コロンブスがアメリカ大陸に到達して以来、南北アメリカ大陸という植民地を通して
ヨーロッパは大きく変わっていくことになる。特に、ジャガイモやとうもろこしなど、
新たな食料の伝播は人間の生きていく基本である「食生活」そのものすら大きく変えていくことになる。
イタリアの食文化を大きく変化させた食材の一つに「トマト」が挙げられる。トマトは約500年という
きわめて短い期間に、イタリア料理に欠かせないものとなるほどの存在となっている。
今回の発表者はそのことに着目し、トマトという食材がイタリア人の食を席巻して言った理由、
それ以前のイタリア人の食生活との比較などを通じて、歴史的視点からイタリアにおけるトマトを
どう位置づけることができるのかということをテーマに据えた。
それによってイタリアの社会を新しい視点からの問題点を提起できるのではないだろうか、
というのが発表者の主張である。
以下で研究史の整理をすることで大まかにわかったことを紹介する。
- 食生活はそれ自体人間が生きていく基本であるにも関わらず、その歴史的問題について考察されるようになったのは最近のことである。
- 食物の歴史的研究は、それが重要であるにも関わらず、実際にそれに取り組むことは困難である。
- イタリア食生活史研究の第一人者モンタナーリは、農業史に加え、社会的規範、人々の心性についてまで踏み込んで論じている。
- 日本の食生活史はまだまだ未開発の分野であり、研究のレベルも高くない。
- 文化人類学の視点からは、食生活の重要性が25年ほど前から盛んになりはじめ、いくつかの研究がある。
ヨーロッパの農業についての発表はココでは割愛するが、レジメの中にあったように「新しい食物が食生活の中に取り入れられるとき、
そのタイミングとして飢餓が考えられるということ」は重要である。モンタナーリは18世紀を飢餓の世紀と
認識し、アーベルは中世末期から現代までのヨーロッパの農業と食生活の変遷を三段階に分け論じている。
最後にトマトの起源と伝播についてであるが、もともとヨーロッパの人々はナス科の植物である「ベラドンナ」
を「死にいたる草」或いは「いきり立った実」とし、毒あるものとして認識していた。
また、ヒヨスやマンダラゲ(両方ともナス科)も有毒であり、催眠性のある薬として用いている。
上記の事柄から、実際にトマトがヨーロッパの歴史に登場するのは1575年であるが、初めの2世紀半は
トマトの普及は進まなかった。(ただし、1575年のサアグン神父による著書『ヌエヴァ・エスパーニャ総覧』
がアステカ文明をスペインの侵略者が滅ぼしたという内容であり、発行禁止になったこともその大きな理由
である。)トマトの普及がイタリア全体になされたのは、18世紀を過ぎてからのことらしい。