000131 「明日こそ、明日こそ、すべてにケリがつくことだろう!」
前置きはナシ!マジで!(笑)ということで1発目は『賭博者』著・ドストエフスキー(原卓也訳、新潮文庫)。ということですが、私は殆どギャンブルをやらないのですよ。麻雀もパチンコも競馬も競艇も宝くじもやりませぬ。年初めにおみくじを引くくらいですよ(今年は去年に引き続いて凶を出す。ルーレットでゼロが続けざまに出るのと同じくらい確率は低いような気もする)。 典型的な破滅型の主人公「私」=アレクセイ・イワーノヴィッチの大人しくしてりゃいいのにその場をめちゃめちゃにせずにはいられない幼児的な破壊衝動も分らなくはないけど、やっぱりこの本の一番おもしろいところは中盤の「お祖母さん」の登場からだろう。このばあさん、死の縁から這い上がって来て、遺産目当ての親族一同をさんざん罵倒した挙げ句、ルーレット(と30/40)で死ぬほどすりまくる。至極痛快。決めの台詞は「お前には(お金は)やらないよ」である。でもこの主人公、やっぱりドストエフスキー本人(の部分が大きい)なんだろうけど、アレクセイが本編中で大負けするところがあんまりないのが面白くなーい。ドストエフスキー本人はむちゃくちゃ負けてただろうに。
しかし本当に、この「明日こそ・・」の台詞に集約されるのだろうなあ。ギャンブラ−の気持ち。まあそれで「昨日もそう思った・・・」(えーん。この台詞なんの漫画からだったか忘れた!)にならないのがロシア式なのだろうか?
000201 新鮮なミイラを求めて
今日もミイラが見つかったようだ。去年のライフスペース以来、日本はミイラネタに事欠かない程ミイラが量産されている。子供のミイラもいた。このままでは今年の流行語大賞が「ミイラ」になってしまわないか心配・・・なんかしてません。ごめんなさい。ところで今日のミイラだが、他の件と違って事件の匂いが全くしない。どうやら仏さんは安置されていたという判断により、死体遺棄には問われないらしい。死亡届を出さなかったということで何とか罪のにより5千円くらいとられたそうだ。思い出した事があった。個人は極めて政治的な性格を帯びているということを、「法律」という観点から痛感させられたのは今から8年前、私が11歳の時だった。父親が突然亡くなったのだ。何がショックだったか。人間の死体がショックだった。火葬場の轟音がショックだった。剥き出しの骨がショックだった。それらにいちいち吹き飛ばされそうなくらいの重力を感じ続けた。それは極めて自然な感覚だったように思う。父の死それ自体は私にとっては鉛の突風みたいなものだった。しかし、それとは本質的に全くの別物として、父の死を或意味完全に象徴するものとしての死亡届という物を知った。とっさに嘲笑、あるいはほっぺたをつねられるような侮辱、とでもいえばよいだろうか。そういう性質の死はまったく人間を馬鹿にしていないか、と憤慨したのを覚えている。「そんなもの出さなくてもいいんじゃないか」と力を込めて、しかし小さな声で言った。そうはいかないことはよく分っていたからだ。案の定私の小さな抵抗は母の一言で流されてしまったが。 そういえば最近墓参りに全く行っていない。一緒に食事も出来ないようなやつのところへ、何故そう通うのか、という詩は誰のものだったか。何の為の墓なのか。それは墓の前に立つ事により、あっさり消え去る。父は隣の人と何を話しているのだろうか? 「ボボーグ」のように?
000202 Losers night out!
今日が何の日か知らない奴はもう、知らんわ。置いときます。さよなら。 といわけで遂にこの日が来たわけですよ!Losers Night Out vol.3!!(こんな名前がついていたの、会場に着いてから知りました)面子はBRAHMAN,我らがブラッドサースティ・ブッチャーズ、そしてHi-Standard。凄い。何なんだ、この企画は。
000203
000204
水野忠夫『囚われのロシア文学』(中公新書)を読む。
000205
チェーホフ『桜の園』(岩波文庫)を読む。
000206 the day of nep
最近不眠症気味のような気がする。と思ったら猫が隣にいるので窮屈で寝にくいだけだと気が付いた。容赦なく猫をベッドから蹴落とす。しかし後1時間しか寝られない。そしてその1時間中に私はネプチューン原田にレイプされる夢を観た。不眠のまま今日は8時間半労働をする。労働疲れに親子丼をかき込みながら見る「てるとたいぞう」は効くね。今日は泰三日和というわけか。 真っ赤なカバーの『イワン・デニーソヴィッチの一日』を読む。
000207
バイトの後、
000208 文学なんかに分ってたまるものか!
ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』。このタイトルは一体どうなんだろう、と思いつつも読む。 しっかし面白い。どうなんだ、この面白さは、という引け目はまるで感じない。感じないようにしたのだ。例えばこの『巨匠とマルガリータ』に対してその面白さに多少の距離を置こうとする人は、恐らくサドを読んでもその距離を必要とする人なんじゃないかと思う。それは恐らくここに存在する「文学らしさ」の欠如である。そんなものはクソ喰らえ。というわけで滅法矢鱈に面白いのである。
ブルガーコフについては知らない人がおおいと思うので簡単に作家とこの作品について触れておく。