ドイツの音楽について
1. ドイツの音楽
○
三大B
バッハ=ドイツ音楽の「原点」
ベートーベン=ソナタ形式の完成者
ブラームス=ベートーベンの後継者
○
近代の音楽
主にドイツ音楽の基礎はクラシック音楽の広いすそ野を持っている。
ドイツの若者…日本と同じで流行歌しか興味がない
オペラ、バレー…日本よりも低価格で観ることができる
ストリート…帽子などを前に置いて演奏している若者が多い。主にバイオリンなどの弦楽器使用
教 会…頻繁にコンサート(もちろんクラシック)が開かれる
テレビではVIVAという局が、ラジオではHR3という局が流行曲を主に流していることで有名。日本と違ってテクノ系のインストラメントが多い。またパーティーにはクラブ(ディスコ)がつきもので、若者は有名な曲を取り入れて、ラップを歌ったりする。またドイツのヒット曲の大半は英語の曲で、アメリカのビルボードの影響を受けている。
2. ドイツの主な音楽家
○ バッハ
1685年3月21日、ドイツのアイゼナッハで8人兄弟の末っ子として生まれた。14歳年上の兄の影響で音楽の教育を受ける。18歳のとき、アルンシュタットの教会のオルガニストになり、ブクステフーデの演奏を観にいく。このとき、バッハは演奏に魅了されてしまい、4ヶ月間もリューベックに滞在してしまう。22歳のときに結婚するが、死別。しかし36歳に再婚、13人の子供をもうける。32歳のときにケーテン公レオポルトのもとで宮廷楽士になり、この頃に有名な「ブランデンブルグ協奏曲」、「無伴奏チェロ組曲」が作られる。38歳のときライプツィヒという町の教会のカントルになり、「マタイ受難曲」、「ヨハネ受難曲」、「ロ短調ミサ」を作曲。1750年、66歳で永眠。
(音楽史上の位置)
1850年に「バッハ協会」が設立される。この教会は50年にわたって「バッハ全集」の出版をつづける。バッハの子供たちも活躍し、ドイツ音楽の基礎を固める。
(主な作品)
『マタイ受難曲』『ブランデンブルグ協奏曲』
○ モーツァルト
1756年、ザルブルグに生まれる。幼少の頃からヨーロッパ各地を巡り、神童としてその名をとどろかす。1778年にはザルツブルクの宮廷オルガン奏者に任命され、そこで「載冠ミサ」などの宗教曲を残す。しかし司教との衝突から1780年には辞職。ウ”ィーンで独立した音楽家としての道を歩み始め、「ハイドン四重奏曲」などの弦楽四重奏曲や「フィガロの結婚」「ドン・ジョウ”ァンニ」などのオペラを発表し、成功を収める。1787年には宮廷作曲家の称号を受けるが、彼が望んだカペルマイスターや、皇室付クラウ”ィーア教師の地位はついに得られることはなく、「レクイエム」を作曲中に健康を害し、1791年に永眠。
(音楽史上の位置)
18世紀ヨーロッパの共通音楽語法としての古典派の音楽の生成から完成までを手がける大きな役割を果たした作曲家である。また宮廷や教会に仕えることはなく、独立した作曲家でもある。
(主な作品)
『フィガロの結婚』『魔笛』『ジュピター』『レクイエム』
○ ベートーベン
1770年、ボンに生まれる。7歳にしてケルンでピアノの演奏会を開催する。1800年にはブルグ劇場で第1交響曲などを公演して交響曲作家としても評価されるようになるが、この頃から耳が悪くなる。1802年に遺書をしたためるという事件が起こるが、この不幸を乗り越える。しかし、耳が悪化。1814年の大公トリオの演奏がピアノ演奏の最後の機会となる。1816年には親族トラブルに巻き込まれるが、1822年には第9交響曲を完成させる。その後は弦楽四重奏曲のみを連作するようになる。1827年に永眠。
(音楽史上の位置)
貴族の召使な音楽家ではなく、一人の芸術家として貴族とも対等に渡り合った音楽史上、初めての音楽家。難聴を抱えながらの作曲家で、第9交響曲は現在でも人々に愛されている。
(主な作品)
ピアノソナタ『月光』『非愴』『情熱』、交響曲第三番『英雄』、五番『運命』、第六番『田園』、第九番『歓喜の歌』
3. その他のドイツ音楽
(ア)
作曲家
リヒャルト・ウ”ァーグナ…19世紀においてのドイツの作曲家。「トリスタンとイゾルデ」で示した無限旋律と「トリスタン音階」で20世紀の無調性音楽を先取りすることになった。
(イ)
バレエ
ウィーンのオペレッタ…主な作品は『こうもり』(ヨハン・シュトラウス)、『メリー・ウィドウ』(フランツ・レハール)など
(ウ)
劇
クルト・ウ”ァイル…「三文オペラ(1928)」→「キャバレー文化」を象徴する大衆的「ソング劇」となった。
(エ)
声楽
「ドイツ・リート」…フランツ・シューベルトによって完成
200025 飯野 智順