2002年10月20日。日曜日に郵便が着た。速達である。
見れば、慶應大学からであると慌てて妻が開封しインターフォンで私を呼ぶ。階段を上がって郵便を見てみれば卒業が決定したとの通知に、「これにて終わった」と実感。
振り返れば3年11ヶ月前に入学したのは、「まるで昨日のことのようだ」というのは大袈裟にしても、昨年末のような気がするのは偽りの無い感覚である。これは言い換えれば4歳、年齢を重ねたという実感がないのである。周りの人達も同様に4歳加齢しているので、相対年齢が変わらないため錯覚に陥るのだ。これは丁度、同じ速度で走っている車が互いに止まっているように観測されるのと同じである。
しかし、確実に走って(学んで)いる。走って(学んで)いない周囲から見れば、猛スピードで走って(学んで)いるのが分かる。4年前の自分とは比較にならないほど知識を得た自分。これが慶應通信を通じて得た最大のものである。これは入学動機である「法学の基礎能力を得る」の達成であった。
一方、卒業は確かに学士の資格を与えはする。従って、それは同じく得たものに違い無い。しかし自営業の自分にとっては、それで昇級や昇給、就職に左右されるものでは、余り無い。
今のところ、高校の同窓会名簿の原稿確認が送られてきた時に、学歴欄があり、そこに「慶大/法」と印字されている時に、初めて学士の学歴を意識した程度である。しかし、偽り無く、嬉しいことは事実である。
以上の2つは、慶應通信を卒業した人であれば同音異句の内容だろう。私はこれにさらに最低2つの得たものを付け加えたい。多くの方が、その2つに卒論をまとめ上げた事や、遠ざかっていた英語と必死に向き合いクリアしたことなどを挙げるであろうが、それは私も少なからず感ずることである。慶應通信をやらなければ、卒論も英語もここまで根性出してやらなかったであろう。
しかし、私は、あえて別の2つを掲げたい。優劣つけ難いが、1つは、スクーリングの体育で水泳を選択し、カナヅチだった私が、50m泳げるようになったことだった。これについては、これまでに別の所でも語っているので省略するが、この精神が、苦手で、これまで避けに避けていた会社法で卒論を書くベースであったことを改めて意識した。
他の1つは友達である。生まれてこの方、13回の引越しをしたお陰もあって、私にはいわゆる、ポン友や竹馬の友が居ない。それまでの友人らしき人々は、皆と言っていいほど仕事、即ち損得関係の中で生まれてきた「知人」であった。学生生活を始めるに当たって、一年に一人づつ友達を作ろうと考えた。それで、慶友会にも積極的に参加し、岐阜、愛知の二つの慶友会で活発に活動した。さらには会報の編集長の立場も生かし周辺の慶友会に訪問し交友を深めた。京滋慶友会、長野慶友会、静岡慶友会等である。
インターネット上でもML(メーリングリスト)の仲間が出来た。私が活動しているのは「慶應通信ML」で300余名のリストで毎日、今では十数件以上のメールが交換されている。出来上がって間もない、このMLではオフ会(現実世界で会う会のこと)を言い出しっぺになって立ち上げ、1年で数回開催するまでになり、ネット上で話すただの無責任なMLではなく、良識ある方々が集う良いMLになってくれた。MLは全国的な活動が出来るいい手段でもある。
同じく全国的な活動ではWing代表の高取さんの活発さに惚れこんで、夏スクでアンケート配布など、恥ずかしいながらも貴重な体験をさせて頂いた。これが今年の夏、岐阜慶友会の講師派遣のチラシを学内で配布する勇気を与えてくれたのだった。また、Wingなどが主体となり夏スクで開催した全国交流会でも、人脈作りの機会を頂いた。
これらに関連するが、慶應通信の勉強に関するホームページを立ち上げ、日々、日記を書き成績や勉強時間等を公開することで、見知らぬ読者を得てメールを頂いたり、実際に会い、交友関係を広げられ、正に望外の成果であった。アドレスは以下の通り。
(../../../../../www.geocities.co.jpCollegeLife-Library/1964/index.html)
生まれて初めてのホームページは2001年1月から開始して、現在も続いている。この運営を通して、仕事上のホームページの勉強もしっかりさせて頂いた。
もし、慶應通信に学ばなかったら、この4年は、それ以前の4年と余り代わり映えのない4年であったろうと思う。以前の4年は進歩の少ない年月であった。だから、慶應通信は私に、限りない場と、機会と、手段とを与えてくれたのだった。