THE NAKAMA FOREVER!!
HOSEI UNIV.

ここでは、OBの皆さんの当時の思い出や、現在の近況を掲載していきたいと思います。
(個人名などは、イニシャルなどにさせていただく場合もあります。ご了承ください。)


サークル仲間・・回想     学食の話     学祭の夜    ハッケイエン事件    入学式の思ひで

入学式の思ひで                      
それぞれの入学式の思い出について、過去を紐解いてみました。

(めじ)
確か前日は高校時代の悪友達との飲み会だったように思います・・。
当時の悪友達の間では、幸運なことに私だけ現役合格。あとの奴らは浪人でした。
そのときの私は高校時代が楽しかったため、仲間連中と別れるのがつらくて「オレもお前らと浪人する!」なんて言ってしまい、
「バカヤロー!大学に行きたくてもいけない奴もいるのにふざけるるな!お前はオレたちより1周早く走っていけ!」
「わかった・・すまん。オレも大学生活頑張るから、お前らも来年は勝利を勝ち取ってくれよ!」
「ああ・・」(互いに肩を組み号泣・・)
なんて青春ドラマそのもののような感じでした(笑)
で・・日本武道館の入学式に2日酔いで1人で参加。
たまたま付属から上がってきた新入生の輪の中に入ってしまい、彼らがどうもチャラチャラした感じに見えたんだろうね、
最後まで 入学式には参加しないで帰ってきてしまった。
武道館の周りには、皆経験あるでしょうが様々なサークルの勧誘が来ており、それについても何だか軽薄な印象を受けて、
せつなくな ってしまった。
そしてその夕方に高校時代の恩師(当時27歳独身女性)の家を訪ねて「先生、オレはこの大学でやっていく自信がありません」
なんて言ってしまい、再び説教をくらい・・そんな1日でした。
それでサークルへ入会するのもタイミングを失い、秋になっちゃったんだよね・・。
懐かしき19の頃。

(きのし)
入学式の想い出というと四国の田舎から出てきて天涯孤独状態・・。
何で東京なんかにきちゃったんだろう?と寂しい時間が続いてました。
オリエンテーションの時にサークルの勧誘を受けるまで、会話を交わす相手もなし、
そこへ飯○さんが、「サークル決まった?」というおさそいの声で、BOXへ。
そこには、どうみても3年生くらいにしか見えない「ぶん」が・・。
どうどうとした風格でした(笑)
思い出すたびに、懐かしいあの頃。

(アカプルコ)
ん〜入学式は私も一人で参加。
確かに、付属からあがってきたと思しき面々が母親連れてちゃらちゃらしているよ うに思え、一人の自分がかわいそうに思えた。
BUNちゃんは、どうみても先輩にしか思えず、なかじ先輩の長髪にもびっくり。
いつも水元でトリートメント(?)してはタオルの髪に巻いていたのを思い出す。
花○先輩に声をかけられ、同郷だったということだけで、ふらふらと入部。
結果、良き人物たちに囲まれて満足な4年間でした。


ハッケイエン事件                      めじ(85年景夢里・G研卒)
もう時効ということで、自ら暴露させてもらいます・・

あれは大学3年の時だっただろうか。
いつものように、アルバイト先の神楽坂のジローでテーブルを拭いていると、 「おい・・めじ・・」と後ろから声がした。
見ると、当時のサークルの委員長の「きのし」と群馬・伊勢崎の結婚式場の御曹司である「たんさん」の2名の姿があった。
「おお、何?またタカリにきたのかよ!勘弁しろよなー。」とオレは苦笑いを した。
これまでもサークルの連中は、何度もオレのアルバイト先を訪れ、飲み食いし、金を払わないで帰っていくことが多かった。
その代金は、勿論オレの給料から天引きされ、ある月などはほとんど稼ぎがなかったのだ。
しかし、二人の顔はいつになく真剣であり、そんな話をしに来たわけではないことがすぐにわかった。

「めじよ・・今度の打ち上げの予約、ハッケイエンにしたよな?」 きのしがオレにそう聞いた。
「ハッケイエン」とは言わずもがな、我がサークルのコンパ会場としてよく使った居酒屋の名前である。
「おお、したよ。来週の・・えーと・・ああ、ちょうど一週間あとじゃん!」 オレがそういうと、二人は顔を見合わせて、
「バカヤロー!おまえ、予約の日間違えただろう!今日で予約が入っているって、ボックスにハッケイエンの人が来たぞ!」 とオレを怒鳴った。
ゲゲゲ・・・本当かよ!やばい、どうしようー!サークルのコンパと言えば40人くらいはいるから、損害は莫大である。
今から内サークルの連中を集め、とりあえず飲んでくれ!というのも無理なことだろう。
オレはとりあえずジローの店長に事情を話し、きのし達とハッケイエンに行 くことにした。

ハッケイエンに行く道中も暗澹たる気持ちだった。
言い訳するわけではないが、予約の時に一週間間違えていたなんて思いも因ら なかった。
責任感の人一倍強いきのしは、「ど、ど、どうしたらいいんだよー」と頭を抱えている。
また、たんさんは「いいんさ。いいんさ。つくっちゃった料理は、全部 3人で食っちゃえばいいんさ」と、一応オレを慰めてくれている。
ハッケイエンに着くと、座敷にはズラ〜ッと料理が並んでて、一人一匹ずつデカイ車エビがついている。
「ぎょえ!車エビじゃんよ!・・」オレたち3人はビビリまくっていた。オレは2か月くらいのアルバイトが飛んだな・・と頭の中で思っていた。
しばらくするとの責任者のようなおじいさんが出てきた。
「そうですか・・日にちを間違えて予約しちゃったんですね」と困った顔をしていたが、
「いいですよ。ビールも開けてるわけじゃないし、いつもごひいきにしていただいてるんで、予約金はいただきますが宴会費は結構です」
と言ってくれた。オレにはこの人が神様のような人に思えた。
おまけに、もう他には使えないからって車エビを一杯箱に詰めてくれて持たせてくれた。

翌週、予定通りにハッケイエンでコンパが行われた。 一年生が次々にマグロとなり、ダウンしていく・・・
オレはやはり酔えなかったなあ・・先週にあんな失敗しているんだもんなあ。
心なしか、料理が少なかったような気もするが、仕方がない・・(笑)

ハッケイエンは今はつぶれてしまい、もう無いそうです。やはり、オレのせいなのだろうか(-_-;)


学祭の夜・・                      ハセガワ(87年G研卒)
あれは学祭の2日目あたりの夜だったと思います。先輩何人かと、 夜は飲み屋に変身する(よく考えるとこれはかなりスゴイことなので はないでしょうか)構内の屋台で、生まれて始めて日本酒を冷やで飲 まされ・・もとい、ごちそうになりました。
それで、冷やなんもんで口当たりがよく、いつものコンパでつらい思いをするビールよりはマシかもしれない等とデンジャラスなことを思いつつ、コップに5杯くらい飲んだのだと思います。
ふと席を立とうとすると、・・立てないんです。本当に。
で、ああ、足腰にくるというのはこういうことなんだなあと思い、そういう自分が妙におかしくて、ヘラヘラ笑いながら先輩に両肩を担がれてBOXに連れて行ってもらいました。
BOXの中には翠稜会か景夢里のものでしょうか、銀色のテントマットが敷き詰められていましたし、また割と暖房が効いていたこともあって、意外と居心地がいいかもしれない、ここで一晩過すのもまた一興、などと思い乍ら横になったのですが、その瞬間、ウッと思ったのと同時に、まるで水鉄砲のように吐いてしまいました。
いつもコンパでは マグロになっていましたが、酒で吐いたのは実はこれが生まれて初めてでした。
それで、あまりにいきなりだったので、嘔吐物がたまたま自分の目の前にあった、サークルのラジカセに向かって一直線に飛んでいくのを防ぐことができませんでした。後で聞いた(機関紙に書かれていた?) ところでは、その日の夜にBOX当番だった某先輩が、臭せえよぉと泣き乍らラジカセにかかったゲロを拭いていたそうです。
にもかかわらず結局そのラジカセはオシャカになってしまいました。
この場をお借りしましてお詫びする次第であります。

また、ラジカセをダメにしたのにもかかかわらず、諸先輩方からこの件でほとんど責任を追求されなかったのは、今考えてみると、飲みはキツイが心の広い先輩方だったんだなあと思います。
吐いた後は体が言うことをきかなくなり、ただ横たわるしかなかったのですが、横になりながら、深夜にもかかわらず学館前の野外ステ ージで演奏(これもスゴイことですね。隣は病院なのに)していた、ドクトル梅津バンドのサックスの音が遠くに聞こえていたのを、妙に覚えています。
あと、ビートたけしもステージで唄っていたような気もするのですが、うる覚えで、勘違いかもしれません。
その後何年かしての話ですが、新宿ロフトでドクトル梅津バンドのライブを聴く機会があり、その際、この時BOXで聞いた曲をまた聞くことができ、妙に嬉しく思ったのを覚えています。
あと、夜中に喉が乾いてどうしようもなくなって、這ってBOXの外に出てみると、冷蔵庫の上にコップが置いてあり、その中に水が入っているのを見て、思わず飲んだら、それは実は水ではなく日本酒で、またウッとなって・・ということもありました。
翌朝は、やはり生まれて初めての宿酔でした。よくものの本に書いてあったりする、最悪の気分とはこういうことをいうのだなあ、と思 いました。
頭の中でお寺の鐘がカンガン鳴っている状態だったのを、無理矢理電車に乗って自宅に帰り(家まで遠かった)、風呂に入ってなんとか気分を戻し、マジメだったもんでまたその日の午後から大学に行きました。
・・でも、以後BOX泊りはありませんでした。
飲みは いちおう一晩で勘弁してくれるんだなあとその時は思いましたが、 もしかしたら、これ以上サークルの備品をオシャカにされたらかなわん、と思われたのかもしれません。
学祭の終わった次の日は後片づけで授業が休みだったと思いますが、 登校してみると大学全体がなんとも言えないニオイに包まれていたの を覚えています。
特に1階の大教室(101・・でしたっけ?)付近が特に臭かったように思います。

そういえば学祭の時は、
1年生:飲まされる人
2年生:つぶれた1年生の世話をする人
3年生:飲ませる人
4年生:お金を払う人
と役割が決まっていたような感じがするのですが、実際のところはど うだったのでしょうか。

私は、少なくとも自分ではこの時の飲み代を払っていません。
みなさんも、学祭の日(の夜)にはそれぞれに、いろいろな思い出を 作った(作らされた)のでは、と思いますが、いかがでしょうか。
めじ@平野より 「学祭の夜ねえ・・学館大ホールでエロ映画を見たこと。原っがゲロ入りの紙袋を抱えて歩いていたこと。荻野がバンパイヤに変身してワオ〜ッと叫んでいたこと、4年の時にはぶんと屋上でションベンひっかけあったことを思い出すなあ・・ハセガワくん、長編の投稿ありがと!」


学食の話                      匿名希望(G研卒)
学食で一番良く食べたのは、1食のカレー200円とサラダA100円の合計300円コ ースでした。
カレーは入学当初は180円くらい(?)で、200円に値上げする際、 野菜とかをもっとたくさん入れるから勘弁して、なんて張り紙がされたのを覚えています。
あと、気まぐれで、メニューをよく見ないで法政ランチを頼んだら、たまたまオカズが私の嫌いな牡蠣フライで、全部友人にやってしまたなんてこともありました。
2食というと寿司ですよね。入学したての頃、他の大学に入学した友人によく自慢したものでした。
また、好き嫌いが激しく、寿司なんてどちらかというと嫌いだった私が、2食の寿司を食べてから、何故か普通の寿司も好んで食べるようになった・・・なんてこともありました。
しかしイカなんて向こうが見えるくら いペラペラで、それが逆に食べやすかったのかもしれません・・。
サークルでは、比較的2食が好みだった人が多かったように思えますがいかがでしょう?集計を取ったらオモシロイかもしれませんね。
それも自宅通学者と下宿者での傾向分析をやったりしたら・・。
学食は、私の卒業後比較的早い時期に、発券が対面ではなく販売機に換わりました。
もちろん生協会員も非会員も同じ価格です。
だから、今では生協の会員になってもあまり得するコトがないのでは、なんて思います。

めじ@平野より 「食券売場にカワイイ女の子のバイトがいた時期には、何故か客数が増えたりしたよね・・」

アカプルコより「学食といえば、やはりお寿司でしょう。A定とB定があったと思うが、私はえびを食べ た後に、尻尾がのこるB定(だっけ?)が好きだった。 ケンローが学館コンサートで もいったことがあったけど、わさびが無意味にたっぷり入っていて目にしみたな〜。 今みたいに、回転寿司なんかないころだったから、学食のお寿司は貴重だった。機会があればいってみたい。」


サークル仲間・・回想                      めじ(85年景夢里・G研卒)
はっきりいって、真面目なサークルだったよね、「サークル仲間」って。第一に、名前が素晴らしい!「キミ、サークルなんて言うところに入っているの?」と人に聞かれたときに、「え?あのう・・ハイキングとか、ギターを弾いてコンサートしたりするとか・・」なんてお茶を濁していたような気がする。
堂々と「サークルな・か・ま」と口にするのが、なんだかテレ臭かったのかな。(就職活動の面接でも、そんな言い方でごまかしていたかも)
そしてマイナーなサークルだったみたい。オレの会社の同期入社で法政のヤツが10人くらいいたんだけど、誰一人「サークル仲間」の存在を知らなかったんだよね。
いや、唯一アリオンコール(男性合唱団)のヤツが聞いたことあるって確か言っていたな。
しかしそいつは「え?そうなの。皆でマイムマイムとかいつも踊っているのかと思っていたよ・・」ときたもんである。

就職してから、大学時代にどんなことをしてきたかとまわりに聞いてみると、けっこういい加減なやつらが多かった。
ウチみたいに活動日がピシッと決まってなんかいない!(月曜・・囲む会、火曜・・G研、水曜・・翠陵会、木曜・・景夢里、金曜・・総括?、土曜・・G研、日曜・・仲間行事。これはすごい。1週間ビッチリだもんね〜)そして「仲間意識を高めよう!」なんて討議してたなんて言うと、ガハハハ・・なんじゃそりゃ!と笑い転げられてしまう有様である。
でも・・・最近、オヤジの部類に入り、いろんな若いやつらを見ていると、なんだか毎日は楽しそうだけど、何か残るのだろうか?なんておせっかいなことを思うようになった。
同じように酒を飲んで、バカなことはするだろうけど、一人一人の関係がものすごく希薄じゃないのだろうか?
オレは「いい時代」を「いいやつら」と過ごせたなあ・・と今でも感謝しています。
大学に入り、クラスの生協委員というのを引き受けてしまったばっかりに、クラスでは浮いた存在になってしまった。
そして一年の途中からはほとんどアルバイトに精を出し、大学で本当の友達なんかできるかなあと半ばあきらめかけていた。
そして秋になり、ふと目にした「サークル仲間:新入生募集」の張り紙。
あれを見なければ、大学生活は「ただなんとなく」で終わっていたんだろうなあ・・。

この年になり、会社でも中堅どころになってしまった。
そしてこの年になり、あの頃がとてもなつかしくなってしまった。
なかなか日本全国に散らばってしまうと、OB会も開くことも難しいし、学祭にお邪魔しようと思っも、現役の大学生とはかなりの年の差で、きっとついていけないだろう。(サークルの存在自体、消滅したという噂もあるとか・・・?)ゆえに、この場をぜひとも「OB会」の場所としたいと思っております。
僭越ではありますが、皆さん今後ともよろしくお願いします。

ああ、オレは4次募集で入ったんだね・・あまりデカい口をたたくと怒られるからこのへんでやめておこう。
追伸 ようやく、2年前には待望の息子も生まれました。ぜひとも、こいつにも「父ちゃんの大学生活はな・・」といつか語ってやりたいと思います。

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