『エレクトラ』(前半)


登場人物
エレクトラ ミケーネの王・故アガメムノンの娘
オレステス エレクトラの弟
クリュソテミス エレクトラの妹
クリュタイムネストラ 故アガメムノンの妻
アイギストス クリュタイムネストラの情夫
老人 オレステスの養育係
女たち アルゴスに住むエレクトラの友達
ピュラデス オレステスの友達(無言)、侍女(無言)、従者(無言)
場所 ミケーネの宮殿の前

時  トロイ戦争から約二〇年後

  オレステス、ピュラデス、老人登場

老人 さあ、オレステス殿、トロイの戦の総大将アガメムノンの子よ。今まで、いつも見たいとおっしゃっていた所にとうとう着きましたぞ。とくとご覧なされい。あれがあなたのあこがれの土地、由緒あるアルゴスですぞ。アブに追われてさまよったという伝説の娘イオーゆかりの聖地です。さて、こちらに見えるのが神アポロンの広場、また左手には神ヘラの名高い社がある。そしていまご覧になっておられるのが、黄金満ちるミケーネの国。ほれ、そこにペロプスの息子たちの不幸な館が見える。

  あなたの父上はそこで殺されたのだ。そのさなか、あなたの血を分けた姉上からあなたの身柄をお預かりして、屋敷の外へ運び出し、あなたの命をお守りして父上の敵討ちにと、こうして成人されるまでお育て申したのがこのわたしじゃ。

  さあそこでじゃ、よろしいかオレステス殿、それにお友達のピュラデス殿、早速、策を練らねばなりませんぞ。星降る夜も既に白み、朝日に目覚めた小鳥たちのさえずりが聞こえてきます。人が外に出てこぬうちに話を決めておかねばなりません。もはやここまで来たからには、いまさらためらっている場合ではございません。時は今ですぞ。

オレステス ありがとう、爺やよ。おまえは本当に頼りになる召し使いだ。わたしのために実によく尽くしてくれる。馬でも血統の良いものは、老いてなお危険に臨んでひるまず、耳をまっすぐに立てているというが、いまもおまえは我らを駆り立てるだけでなく、自ら先頭に立って我らを支えてくれる。

  よし、それではわたしの考えを話そう。おまえはわたしがこれから言うことにしっかり耳を傾けて聞いてくれ。そして、何か的外れなことをわたしが言ったら、誤りを正してもらいたい。

  さて、父を殺した者たちに対して正義の裁きを加えるには、どんな手段を取るべきかをお伺いしようと、デルフィのお社にお参りしたときのことだ。そのとき神アポロンはこんなお言葉を下さった。「数の力や武力の助けを借りることなく、計略による不意討ちによって汝自ら敵討ちをはたせ」。

  さて、我々にこのような神託が下った以上は、まずおまえが機を見てこの屋敷に入り、中の状況をくわしく調べてきてもらいたい。そして、確かなところを我々に報告してほしいのだ。長い年月と老齢のせいでおまえもめっきり白髪が増えて以前の面影はなくなった。おまえなら誰にも気付かれないだろうし、不審に思われることもないだろう。

  やつらにはフォーキスのファノテウスの元から来た使いの者だと名乗るがよい。ファノテウスは、やつらの第一の味方だ。それから、神に誓った上で、よいか、こう告げるのだ。「オレステス様はデルフィの競技会で、走る戦車から落ちて不慮の死を遂げられた」とな。話のくわしい中身は、すべておまえに任せよう。

  一方、わたしたち二人は、まず神のご命令通りに父上のお墓にお参りをする。お神酒を注いで髪の毛をお供えしたら、おまえも知っての通り、薮の中に隠しておいた青銅の骨壷を持って戻ってくる。それを使ってわたしもまた、この体が灰になってもうこの世に無いといううれしい知らせをもって、やつらをだましに行くのだ。

  わたしはこの作戦がけっして縁起が悪いとは思わない。言葉の上で死んだことになっても、事実はこうして生きている。おまけにそれで名を上げることもできるのだ。言葉そのものに良い悪いはない。問題はよい結果をもたらすかどうかだ。噂では死んでいるのに本当は生きていたという才子才人の話をわたしはたくさん知っている。その後彼らは帰国して、より一層の名声を博したのだ。わたしもまた同様に、死んだ噂のあとで生きた姿を現せば、やつらは輝く星を見るように、目もくらむ思いがするはずだ。

  さあ、祖国の地よ、祖国の神々よ、この旅を上首尾に終わらせ、わたしを迎え入れたまえ。また、父の屋敷よ、おまえを清めるこの仕事のために神に遣わされたこのわたしに勝利の栄冠を与えたまえ。わたしをこの屋敷の富とこの国と支配者として受入れたまえ。

  さあ、これでいい。それでは、爺やよ、おまえはおまえで仕事にかかってくれ。我ら二人も出掛けよう。おまえの言うとおり、時は今だ。すべての鍵を握っているのは時なのだ。

 

  屋敷の中からエレクトラの声

 

エレクトラ ああ、ああ、悲しいわ。

老人 おや、あの声は。屋敷の女だろうか。戸口から泣き声が聞こえます。

オレステス かわいそうに。エレクトラだろうか。もう少し聞いていようか。

老人 およしなさい。何よりもまず、神様のお言いつけ通り、父上のお墓参りをなさいませ。それがこの作戦の成功と我らの勝利への第一歩でございます。(三人退場)

 

  エレクトラ屋敷の前に現れる

 

エレクトラ(歌う)

  清らかなる朝の光よ、大地を覆う朝の大気よ、何度わたしの悲しみの歌を聞いたの、何度わたしが、悲しみに血がにじむほど胸打つ音を聞いたの、暗黒の夜が明けるごとに。夜もまた、哀れなる父を悼んで、不幸な家で眠れぬ時をすごしながら、悲しみの涙で枕を濡らす。苛酷な戦いを生き抜いて、異国から帰った父をわたしの母とその男のアイギストスが頭からまさかりで、まるで木を切り倒すように、まっ二つに切り殺した。父よ、あなたの屈辱の死を悲しむ女は、このわたしだけ。

  一人でも泣き続けるわ。夜の星と日の光をこの世にあって目にする限り、わが子を亡くして泣き続けるナイチンゲールという鳥のように、いつまでもこの戸口で声高く泣き続けるわ。ああ、地獄の神ハデスとペルセポネーよ、ああ、黄泉路の導き手ヘルメスよ、そして恐るべき呪いの神よ、非業の死を遂げた者と不義する者を見逃さない復讐の女神、神々の恐ろしい娘たちよ、殺されたわたしの父のかたきを取ってちょうだい。今すぐに助けに来てよ。わたしの弟を帰してよ。一人では負いきれないこの悲しみに、もうわたしは耐えられないわ。

 

  アルゴスの女たちからなる合唱隊登場

 

女たち(歌う) 恐ろしい母を持つエレクトラ。どうしてそんなに飽きもせずいつまでも泣き続けるの。あなたの父のアガメムノンが邪悪な母の悪智恵にかかって、無残な死をとげたのは遠い昔のことよ。でも、こんなことを言って許されるなら、この悪事の張本人こそ死ねばいい。

エレクトラ(歌う) あなたたちはいい人たちね。泣いているわたしを慰めようと、ここまで来てくれたのね。その気持ちは身にしみてよく分かるけど、哀れな父を思うと泣けて仕方がないの。ねえ、もし本当にいつものようにわたしのことを思ってくれるなら、そっとしておいて。好きなだけ泣かせてちょうだい。ねえ、お願いよ。

女たち(歌う) いくら泣いても祈っても、死んだ人はあの世から帰りはしないわ。人はいつか死ぬものよ。そんなに果てしなく泣き続けて、どうしようもない悲しみに浸っていると、自分をだめにしてしまうわ。そんなに泣いても救われないのよ。どうして悲しみばかり追い続けるの。

エレクトラ(歌う) 親の不幸な死を忘れるような人にわたしはなりたくないわ。死んだ娘イテュスの名を呼びながら、悲しんで泣き続ける鳥ナイチンゲールがわたしは好きよ。あの鳥は神ゼウス様のお使いなのよ。ああ、石になっても泣き続ける悲しみ多いニオベ様、あなたにわたしは神の名をあげたい。

女たち(歌う) 悲しみはあなた一人のものではないのよ。あなたの妹のクリュソテミスもイフィアナッサも悲しんでいるわ。でも、いつまでも泣いているのはあなただけ。悲しみを知らずに大きくなったオレステスが、ゼウスの神のお導きでこの国に帰ってくれば、名高いミケーネの王として迎えられ、祝福されることでしょう。

エレクトラ(歌う) そうよ、そのオレステスを辛抱強く待ってるの。夫も子供もないみじめなわたしは、涙にくれながら、いつ終わるともない不幸に耐えてるの。でも、あの子はわたしのことも敵討ちのことも忘れてしまったのかしら。あの子から知らせは来ても、期待はずれに終わるだけ。いつも帰りたいと言うだけで、帰る決心がつかないのよ。

女たち(歌う) 大丈夫よ、大丈夫。空に住む偉大な支配者ゼウス様は何もかもお見通し。あなたの恨みはゼウス様がきっと晴らしてくれる。敵に対する憎しみは胸に秘めて、行き過ぎた嘆きは慎むことよ。時が全てを解決するわ。海辺のクリーサの牧場に暮らすオレステスも、あの世を支配する神も、あなたを見捨てるはずがないわ。

エレクトラ(歌う) もう何年になるかしら。期待は裏切られ通しよ。わたしはもう待ちくたびれました。わたしを守ってくれる人はいないし、わたしには子供もいない。ただやせ細るばかりよ。まるで屋敷に仕える卑しい召使のよう。こんなみじめな姿にさせられて、食事もさせてもらえないのよ。

女たち(歌う) 痛ましや、あれは帰国のときの宴の場。青銅のまさかりの一撃が真っ直ぐに振り下ろされた。痛ましや、お父さまの断末魔の叫び声。悪智恵が編み出した人殺しを、欲にかられて凶行に及んだ。世にも大それたことを仕出かしたもの。一体これは神の仕業か人間業か。

エレクトラ(歌う) そうよ、あれほど悔しかったことはない。ああ、あの夜、あの恐ろしい宴の場。あの二人の手によって、わたしの父は言い知れぬ苦しみのなか、無残な最期をとげた。わたしは二人の囚われの身。もうわたしはだめよ。オリンポスの偉大な神ゼウス様、二人を苦しめて罰を与えて下さい。あんなことをした人たちが富み栄えるなんて許されないわ。

女たち(歌う) もうそれ以上はおよしなさいな。もっとみじめな目に会うわよ。自分で招いた災難に、自分から飛び込むつもり? 不機嫌な顔をして喧嘩ばかりしているから、こんなにも余計な苦労を背負い込んでいるのよ。かなわぬ相手に逆らわないで、少しは我慢することよ。

エレクトラ(歌う) このでたらめな世界では、こうするより仕方がないわ。わたしが頑固なことは知っています。でも、このでたらめな世界では、命のある限り、この悲しみは止まらないわ。あなたたちはいい人だけど、気休めの言葉を言っても無駄よ。思慮ある人なら分かるはず。慰めはいらないわ、そっとしておいて。どうしようもないのよ。泣いて、泣いて、いつまでも泣き続けるわ。

女たち(歌う) 悪いことは言わないわ、信じてね。親心から言っているのよ。これ以上自分を苦しめるようなことはやめるのよ。

エレクトラ(歌う) わたしは落ちるところまで、落ちればいいの。亡くなった人を捨てて置くのが、どうして褒められることかしら。どこの世界にそんな人がいるかしら。わたしは、恩知らずの仲間にはなりたくないわ。親を忘れて、泣くのをやめて、楽しく暮らすなんて、わたしには出来ないの。かわいそうに、殺されたほうは土になったのに、殺したほうは罰も受けずに生きているのよ。それで事が済むというのなら、人の世に恥も道義もあるものですか。

 

女たち エレクトラ、わたしたちはあなたのことが、とても人事とは思えなくて、こうして出てきたの。でも、お気に召さないなら、もう何も言わないわ。あなたの思うようになさいな。

エレクトラ いつまでも泣いてばかりで辛抱が足りないと言われると、それは自分でも恥ずかしいわ。でも、わたしにはほかにどうすることもできないのよ。分かってちょうだい。

  だって、父の家がとんでもないことになっているのよ。それも少しはよくなるどころか日に日に悪くなるばかりなのよ。由緒ある家に生まれた女が、これを見てどうして嘆かずにいられるというの。

  第一、わたしの実の母親が娘のわたしとかたき同士になっているのよ。その上、この家はわたしの家だというのに、同じ屋根の下には父を殺した人殺しどもが暮らしていて、わたしはやつらの召し使いにされてしまい、自分の生殺与奪の権まで握られているのよ。

  それだけじゃないのよ。いったいわたしが毎日どんな日々を送っていると思っているの。あのアイギストスはわたしの目の前で父の座っていた王座に腰かけて、わたしの目の前で父の装束を身に付けて、父を殺した部屋のかまどにお神酒を注いでいるのよ。それより何より、あの人殺しはわたしの目の前であの情けない母といっしょに父の臥床に入っているのよ。こんな侮辱があるかしら。あんな男と寝ている女を自分の母と呼ぶなんてわたしはまっぴらだわ。

  見下げはてたあの女は、神の祟りも恐れずにあの殺人犯の妻の座に収まっているだけじゃないのよ。それどころか、まるで自分の犯した罪を得意がるように、父をだまし討ちにした日をわざわざ選んで、自分たちの守り神に毎月生贄を供えて、歌えや踊れのお祭騒ぎ。そんな様子を眺めては、屋敷でたった一人、人目を忍んで父アガメムノンの不幸な宴に対して悔し涙を流しては、やせ細っていくわたしなのよ。

  でも、思う存分泣くことさえ許されないの。だって、あの女、世間ではお上品で通っているけど、わたしに対しては罵詈雑言を浴びせるのよ。

  「何だね意地の悪い、罰当たりな子だね。まるで父親を亡くしたのは、おまえが初めてみたいじゃないか。おまえより気の毒な人は、世の中にたくさんいるんだよ。このくたばり損ない。その調子で死んだ人のことばかり言って、泣いていればいい」と、こんなひどいことを言うのよ。オレステスが来るとどこかから聞いたときは、怒り狂ってわたしの耳元で大声で言うのよ。

  「こんなことになったのは、おまえのせいだよ。全く余計なことをしてくれたね。オレステスをわたしの手から盗み出したのは、おまえなんだからね。いいかい。このお礼はきっとさせてもらうよ」

  こんなことをわたしに向かってわめきちらすのよ。その脇から、あのご立派な旦那様が、そうだそうだと、はやし立てるのよ。あの男は本当に何をするにも一人では出来ない腰抜けよ。あのまったくの疫病神は、女の手を借りないと、喧嘩一つ出来ないのよ。

  このわたしは、あのオレステスがこの不幸からわたしを救い出しに来てくれるのをこうしていつまでも待ちながら、きっと惨めに死んでいくんだわ。だって、あの子がいつも先延ばしにばかりしている間に、わたしの希望は消えてしまったのよ。もうこれから希望をもてるあてもないわ。こうなったからには、分別も慎しみもあったものじゃない。こんなでたらめな世の中では、きれいごとを言っていても始まらないのよ。

女たち ねえ、どうなの。アイギストスはお留守なの? まさか近くにいるんじゃないでしょう?

エレクトラ もちろんよ。もし居たら、わたし、こんなところまで出てこれるはずがないでしょう。今は田舎に行っているわ。

女たち なるほどね。それなら、わたしたちも安心してあなたとお話しできるわ。

エレクトラ わたしに何が聞きたいの? いまあの人はいないから、安心して言ってみて。

女たち じゃあ聞くけど、一体あなたの弟さんはどうなの。来るって言っているのか、それともまた先延ばしなのか、それが聞きたいの。

エレクトラ 来るとは言っているわ。でもあの子はいつも言うだけで、言ったことを一度も実行に移したことがないのよ。

女たち それは仕方がないわ。誰でもこれだけ大きなことをするとなると二の足を踏むものよ。

エレクトラ そうかしら。わたしがあの子を救い出した時には、そんなことはなかったわ。

女たち 大丈夫。あなたの弟だもの、自分の大事な人を見捨てるようなことはしないわ。

エレクトラ わたしはそれだけを信じて、ここまで頑張って生きてきたんじゃないの。

女たち もうそれ以上話すのはおよしなさい。ほら、あなたと同じ両親から生まれた、妹さんのクリュソテミスが屋敷から出てくるわ。地下で眠る人たちにお供えする、しきたりの品を持っているわ。

 

  クリュソテミス、屋敷から登場

 

クリュソテミス 姉さん! あなたはまた玄関の所まで出てきて、いったい何をそんなふうに言い触らしているの。まったくいつになったら分かるの。無駄な怒りに憂き身をやつしていたって、何にもならないのよ。

  もちろん、わたしだって、こんなことなってしまって本当につらいのよ。嘘じゃないわ。できれば、わたしもあの人たちに対して心の中で思っていることを思う存分ぶちまけてやりたいのよ。でもねえ、いまの状態では、これは災難だと思って殊勝らしくしているしかないのよ。

  それに、実際にはかすり傷一つ負わせられないのに、何かしそうに思われるのだけは避けるべきよ。姉さんもわたしを見習うべきだわ。そりゃあ、姉さんの考え方が正しくて、わたしの言ってることは間違ってるわよ。でもねえ、わたしが今の自由な暮らしを続けていくとしたら、長いものに巻かれる以外には方法がないのよ。

エレクトラ そんなばかな。それでは、あなたは母親のことは大事でも、自分の実の父親のことはどうでもいいと言うの? だって、あなたのわたしに対するそのご託宣は、みんな母に言われたとおりをしゃべってるだけじゃないの。自分の頭で考え出したことなんて一つもないのよ。

  そうでないっていうなら、あなたは、父のことなんか忘れておとなしくしているか、わたしと同じように分別を忘れるか、どちらか一つにはっきりしなさいよ。ところがどう? あなたは今みたいに、できればあいつらに対して怒りをぶちまけてやりたいなんて口では言いながら、わたしが父の名誉を挽回しようと精一杯やっているというのに、あなたはわたしに協力するどころか、わたしの邪魔ばかりしているのよ。

  それでは、あなたは惨めなだけでなくて、卑怯者じゃないの。そうでないなら、わたしがこの嘆きをやめるとどんないいことがあるのか説明してよ。いいえ、わたしが教えてあげるからよく覚えておいて。

  この暮らしはもちろんひどいものよ。だけど、この暮らしでわたしは十分なのよ。わたしは今は亡き父に対して敬意を表すために、あいつらを困らしてやっているのよ。あの世で父もきっと喜んでくれているはずだわ。ところがあなたは、口ではあいつらが憎いだなんて言っているけど、それは本当に口先だけで、現実は父のかたきと仲良く暮らしているのよ。わたしはそんなのいやよ。たとえあなたと同じぜいたくをさせてやると言われても、絶対あいつらに対して膝を屈したりするものですか。

  あなたはごちそうに囲まれて、優雅に暮らすといいのよ。わたしは良心に恥じない暮らしだけでたくさん。あなたと同じ恩恵に浴したいとは思わないわ。あなたも馬鹿でないなら、わたしと同じようにするはずよ。ところがあなたは、あのだれよりも素晴らしい父の血を受けた子で通るところを、今みたいなことをしているおかげで、あの母親の血を引いた子だと言われるんだわ。そうよ、こんなことをしている限り、自分の死んだ父と自分の身内を見捨てた裏切り者だとみんなから呼ばれ続けるのよ。

女たち お願い、もう口げんかはやめて! どちらの言い分にもそれぞれいいところはあるわ。あなたもそして彼女も、二人ともお互いに相手の言い分を取り入れるようにしなさい。

クリュソテミス あら、わたしのことならいいのよ。姉の繰り言はいつものことですからね。わたしも、何もこんなことをわざわざ言うつもりはなかったのよ。でも、姉の身に大変なことが迫っているという話をちょっと小耳にはさんだものだから。そうなれば、姉の嘆きもいよいよ年貢の納め時ということね。

エレクトラ おやおや、その大変というのを聞こうじゃありませんか。もし、今よりもっと大変なことがあるなら、そのときは何でもあなたの言う通りにしてあげるわ。

クリュソテミス じゃあ、言わせてもらうわ。わたしの聞いた限りでは、このままいつまでもあなたがこの嘆きをやめないようだと、あなたをよその国の日の射さない地下の穴蔵へ押し込んで、死ぬまでずっとそこで我が身の不幸を嘆いてもらうということよ。そういうことだから、あなたもよく考えることね。あとで痛い目に会ってから、わたしに泣き言を言っても知らないわよ。今の内に目を覚ますことね。

エレクトラ そう、そんなことをしようと考えているの。

クリュソテミス そうよ、絶対に。アイギストスが帰り次第にね。

エレクトラ へえ、そんなことなら、早く帰ってくればいいのよ。

クリュソテミス そんな縁起でもないことを言うなんて。あなた、どういうつもりなの?

エレクトラ そんなことをするつもりなら、早く帰ってこいと言っているのよ。

クリュソテミス 自分がどうなると思っているの。あなた、気は確かなの?

エレクトラ もうあなたたちの顔を見ずに済むということでしょう?

クリュソテミス でもそうなったら、今の暮らしまで失うのよ。

エレクトラ 結構な暮らしだものね。本当に素晴らしい暮らしよ。

クリュソテミス でも、あなたもおとなしくしていることさえ覚えたら、本当にそうなるのよ。

エレクトラ このわたしに父に対する裏切り者になる方法を教えるのはやめてちょうだい。

クリュソテミス いいえ、そうじゃない。ただ、強い者の言うことは聞いている方がいいと言っているのよ。

エレクトラ あなたは、そうしてぺこぺこしていればいいわ。でも、わたしはいや。

クリュソテミス でも、馬鹿な考えで身を滅ぼさないことは立派なことだわ。

エレクトラ 父のかたきを討つために必要とあれば、わたしはこの命を捨てる覚悟です。

クリュソテミス そんなことしなくても、父はきっと分かってくれるはずよ。

エレクトラ 臆病者がその意見を聞いたら、きっと賛成してくれるでしょうよ。

クリュソテミス でも、あなたはどうなの? この意見に賛成してくれないの?

エレクトラ 絶対にいや! 何があってもそんな馬鹿なことをするのはいやよ。

クリュソテミス じゃあ、いいわ。わたしは用事があるから行くわ。

エレクトラ どこへ行くの? そんな器を持って誰のお墓に行くの?

クリュソテミス 父のお墓にお神酒をあげてくるようにと、母に言われてきたの。

エレクトラ なんですって? 母にとっては誰よりも憎い敵の墓に、お神酒をですって?

クリュソテミス それも自分の手で殺しておきながら。そう言いたいんでしょう?

エレクトラ 身内の誰かが勧めたの? どうしてこんなことをする気になったの?

クリュソテミス どうも母は何か怖い夢を見たらしいのよ。

エレクトラ やったわ! 先祖の神様、今こそわたしにお力添えを!

クリュソテミス あなたは、母が怖い夢を見たことで、勇気付けられるの?

エレクトラ まずどんな夢だったか話して! わたしの答えはそれからよ。

クリュソテミス わたしが知っているのは少しだけよ。それしか言えないわ。

エレクトラ それでいいから言ってみて。ちょっとした話がきっかけで、人の運命が良くなったり悪くなったりすることは今までにもよくあることなのよ。

クリュソテミス 人から聞いたことだけど、母は夢の中で、わたしたちのお父様が生き返ってきて、もう一度ご自分のそばにいらしたのを見たというの(ご自分とおやすみになったというの)。それから父は王位を示すあの杖を、今はアイギストスのものになっているけど昔は父のものだったあの杖をね、ご自分の手にとって家のかまどに突き刺したの。

  するとその杖から枝が出てきて、それがミケーネの国全体を覆ってしまうほどに成長したのですって。この話は、母が日の神様に夢を打ち明けている時に側にいた人から聞いたの。わたしが知っていることはこれだけよ。このほかに知っていることといえば、母がわたしを遣わしたのはこの夢のことが心配だからということぐらいね。

エレクトラ それなら、いい子だからあなたは、その手に持っているそんなものは絶対にお墓にお供えしてはだめよ。あの女は父の敵よ、そんな人に頼まれてあなたが父のお墓にお供えをしたりお神酒を捧げたりするなんて許されないし、神様にも失礼なことなのよ。

  いいこと。そんなものはどこかに捨ててしまいなさい。いいえ、深い穴を掘って埋めたほうがいい。間違って足が生えても、父の眠っている所へは絶対に近づけない所にね。そして、あの女が死んだらあの世で受け取れるように、貴重品として地下に保管しておいてあげるのよ。

  それにしても、あんな恥知らずな女はこの世に二人といないわ。さもなきゃ、自分が殺した人のお墓に、敵意のこもったこんなお神酒をあげようとするはずがないもの。だって、考えてもみて。お墓の中にいる今は亡き父が、そんなお供えをあの女から喜んで受け取ると思って? あの女はまるでかたきを討つように父を騙し討ちにしたのよ。おまけに死体をばらばらに切り刻んで、清めのためと称して、父の頭で返り血をごしごしふき取ったのよ。

  まさか、あなたもそんなものをお供えすれば、人殺しの罪滅ぼしになるなんて考えていないでしょう。そんなことはあり得ないわ。さあ、そんなものは捨てて、わたしたち二人の髪の毛を切って父に差し上げてきてちょうだい。残念ながら、これでは少ないけれどこれがわたしの全財産なのよ。この髪の毛を嘆願の印として、この飾りのない粗末な帯をそえてお供えしてちょうだい。

  それから、ひざまずいてしっかりお願いするのよ。「お父様、敵と戦うわたしたちを助けるために、どうかお慈悲をもってあの世からお帰り下さい。また、あなたの息子のオレステスがその足であなたの敵を踏みつけて、無事に勝利を収めることができますよう、お力添え下さい。そうなれば、いまよりももっと手厚いご供養ができましょう」と。

  わたしはねえ、わたしは思うの。これはきっと父の考えよ。父がこの恐ろしい夢を母に送ったのよ。でも、とにかくあなたはいま言ったように父にお願いしてきてね。それがわたしたちだけでなく、わたしたち二人にとって誰よりも大切なあの世の父のためになることなのよ。

女たち エレクトラの今の言葉は立派だわ。あなたは彼女の言う通りにするのが賢明ですよ。

クリュソテミス ええそうするわ。何が正しいか分かったら、もう二人が言い争っているべきではない、今は行動あるのみということね。でも、わたしがこんなことをしたなんて、絶対に母には言わないでよ。こんな大それたことがもし母の耳に入ったら、わたしはどんな目に会うか分からないから。(退場)

 

女たち(歌う)

  わたしたちの予感に狂いがなければ、わたしたちが愚か者でないならば、この夢は正義の神が遠からず現れて、悪人に裁きを下し、正しき者に勝利をもたらす前触れにちがいない。いま聞きた夢の話は勇気と励ましを我らにくれた。エレクトラよ、あなたの父、ギリシャの大将アガメムノンはあの事件をいつまでも忘れはしない。その昔あの方を無残にあやめた両刃の斧の恐ろしい思い出は消えはしない。

  数多き足を持ち、数多き腕を持ち、待ち伏せしている、恐ろしい復讐の女神が、追跡の手をゆるめずに、必ずやってくる。許されざる者たちが、血塗られた結婚への欲望にとりつかれ、不義、不倫を働いたのだから。わたしは信じている、この夢は罪人とその仲間に必ず罰が来る兆しだと。もしこの夢が正夢でないならば、人の世に、夢占いも神のお告げも意味がない。

  むかしペロプスが企んだ戦車競技は、何という災いをこの国にもたらしたのか。それは数多い不幸の始まりだった。あのミュルティロスという名の御者が、冷酷な仕打ちを受けて黄金の車からまっさかさまに突き落とされて、海の底に横たわってより、この家に不幸を招く悪事の絶えたことなし。

 

  クリュタイムネストラ、屋敷から登場、侍女を連れている

 

クリュタイムネストラ どうやらまた勝手に出歩いておいでのようね。アイギストス殿が留守だからなのね。あの人なら、おまえが表を出歩いて身内の恥をさらすようなまねは許さないはずだからねえ。居ないとなると途端に、このわたしをなめたようなことをするのよ。人にはわたしのことを、大変な暴君で、いつもいじめられてばかりいると言いふらしているくせに。

  わたしは、もともとおまえをいじめる積もりはないのよ。わたしがおまえを口汚くののしるとしたら、それはいつもおまえが先にわたしを口汚くののしるからですよ。そうでしょう。わたしに父親を殺されたものだから、おまえは何かといえば父親のことばかり持ち出すのよ。

  そうですよ。あの人はわたしが殺しました。それは、わたしが一番よく知っています。誰もそうじゃないとは言っていません。だって、あれはわたしが勝手にしたんじゃない。あの人は正義の神のお裁きを受けたのよ。分別さえあれば、おまえだってわたしの味方をしたはずよ。

  だって、おまえがいつも嘆き悲しんでいる、あのおまえの父親は、ギリシャ人の中でただ一人、おまえの血を分けた姉を人身御供にする気になった人なんだよ。あの子が生まれた時のわたしの苦労と比べたら、自分はろくな苦労もしなかったくせに。

  じゃあ、聞くけどねえ。あの人は娘を誰のために生贄にしたのよ。ギリシャ人のためだとでも言うのかい。でも、ギリシャ人にはわたしの娘を殺す権利なんかありゃしない。それとも、あの人の弟のメネラオスのためだとでも言うのかい。そんな言い訳が通るとでも思ったのかい。あいつには二人、子供がいたと言うじゃないか。わたしの子より、あいつの子供が死んだらよかったんだ。

  もともとあいつの妻のヘレネのためにトロイ戦争が起こったんじゃないか。それとも何かい、神様の方で、生贄はあの女の子供じゃなくてわたしの子がいいとおっしゃったのかい。あのあきれた父親には、メネラオスの子は可愛くて、わたしが生んであげた子は可愛くはないのかい。

  あんなまねは、血も涙もない気違いのすることさ。おまえがどう言おうが、そうに決まっている。そうだ、もし口がきけたら、死んだあの子もきっとそう言うはずだ。何も後悔することなんかないわ。わたしが悪いと思うのはおまえの勝手だけど、人のことをとやかく口に出して言う時は、物事を正しい目でよく見てからにしてほしいね。

エレクトラ 今度はわたしが先にののしったから、あなたの口がこんなに悪くなったとは言わせないわよ。よかったら、亡くなった父と姉のために、ちゃんとしたところをわたしにもひとこと言わせてもらいたいんだけど。

クリュタイムネストラ もちろん結構だよ。いつもそんな風に切り出してくれてたら、おまえの話も聞きづらくはなかったろうにね。

エレクトラ じゃあ、言わせてもらうわ。あなた、父を殺したと言ってたけれど、そんなことをよく口に出して言えたものね。これ以上に恥ずかしいことがあるかしら。正しいも何もあったものじゃない。言っておくけど、あなたが父を殺したのは正義の神のお裁きなんかではなくて、いま居るあの悪党の誘惑にあなたが負けたからなのよ。

  そもそも、狩りの女神のアルテミスが、アウリスの港から風という風を封じこめて何をとがめようとなされたのか、女神に聞いてみるといい。神様からは聞けないというなら、わたしが教えてあげるわ。伝え聞くところによると、わたしの父は女神の森で狩りを楽しんでいた時に、足音に驚いて飛び出したまだらの牡鹿を撃ち倒したそうよ。その時父は勝ち誇ったような言葉をふと洩らしてしまったの。

  これに腹を立てた女神は、ギリシャの軍勢を足止めにしてしまわれたの。とうとう父は捕った獲物の償いに自分の娘を人身御供に差し出したの。姉の生贄にはこんな事情があったのよ。ほかの方法では軍はトロイへ行くことも本土へ帰ることもできなかったのよ。そのために、父はさんざん抵抗したあげくに、いやいや姉を神に捧げたのよ。けっしてメネラオスのためなんかじゃなかったわ。

  でも、もしもよ、もしもあなたの言う通りにあんなことになったとしてもよ、そのために、父があなたに殺されなければならないということになるかしら。そんな法があるものですか。そんな法を勝手に決めたりして、自分が痛い目に会って後悔することにならないように気をつけるのよ。だって、殺されたから殺すということになったら、あなたこそ最初に罰を受けて殺されなければならないのよ。

  でたらめな言い訳をしないように気をつけることね。だって、よかったら、どういうわけであなたは、こんな世にも恥ずかしいことをしているのか説明してほしいわ。あなたは人殺しと一緒に寝ているのよ。あなたは、その男といっしょにわたしの父を殺しておいて、おまけに、前のちゃんとした結婚から生まれたちゃんとした子供を追い出して、人殺しとの間に子までなしているのよ。どうしてこれが褒められて。それとも、これも娘の仕返しだとでも言うつもり? そんな恥ずかしいことは、まさか言わないわね。娘のために敵の妻になるなんて、立派なことではありませんからね。

  ああそうだった。わたしがあなたに意見してはいけなかったのだわ。母親に対するわたしの口のきき方が悪いといって、あなたは声を荒げていたわね。はっきり言って、あなたはわたしたちには母親というより暴君なのよ。あなたはあのご亭主といっしょになって、わたしにこんなみじめな暮らしをさせて、手を変え品を変えてずっとわたしをひどい目に会わせてきたのよ。

  あの異国のかわいそうなオレステスだって、あなたの手をすりぬけて逃げだしたものの、不遇のうちに命をすり減らしているのよ。あなたは、あの子のことでも、わたしが敵討ちに育てていると言って何度も何度もこのわたしを責めるのよ。ええ、ええ、もし出来たら、そうしたでしょうよ。

  これはよく覚えておくといいわ。あなたはこのお返しに、わたしのことを世間に対して、人でなしとでも減らず口とでも恥知らずとでも何とでも好きなように言うがいいわ。わたしがもしそんな女だとしたら、それは正真正銘わたしがあなたの娘だということだわ。

女たち おやおや、奥様はひどくお怒りのご様子。この人の言うことが正しいかどうかなんか全くお考えでないようだわ。

クリュタイムネストラ あたしがこんな娘に対してどんな配慮をしなきゃいけないというのよ。この子はいい年をして、親のわたしをこんなに馬鹿にしたのよ。この恥知らずはいったい何をやりだすか知れたものじゃない。そうでしょう。

エレクトラ あなたには分からないでしょうけど、わたしはこれでも恥知らずじゃないわ。よく覚えておいて。この年でこんなことをしていて恥ずかしいことくらい知っているわよ。でも、あなたの言うことなすことはみんな意地の悪いことばかりで、わたしはいやでもこうせずにはいられないのよ。だって、恥ずかしい行いは、恥ずかしい人から教わるものだっていうじゃないの。

クリュタイムネストラ まあ、厚かましい。そうよ、みんなあたしのせいよ。あたしの言うことなすことが、あんたをこんな減らず口にしたのよ。

エレクトラ 減らず口はそっちよ、わたしじゃないわ。だって、これはみんなあなたのしたことが言葉に姿を変えただけだもの。

クリュタイムネストラ ちくしょう、いまいましい。アイギストスが帰ってきたらただでは済まないからね。

エレクトラ あなた、わかってるの? そうやって怒ってるけど、言いたいことを言えと言ったのはそっちなのよ。聞く気もないくせに。

クリュタイムネストラ さあ、もうお黙り。わたしに神様にお祈りさせとくれ。おまえにはもう言いたいことを言わせてあげただろ。

エレクトラ さあ、どうぞ、どうぞ。お祈りしてちょうだい。だけど、わたしのことを減らず口だなんて二度と言わないでね。もう黙ってあげるから。

クリュタイムネストラ(侍女に) さあ、そこにいるおまえ、神様にお供えの果物を差し上げておくれ。これからわたしは神様にお祈りをして救っていただくのよ。ちょっと心配事があるんでね。

  わたしたちの守り神のアポロン様、これから申し上げることをよくお聞き取り下さい。周りは味方ばかりではございませんから、全てをはっきりとは申しあげられません。ここにいるおしゃべりで意地の悪い娘にでたらめな噂を国じゅうに流されては困ります。ですから、全てを白日のもとにさらけ出すことはできないのでございます。そのつもりでお聞きください。わたしにはこうするしかないのでございます。

  アポロン様、昨夜わたしは不思議な夢を見ました。もし、それが善い兆しならば成就させて下さいませ。また、もし悪い兆しならば、どうぞ敵どもの上に送り返して下さいませ。そして、わたしの富をかすめ取ろうと企てる者たちから、わたしをお守り下さい。そして、由緒あるこの家とこの身分を失うことなく、わたしにやさしい親孝行な子供たちに囲まれた幸福な生活を、今の夫とともにこのままいつまでも何事もなく続けていけますよう、お守り下さい。

  アポロン様、どうかお慈悲をもってこの言葉をお聞きのうえ、わたしたちみなのために、この願いをかなえてくださいませ。あなたは神様ですから、わたしが申し上げなかったほかのお願いもすべてお察し頂けたものと存じます。ゼウスの子であるアポロン様には全てがお見通しのことでございますゆえ。

 

  老人登場

 

老人(女たちに) もし、ご婦人方、お尋ね申します。こちらがアイギストス様のお屋敷でございますかな。

女たち おっしゃるとおり、こちらでございます。

老人 すると、そのお方が奥様でございますかな。いかにも、ご立派なお姿じゃ。

女たち そうですとも。こちらが奥様です。

老人(クリュタイムネストラに) これはこれは、奥様。わたくしどもは、アイギストス様ならびに奥様に、お味方からの伝言を仰せつかって参った者でございます。とても善いお知らせですぞ。

クリュタイムネストラ これはまた幸先のよいお言葉ですこと。まず最初に、どなたのお使いでいらっしゃったかお伺い致しましょう。

老人 フォーキスのファノテウス様からでございます。とても大切なお知らせです。

クリュタイムネストラ では、その大切な知らせというのをお伺いしましょう。あの方ならわたしたちと親しい方ですから、さぞや善い知らせに違いありません。

老人 手短に申しますとな、オレステス様が亡くなられたということです。

エレクトラ ええ、そんな馬鹿な。今日でわたしの命も終わりだわ。

クリュタイムネストラ えっ、何です、何ですって。この娘には構わないで。

老人 いま申しました通り、オレステス様が亡くなられたということじゃ。

エレクトラ ああ、わたしはもうおしまいよ。生きていてもむなしいだけ。

クリュタイムネストラ(エレクトラに) よけいな口を挟むんじゃない。使いの方、わたしに本当のところを話して下さい。あの子はどのようにして死んだのです?

老人 そうじゃ。わしがわざわざやって来ましたのは、そのためですからな。今から残らずお話しましょう。

  うむ、あの方がギリシャの誇りとも言うべき、かの有名なデルフィの競技会に参加して名声を競っておられました時のことでございましたな。最初は徒競争じゃった。あの方は、競技の開催が高らかな声で宣言されるとともに、会場に姿を現されましたが、その晴れやかな姿は、満場の喝采を浴びたのじゃった。

  競技では、その姿に違わず見事な勝利で立派な栄冠を手にされた。早い話が、あの方ほどの力強い勝ちっぷりは、ほかに見たことがございませなんだ。結果だけを申しますと、あの方は開催された全ての競技で勝利を総ざらえにされ、会場に「優勝者は、アルゴス出身のオレステス。父親はかつてギリシャの有名な軍隊をひきいたアガメムノンです」と告げる声が上がるたびに、祝福の歓声が沸き起こるのじゃった。

  全くよい時には全てこのようなもの。ところがじゃ、一旦運命が狂い始めると、どんなつわものでも、どうしようもなくなるものですな。

  別の日に朝から四頭立ての戦車競技が行われたが、あの方のほかにもたくさんの方が参加した。アカイア人、スパルタ人、そして、こしらえの良い戦車を持った優れた乗り手のリビア人が二人。オレステス様は五番目にテッサリアの馬を従えて登場された。六番目は栗毛の馬を連れたアイトリア人。七番目はマグネシア人、八番目には白馬を駆ったアイニア人、九番目は聖なる都から来たアテナイ人、最後に、十番目の戦車に乗って登場したのはボイオティア人じゃった。

  さて、審判員がくじで決めた位置に戦車を並べ、一同が戦車に乗り込むと、ラッパの音でいよいよスタートじゃ。男たちは馬に向かって一斉に叫び声を上げ、手綱を打ち鳴らす。走路はがちゃがちゃという車輪の音で満たされ、砂ぼこりが高く舞い上がる。全車入り乱れ、車輪一つ、鼻先一つでも前へと、どの車もむちを惜しむ様子がない。馬の鼻息とつばきの泡が、前を行く人の背中と車に降りかかる。

  あの方はと見ると、外側の引き馬に手綱を振るって、後ろに迫る戦車を抑えながら、毎回ゴールポストをかすめるように駆け抜けて行かれた。

  こうして、どの車も順調な周回を続けていたのじゃが、六周を終えて七周目にかかる時に、気の荒いアイニア人の馬が暴れ出して、リビア人の戦車に頭から突っ込んで行ったのじゃ。この事故をきっかけに、他の戦車も次々とぶつかり合っては横転し、走路には壊れた戦車の残がいが山と築かれた。しかしながら、手綱さばきの巧みなアテナイ人は、この様子を見ると脇へ進路を変え、馬を止めて、走路中央の混乱の中へ殺到する戦車の群れをやり過ごした。

  しんがりに位置しておられたオレステス様は、勝利に自信を持っておられたのじゃろう、それまでは馬を抑えておられたが、敵が一人しかいなくなったと見るや、駿馬の耳に鋭い掛け声を響かせて追い込み態勢に入った。その後両者は並走し、頭一つでも前へ出ようと抜きつ抜かれつの争いが続いた。

  そして、あの方も車も無事に周回を重ね、いよいよあと一周の所までこぎつけた。ところがその時じゃ。ああ、おかわいそうに。あの方は、馬がカーブを回り切っていないのに、誤って内側の馬の手綱を緩めてしまわれたのじゃ。車はゴールポストに激突して、車輪の真ん中が砕けた。あの方の体は手綱に絡まったまま、車の外へ投げ出された。馬は地面に落ちたあの方を引きずって、走路を縦横に駆け回った。

  あの方が車から落ちた瞬間、観衆の中から大きな悲鳴が上がった。あれほどの功名を立てた若者に、こんな不幸が待っていたとは。あの方は地面にぶつかったり、あおむけになったりして引きずられて行った。馭者たちが走る馬をやっとのことで取り押さえ、あの方を手綱からほどいた時には、全身血まみれになって、身内の者でも見分けがつかないほど無残な姿になっていたのじゃ。

  フォーキスの者たちが亡骸を荼毘に付して、小さな青銅の壺に入れてすぐにこちらにお届けに上がることになっておる。祖国の地に埋葬されるためにな。あの立派なお体は今はもう哀れな灰に姿を変えてしまわれたのじゃ。

  さあ、これでわたしの話は終わりじゃ。まことに痛ましい話でございますな。わたしもこれまでいろんな事故を見てきましたが、こんな悲惨な事故を見たのは初めてでございます。

女たち やれやれ、どうやらこれで由緒ある血筋も根こそぎ絶えてしまったようです。

クリュタイムネストラ まあ、これはどう考えたらいいんでしょう。一体、喜んでいいのやら、悲しんでいいのやら。とにかく、わたしは助かりました。でもやはり、自分の血を分けた子の命と引き換えだけに、喜んでばかりはいられません。

老人 奥様は何を困っておいでじゃ。よい話でしょうが。

クリュタイムネストラ 親というものは悲しいものです。苦しめられても子供は子供、可愛いことに変わりはありません。

老人 うむ、どうやらわたしが参ったのは無駄であったか。

クリュタイムネストラ いえいえ、とんでもありません。無駄だなんておっしゃらないで下さい。あれはわたしが生んであげたのに、この胸から飛び出して異国の暮らしを選んだ子です。あなたは、そんなあの子が死んだという確かな証拠を持っていらしたんですもの。

  あの子はこの国を出ていってから、わたしに一度も顔を見せてくれたことはありません。それどころか、父親を殺されたのを恨んで、きっとひどい目に会わせてやると言ってよこすあり様です。おかげで、昼といい夜といい、わたしがゆっくり眠れる時はありません。ずっと今まで一瞬たりとも生きた心地がしませんでした。

  でも、あの子に対する恐怖からも、この子に対する恐怖からも、わたしは今日で解放されました。そうです、オレステスより厄介なこの疫病神は、わたしにしつこく食らい付いてわたしの生き血を吸い続けていたのです。でも、やっとこれでこの子の脅しを気にせずに、どうにか落ち着いて暮らしていけそうです。

エレクトラ あんまりじゃないの。ねえ、オレステス。あなたはこんな目にあったのに、自分の母親から泣いてもらえないなんて。あなたの不幸はわたしが泣いてあげるわ。ああ、わたしはなんて不幸なんでしょう。

クリュタイムネストラ いいや、お前は不幸でも、あの子はこれで幸せなんだよ。

エレクトラ 死者をばかにするなんて許されないわ。神様、聞いて下さい。

クリュタイムネストラ 神様は聞くべきことをお聞きになって、正しい裁きを下されたんだよ。

エレクトラ 勝手に言うがいい。そうしていい気でいられるのも今のうちだけよ。

クリュタイムネストラ さあ、オレステスとおまえとで、わたしをやっつけてごらん。

エレクトラ やっつけるどころか、反対にやられてしまったわ。

クリュタイムネストラ(老人に) 本当によくいらしてくださいましたわ。このやかましい娘を静かにして下さったのですもの。

老人 では、よろしければ、わたしは帰らせてもらいましょうかな。

クリュタイムネストラ おやおや、わたしに恥をかかせないで下さいませね。それでは、遣わされた先方様に顔向けが出来ませんわ。さあ、奥へ。さあさあ、こんな子には構わずに。この子には、外で勝手に我が身の不幸とやらを好きなだけ嘆かせておきましょう。

 

  クリュタイムネストラと老人屋敷へ入る

 

エレクトラ ねえ、あの卑劣な女は、息子があんな死に方をしたというのに、悲しんだり心を痛めたりして、嗚咽を漏らしたり、ひどく涙を流したりしているようにはとても見えないわ。それどころか笑いながら行ってしまったわ。こんなばかなことがあるかしら。

  ねえ、わたしの大切なオレステス。どうして死んでしまったの。あなたが死んでは、わたしはもうおしまいよ。わたしの心に残されたたった一つ希望だったのに、先に逝ってしまうなんて。もう絶望よ。このみじめなわたしといっしょに父の復讐をするために、いつかは生きて帰ってきてくれると信じていたのに。これからわたしはどこに行けばいいの。

  父を奪われ、あなたを奪われ、とうとう一人ぼっちになってしまった。また、父を殺したあの憎たらしい悪党たちの言いなりになるしかないなんて、わたしはそんなのいやよ。いいえ、もうこれからは、わたし、この家には入らない。あんな人たちといっしょに暮らすのはいや。

  もう、どうなってもいいわ。死ぬまで一人でこの戸口に居続けるわ。それがだめだと言うのなら殺したらいい。その方が、いっそありがたいわ。このまま生きていても、悲しいだけ。生きていても、何の甲斐があるというの。

 

女たち(歌う) この世のどこに稲妻を投げるゼウスの神と輝く日の神がいるの? このあり様を見ているのなら、懲らしめに来るはずよ。

エレクトラ(歌う) ああ、ああ、悲しい。

女たち(歌う) ねえ、どうして泣くの?

エレクトラ(歌う) まあ。

女たち(歌う) そんなに泣くことはない。

エレクトラ(歌う) ひどい。

女たち(歌う) なぜ。

エレクトラ(歌う) 死んだと決まってしまったのに、望みがあると言うつもり? 立ち上がれないこのわたしを踏みつけにするのも同じことよ。

女たち(歌う) アンフィアラオスの例がある。黄金の首飾りに目が眩んだ妻のせいで、大地に呑み込まれたけれど、今も予言者として―

エレクトラ(歌う) ああ、ああ、悲しい。

女たち(歌う) ―あの世を支配している。

エレクトラ(歌う) ひどい女。

女たち(歌う) そう、ひどい。でもそのひどい女は―

エレクトラ(歌う) 殺されたわ。

女たち(歌う) そう。

エレクトラ(歌う) その話は知っている。その人には恨みを晴らす人が現れたのでしょう。でも、わたしにはいない。頼みのあの子は突然あの世へ行ってしまったわ。

女たち(歌う) かわいそうに、ひどい目に会ったわね。

エレクトラ(歌う) そう、自分の不幸はよく知っている。知りすぎるほどよ。数々の恐怖と憎しみが押し寄せた年月だったの。

女たち(歌う) 分かりますとも。

エレクトラ(歌う) もういいの。慰めは悲しみを引き延ばすだけ。

女たち(歌う) まあ。

エレクトラ(歌う) もう望みはないわ。この家を救いに来る高貴な生まれの弟は、もういないのよ。

女たち(歌う) いつか人は死ぬものよ。それが人の世の定め。

エレクトラ(歌う) 弟の惨い死も定めなの? 競い合う馬のひずめのただ中で、手綱に絡まって死ぬのも定めなの?

女たち(歌う) 人の死は分からない。

エレクトラ(歌う) 分からない。国を離れ、このわたしの知らないうちに。

女たち(歌う) ああ。

エレクトラ(歌う) このわたしの涙も知らず、わたしの弔いも受けず、死んだのだから。

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