、この人は自分の権限のために政治をしているのだろうか。
 
 一体、民主国家の日本で、こんな文章を公表する政治家がどこにいるだろうか。わたしはこれを読んで、英国議会解散して独裁政治を行ったクロムウェルを思い出した。この町長は独裁に傾いている。そう思わざるを得ない。
 
 この町長は三期目になり、最近の二回は無投票当選である。町長も長くなると、油断が出る。議員の視察に同行するなどは明らかな油断である。その油断をつかれて批判され、腹が立って、与党の議員に問責決議案を出させたのだ。
  
 この裏には、自分のすることに間違いがあるはずがない。こんな田舎の町に、自分より有能な人間がいるはずがないという、驕りが感じられる。
 
 住民が望みもせず、利用もしない施設を次々に建設し続けること自体、この町長には大いに問題がある。しかし、今回の問題の対応では、この人の町長としての資質にクエスチョンマークが付くことが明らかである。
 
 しかも、こんな穴だらけの文章を公表するとは、回りにしっかりしたブレーンがいないことを暴露したようなものだ。この人の回りにいるのは、自分を批判しないイエスマンの職員や議員と、あれも作ろうこれも作ろうと教える業者だけなのではないかと思いたくなる。
 
 実際、この町の公共事業の入札はいつも談合のうわさが絶えない。ドームの受注でも、一社だけが予定価格を下回ったという。そんな曲芸まがいのことが、予定価格の漏洩無しに可能だと言われても、とても信じられない。警察の目が届いていないだけなのではないのか。
 
 不思議なことは、こんな町長を批判する議員が少数派であるということである。共産党ですらどういうわけか与党に入っている。しかも、マスコミから批判されることもない。地方政治は不思議である。
 
 いま町長の家は豪邸に改築中である。こういうところにも、町民は町長の驕りを見る。住民は言っている「夫婦二人住むだけなのに、あんな立派な御殿がいるだろうか」と。三期目にもなれば町長にもそれにふさわしい住宅が必要だと思ったのだとしたら、それは大きな間違いである。
 
 この町長に何より必要なのは立派な豪邸ではなく、厳しい批判に耳を傾ける謙虚さだろう。



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