Sさんのお母さんは、とても明るい方で、大きく口を開けて、はっきり話します。Sさんが赤ん坊のとき、掃除機の音にもかまわずよく寝る赤ちゃんだと、思ってましたが、調べてもらうと聴覚に障害がありました。当時、Sさんの聾学校は口話教育でした。お母さんも、聾学校から口を大きくはっきり開けて話すように指導されました。お母さんは、今でも手話は使いません。お母さんは、Sさんの口話の小さな頬の筋肉の動きから、言っている事は全部分るそうです。長い間一緒に生活している自分の子供なら、通じるわョと言っていました。お母さんは、Sさんの聾仲間にも大きな口をあけて話します。聾の方は、勘が良いので、大概は、分ってくれます。でも、肝心な部分や正確さが必要なときは、Sさんの手話で通訳してもらいます。「どうしてんも口話では区別つかないこともある(例えば卵とタバコ、イギリスとキリギリス等々・・)、だから口話はどうしたって限界があるよ」と話していました。
ある施設の校長が「無知が偏見を生み偏見が差別を生む」と、まず知ること・理解することの大切さを説いていました。先輩聾者が差別と口話偏重教育と戦い、手話を健聴者とのバリアの一つを除く為、社会に定着してくれました。成熟した社会あるいは人間にとっては、お互いの理解の為に障壁(バリア)のない交流が、必要です。「摺の会」活動は交流を柱にしています。Sさんのお母さんの話もそうした交流の中から聞けました。
又、手話には、もう一つ魅力があります。手話は表情無しには、相手の方に通じません。ある学校の手話教室で指文字だけを教え教本を見て、先生が教えていました。手話に対するこうした理解が未だに、あります。手話は表情の言語といえると思います。表情なしに「別にッ」だけで、全ての感情を現すようなことからは、豊かな感性の創造は、期待出来ないでしょう。こわばった表情で手話を始めた方々が、勉強が重なるに従って氷が溶けるように表情が豊かになって、生き生きしていきます。
そして聾者の上手な手話は、まるで踊りかパントマイムを見ているようです。
役者が演技のため手話を勉強するのが分ります。
コミニケーションの手段(SIGN LUGGAGE)としてのみならず自己表現の媒体(BODY LUGGAGE)としても、手話は大きな魅力があります。