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【概要】「百年戦争期におけるフランス王権の伸長について」
1337年からはじまり、1453年に終結したとされる百年戦争。
中世の終わりは1453年のビザンツ帝国の崩壊によるものとされ、この前後の時期からヨーロッパは近代への
と移り変わる。百年戦争期を通じ、フランスがどのような変容を遂げたのか、それを焦点としての第一回目の
発表であった。
研究史の整理では、これまで百年戦争、或いは中世後期フランスについての論文がどのようなものがあるか、
ということの紹介であった。1950年代の論文を見ていくと、それまでの中世的な封建社会が、
その時期を通じてどのように構造転換していったのか、ということが焦点であったようである。
その論議は、紹介された論文を見る限りでは、1980年代見老いてもまだ議論が続いていると言える。
また、数的に多いとはいえないが、単なる政治史だけではなく、身分制社会、
地域史など、この時期についての研究の内容は多岐に及んでいる。
百年戦争の概観としては、1328年のカペー朝直系の断絶により、新たにヴァロア朝がおこったことで、イングランド国王エドワード
三世が王位継承権を種痘したことなど、まず百年戦争の原因について延べ、
ついで百年戦争期における各王たちのもとでどのような事柄があったのかを簡単に述べた。
発表の最後では、1364年から王位に付いたシャルル5世の財政改革についての紹介を行った。
大まかにまとめると、、
- 百年戦争期までに税を徴収することが可能である条件がある程度定められていたこと。
- 中世封建社会で国王大権としての「貨幣変更」が認められていたこと。
- 金属主義の立場をとっていたということが伺える、ニコラウス・オレームによる貨幣理論。
- シャルル5世による財政改革の推移。
の四つがわかったこととして挙げられるだろう。シャルル5世の治世においては、それまでの
中世的な貨幣理論よりも、ニコラウス・オレームによる貨幣理論が重用され、実際の政治においても
新たな貨幣理論を元にした、国王課税を実行しようとした。しかし、課税にたいして国民は「不当な略奪である」
とみなし、シャルル5世が没するとすぐに、暴動によって課税が中止されることになった。ここに、
シャルル5世の治世における国王課税の限界をある程度推察することができそうである。
【参考文献】
福井憲彦編『世界各国史12 フランス史』2001年、山川出版社
堀越孝一「百年戦争時代」『世界史体系フランス史1』1995年、山川出版社
佐藤彰一・池上俊一・高山博「フランス(含ベルギー)」『西洋中世史研究入門』2000年、名古屋大学出版
山瀬善一『百年戦争』1981年、教育社
【感想】
2004年5月14日に「百年戦争期におけるフランス王権の伸長について」をテーマにして第一回目の発表をさせていただいた。
内容としてはあまり充実したものであったとはいえなかったということは、今回内容をまとめてみて
改めて感じることである。以下、自分の発表であるため新たな視点は批評を入れることについて
はあまり成果があがらないかもしれないが、発表の感想を述べさせていただきたい。
今回の発表でいろいろと力不足を感じたが、一番の問題は「百年戦争期をどのように位置づけ、
この時期を変容の時期としてどう捉えていくか」という視点が抜けていたことではないかと思う。
概要の冒頭で、「百年戦争期は中世から近世への移行の時期である」という風に述べた。確かに、
時期として当てはめると百年戦争期は紛れもなく移行の時期である。しかし、大まかな時代区分に
そのまま当てはめ、それに満足してしまっては論の展望は期待できないだろう。
先生もおっしゃっていたが、一つの指針、キーワードとなることは、「百年戦争期において本当に
フランスは中世的なものから近世的なものへと移行していったのか」ということである。
その意味では、中世封建社会、近世の絶対王政というものがどのようなものであったか特徴づけ(
と一口にいっても、その形態はさまざまであっただろうから、定義も困難なことかもしれないが)
その前後の時代と比較、検討することで、より実体を持った形での「百年戦争期」を描くことができそうである。
今回の発表では紹介できなかったが、軍制について論じた川口博氏は、百年戦争後期に変容した軍制は、
近世のそれとは(その形態への移行という観点では必然的な形であったとはいえ)異質なものであった
と論じている。シャルル5世の財政改革も、その前後の王の治世と比較することで、より有意義な
評価ができたようにも思える。
この感想を書いている時点で、すでに二回目の発表を終えてしまっているが、これからの研究の
テーマの一つとして、これらのことを覚えておきたいと思う。
作成年月日:2004.10.03
文責:百
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