第3回惣国研究会
<和田荘の神々めぐり>
――紀州惣国初詣・新年会――
2003年1月10日(金)
参加:海津 川端 北野 野田 畠山 綿貫
欠席:坂本 南方 中 広原寺に参拝 (右)→
コース 南海貴志川線「竈山駅」集合
坂田浄土寺(了法寺)―竈山神社―吉原中言神社―広原寺―
吉原弁財天―名草川・米田川など「沖田」の水系―朝日大専寺―
南海貴志川線「交通公園」解散
後、JR和歌山駅・野佐にて新年会
<成果と課題 目の鱗落ちの和田荘>
■ 12世紀初め塩堤の敷設による塩入荒野の干拓によって成立した和田荘には 圃場整備されていない全面の条里型地割と「弥生時代さながらの井堰」(K氏)が現存していました。荘園調査の魅力的なフィールドでした。
■ 吉原中言社での聞き取りでは、平野部の田は「おきぃだ(沖田)」と呼ばれ、塩気の強い和田川の水を曳かず、北からサイホンで紀ノ川(宮井?)を曳くという話も聞きました(山本キクオ氏)。本当?要検証!。―>★
■ 沖田の中心部の島状地に祀られた水神の市杵姫(弁財天)を詣でたのち、北野さんのご案内で、朝日村大専寺の平安末期・滑石宝塔を見ることができました。台座の八葉造作に綿貫さんが感動してました。
■ 和田荘4郷のうち冬野郷はパスになりましたが、地元案内者南方の帰郷をまって次回に黒江とあわせて参詣します。
★――南方君は、冬野住民として和田川南側水田のおおまかな灌漑用水と水掛を聞いておいてくれませんか?
■ 中言神社文書と惣国で卒論書いてる和大4年生2人にご加護あれ。と全員で新年会しました。また、市内生え抜きの北野さんが「三田(サンタ)小学校が坂田・田尻・和田の意と初めて知った」といってました。江戸っ子はミタと読んで顰蹙でした。
―――次回は、川端君の国立史料館3文書の翻刻をまって開催いたします。
和大組は荘園調査の準備をしておきます(卒論無事でしたら)。南方君も★をよろしく。
↓(左)和田荘沖田の弁財天 ↓(右)弁財天をのぞむ。うしろには「弥生時代さながら」(北野氏)の水路が・・・!
