アメリカ史において、講義では「いちご白書」「クレイマー、クレイマー」、「刑事ジョン・ブック」の3本の映画と、ミシシッピ川流域における音楽関連のビデオを見た。
順に、学生闘争、女権問題、アーミッシュ、そしてアメリカ文化の形成という特色のある映像作品たちである。
「いちご白書」では、当時、流行した学生闘争という社会現象を学んだ。
学生闘争は必ずしも政治的な意思を持って行うものではなく、むしろそう言った人間は少数派であり、多くの人間はその少数派に感化され、あるいはそれが流行でありそうすることがカッコイイ、という理由で参加していた。
日本においての学生運動では、熱心に運動した学生も卒業が近くなると髪を切り真面目な顔で社会の一員になる、という笑い話のような事実が存在したと聞いているが、アメリカにおいてもそれとは大差がないのではないだろうか。
「クレイマー、クレイマー」は女性が平等を求め、自立を求めて社会が変わっていく時代を描いている。
今のアメリカでは離婚はきわめて一般的なことであるが、そのような社会に変わりだしたのはこのクレイマー、クレイマーが公開されたころからだという。
男は働き女性は家庭を守る、という構図が破壊され、新しい構図が築かれようとしている破壊と再生の時代において、そこでしわ寄せを受ける子供の姿をとらえた作品がクレイマー、クレイマーだった。
「刑事ジョン・ブック」にはアーミッシュという現代アメリカにも存在しながら、現代の文化を拒む特殊な文化集団が描かれていて、その信心深く排他的なアーミッシュと、現代アメリカの刑事が接触し交流する様子がひとつのドラマになっている。
この作品では、アメリカにおいてその中にいながら異文化を持つ異質な集団としてアーミッシュが描かれており、アメリカ人の視聴者は自らを主人公である刑事ジョン・ブックの視点に重ねアーミッシュに対するカルチャーショックを体験していったのだろう。
だが、アメリカ自体が異文化である私からすれば、そのようにアーミッシュという集団を内包すること自体がアメリカの歴史と文化を象徴しているように感じられる。
その思いはミシシッピ川流域のビデオでさらに強くなった。
アメリカにさまざまなヨーロッパの人間たちが到達し、原住民と融和・対立し、アフリカから奴隷をつれてきて、移民を受け入れ、そうやって国が出来上がってきた歴史がある。
そのように世界各地の歴史や思想が、国土を開拓し発展していく中で影響を及ぼしあい、アメリカならではという音楽文化を生んだ。
もちろんそれは音楽にとどまらないものであるし、またさまざまな人種・民族・宗教間の対立を起こしながら生まれてきたものでもあるのだろうが、それでもアメリカのミュージシャンたちは現在の自国がもつ音楽を誇っているように思える。
アメリカにしかできない、アメリカが本物のブルースやゴスペルやロックやブルーグラスたち。それは音楽を生業にするもののみならず、普通に生活している人々にも愛され誇られている。