フランスの97年のアムネスティ実施の例が参考になるのではないか、ということですので、EU加盟国に関する一般的な情報の前に、フランスに関する情報をお伝えします。

まず、サン・パピエの運動の発端は1993年のパスクア法にあります。この法律は、前にも書いたとおり「ヴィシー政権」の再来といわれるほどに外国人に抑圧的であったため、反対運動は広範囲な動員を可能にしました。いくつか日本の事情を考えるにあたって参考になる点を挙げます。

(1)運動の発端
パスクア法以前は、フランス生まれの子供の親は、滞在を正規化することができた。しかし、パスクア法は一度非正規状態になった外国人にいかなる正規化の可能性も閉ざしたため、子供がフランスで生まれても非正規滞在の親は滞在を正規化することができなくなった。

ところが、フランス生まれの子供がフランスに滞在する権利と、子供が親とともに生活する権利が何よりも優先されるため、非正規滞在の親の退去強制は執行されない。しかし、いかなる正規化もありえないため、親は退去強制はされないが、正規化もありえない状態で半永久的にフランスにとどまり続けるという矛盾した状態に陥った。政府も正規化されないが退去強制もされない外国人がフランスに相当数存在することを公的に認めるという矛盾が露呈された。

この状況にある外国人の親が各地で93年以降急増したため、フランス生まれの子供の親の正規化を求める運動が活性化し、パスクア内相は95年に「フランス生まれの子供の親の正規化」を認める通達を各県知事にだす。しかし、実際にこの通達を適用するかは県知事の裁量であり、適用しなかった県がほとんどであった。

(2)当事者による運動の広がり
「暗闇に隠れた生活」にこれ以上たえることはできない、と考えたマリ人を主とする非正規滞在の家族が正規化をもとめてサン・タンブロワーズ教会を占拠する。

(3)フランス人による運動の広がり
しかし、政府はさらなる移民法改定案により、アムネスティの可能性がまったくないことを示し、さらに外国人を宿泊させるフランス人は、その事実を市役所に届け出ることを義務付ける。これが、特にヴィシー政権下でユダヤ人をかくまっている者は届け出ることを義務付けた法律と同様であるとして、「密告者」の役割への抵抗から、法案に反対する市民運動が拡大する。

また、不法滞在助長在の適用により、非正規滞在のザイール人の友人を泊めたリール市の女性が禁固刑と罰金の実刑を科されたことに対して、映画人(映画監督や俳優など)が「市民的不服従宣言」をだし、この宣言に賛同する署名が全国で55万人に達する。

「市民的不服従宣言」は、「私たちは、非正規滞在の友人を泊めたし、これからも泊めつづける。彼らに身分証明書を求めることをするつもりはない。私たちもリール市の件のように取調べを受けることを求める。私たちは、非人道的な法律に従わないことを宣言する。」といった内容。

(4)政権交代と法律改定
こうした運動の盛り上がりにもかかわらず、法案はほとんど修正されずに可決。ところが、その後の国民議会選挙でこの法律の廃案を公約に掲げた現ジョスパン政権(社会党)が圧勝し、その後の法律改定とアムネスティへの運びとなる。
 

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日本の状況と比べて参考になると思われるのは、
(1)日本も「子供の権利条約」を批准しているので、子供が日本に滞在する権利、親とともに暮らす権利は、日本の国内法にも反映されるべきです。

(2)当事者はすでに在特を求めて行動を起こしているので、世論がどのぐらい「他人事」としてではなく動くかが重要になると思います。

フランスの場合、55万人集めた署名運動以外に、フランス人がサン・パピエの「代親(共和国版ゴッドファーザー)」になるという運動が広がりました。アムネスティに賛成する市長が代親任命式のような儀式を各地でとりおこなうということが行われました。これは今も続いています。代親は公的な制度ですが、まったくのシンボリックな制度で、代親になったからといって、何らの義務も生じません。つまり、経済的に支援しなくてはならないとか、代親がいるからといって退去強制が逃れられるとか、そういう実質的な効果はまったくありません。ただ、一般市民が、サン・パピエを支持するという意思を表明するためだけのものです。