日記だよ。

現場の厳しさ
おとといの夜、自動車解体業の廃車置場で火事があり、その写真取りに行った。
現場では無残に焼けた車が40台あった。
社長さんはあきらめというような表情で燃え残った車を見ていた。
「放火に決まってる。ここは人通りもないもんで、
若い衆が帰ってから2時間後には通報があったっていうからなあ。」
と呆然として、また怒りを持った表情だった。
「報道するからまた面白がって半年後ぐらいにやるんだよ。
報道するのはいいけど場所はわからないようにしといてくれよ」
と言われた。
俺は何もいえなかった。
赴任してきて2週間、被害者と面と向かって話したのは初めてだった。
これまでは、展覧会の紹介や警察からのメモを記事化してただけだったけど、
当事者に会い、現場を目にすると記者という仕事の生々しさを感じる。
また、同時に楽しい話題ばかりではないんだな、
という当たり前のことにいまさらながら気づいた。
2002年05月10日 14時16分39秒

浜松まつり
今日は浜松まつりの取材。 町ごとに大きなたこを揚げている。 そろいのはっぴを着て盛り上がっているのは、 なんだか地域のつながりの良さを感じる。 俺の出身地では体育祭くらいだった。 俺は地元を出てしまったし、 どこかに定住する仕事ではないから もうそういうつながりはないんだろうなあ、と思ったら、 なんだか盛り上がってるたこ揚げ会場の中で、 すごく疎外感を感じてしまった。 「オイショ、オイショ」の掛け声はにぎやかで楽しそうだったけどね。
2002年05月04日 00時00分46秒

初恋のひと。
夜10時ごろ、帰りの東上線での車中。
途中の駅で座れるようになり、卒論用の参考論文を読んでいた。
すると自分の座っている前にOL風の女性が来た。
何の気なく見上げるとそこに見覚えのある顔があった。
その人は僕の初めて好きになった女の人だったのだ。

小学校のときのクラスメイトで、
いわば「初恋の人」とでも言うべき人だ。
もともとそれなりに仲が良く、
小学校2年生のときに、好きだなあ、と思うようになった。
しかし、思いを伝える事もなく、互いに違う中学校へと進んで、
それ以来特に話すこともなかった。
僕の母校に近い女子高に進んだらしいことは聞いていたが、
僕が東京の大学へ進学し、また引越しをしたことから全く情報は入ってこなくなっていた。

小学校当時からぽっちゃりしていた印象があるが、
今でもぽっちゃりしていた。
顔もほとんど変わっていなかった。
OLさんにでもなったのだろう、スーツを着てイヤホンで音楽を聴いていた。
プラダのバッグを持っているなど、
ちゃんと大人になってるんだぁ、と変に感心してしまった。
しかし今の自分の好みとは違うなあ、と思った。
相手は僕に気づいていない様子だったし、
なんとなく恥ずかしかったものだから、話しかける事はなかったが、
座って目をつぶりながらなつかしく小学校のときのことを思い出した。
会っていないあいだもそれぞれがそれぞれの人生をちゃんと歩んでいるんだなあ、
と当たり前のことに改めて気がついた時間だった。

同じ駅で降りて、夜の闇の中を歩いて帰っていく彼女の後ろ姿を見ながら、
「これからも頑張れー。」と無言のエールを送り、
自転車のペダルを踏み込んだ。
2001年09月07日 00時13分04秒

プチ一人暮らし
今日は家にだれもいない。一人の夜だ。家族は全員泊まりがけの旅行に出かけている。高校生のときからか、家族の旅行には同行しなくなっている。来年からはまちがいなく行けなくなるのでもう家族と旅行に行くこともないのかなあ、と思っている。
一人暮らしらしいことをしようと思い、近くのラーメン屋にラーメンを食べに行った。家の近くの飲食店に一人で行く事は実家暮らしの僕にとってはほとんどないことだ。家に帰ればごはんがある。だから家の近くで食べることはほとんどないのだ。家族と同居している者にとって近所の飲食店は意外に行ったことのないところが多いはずだ。うまいと評判のラーメン屋があって、一度行ってみたいと思っていたのでこの機会に行ってみることにした。自転車を飛ばして店に行き、塩ラーメンの大盛を食べ、満腹感に浸る。帰りにコンビニで100円アイスを買って帰る。ふと気づいた事がある。この間全く会話はないのである。一人暮しのさみしさは会話がないことが一番の原因なのだろうな、と感じた。僕も来年から一人暮しをする可能性が非常に高い。この寂しさをいかにして克服するかが大事なのだろう。それでも当然、自由度はかなり高い。この珍しい経験でまた一つ大人に近づいた気がした。
2001年08月14日 23時07分38秒

祭りのあと。
久々の日記。
さて、いつものように電話バイトを終え7時半ごろに自転車に乗って帰っていると最寄駅の近くでは夏祭りが行われていた。太鼓の音、流れているのは地元の盆踊りの唄。やぐらを中心に浴衣姿の人たちが丸くなって踊りを踊っている。そういえばこの踊りは小学校のときに学校全体で覚えさせられた。そうそう、こんな感じだった、と懐かしくなりながら子供たちの踊りを見ていた。祭りって大人になって行くことは少ない気がする。考えてみれば祭りと言えば小学校のときに行った思い出が一番印象に残っている。いつもの学校がその日だけちょうちんでライトアップされて、クラスメイトの女の子が浴衣で来ていた。親から1000円札をもらってどの屋台につぎこもうかと悩んだものだ。

なぜ大人になると祭りに行かないのだろう。それは地元から離れてしまうからではないか。長い距離を電車で東京まで出ていく毎日。自分の住むところと、日中時間を過ごすところの距離が離れてしまう。祭りと言えば地元の関係を究極的に表す行事だ。いつもは東京で時間を過ごしていて、地元なんか寝るために帰るところだ、ぐらいに考えていたけれど、久々に祭りを見てこんな世界もあったなー、と懐かしくなった。こういうときくらいしか地元に目を向けなくなっているのも事実だが、それでも子供の時代を過ごした地元というものの存在を考えてみるいい機会でもあった。
2001年08月04日 21時18分31秒

バイトについて
最近は週四回電話受信のアルバイトをしている。
秘密保持の必要からここで詳細を書くことはできないが、
毎日いろんな人と話をしている。
このバイトでは、電話してきてくれた人に感謝してもらって
電話を切ることが出来たときに喜びを感じる事ができる。
しかし最初から怒って電話してくる人もいる。
いわゆるクレームの電話だ。
しかし、そんなときも冷静にこちらの立場を説明する事が必要になってくる。
もしこちらに非がないのに謝罪してしまったとしたら、
問題がややこしくなる。
いかに相手が怒っていようと決して謝罪する事はできない。
そういう難しい点もあるが、電話に出ているときはいつもの自分でない、
オペレーターの自分という存在を演じる事ができる。
プロとしての自分だ。
バイトではあるが電話に出た瞬間にプロにならなくてはならない。
電話をしてくるのは顧客なので言葉遣いや微妙な言いまわしまで
細心の注意をはらわなければならない。
わかりやすく、簡潔に、丁寧なトークが必要だ。
ここで得た顧客に対するトークのノウハウは、
僕がこれから就く新聞記者という仕事にもきっと役立つはずだ。

大学生として残された時間もだんだん減ってきた。
季節が変わるたびに、学生でいるこの季節は最後なんだな、
とかみしめながら過ごしている。
今は電話のアルバイトと学習塾の講師のアルバイト、
そして卒論、プライベート、という感じで時間を過ごしている。
アルバイトが中心となって過ごしているが、
卒論も本腰を入れていかねば。
アルバイトも、やりすぎで扶養から外れてしまう恐れも出てきたので徐々に減らしつつ、
卒論へと力をシフトしていこうと思う。
2001年07月12日 22時05分42秒

突然の訪問。
今日は日記らしい事を。
最近はバイトで池袋まで行っているが、その帰り。
池袋で電車のイスに座り、卒論用の本を読もうとしたところ、
横に座っている若いサラリーマン風の人が読んでいるマンガが目に入った。
それは幼稚園から小学校までのあいだ夢中になっていた、キン肉マンのマンガだった。
懐かしさを感じて、となりからこっそりのぞき込んでいた。
懐かしい超人が出てきて、とても楽しい時間となった。
坂戸までの45分間はその人と一緒にキン肉マンの世界に浸りこんでしまった。
キン肉マンの面白さは、
いつもはダメ超人なキン肉マンがここぞというときにはしっかりと活躍するというところだ。
また、そんなキン肉マンにひかれて多くの仲間が集まってくるという友情にもあこがれたものだ。
あのころ夢中になっていたキン肉マンが21歳の自分に再び会いに来てくれた気がする。
さて、僕はあのころあこがれていたキン肉マンに近づけているのだろうか。
そんなことを考えて電車を降りた。
近くの図書館にマンガコーナーがあって、そこにはキン肉マンのマンガもあったはずだ。
今度読みに行こうっと。
2001年07月03日 23時06分00秒

事件と記者
この問題について語らないわけにはいかない。
大阪の児童殺傷事件だ。
事件から1週間がたった。
しかし、息子、娘を殺された親のインタビューはいつみても、涙なくしては見られない。
テレビは生前の子供たちの無邪気な笑顔を映し出す。
もう帰ってこない我が子への思いを、声を震わせながら話す父親。
あの映像を見れば10人に10人が容疑者への極刑を強く希望するだろう。
人間として、許せない事件であるのは言うまでもない。
しかし、私が記者としてこの事件にかかわることになったら、
どういうスタンスでいるべきなのだろうか。
一視聴者として、「即刻死刑だー!!」と言っているだけで良いとは思わない。
こういう事件のときこそ、記者として、情報を収集する者として、バランス感覚、冷静さを忘れてはいけないと思う。
今回のような世論がかなり固まると思われる事件のときは、なおさらだ。
取材を進めていくにつれ、容疑者のことを深く知り、より強い憤りの気持ちをもつことになるだろう。
もしかしたら視聴者よりも強く極刑を求める気持ちになるかもしれない。
それでも、そのときでさえも、ある部分では容疑者側の立場に立つ必要があるだろう。
もし、「みんなが求める」極刑へと進んでいったとしても、そのプロセスはきちんとしたものなのか、見極めていかなければならない。
捜査は適当な手順を踏んで進んでいっているのかなどもチェックのポイントだろう。
とはいえ、悲惨な事件に触れたときは憤り、人の痛みを感じることができる状態は保たねばならない。
例えば、涙を流しながら、ペンを走らせることのできる記者になりたい。
2001年06月15日 23時27分59秒

新しいバイト。
今週は月曜からバイトの研修に行っている。
内容は大手電話会社のお客様センターの電話応対である。
就職活動が終わり、
内定先から4月までに自動車の免許を取っておけ、といわれたので、
その資金稼ぎにとバイトをはじめることにしたのだ。
条件重視で探して見つけた。
今は学校は月曜と木曜しかなく、
火、水、金は一日空いているのでまさにフリーターとなって
アルバイトにいそしもうと思っている。

今は仕事に使う知識を研修で聞いている状態だ。
講義形式なので、かなり疲れるが、これから仕事をしていく上で
必要な知識だから一字一句聞き逃すわけにはいかない。
もともと、人と話をするのは好きだし、
指導の人にも滑舌はいいと言われたから、
話すことには不安はないのだが、
知識は何もない状態なので、この点が不安だ。
覚えることは多いが、しっかり覚えて仕事に役立てていきたい。

昼間のバイトのため、同期の人には学生は少なく、
元社会人として働いていた人が多い。
社会人の人の話を聞くのはとてもためになる。
それは、彼らが社会的に責任をもった仕事をしてきたからだと思う。
社会と向き合い、(いやいやながらかもしれないが)自分のできることを
社会のためにしてきた人たちの顔はやはり違う。
まだ研修が始まったばかりでなかなか仲良くなることはできないが、
これからいろいろ話を聞いてみたいと思っている。
これも記者としての仕事の糧になるだろう。

大学4年生の今まで、アルバイトをいろいろしてきたが、
やはり楽しみを見つけていくことが大事だ、とつくづく思う。
待遇が良くても、楽しみがないとバイトの時間がくるのが憂鬱になってしまう。
嫌なことがある中でも、楽しいことを見つけることで
その時間を気持ちの良いものにすることができる。
このことは大きいと思う。
この仕事ではどんな楽しみが見つかるだろう。
電話をしてきてくれたお客様が喜んで電話を切ってくれる、
そういう対応ができればいい。
そういうところに喜びを見出していきたい。
その前にまずはきっちり仕事ができるようにならねば。
3日間の研修ですでに20ページにも達した手元のノートを見て、
気持ちを新たにした。
2001年06月14日 17時43分09秒

嗚呼、我ら大学生。
昨日はサッカーのコンフェデレーションカップ準決勝、
日本対オーストラリアの試合があった。
キックオフは17時からだったが、
ぎりぎりまで授業があったため、
学校近くのスポーツカフェでたつみくんとみなみくんと観戦することになった。
外はあいにくの雨。
それも警報が出るくらいの豪雨。
試合会場の横浜も大降りであった。
店には社会人らしき団体もいた。
知らない人達と一緒にサッカーを見るのは初めてなのでどういう感じなのか興味深かった。
ゴールのチャンスやピンチが来るとまわりがかなり騒ぐ。
当たり前のことだが、
自分が騒ぐ前に他の人が騒いでしまうのでなんだかさめてしまって、
「うるさいなー」と思ってしまった。
それでも中田のFKでの得点時には一緒になって盛り上がった。
今日行ってみて思ったことは、
「やっぱりサッカーは家で見るに限るなー。」ということだった。

サッカーのあとは3人でカラオケへ。
久々のカラオケだったが、かなり壊れた。
最初のほうは普通に自分の歌いたい歌を歌っていたが、
だんだんおかしくなってきて、
適当にメドレーを入れてマイクを回して歌う、という変な歌合戦をやっていた。
10年前のCMソングなんか覚えてるかっつーの。
さらに、「贈る言葉」をヒップホップっぽくアレンジしたりしていた。
「アー、イエー」なんて合いの手は明らかに「贈る言葉」には合わないだろう。
こんな無計画な行動をとれるのは学生のうちだけなのかな、とふと思ったりしていた。
そもそも、サッカーの観戦でさえ、その日に決まったことなのだ。
カラオケは2時間半続き、終電ぎりぎりになった。
電車の中で、あと約10ヶ月しかない学生時代が急に惜しくなったりしていた。
なくなりつつあるものこそ大事なもののように思えてくる。
盛り上がったあとの静かな夜風がTシャツには寒かった。
2001年06月08日 22時35分09秒

バス論
最近は埼玉大学の近くにあるベネッセの家庭教師センターの登録会拠点で
バイトしていることが多い。
志木駅からバスで20分くらいで着くことになっている。
バスで通学、通勤をしたことのない僕は
バス通勤が最近マイブーム(死語?)になっている。

電車通学歴はもう6年になるが、バスとの違いは大きい。
まず、バスは時間通りに来るとは限らない。
バス停で待っていても、5分、10分と遅れるのは当たり前だ。
しかも、きちんとバス停のところに立っていないと止まってくれず、
通過されてしまう恐れもある。
行きは始発点の志木駅から乗るので問題はないが、
帰りは小さなバス停から乗っているため気をつけなければならない。
志木から与野本町駅までのルートをとおるバスを利用しているのだが、
この路線は1時間に一本しかない(!)。
よって、一本逃すと、次まで1時間だ。
帰るときにバス停のところに立っていて、
運転手さんに見過ごされたことはさすがにないが、相手も人間だ。
見逃すことは十分ありうる(と僕は思っている)。
だからバスが来ると、軽い緊張感が体を包む。
バスが来ると、軽く手を挙げてみる。バスが止まる。
今までの緊張などなかったかのように整理券をとり、ガラガラの車内へのりこむのだ。

もう一つ。バスは降りるときにブザーを押す。
これがくせものだ。きちんと自分で押すことができないとバス停で止まってくれない。
行きの志木駅発のバスは志木市内からさいたま市へと流れていくバスだが、
志木では立ち乗りもいるくらい混み合う。
でもバスが志木市内を出るころには車内はガラガラになる。
僕の降りる上大久保のバス停で降りる人はほとんどいない。
よって、自分の手だけが頼りだ。
この手でブザーを押さなければ、上大久保で降りることはできない。
バス乗り初心者の僕にとって、ブザーを押すことは一大事だ。
きちんと押すことができる日が大半だが、昨日はこんな感じだった。

いつものように二つ前のバス停あたりから緊張が始まる。
一つ前の埼玉大学のバス停を通過したあとは緊張はピークに達する。
「♪ちゃららちゃらららん♪」
バス停が切り替わる。「上大久保」。僕は満を持してブザーを押そうと手を伸ばす。
「ピンポーン♪」。えっ? 僕が押す前に誰かに押された。
その人は平然と降りる準備をしている。やり場のない緊張感だけが残る。
茫然自失のままバス停を降りると、そのおばさんは悠然と歩いていくのであった。

このようなバスでの緊張は、降りる人、又は乗る人がいないときには
バスがそのバス停を通過してしまう、というバス独特のルールがあるからである。
初心者にとってはなかなか慣れることはできない。
とは言え、この慣れない緊張を楽しんでいるというのもまた事実なのだが。
2001年06月07日 09時59分13秒

子供って、子供って・・。
昨日(27日)はオールソフィアンズデー。
大学挙げてのの同窓会だ。
お手伝いとして参加した。
担当は子供と一緒に遊ぶことだ。
当然ながらいろんな子がいる。
きゃあきゃあ言いながら走り回る子、
物静かながら、呼びかけるとにっこり笑いかけてくれる子、
回りにいる子たちをまとめようとする子、
スタッフである自分に対して挑発してくる子などなど・・。
普段あまり子供と接することはないが、
将来新聞記者として、
教育のことを扱ってみたいと思っているので、良い経験になった。

それにしても子供にはいろいろな事を考えさせられる。
きちんとルールを守る子と守らない子がいる。
それはどこの差なのだろう。
優しく話しかけているのになぜ泣いてしまうのだろう。
わからないことだらけだ。
これから子供と接するときは今の自分の価値観を隣に置き、
現象を素直に受け入れてみたいと思っている。
2001年05月28日 23時10分50秒

グループ分け?
今日は飯田橋でナビ。
63人の参加者を7人のナビで担当することになり、
一人あたり9人を担当。
今日のディスカッションでは参加者を3つのグループに分け
話してもらうことにした。
基本的にはナビはこの形を採用するように指導されているが、
自分と参加者は1対1の会話がほとんどできないため、
派遣適性をみるときにどうしても弱くなってしまう。
そのためいつもは常に1対1の形で話をすすめるようにしていた。
しかし参加者9人では1人の話す時間が少なくなってしまうので
グループ分けを採用してディスカッションをした。
その結果、参加者は多く話すことができたと思う。
今後もいろいろ試していくことが大事だ。
2001年05月26日 22時18分41秒

男しか来ない?
今日は午後からベネッセの埼玉拠点でのバイトのみ。
朝、時給のいいバイトはないかと、anをめくり、電話をする。
二つ電話をして面接の予定を入れた。
共に事務、入力のバイト。

埼玉拠点は2人しか来なかった。
今週からはじまった埼玉拠点だが、女の子が1人も来ていない。
18人中18人が男なのはどういうわけか。
原因がわからないが、暑苦しいあの部屋に
男ばかりが密集しているのもつらいものがある。
しかしとりあえず埼玉拠点への勤務は終了した。
片道20分のバス通勤は新鮮で楽しかった。
2001年05月26日 00時11分38秒

ゼミに出た。
日記は少しでも毎日書くことが大事だと思っているが、
なんとなく書けないでいた。
今日はゼミ。
薬害エイズ報道についての話だった。
安倍氏弁護団の一員の飯田弁護士さんと、
毎日新聞の記者の山科さんという人のお話を聞いていた。
安倍氏は常に悪者扱いされているけれど、
裁判は公平に行われなければならず、
感情論先行の報道には納得できない、という弁護士の主張はもっともだと思った。
メディアの伝えない事実がある、という当たり前のことを再認識したゼミだった。
そのあとの飲み会では山科さんに毎日新聞のことについていろいろ聞いたりした。
とってもいい人で、これからメールを交換しようと思った。
いろいろ勉強になった。
今はいろんな人にいろんな話を聞く機会を大切にしようと思っている。
だから、就職活動でバイトができず、財政難の今でも、
交際費だけは削らないようにしている。
そのぶん、何かを感じて帰ろうと思っている。
2001年05月25日 00時45分42秒

バイト→お泊まり
 今日から通常の日記のスタートです。
 4年生で、就職も決まってしまった僕は今はアルバイトに勤しんでいる。
 今日はベネッセの家庭教師センターで事務のアルバイト。書類整理をしたりして過ごした。今日は、何も予定がなかったので多摩事務バイトを入れてみたが、やはり遠い。片道2時間だ。
 学校まで1時間半かけて通っているが、2時間は精神的にきつい。時間を無駄に使っているなあ、という気がしてしまう。
 移動の電車の中では本や新聞を読んで知識を仕入れる時間にする、というのが理想だが、それも限界がある。本を読んでいても眠くなったり、目が疲れてきたりして、必ず目をつぶってしまう。座れたときはそのままうとうとしてしまうことも多い。
 でも、行きの電車の中では新聞を読むようにしている。池袋までの45分は、新聞を読み流すのにちょうどいい。それでも、成増〜池袋間はいつも目をつぶってしまう。むしろ意図的にそうしているところがある。これから東京に出て行くんだ、その前にリラックスしておこう、というのが理由だ。したがって結局新聞を読んでいるのは35分間ということになる。1面から読み始めるのだが、いつもスポーツ面で終わってしまう。
 新聞記者の卵であり、しかも社会部を希望しているにもかかわらず、そんなことになってしまい、いかんなあ、と思ってもいるのだが。
 これからは35分で新聞を読みとおせる速読力をつけようと思う。
 このあといづみの家にお泊まり会だ。旧ゼンターのメンバーが集まる。どんな展開になるのか楽しみだ。次の日が飯田橋でナビゲーターの仕事なのがつらいが、がんばって起きようと思う。
2001年05月18日 19時46分45秒

日記をきちんと書いてみる。
就職活動も終わり、今はバイトを探したり、
卒論に向けての資料を探したりしています。
明日もベネッセの事務バイトをしに行きます。

2001年05月17日 23時04分00秒

初めての日記
ホームページ作りは大変です。
でも頑張ってみます。
2001年05月12日 09時16分24秒

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