最後に挙げた「文献などの史資料の少なさ」というものがネックとなって、
今回の発表が実際の研究に入れなかったことは残念である。しかし、これら
二回の発表をもって、何を見ていくことができそうなのかということについて
ある程度の指標が与えられたのではないかと思う。そこで、今回は
まったくの個人的興味に基づいて、これからの研究で調べてみて欲しいことに
ついて述べさせてもらいたい。
前回、今回の発表で私が特に興味をそそられたのは、18世紀の飢餓の時代
を境に、次第にトマトが食材として認識されていることである。(もちろん
それ以前にもトマトに関する紹介はあったということは発表で行ってもらって
いるが。)飢餓の時代に際してトマトがどういった役割を果たしていったのか
ということは、おそらく文化史研究の中でも比較的妥当な研究となりそうである。
そこで、研究の対象としては18世紀(厳密に言えば飢餓を引き起こす原因
となったであろう17世紀も含め)を取り上げ、当時のイタリアの歴史的背景及び
他国との関わりのを中心に見ていくと面白そうである。トマトが普及し始める
17・18世紀のイタリアとは一体どういうものであったのか、それが続く19
世紀のイタリア統一の前史としてどういった風に位置づけすることができるの
だろうか。ここはまったく私の専門外のことではあるが、非常に興味のある
内容である。特に今回の「トマト」という歴史的道具は、18世紀にその食物
としての地位を獲得していくことから、政治的な統合の道具として用いられて
いく可能性は十分考えられそうである。逆にそうした道具として用いられなかった
としても、その文化的広がりから、イタリア独立の必然性を論証することができ
るのではないだろうか。
18世紀イタリアでもう一つ気になるのが、他の西欧諸国、特にフランスと
イタリアのかかわりである。18世紀の前半は、フランスはまさに絶対王政の
最盛期を迎える。これは私自身の研究と若干かぶりそうであるが、この絶対王
政期において、統一した王国の存在しなかったイタリアは当然その影響を強く
受けたであろう。19世紀におけるイタリア独立運動の際にも、フランスは
イタリアに干渉しているし、実際に「青年イタリア」を打破してもいる。
この前史的段階としての18世紀を、トマトと関連付けて再評価することが
できたら面白そうである。
さて、ここまで無責任な発言を行うには、やはりそれなりの理由があって
しかるべきであるが、残念なことにそういった論証は私には無理である。
とはいっても、こうした仮定はまったく根拠がないというわけではない。
今回の資料で配られた、橘の「トマト関連年表」がこの考えの大元である。
年表によると、17世紀末に当たる1692年に、イタリアでもっとも古い
トマト料理のレシピが発表されている。しかし、18世紀にはいるとイタリア
におけるトマト関係の年表よりも、フランスにおけるトマトの記述が多く見られる。
例えば、1760年代には、観賞用として食物年鑑に登場している。
しかも、1780年(これは著者が1860年と記載しているがおそらく間違い
であろう)には初めて「野菜」としての分類が行われている。そしてイタリア
だが、1773年にはコラードがトマトソースを絶賛している。
これらの歴史的展開の中で、イタリアからフランスへのトマト文化の流入と、
続く1800年代におけるイタリアでのトマトの積極的肯定が示唆される。
ということは、トマトを媒介として、イタリアがその文化的面においては
フランスに従属せずに、逆に侵食を行っていたということがいえるのではないだろうか。
以上の事柄は私事の興味関心であるが、是非一度考察してもらいたい内容である。
文化史の研究はまだ確実なアプローチが確立されていないらしい。今回の研究は、
文化史的アプローチの先駆的存在となることを願ってやまない。
作成年月日:2004.11.30
文責:百