+ ひなた 21歳 春 +


アタシの名前は坂上“ひなた”。
ちょっと変わったこの名前は、4月の暖かい日に生まれた証。
そんなアタシもこの4月で21歳、大学生活も残り半分になりました。


1,春風とともに

外にでると、微かな沈丁花の香りとともに、生暖かい風がひなたの髪をなでた。
「アタシの季節だ」
ひなたは大きく息を吸い込むと、大学の入学祝いに買ってもらったスカイブルーの自転車にまたがった。
 家から駅まで続くゆるやかな坂道をブレーキもかけずに、自転車は進んで行く。高台の新興住宅地にあるひなたの家からは、昔からの町並みがよく見える。そんな人々の日常の生活を眺めながら、駅前のパン屋まで自転車を走らせるのが、ひなたのここのところの日課だった。
 駅前にあるそのパン屋で、ひなたは1年前からアルバイトをしている。他にすることもなかったひなたは、春休みのほとんどをそのパン屋ですごしていた。
 ひなたは「定休日」と書かれた札のかかったパン屋の前を通り過ぎると、小さな雑貨屋の前に自転車を止めた。この小さな町には不似合いの、小粋な感じのする雑貨屋である。この雑貨屋の奥にあるカフェはひなたのお気に入りの場所だった。br> 「ひなた」
店内に入ると、ふいに聞き覚えのある声がひなたの名前を呼んだ。
「ユウカ。ごめん、待った?」
両手を合わせながらいつもの席に着くと、目の前の友人はすでに注文していたカフェオレを口にした。
「遅いよ。今日は春休み最後の日だからひさしぶりに会おうって言ったのひなたじゃないの」
「ごめん、ごめん。ひさびさの休みだったから寝過ごしちゃって」
「まぁ、いいけどね」
ユウカはひなたの小学校からの友人である。高校は別になってしまったが、大学生になった今も時々こうして会っているのだ。
「明日からまた学校かぁ」
「そっか。ひなたのとこは明日からなんだっけ?」
「うん。あれ?ユウカのとこは違うの?」
「ん。私のところは明後日から。でも、もう大学生活も残り半分かぁ」
「もう3年生だもんね。どう?大学の方は」
「相変わらずオンナばっかり。毎日コンパだなんだってつまらない日常よ」
高校の頃からエスカレーター式の私立の女子校に通っているユウカは、ストローでからからと溶けかけの氷をつっついた。ふと、ユウカは上目使いにひなたを見るとこう言った。
「ひなたはいいよね。共学だもん」
「関係ないよ。アタシなんて何のサークルにも入ってないから余計に出会いなんてないもの」
「そうかなぁ」
「コンパだって女子大の方が全然多いと思うよ?」
「んー・・・。そうかも知れないね。そういえば例の人はどうしたの?」
「例の人?」
きょとん、としたひなたをユウカはじれったそうに睨んだ。
「ほら、大学のトモダチに紹介されたって言ってたじゃない。ヨーコちゃんだっけ?」
「ああ。ヨーコの彼氏のトモダチでしょ?」
「そうそう」
「うん。ぼちぼちってとこかな?」
「ぼちぼち、ねぇ」
ヨーコは大学に入ってできた友人である。もともとあまり人付き合いの得意ではないひなたは、大学に入って最初にできた友人であるヨーコといつも一緒にいた。気も合うし、センスのいいヨーコと一緒にいると刺激にもなってひなたにはそれなりの大学生活なのである。そんなヨーコには高校の時から付き合っている5歳年上の彼氏がいる。25にもなって定職にもつかず音楽活動に勤しんでいる彼を、ヨーコはいつも「夢だけで食べていけたら苦労しないよねー」とひなたにもらしていた。
 例の人、カズヒトと初めて会ったのは、そのヨーコの彼氏のライブに招待された時だった。
「ひなた、こちらアキの高校の時の友人でカズヒトさん」
「どうも」
「あ、坂上ひなたです」
ヨーコの彼、アキの高校の時の友人だと言う彼は、アキとは違いぴしっとスーツを着こなしたサラリーマン風の人だった。
「ほんとにトモダチ?アキさんとはかなりタイプが違うように見えるけど」
ヨーコに軽く耳うちすると、ヨーコはくすっと笑ってこう言った。
「これでも昔はアキと一緒にいろいろ悪いこともしてたみたいよ」
「今は優秀なサラリーマンだけどね」
そう言ってカズヒトは微笑んだ。細いフレームの眼鏡の奥にある、涼しげな目元が印象的だった。
「ハンサムなヒト」
それがカズヒトの第一印象だった。ひなた自身、今時「ハンサム」という表現もどうかと思ったが、何はともかく、そのコトバが一番ぴったりだったのだ。
 それ以来、何度かカズヒトとご飯を食べに行くことがあった。だからといって、特別な関係というわけでもなかった。ただ、たまに二人でご飯を食べに行くという、それだけの関係なのである。
「そろそろでようか?」
ふと、ユウカがひなたに声をかけた。先ほどまで頭上にあった太陽もすでに傾き始めている。
「そうだね。でよっか」
伝票を手に取ると、ひなたは椅子から立ち上がった。
 外にでると、春風は涼しげな冬の名残を残した風に変わっていた。
「やっぱりまだ夕方になると寒いねぇ」
「そうだね。ジャケット持ってきてよかったわ」
ユウカはひらりとベージュ色のジャケットを羽織るととことこと歩きだした。その後を自転車を押しながらひなたが歩く。小柄なユウカと、背が高くどこか中世的なひなたが並んで歩くと、まるで恋人同士のようだった。
「ひなた、携帯鳴ってない?」
ふいにユウカが振り返ってそう言った。
「あ、ほんとだ」
自転車のカゴに入れてあった鞄の中から携帯を取り出すと、ひなたは携帯のボタンを押した。
「メール?」
「うん」
「ダレから?」
「カズヒトさん。明日ご飯食べに行かないかって」
「おー、春だねぇ」
ユウカはからかうようにそう言うと、にっこりと微笑んだ。


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