ナセル主義研究

ここでは、少しずつアブドゥンナーシルとナセル主義について説明していきたいと思います。ナセル主義研究は私の博士論文のテーマですので、ここは少しずつ充実してゆくことになります。したがって、未完成の粗雑なものになっております。ご了承ください。

目次

ナセル主義とは何か

ガマール=アブドゥンナーシル略史

ナセル主義者の研究(予定)

日本におけるナセル主義研究

ナセル主義関連文書


ナセル主義とは何か

 ナセル主義とは、1952年から1970年までエジプトを統治した軍人・政治家であるガマール=アブドゥンナーシル(1)の名前から創られた言葉である。一般に1952年革命のエジプトの政治イデオロギーをさす。ナセル主義はいくつもの側面を併せ持つが、とりあえずは、よく知られたナセル主義の三つの側面、アラブ民族主義とアラブ社会主義、非同盟中立主義から考察してみる。

1 アラブ民族主義

 アラブ民族主義は簡潔に言ってしまえば、英仏列強の人工的な線引きによって複数のアラブ諸国に分断された「アラブ民族」を再統一しようとする思想・運動である。アブドゥンナーシルはアラブ民族主義のチャンピオンとして日本でも評価されてきた。しかし、本当にアブドゥンナーシルはアラブ民族主義者だったのだろうか。彼は『革命の哲学』(1954年)で中学生時代に彼自身が自覚した己のアラブ性に触れている(2)

「私自身に関しては、アラブ意識の先駆けが私の思考に浸透し始めたのは、私は毎年11月後半に英国がユダヤ人に与え、パレスティナの民族的郷土を彼らに与えたバルフォアの約束に抗議するゼネストに友人たちと出かけていた中学生であった頃であった。この時、私は自分自身に問い掛けた。なぜ、自分は熱狂的にストに出かけるのであろう。なぜ、見たことのない土地での事件に怒りを覚えるのであろう」

 しかし、アブドゥンナーシルが革命後の数年間、アラブ統一やアラブ問題に対してほとんど関心を示さなかったのはよく知られている(3)。エジプトのアラブ性は1954年のアラブ域内政治の焦点であったバグダード条約へ反対する中で強調され始める。彼がアラブ民族主義を本格的に彼の体制の機軸としたのは1956年10月のスエズ危機であったろう。Jankowskiは象徴的なアブドゥンナーシルの演説を引用している(4)。

「いま、私があなたがたに話をしている一方で、運河公社の管理と運営をあなたがたのエジプト人同胞が引き継いでいる。この瞬間には彼らはエジプトの運河公社を引き継ぐのであって、外国の運河公社を引き継ぐのではない。彼らは運河会社とその施設、運河の水先案内を引き継いでいる。エジプトの領土に位置する運河、エジプトの領土を通過する運河、エジプトの一部であり、エジプトに属している運河!」

 エジプト人研究者マーリリン=ナスル(مارلن نصر)もエジプト大統領のアラブ民族主義への言及が1956年7月26日の運河国有化演説に開始されたことを指摘している。アブドゥンナーシルの演説において、「アラブ民族主義」という言葉が初めて現れたのは1955年7月22日の演説であったが、この時はパレスティナに限定された意味であったという(5)。「アラブ民族主義」、「我々は湾岸から大西洋まで結集される民族主義を持つ」、「我々はアラブとして単一の民族主義を持たねばならない」といった発言がこの国有化の演説で為された。しかし、この演説以前にはエジプトも含めてのアラブ民族主義に関する言及は全く為されていなかった。

 スエズ運河を国有化するにあたり、エジプトはできるだけ多くの国の支持を得なければならなかった。アラブ諸国とはバグダード条約への反対で提携の実績もあった。アブドゥンナーシルはエジプトという一国家の問題を全アラブの問題に仕立て上げたのである。

その後のアブドゥンナーシルの言説でも、彼とエジプトの国家利益にとってアラブ民族主義が有用な道具であることを示す発言が見られる。(6)

「我々の政策はアラブ民族主義に基づいている。なぜならば、アラブ民族主義は全てのアラブ国家にとっての武器だからである。アラブ民族主義は侵略に対して行使される武器である。侵略者にそれを知らしめることが必要である。もし、誰かがどこかのアラブの国を攻撃すれば、彼は彼の利益を危険にさらすことになるだろう。これがそのやり方である。おお、兄弟たる同胞たちよ、我々は進歩しなければならない。エジプト、輝かしいエジプト、独立エジプトのために。」

 1958年を境にアブドゥンナーシルはアラブ民族主義者であろうとした。しかし、エジプト国内でもアラブ連合共和国の熱狂が落ち着き、アラブ民族主義イデオロギーに懐疑的な風潮が強まり始めた(7)。1958年9月に彼はこれに対してこう述べる。

「これ(アラブ民族主義運動)はごまかしの運動だと言うものがいる。これは間違いだ。アラブ世界の真ん中で誰もそんな運動を創り出せないだろう。現実に、これは我々、全ての人の心の奥底にまで根を下ろした運動である。イラークに革命が起きたとき、アラブ民族主義がイラークで勝利した理由はそれなのだ。我々の強さの根源はアラブ民族主義に表明される連帯である。これが長いこと我々を拒否してきたが、いまでは使えるようになった我々の有力な武器である。」(8)

 アブドゥンナーシルはシリアとの統合後、エジプト民衆、エジプトという言葉を使わなくなっていた。しかし、彼はアラブ民族主義の中にエジプトの独立、自由などを織り込むようになっていった。1958年12月のポート・サィードでの演説で、彼はスエズ戦争の記憶をアラブ民族主義と同一視している。

「おお、ポート=サィードの兄弟たちよ、貴方がたは大国とその艦隊から自由と独立を護った最高の例である。(中略)真の独立、真の自由、真の能力。全てが我々の意識から生まれ、全てが我々の意識に貢献する。それらの全てがアラブ民族主義、アラブの連帯、アラブ統一を創り出す。」

 アブドゥンナーシルにとってのアラブ民族主義はエジプトの独立、解放、威信、強さを含んでいた。その意味で彼は「1958年以後でさえムスタファ=カーミルやサァド=ザグルールの民族的視点と異ならなかった」(9)のである。

2 アラブ社会主義




3 非同盟中立主義





ガマール=アブドゥンナーシル略史(1918-1970)

ガマール=アブドゥンナーシルの写真 1918年1月15日、父アブドゥンナーシル=フセイン、母ファーヒマの間にエジプトのアレキサンドリアで生まれる。父アブドゥンナーシルは郵便局長で転勤が多く、アレキサンドリア、カイロなどを転々としていたらしい。父アブドゥンナーシルは中部エジプトにある小村落ベニ・ムルの出であり、サィーディー(上エジプト人)であった。

1934年、「青年エジプト」に入党。

1936年、カイロ大学法学部入学。

1937年、カイロ大を中退し、陸軍士官学校に入学。

1939年、マンカバードの誓い

1948年、パレスティナ戦争に従事。「自由将校団」組織の準備始まる。

1952年7月23日、エジプト1952年革命勃発。

1954年、ムハンマド=ナギーブとの権力闘争に勝利、メッカ巡礼。エッセイ『革命の哲学』を発刊。

1955年、バンドン会議参加。非同盟運動の中心的人物になる。

1956年7月26日、スエズ運河国有化宣言。英・仏・イスラエルとのスエズ戦争に外交上の勝利。

1958年、シリアとの統合国家「アラブ連合共和国」の大統領となる。

1961年、アラブ社会主義宣言。エジプト第二革命を始める。

1962年、イエメン革命に関与し、イエメン内戦にエジプト軍を派遣する。

1964年、アラブ首脳会議、PLO設立を提唱。

1967年、イスラエルとの6月戦争に突入。大敗を喫し、辞任宣言。

1970年、死去。

なお、上の写真は身分証明書の写真。


ナセル主義者の研究(予定)


日本におけるナセル主義研究

斎藤真「ナセル主義」

ナセル主義関連文書

ここでは、著作権上支障のない範囲でナセル主義に関する文書を紹介していきたい。

1.演説、インタビュー、電信

演説 電信

2.憲章、諸憲法

憲章 憲法

(1) ガマール=アブドゥンナーシルは、日本ではナセルとして知られている。ナセルあるいはナーセルともいうが、こうした呼び方は正しくない。アブドゥンナーシルは父親の名前であるが、この語はアッラーを意味する複合名詞であり、切り離すことのないものである。現にアブドゥッラーは切り離されずに用いられている。筆者はナセルを用いず、アブドゥンナーシルを用いている。ただし、イデオロギーを指す用語としては「ナセル主義」を採用した。アブドゥンナーシルの名は日本の新聞に「エジプト陸軍参謀総長代理ナセル大佐」として1953年1月18日の朝日新聞に登場している。当時の日本の中東報道はロイターなどの外国通信社に依存しており、欧米の間違いをそのまま輸入してしまったのであろう。

(2) ナセル(西野照太郎訳)『革命の哲学』角川文庫、1971年、73-74頁。

(3) たとえば、以下を参照。James Jankowski, "Arab Nationalism in "Nasserism"and Egyptian State Policy, 1952-1958", James Jankowski, Israel Gershoni(eds.), Rethinking Nationalism in the Arab Middle East, New York, Columbia University Press, 1997, pp.157-158.

(4) Ibid., p.152. アラビア語原文は次を参照した。384

(5) .نصر, ص 210

(6) Jankowski, op. cit., p.155. 1957年7月22日演説

(7) Gad Silbermann, "National Identity in the Nasserist Ideology, 1952-1970", Asian and African Studies, Vol.8, 1972 , p.64.

(8) .الأهرام, 4 سبتمبر 1958

(9) Silbermann, op. cit., p.65.


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