03.08.31. 俳句ミニ研究メモ・・・一昨日、西行の「花」の和歌に触発されて色々の俳句が生ま れていることを言った。その中で、松尾芭蕉の「西行の庵(いおり)もあらん花の 庭」と現代俳人の角川春樹の「西行の庵の闇に花女郎」という句が「共鳴」している のに気づいた。「西行、庵、花」と5,7,5の頭が同じであるのは、勿論、春樹の 意図であろう。ところが、ここに詠まれている風景というと、全く別と言うか、逆な のである。芭蕉の風景は、「桜の見事な庭があるが、その奥にはきっと西行の庵があ るに違いない」といったところで春の風景だが、春樹の風景は「西行の庵の薄暗い床 の間にひっそりと女郎花(おみなえし)が置かれているなあ」というもので、女郎花 は秋の七草に数えられるくらいなので秋の風景であろう。(女郎花は仏花でもあり、 秋の彼岸に置かれているとするならば、西行は春、桜の下で亡くなって初彼岸を迎え た風景とも言える)勿論、春樹の句の前提として、庵の外には庭があり春咲くべき桜 が植わっているのである。このように庵を真ん中に置いて、空間的には外の風景と内 の風景、時間的には春の風景と秋の風景を連続的に捉え、桜と女郎花(わざと花女郎 と記していることにも注意)の対比によって哀感を出すのも、ある意味で「引き継ぎ リレー句」と言えるのではないか。ところで、「春樹」とは、即ち桜と思われるが、 敢えて自分の名前である桜を避けて、女郎花をもってきたのも角川春樹の趣向であろ う。・触発されて・・・古池や 蛙(かわず)潜りて 水の底 西村市路
2003年08月29日 12時20分30秒

03.08.29. 昨日、いくつかの蝉の句を載せたが、一つ抜けていたので補足しておく。・みんみん と 鳴くや透いた 羽ふるい 市路 昨日、家でエクセルに芭蕉、蕪村、一茶の句を岩波文庫本によって入れ出した。全部 で芭蕉およそ千句、蕪村千三百句、一茶千九百句ほどである。分析する視点・・テー マの分析、例えば花鳥風月以外の家とか庭とか人工物は対象となっているか。先人の テーマを踏襲しているか。(例えばホトトギスの句) 今日のミニ研究ノート:西行は新古今和歌集にも多数採用され、みずから山家集を出 している歴史的有名歌人である。最も人口に膾炙されている歌は「願わくば 花の下 にて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ」であろう。もちろん、花とは櫻であ る。(出来たら桜の花の下で春死にたいものだ。それも如月(旧暦二月)の満月の頃 がいいといった意味だ) これを受けて俳句を作っている人も多い。芭蕉は「西行の 庵(いおり)もあらん 花の庭」、蕪村は「実桜や 死に残りたる 庵(あん)の主」 (桜が散って、実桜になってしまった。庵の主は死なずに未だ生きているのだなあ・ ・といった感慨)、一茶になると「死支度(しにじたく) 致せ致せと 桜哉」と一寸 茶化している。近代の角川源義は「花あれば 西行の日と おもうべし」その息子の春 樹は「西行の 庵の闇に 花女郎」と詠った。 私は、奈良女子大講堂の小倉遊亀画伯の描いた原画「爛漫」に基づく緞帳の前に立ち て「爛漫へ 切に西行 招きたし」とまずしたい。西村市路
2003年08月29日 12時20分30秒

03.08.28。 7月は何かと「忙しく」つまり「心が亡んでいて」公開日記書けませんでした。8月も 最後になって一寸書こうかなと思い立っています。 (1)西村ゼミ、中山ゼミ(つまり地域居住懇話会)関係者で生駒駅前商店街活性化 事業のお手伝いを始めました。奈良県大学連合としての協力です。院生、学生達がミ ニコミ誌「ひょうたんからいこま!」を編集しています。このネーミングは私が元祖 といったところです。「瓢箪から駒」を生駒市にもじった言い方です。面白いことが 出てきたら良いですね。駅前大学というのも提案し、私以下、住環境や生活環境学部 の先生方にも講師として来年2月まで続きます。その他、色々の調査もします。多 分、来年3月の「地域居住懇話会」で発表できるでしょう。 (2)最近の575 題「蝉」 ・蝉時雨(せみしぐれ) 今年も下を 通りけり ・耳元に 羽音残して 油蝉 ・地下七年 地上七日(なぬか)の 蝉の生 ・つくつく法師に かわりて秋の 気配知る ・蝉狙い 子供のタモが そろそろと ・天を向く 蝉骸(せみがら)ひとつ 道にあり ・蝉こおろぎ せめぎあいたる 夏と秋 西村市路 いかがですか。 西村一朗
2003年08月28日 14時10分30秒

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