出頭者のプロフィール

【Aさん一家5人:父親:39才、母親:36才、長女:13才、次女:4才、祖母:68才・国籍:イラン・イスラム共和国】

1989年2月に就労を目的としてイランから来日した。その前にも、2度程日本を訪れて、生活していけるかどうかを確かめた上で、日本に定住することになった。1990年11月、実母、妻、長女の3人が一緒に来日し、Aさんと同居するようになった。長女は中学1年生、日本に来てから生まれた次女は、今年で5才になった。3世代が仲良く日本で暮らしており、イランにはすでに生活の基盤はない。 農業を営んでいるアパートの大家さんもAさん一家に暖かな眼差しを送っている。APFSの会員歴も長く、毎年開催する移住労働者の集いには、Dさん一家とともに子どもも連れてやって来る。

【Bさん一家4人:父親:38才、母親:35才、長女:16才、次女:9才・国籍:イラン・イスラム共和国】

Bさんは1990年5月に就労を目的として来日した。イランでは、バスの運転手などをしていたが、父親が病に倒れ、弟と二人で9人の家族の面倒を見なければならなくなったために日本で働くことを決意した。1992年には妻と長女、次女の3人が来日し同居するようになった。長女は高校1年生、次女は小学校2年生。Bさんは就労中に負傷し、片方の目を失明している。会社に対して損害賠償の請求訴訟を起こし、最高裁で勝訴したが会社は未だに賠償金を支払っていない。現在、日本人と共に配管設備の会社を設立し、安定した生活を営んでいる。

【Cさん一家3人:父親:43才、母親:34才、長女:2才・国籍:ビルマ】 

1990年9月にミヤンマー連邦(ビルマ)から就労を目的として来日した。ビルマに在住していたときは、エアーコンプレッサーの工場を親戚と経営していた。当時から軍事政権に反対する運動をしており、経済的理由及び政治的な理由から来日した。来日後に就職した会社に今も勤務しており、1994年に同じビルマ国籍の女性と結婚をし、1997年に長女が生まれた。すでに10年近くも日本で生活しており、家族も形成した。現在も日本で反軍事政権の活動に参加しているため、帰国すれば政治的な迫害の恐れがある。

【Dさん一家3人:父親:39才、母親:37才、長男:15才・国籍:イラン・イスラム共和国】

1990年12月に就労を目的としてイランから来日した。日本に来た理由は、学生時代に政治運動をしていたため、仕事を制限され、経済的に困窮したため。翌年1991年9月には、妻と子どもが来日し同居するようになった。Dさんの姉もイランで政治活動をしていたことで、迫害を受けたため日本で難民として生活をしている。子どもは小学校2年の時から日本で生活をしており、現在高校2年生で国語や社会科が得意科目だという。将来は京都の国立大学に進学したいと考えている。APFSの中では、比較的古いイラン人メンバーである。

【Eさん一家4人:父親:40才、母親:30才、長女:12才、長男:5才・国籍:イラン・イスラム共和国】

イラン・イスラム共和国でペプシコーラの工場に勤務していたが、1991年10月に経済的な問題と政治的問題から妻と長女とともに来日した。その後、長男が日本で出生し、現在4人で生活している。マンション等の配管設備の技術者であり、日本人とともに作業している。最近では、ゼネコンなどによる外国人排除のキャンペーンがあり、現場の仕事も少なくなっている。長女は小学校6年生となっており、帰国してもイランの生活に適応できないという。また帰国すれば政治的な迫害を受ける恐れもあり、今回の在特一斉行動に参加した。
 
【Fさん・男性・34才・国籍:イラン・イスラム共和国】

1991年9月に成田空港より入国。来日前は、ペルシャ絨毯の修理技術者としてテヘランで勤務していた。 1995年7月、勤務中に転倒し頭部を強打し、現在も通院中。負傷後、会社はFさんを解雇したが、浦和地裁に解雇無効の申し立てをし勝訴する。勤務中に負傷した後遺障害がいまだに残っており、相当長期間にわたる日本での経過観察と治療が必要であり、今回の出頭者の代表となっている。APFSのボランティア歴は5年。

【Gさん、男性、29才・国籍:バングラデシュ】

1994年2月、留学していた韓国のソウルから来日した。当初は、短期間就労をして帰国しようと考えていたが、1997年9月、勤務先から帰宅する途中で車にはねられ頭部外傷で重症となる。すでに治療やリハビリは終了したものの、重度の障害が残り、就労は不可能となっている。APFSで相当長い期間、社会復帰に向けたトレーニングを行う必要があると主治医から指示されている。Gさんは、しかし、いたって明るい性格で、始終だじゃれを言って周囲の人たちを笑わせている。APFSのボランティア歴は1年余。

(以上、APFS提供。)