卒論ゼミ感想録

【概要】「トマトとイタリア人」

 第二回目となる今回の発表は、前回の発表を踏まえて、主にどういった 視点からトマト研究を見ていくことができるのかということに焦点をあてた 発表であった。
 邦語文献は現在までに、トマトについて書かれた文献は無数に見られる。 しかし、歴史学的アプローチのもとで書かれた文献は少なく、内田洋子と 橘みのりの文献(参考文献参照)の二点が挙げれるのみである。 内田の文献はやや主観的で、橘の文献は概説的な内容ではあるが、研究手段として いくつか参考になる点がみられる。
 邦語文献に目をやってみると、フランスで比較的多くの研究が 行われており、「アナール学派」の諸論文、それらを英訳した 『Food and Drink in History』(1972)が興味深い。

 発表の順序は前後するが、先にトマトの研究に関するアプローチの方法を 挙げることにする。南直人によれば、
「研究対象としての食は実に間口が広い。ヨーロッパ近代社会の成立を追及 するあらゆる歴史研究は、食という視点と関連させて構築することができる」
と食が位置づけられ、構造主義の視点からも、食が歴史の構造に与える影響というもの は無視できなさそうである。
 発表者が考えたアプローチの方法についてはそのまま掲載させていただこう。

  1. 「国民的料理」という言説の成立による、国民国家のアイデンティティ と食との結びつきの傾向
  2. トマトをなかなか受け入れられなかった北ヨーロッパ、特にイギリスとの 食や植物に対する意識の比較
  3. アメリカ大陸産のトマトがもたらした経済的影響
  4. アメリカ大陸産のトマトが人々の食生活、食生活観に与えた変化
  5. 「南北逆転現象」に見る食の役割
  6. 人の一時的欲求である職とキリスト教観のバランスの変化
  7. 商業化、都市化がもたらした農業の衰退と品種の変化
  8. トマトの赤い色が意味するものとは
  9. 言語学的視点から見るトマトの意味
  10. 近代社会における人間の心性や感覚の変化と食
大まかに以上のような視点をアプローチの基点としながらトマトを見ていくようである。

 最後に、それを踏まえたうえで、トマトという食物の有する問題点、 あるいは食文化史というものに内在する問題点について も同様に見ていこう。(発表では二番目の項目に該当)

  • 同じアメリカ大陸産であるトウモロコシやジャガイモに比べ ると、トマトの世界経済に与えてきた影響は特に大きく目立ったものではない。
  • 食文化史を含めた文化史の分野はいまだ研究の歴史が浅く、 まとまった方法論が確立していない。
  • 食の研究は単なる趣味的な記述になる傾向がある。
  • 特に文献などの史資料が極めて少ない。
  • 以上が、今回の発表の大まかな枠組みである。

    【参考文献】
  • 内田洋子、S・ピエールサンティ【2003】『トマトとイタリア人』文芸春秋
  • 橘みのり【1999】『トマトが野菜になった日』草思社
  • 南直人【2004】「食とヨーロッパの近代社会の成立」『環』vol.16、2004冬期
  • 【感想】
     最後に挙げた「文献などの史資料の少なさ」というものがネックとなって、 今回の発表が実際の研究に入れなかったことは残念である。しかし、これら 二回の発表をもって、何を見ていくことができそうなのかということについて ある程度の指標が与えられたのではないかと思う。そこで、今回は まったくの個人的興味に基づいて、これからの研究で調べてみて欲しいことに ついて述べさせてもらいたい。
     前回、今回の発表で私が特に興味をそそられたのは、18世紀の飢餓の時代 を境に、次第にトマトが食材として認識されていることである。(もちろん それ以前にもトマトに関する紹介はあったということは発表で行ってもらって いるが。)飢餓の時代に際してトマトがどういった役割を果たしていったのか ということは、おそらく文化史研究の中でも比較的妥当な研究となりそうである。

     そこで、研究の対象としては18世紀(厳密に言えば飢餓を引き起こす原因 となったであろう17世紀も含め)を取り上げ、当時のイタリアの歴史的背景及び 他国との関わりのを中心に見ていくと面白そうである。トマトが普及し始める 17・18世紀のイタリアとは一体どういうものであったのか、それが続く19 世紀のイタリア統一の前史としてどういった風に位置づけすることができるの だろうか。ここはまったく私の専門外のことではあるが、非常に興味のある 内容である。特に今回の「トマト」という歴史的道具は、18世紀にその食物 としての地位を獲得していくことから、政治的な統合の道具として用いられて いく可能性は十分考えられそうである。逆にそうした道具として用いられなかった としても、その文化的広がりから、イタリア独立の必然性を論証することができ るのではないだろうか。

     18世紀イタリアでもう一つ気になるのが、他の西欧諸国、特にフランスと イタリアのかかわりである。18世紀の前半は、フランスはまさに絶対王政の 最盛期を迎える。これは私自身の研究と若干かぶりそうであるが、この絶対王 政期において、統一した王国の存在しなかったイタリアは当然その影響を強く 受けたであろう。19世紀におけるイタリア独立運動の際にも、フランスは イタリアに干渉しているし、実際に「青年イタリア」を打破してもいる。 この前史的段階としての18世紀を、トマトと関連付けて再評価することが できたら面白そうである。

     さて、ここまで無責任な発言を行うには、やはりそれなりの理由があって しかるべきであるが、残念なことにそういった論証は私には無理である。

     とはいっても、こうした仮定はまったく根拠がないというわけではない。 今回の資料で配られた、橘の「トマト関連年表」がこの考えの大元である。 年表によると、17世紀末に当たる1692年に、イタリアでもっとも古い トマト料理のレシピが発表されている。しかし、18世紀にはいるとイタリア におけるトマト関係の年表よりも、フランスにおけるトマトの記述が多く見られる。 例えば、1760年代には、観賞用として食物年鑑に登場している。 しかも、1780年(これは著者が1860年と記載しているがおそらく間違い であろう)には初めて「野菜」としての分類が行われている。そしてイタリア だが、1773年にはコラードがトマトソースを絶賛している。
     これらの歴史的展開の中で、イタリアからフランスへのトマト文化の流入と、 続く1800年代におけるイタリアでのトマトの積極的肯定が示唆される。 ということは、トマトを媒介として、イタリアがその文化的面においては フランスに従属せずに、逆に侵食を行っていたということがいえるのではないだろうか。

     以上の事柄は私事の興味関心であるが、是非一度考察してもらいたい内容である。 文化史の研究はまだ確実なアプローチが確立されていないらしい。今回の研究は、 文化史的アプローチの先駆的存在となることを願ってやまない。

    作成年月日:2004.11.30
    文責:百
     
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