卒論ゼミ感想録

【概要】「アメリカ外交」

 1947年、アメリカの大統領であるトルーマン(1945-53)は、「トルーマン・ドクトリン」を発表した。これは「冷戦の公式宣言」 ともいわれ、世界を「自由主義」VS「共産主義」に区別する「二元論的世界観」を示すものであった。同年マーシャル国防長官 (1947-49)は「マーシャルプラン」を発表し、米ソの対立は決定的となった。以後1989年の「マルタ会談」まで、米ソ間では「冷戦」 が続くことになった。
 発表者は、アメリカの「対外政策決定過程」をツールとして、「冷戦の起源」を明らかにすることを目標にして、今回の卒論発表を行った。

 1970年代からの研究史を概観すると、日本はその研究の多くをアメリカにおける外交研究に頼る(あるいは類似する)ところが多い。 冷戦研究では、「修正主義」の流れを汲んで管英輝や油井大三郎などがアメリカ外交の研究を行っている。管は修正主義の解釈に従い 「冷戦」がアジア、ヨーロッパと同時並行的に計画的にとられたと主張し、油井は「冷戦の始まり」を画する米国のギリシャへの介入を多角的に 分析している。
 「冷戦研究」のもうひとつの大きな流れは、「ポスト修正主義」と呼ばれる研究である。分析するときの「分析枠組み」である「政策決定論」 を用いての研究がそのスタイルである。
 以上の二つの論争に直接関連するもの以外に、西崎文子が一次資料から冷戦期のアメリカ的思考を明らかにし、加藤洋子が同じく一次資料を 用いて第二次大戦後の「パックス・アメリカーナ」の盛衰と関連した研究を行っている。

 発表の内容とやや前後するが、アメリカにおける研究史も概観しておこう。アメリカにおける外交政策の研究については、主に三つの流れによって 説明される。
 一つは1940年代〜1960年代における「正統派」と呼ばれる研究である。 正統派における主張では、冷戦期のアメリカの外交政策はソ連の攻撃性に対する受動的なものであると位置づける。T.Aベイリーは、ウィルソン大統領 の掲げた理想とその挫折の過程を分析し、「国際主義」アメリカを主張し、当時のアメリカはソ連に対して「封じ込め政策」を行う以外の選択肢がなか ったとしている。H.ファイスは、国務省から特別に閲覧を許可された資料に基づき、「冷戦の原因」を米英ソの「大連合」を維持しようとする合衆国の期待が、 世界革命を目論むスターリンの野望によって崩されていったことにあると結論付けた。「正統派」の研究者たちは、当時のアメリカの国内でソ連に同情的な 人々に対しても厳しい批判を向けている。
 日本の研究にも影響を与えた「修正主義」は、1960年代〜1970年代の間に起こる。彼らは冷戦の起源をソ連の攻撃性に置く考え方にかわり、アメリカの 「資本主義的な国際秩序への障害となっているモノへの狭量な対応」にあると主張した。ウィリアム・A・ウィリアムズは、合衆国が自らの「経済的利益」 のために市場開放を要求していく過程を「門戸開放帝国主義」と特徴づけ、若い世代の研究者達(ニューレフト)に影響を与えた。
 アメリカ外交についての三つ目の大きな流れは、1970年代から起こる「ポスト修正主義」である。彼らは新たな外交文書の公開にともない、「科学的」な 分析や数量的な考察を行うことを意図した。彼らは「客観的」で「実証的」な研究分野を打ち立てることを目指し、「イデオロギー」や「思想」「理念」を 軽視した。彼らの研究は「正統派」や「修正主義」が論じたような、冷戦の原因を一元的な要因に求めることを否定し、複合的な要因により考慮しなければ ならないと主張、「正統派」「ニューレフト」のいずれにも組しない立場を明らかにした。
 現在の動向としては、「冷戦の原因」を「コーポラティズム」と、グローバルな防衛システムを構築するという1943-44年の、アメリカの「安全保障政策」 の概念とに求める立場へと移っている。

 以下、「トルーマン・ドクトリン」発表までの過程について整理していきたい。
 アメリカの外交政策の転換点と思われる「トルーマン・ドクトリン」は、その直前の大統領F.ローズヴェルト(1933-45)と対比することによってより一層 強調される。ローズヴェルトの政策を端的に特徴づけると、対ソ強調論と秘密主義的個人外交の二つが挙げられる。 ローズヴェルト政権における米ソ関係は比較的に良好で、この時期にはスターリンに対してもかなり肯定的な評価がなされている。 ローズヴェルト自身戦後の世界秩序の構想を持っていたことは明らかだが、秘密主義的個人外交という特徴によってその意図は断片的にしか捉えることができない。 以下、発表者のまとめたローズヴェルトの「戦後世界秩序構想」についてそのまま紹介する。

  1. 「大国の強調」による戦後世界秩序の維持→国連の構想
  2. 「四つの自由」や「太平洋憲章」に表明された「アメリカ的理想」の世界的拡大
  3. 「民族自決の原則」の確立→反政治的植民地主義
  4. 「世界規模の自由貿易体制」の確立→ブレトンウッズ体制
  5. 戦後アメリカの国際政治への積極的参加
発表者は以上の特徴(2-5)は今日における「ブッシュ政権」にも見られるとして、「アメリカ外交」の伝統である可能性があり、「アメリカ外交史」を 「理念の推移史」としてではなく、「手段の変遷過程」と捉えることができるのではないかとしている。
 ローズヴェルトの急死によってアトを継いだトルーマンだが、外交に関して彼はローズヴェルトの戦後構想の機微に通じているわけではなかった。 戦後世界秩序の構想を彼は「原爆外交」「単独行動主義」におき、46年には保守派の意見である「対ソ強硬論」を採用した。こうした過程から、 アメリカ外交は大統領の個人的資質に大きく規定されるということができる。対ソ強硬論を支持するトルーマンは、 ローズヴェルトによるソ連との信頼関係を継承できず、ソ連の対米姿勢硬化の原因になった。
 また、第二次世界大戦におけるアメリカの関心の推移は以下のとおりである。
【ファシズム打倒→日本の無条件降伏・原爆使用問題→対ソ戦後処理問題・自国優位の戦後世界秩序の形成】

【参考文献】
  • 西崎文子「国際関係」(第16章)五十嵐武士・油井大三郎編【2003】『アメリカ研究入門』(第3版)東京大学出版会
  • 宮里政玄「外交」(第9章)阿部斉・五十嵐武士【1998】『アメリカ研究案内』東京大学出版会
  • 加茂利男・大西仁・石田徹・伊藤恭彦【1998】『現代政治学』有斐閣アルマ
  • 石井修・滝田賢治【2003】『現代アメリカ外交キーワード』有斐閣双書
  • 有賀貞・宮里政玄編【2001】『概説アメリカ外交史』(新版)有斐閣選書
  • 有賀貞・大下尚一編【1990】『概説アメリカ史』(新版)有斐閣選書
  • 有賀貞・大下尚一・志邨晃佑・平野孝編【1993】『世界史体系 アメリカ史2−1877〜1992−』山川出版社
  • 紀平英作編【1999】『新版世界各国史24 アメリカ史』山川出版社
  • 油井大三郎・吉田元夫【1998】『〈世界の歴史28〉第二次世界大戦から米ソ対立へ』中央公論社
  • 秋元英一・管英輝【2003】『アメリカ20世紀史』東京大学出版会
  • ウィリアム・A・ウィリアムズ(高橋章・松田武・有賀貞共訳)【1986】『アメリカ外交の悲劇』御茶の水書房
  • 【感想】

     今回の発表は一回目であるため、やや概説的な内容であり細かい事例などを検討したものではなかったが、当時のアメリカ外交の理念など、今後の研究を見ていくうえで わかりやすく、かつ重要な内容が多かった。
     特に今回面白いと感じたのは、アメリカの外交を「理念の推移」ではなく、「手段の変遷過程」と捉えられるのではないか、ということである。
     不勉強なため詳しいことはわからないが、20世紀のアメリカは世界システムの中で「ヘゲモニー国家」として台頭していくらしい。そうした情勢のなかで、アメリカの理念が世界システムのなかでどのような役割を持っていったのかということは、アメリカ世界システムの中で重要な位置づけとなりそうである。以下、その考えを踏まえ、発表の内容で気になったところをみていきたい。

    1. リベラル派は対ソ協調論、保守派は対ソ強硬論を主張したのは何故か。
      それぞれの対ソに対する外交政策の違いは、どこに根拠をもっていたのだろうか。過去の対ソ政策からか当時のリベラル派、保守派が持論を導き出したのか、それとも当時の単純な力関係から主張が行われたのだろうか。あとに述べる「手段の変遷過程」という枠組みの中に収めた場合、どういった評価がなされるのか。国際情勢にあわせ、合衆国の理念を世界規模に広めようとした場合、保守派にとってのソ連の社会主義はどのように位置づけられるのか、ということが中心になりそうである。
       また、ローズヴェルト時代、トルーマン時代とを通してそれぞれの主張は変化があったのかということも同時に検証して欲しい。社会的背景などからそれぞれの主張の変化、或いは変化が無かったのかということから、「手段の変遷過程」という位置づけをより強固なものにもできそうである。

    2. ローズヴェルト時代、トルーマン時代の大統領の行動の違い
      ローズヴェルトは「秘密主義的個人外交主義」であった。また、トルーマンは1946年の発言で「外交政策は大統領が決定する」としている。これらはアメリカが「大統領中心政治」ということを表しているといえそうである。そのように位置づけた場合、アメリカの理念というものは果たして各大統領を通じて継承していくことは可能なのだろうか。特にトルーマンの外交政策は、先代のローズヴェルトの戦後世界構想を継承できなかったのがその要因として挙げられる。「理念」はそのままに、「手段」が変わっていくということは、どこかでその理念的なものを受け継いでいく必要があるのではないだろうか。

    3. ローズヴェルトの「戦後世界秩序構想」
       世界システム論の中に位置づけるならば、ローズヴェルトの戦後世界秩序構想は間違いなくアメリカのヘゲモニー国家としての地位を維持するためのものである。その場合、当時のアメリカの強敵となりえるソ連をいかにして抑えていくかが重要になってくる。ローズヴェルト時代にソ連と協調外交を目指していたのは、アメリカの軍事力の比較からもたらされたものなのだろうか、だとすれば、「原爆」という新たなツールの登場によって、外交政策の転換が図られたという可能性も高い。
      (実際、トルーマンは「原爆外交」を行っている。)
      両国の軍事力、政治的影響力の変遷過程をおっていくことで、トルーマン時代のアメリカ外交の構造的「必然性」、あるいは「戦後世界秩序構想の変遷過程」を論じていくことができないだろうか。

    4. 「理念の推移史」と「手段の変遷過程」
       世界的な自由貿易体制が実施された場合、ヘゲモニー国家が一番利益をあげることができる。そうした場合、アメリカがヘゲモニー国家となる前後の外交政策は、はたして「手段の変遷過程」として捉えることができるのだろうか。アメリカの「理念」とは、独立当初からのあるものなのか、それとも世界システムの中核をなす存在になってからの「理念」なのか、これは直接の研究対象ではないが、世界システムの枠組みの中でアメリカ外交を論じるときに重要な争点となりそうである。

     発表のあとかなりの時間がたってからの感想であるので、当時感じたこと、当時の理解とかなり食い違う面もあったと思う。また、発表者自身も三回目の準備に取り掛かる段階なので、今回の感想がどの程度参考になるかわからないが、以上で感想を終えたいと思う。

    作成年月日:2004.12.9
    文責:百
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