4.大相撲伝説平成編


2011年9月23日更新

元大関琴光喜が突如として土俵を去ってから随分な時間が経過した。今回は、琴光喜について振り返ってみたい。 学生時代から、アマチュア最強の名を欲しいままにした琴光喜は平成11年初土俵の後、怒涛の快進撃で幕内に昇進した。 そして、平成13年秋場所には、横綱貴乃花の休場、横綱武蔵丸不振の間隙を縫って前頭2枚目で初優勝を果たし、 大関昇進は間近と思われた。そんな中で迎えた平成14年初場所、13日目で直前3場所33勝以上の大関昇進の条件を満たし、 大関昇進確実という形で14日目の武雄山戦に挑んだのである。しかし、昇進に花を添えるはずだった一番で気が緩んだのか、 琴光喜はあっという間に武雄山に投げ飛ばされるという大失態を演じ、もう一場所様子を見るという結論で大関昇進を逃した。 当時、大関が多すぎたのもその一因と言えるだろう。思えば、この一番が琴光喜の運命の歯車を狂わせたのかもしれない。 この後、けがで思うような相撲が取れなくなり、ライバルであった朝青龍に追い抜かれ、格好の白星配給係となってしまった。 また、後輩の白鵬、琴欧洲にも先に大関に昇進されてしまうという屈辱も味わった。しかし、最初の大関挑戦から5年後、 年齢的にもラストチャンスと思われた平成19年名古屋場所で琴光喜はブレークを果たす。終盤まで優勝争いを演じ、 新横綱白鵬を倒したのである。この場所後、大関に昇進し、その充実ぶりから横綱近しの雰囲気が漂ったが、 新横綱の緊張感から開放された白鵬にその夢は無残にも砕かれ、先代佐渡ヶ嶽親方が琴光喜が横綱に昇進したら、 琴櫻の名跡を譲るという夢は果たせなかった。その後、約3年間、大関として活躍したが、 10勝がやっとという場所が続いてしまったのはなんとも残念なところである。


2011年7月20日更新

大相撲名古屋場所10日目をもって、大関魁皇が引退した。引退を惜しみつつ、心に残る三番を振り返ってみたい。 若貴全盛時代に頭角を現した魁皇は、数年間次期大関候補と名が真っ先に挙がりながらも、あと一歩での足踏みが続いていた。 そのような中、千代大海、出島に追い抜かれた後の平成11年秋場所初日、新大関出島と対戦した魁皇はあっという間に新大関を破った。 その後、いかにも勝って当たり前という表情でインタビューを受けていた魁皇の姿が印象的であった。その後、魁皇の闘志に 火を点ける一番がある。平成12年初場所のライバル武双山戦である。 この場所、怒涛の勢いで大関へ向けて突っ走っていた武双山と、7勝7敗で迎えた魁皇が千秋楽に対戦した。 初優勝を狙う武双山が豪快な突き押しで魁皇を圧倒し、あの腰の重い魁皇が桟敷席の奥まで突き飛ばされてしまうという 驚愕の一番であった。思えば、この一番が万年大関候補と言われた魁皇に火を点けたとしか考えられない。 夏場所、名古屋場所と、魁皇は初優勝を果たすなど活躍し、ついに大関を勝ち取ったのである。大関昇進後、 魁皇は即次期横綱候補と呼ばれるようになった。しかし、優勝は果たすものの綱とりの場所でどうしても勝ちきれない姿があった。 そして、迎えた平成16年九州場所、綱とりの魁皇は14日目までに3敗を喫したものの、昇進へのかすかな望みを託して、 千秋楽に横綱朝青龍と対戦した。横綱昇進1年目で日の出の勢いの朝青龍に対して、魁皇はがっぷり四つの大相撲を演じ、 渾身の力を込めて朝青龍を寄り切った。両者の力を使い果たした表情が今でも忘れられない。思えば、これが最後の綱とり場所であり、 この後、かど番場所が頻繁にあって、いつ引退してしまうのかとハラハラする場所が続いてしまったのが何とも残念である。 それでも通算1047勝、大関在位65場所は立派としか言いようがない。


2010年1月17日更新

大相撲初場所4日目をもって、関脇千代大海が引退した。引退を惜しみつつ、私の印象に残る場面を振り返ってみたい。 千代大海というとなぜか、初場所の相撲が印象的である。まず、平成11年初場所が鮮明に記憶に残っている。 この場所は最後まで優勝を争った横綱若乃花を千秋楽の本割り、優勝決定戦で連破して初優勝を飾り、 入幕9場所目のワンチャンスで大関を手にした。この時まで5年間、貴乃花、若乃花、曙、武蔵丸、貴ノ浪で占められていた 上位陣に風穴を開けたのが印象的だった。実際、この後、横綱に武蔵丸、大関に出島、武双山、雅山、魁皇が2年以内に相次いで 昇進し、一気に番付が活気付いた。逆に若乃花は横綱になってから一度も優勝できず、たった一度のチャンスを千代大海に 潰されてしまった。 次に平成14年初場所である。この場所では、14日目までトップを独走し、千秋楽を迎えたものの、本割り、 優勝決定戦で新大関栃東に連敗して優勝を逃してしまった。特に本割りの一番は壮烈な突き押しで圧倒したものの土俵際で 逆転されるという惜しい一番であった。この後、約2年間の充実ぶりから考えると、もしもこの場所で優勝していれば朝青龍より 先に横綱に手が届いていたのではないかと思えてならない。この1年後(平成15年)の初場所で朝青龍が日の出の勢いで 横綱昇進を果たした。この場所で、千代大海は無念の休場をしている。前相撲時代から目をかけてきた後輩に抜かれるということで 意気消沈してしまったのかもしれない。 平成16年以降、千代大海はほとんど充実の場所を過ごしていない。かど番、勝ち越しの場所が続き、平成19年九州場所に 最後の輝きが訪れたものの、勝てば並んでいた横綱白鵬との一番で、ひじを傷めて万事休してしまった。 そして、平成22年初場所、関脇千代大海は大関魁皇に3敗目を喫して引退した。晩節を汚したという意見があろうが、 突き押し一本で大関を65場所務めたのは立派としか言いようがない。


2009年9月23日更新

平成13年の前半3場所は貴乃花復活が大相撲ファンを魅了した。平成10年秋場所以来、優勝から遠ざかっていた貴乃花は初場所、 怒涛の勢いで連勝を重ねていった。それまでの2年間、どこかで敗れていた前半戦を落とすことなく、 またこの2年間の間に自らを倒さんとばかり精進し、 大関に昇進してきた出島、魁皇、雅山(千代大海は休場)を次々と連覇した。14連勝という数字は3年ぶりのことであった。 そして迎えた千秋楽、相手はもう一人の横綱武蔵丸(曙は休場)であった。本割の一番は以外にあっけなく武蔵丸が完勝し、 14勝1敗で並んでの優勝決定戦を迎えることとなった。決定戦までの10分間、館内は休憩時間をとるのが決まりとなっている。 この10分間、立ち会いの稽古をする力士、じっと目をつぶって集中する力士、これは様々である。貴乃花はここで意外な行動をとった。 なんと、てっぽうを始めたのである。貴乃花はこれまで数度、優勝決定戦に臨んでいたがその勝率は概してよくなかった。若き日には 曙に敗れ、 横綱になって以降は兄の若乃花に敗れ、兄弟子の貴ノ浪には2連敗を喫していた。貴乃花はこの休憩の10分間を、ほとんど 「静」で過ごしていたが、何らかの心境の変化があったのかもしれない。そして迎えた決定戦で、貴乃花は武蔵丸とがっぷり四つに組み、 最後は寄りきりで勝負を決めた。なんと、14場所ぶりの優勝であった。この優勝争いを見て、先輩横綱曙は引退を決意したと 言われている。次の春場所は、魁皇が快進撃で優勝を飾った。貴乃花は不調とはいえ12勝を挙げ、完全復活を想起させた。 そして迎えた夏場所、貴乃花はまたも連勝街道をひた走り、13日目まで危なげない相撲を展開した。14日目は武双山との一番で、 場所中の成績からいくと貴乃花圧倒的有利の下馬評であった。この一番が貴乃花の力士生命を結果的に終わらせてしまう一因と なるとは誰も予想していなかったことであろう。結び前に組まれたこの一番は、武双山が貴乃花を一差で追う武蔵丸の援護射撃と ばかりに、しゃにむに前に出た。これに投げを打たんと応戦した貴乃花の右足が悲鳴を挙げた。結果は武双山の勝ちとなり、 貴乃花が左足で飛び跳ねながら支度部屋に帰る様子が全国に放送された。 あまりの痛々しさに、放送では前代未聞の本割、優勝決定戦が不戦勝に終わるというシナリオが展開され、 大相撲ファンは気が気でなかった。そして迎えた千秋楽、貴乃花は出場に踏み切った。痛々しい土俵入りから約1時間30分後、 結びの一番で武蔵丸と相対したが、1秒足らずの相撲で敗れてしまい、決定戦への出場が危ぶまれた。貴乃花は支度部屋で ドクターチェックを受け、初場所とは対照的に「静」を決め込んだ。迎えた決定戦、今度はまともに組んだ両者、 最後は鬼の形相で貴乃花が武蔵丸を上手投げで下した。この一番で、貴乃花はその後7場所の休場を余儀なくされることとなる。


2007年5月1日更新

大関栃東が平成19年3月場所をもって引退した。今回は平成の業師について振り返ってみようと思う。 栃東が最初に注目されたのは平成12年春場所で3代目若乃花の最後の相手になった頃からではなかっただろうか。 若乃花の引退会見の際、後継者として指名されたのである。その後、三役に定着し、13年九州場所後に大関に昇進した。 昇進をかけた九州場所で、武蔵丸に一方的に敗れて、危うさを感じさせたが、次の14年初場所で見事に初優勝を果たし、 横綱候補に一気に駆け上がった。思えば、この場所千秋楽の千代大海との本割の一番がその後の忍耐強い取り口の きっかけだったのかもしれない。千代大海の強烈な張り手を受けながらも臆することなく、そのまま土俵外へ叩き落としたのである。 その後は苦難の連続で大関から一度陥落したが、不屈の闘志で復帰した。 通算で3回優勝したが綱とりの場所では意外にもろかった。プレッシャーからか天性の勝負勘が狂ってしまい、 連敗が続いてしまったのである。 しかし、最後の優勝は当時7連覇中だった朝青龍を敗っての優勝(18年初場所)だったから素晴らしい。 一時期の低迷期を脱して再びポスト 朝青龍に名乗りを挙げた瞬間であった。最後の優勝以降はけがに苦しみ、結局、 横綱までは上がれなかったが、満身創痍の体で大関の務めを 果たしてくれたように思う。


2004年12月1日更新

平成16年九州場所をもって、大関武双山が引退した。ここでは、平成の怪物といわれた武双山について振り返ってみようと思う。 入門から1年足らずで幕内に昇進した武双山だが、大銀杏が結えない時期に横綱曙から金星を奪うという派手な全国区デビューを 果たした。折りしも時は若貴ブームであり、悪役的な位置に置かれる時もあったが、その怪力振りには目を見張るものがあった。 同じ時期に魁皇といういいライバルも活躍し、平成7年あたりには、大関、横綱は時間の問題とまで言われていた。 しかし、怪我には勝てなかった。脱臼が癖になってしまい、三役と前頭のエレベーターが続いた。だが、 11年に後輩の出島が大関になると、それに刺激をうけたのか、3場所後の初場所で初優勝を飾り、春場所後に大関に昇進した。 今、考えてみると武双山のピークはこの時期だったのかもしれない。印象深いのが優勝を決めた一番で、 魁皇を土俵外に一撃で吹っ飛ばした一番である。14年には、貴乃花の長期休場の要因となる一番で全国を敵に まわしてしまったような時があった。さりながら、15年には琴光喜と2度の水入りを挟む9分以上の一番を取るなど、 印象に残る一番を随所に残してくれた。今年に入ってからはかど番続きで気をもんでいたが、 やはり体は限界に来ていたようである。現役大関の引退は北天佑以来という久しぶりのことであった。関脇に落ちてからではなく、 大関として引退する武双山の引き際の美しさに敬意を表したい。


2003年11月15日更新

平成十五年九州場所七日目をもって、平成十年代前半の大相撲界を支えた横綱武蔵丸が引退した。早い引退を惜しみつつ、 僕の心に残っている場面を振り返りたい。最初に貴ノ浪との同時大関昇進を決めた一番である。平成五年頃から強烈な突き押しで 台頭していた武蔵丸の力強さが、この一番に表れていたのではないかと思う。 大関昇進後は、七年名古屋場所で初優勝が全勝という快挙を成し遂げると共に、若貴兄弟、曙のライバルとして活躍し、 十一年夏場所後には念願の横綱昇進を果たした。この時期から、太い右腕を駆使して右差しで一気に勝負を決めるという相撲の型が 完成したのではないかと考えられる。 次に十三年夏場所と十四年秋場所の貴乃花との二番である。十三年夏場所では手負いの貴乃花に敗れた。 結果的にはこの一番が武蔵丸の力士としての寿命を縮める要因になったのではないだろうか。貴乃花が長期休場する中、 武蔵丸は左手首のけがを隠しながらも優勝回数を重ねるなど、懸命に土俵に努めていた。その努力の集大成が最後の優勝、 つまり十四年秋場所の貴乃花との最後の一番で発揮されたのではないかと思う。 武蔵丸のけがをしながらも奮戦する姿は、ある意味、武士道に通じており、ハワイ出身ではあるが「日本人よりも日本人らしい横綱」を 体現していたと考えられる。通算七○四勝、優勝十二回の横綱武蔵丸に敬意を表したい。


2003年10月9日更新

今回の伝説は、貴闘力である。闘志相撲で本場所を盛り上げた貴闘力であるが、意外なことに大関候補と呼ばれたのは 優勝に絡んでいた平成5年、7年と優勝した12年くらいしかない。では、なぜこれほど鮮烈に印象に残るのか。それは 平成2年から平成12年まで約10年続いた曙との熱闘があったからかもしれない。自らよりも6年遅く入門した 曙、若貴兄弟に平成2年、あっという間に追いつかれてしまい、彼らへのライバル心を本場所の土俵で体現できるのは 曙しかいなかった。そして、十両での筆頭同士での対戦、張り手と突っ張りの応酬で大流血戦になってしまう。この一番が、 結果的にこの後10年の熱闘の序章になったのである。この間の熱闘には、若貴兄弟への援護射撃となる取組が非常に多かった。 惜しむらくは、自分のために勝たなければならない一番であっさり敗れることが多かったことだろう。それは、 平成12年春場所の12勝1敗で迎えた14日目に最もよく表れた。数秒でで押し倒されてしまったのである。この時の 貴闘力の表情たるや、これほどの無念があろうかというような表情だった。しかし、翌日、鮮やかな逆転勝ちを雅山戦で修め、 最初で最後の優勝を幕尻で飾るという快挙を成し遂げた。このように、ある時は劇的に敗れ、ある時は劇的に勝つという ドラマチック相撲が多かった力士であった。


2003年3月24日更新

今回の伝説は、曙である。平成5年に史上初の外国人横綱となり、平成13年に引退するまで8年間横綱を勤め上げた 男の中の男である。昭和63年に若貴兄弟と共に初土俵を踏み、打倒若貴をパワーの源にして出世した。貴乃花と共に ライバル視していた貴闘力とは十両時代に大流血戦を演じたこともある。最近では、貴乃花に敗れる相撲がテレビでよく流れているが、 実は対戦成績は五分五分である。そんな中で、曙が最も輝いていたのは平成12年だろう。前年の名古屋場所で、 約2年ぶりの優勝に王手をかけていたが出島に優勝決定戦で敗れて逃し、その後もけがに泣いた。12年には復活優勝と共に、 2場所の優勝を果たした。中でも、自身最後の場所となった九州場所では、けがを押して出場し、最後の優勝を飾った。 この次の場所で、復活を果たした貴乃花と円熟期を迎えた武蔵丸の一番を見た後、 納得して引退した姿は、見事な男の引き際として後世に語り継がれるであろう。


2003年1月22日更新

ついに平成の名横綱貴乃花が引退した。30歳にしての早すぎる引退を惜しみつつ、 僕の心に残っている名場面を3つほど挙げたいと思う。 まず、平成3年春場所の大躍進をしていた場面である。 当時まだ18歳の貴花田が、脂の乗り切った20代、30代の幕内力士を次々と撃破し、 破竹の11連勝を飾った。その後、横綱との対戦があって、優勝争いから脱落したものの、 10代の若武者の大躍進に心躍らせたことを覚えている。 次に、平成6年九州場所の千秋楽で横綱曙を破り、横綱昇進を決めた場面である。 前場所に、全勝優勝を果たしながらも横綱昇進を見送られ、 真価が問われた場所で文句なしの全勝優勝を飾った貴乃花の姿に、大横綱の片鱗を感じた。 最後に、平成13年初場所の千秋楽優勝決定戦の直前に、 てっぽう柱に向かって、てっぽうの練習をしていた場面である。 その10分後、武蔵丸を破り、賜杯を受け取った後のインタビューに対して、 「強くなりたいという一心で稽古に励んでいた頃を思い出していた」という答えに 大横綱貴乃花の更なる発展を期待したものだった。 この場所から、2年間、休場などがありながらも、 満身創痍で土俵に上がっていた貴乃花の精神力、 気力の象徴がこのてっぽうの練習に表れていたのではないかと今になって思う。 他にも、数々の名場面を残してくれた平成の大横綱貴乃花に最大級の敬意を表したい。


2002年11月11日更新

今回は貴乃花の巻である。とはいっても、1度では語り尽くせない。90年新入幕、91年には史上最年少金星、 92年初優勝、94年横綱昇進と本当に華々しい実績である。輝かしい実績の中で、光り輝く91年夏場所初日を伝説としよう。 初日結び前の貴花田ー千代の富士戦は、休場明けの千代の富士の回復具合を見るのにちょうど良いと考えられると同時に 角界のプリンスとなっていた貴花田の力試し程度と考えられていた。しかし、予想に反して貴花田が一方的に攻め立て、 あっという間に千代の富士を下した。結局、4日後に千代の富士は引退することになるのだが、取り組み後の、 千代の富士の笑みが、世代交代を表していたと考えられるだろう。

ところで世代交代はとにかく突然にやってくる。千代の富士ー貴ノ花(先代)、北の湖ー貴ノ花(先代)などである。 北の湖、千代の富士は大横綱になり、また貴乃花も実際そうなった。貴乃花が世代交代に選ぶ力士はいったい誰なのだろうか。 ちなみに、3代目若乃花は栃東をその旗手とした。曙は貴乃花、武蔵丸の活躍を見て引退を決めた。 もう一人の横綱、武蔵丸は誰を選ぶのか。興味深いところである。

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