研究(ほんとに100枚書けるかどうか心配です)
「経済学における合理性と非合理性〜構造改革における意思決定の視点から〜」(仮)
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| 研究動機と研究の方向性 | |
| ミクロ経済学には、合理的思考にもとづいて自己利益の最大化を図る合理的個人が存在する。彼の行動から生まれた数々のモデルは、多くの現象に対して明確な解を示し、経済学だけではなく多くの学問にも適用されてきた。 しかし、私はこれに疑問を投げかける。人は果してすべて合理的に行動するのだろうか?と。これは単に私が経済学を理解していないだけなのかもしれないが、私達は日常生活の中において「理論的にはそうだが、現実は違う」といったことを口にすることがあるだろう。 私は以前、不登校経験者にインタビューをする機会を得、彼らがどのように不登校について考えているのかを聞いてみたことがあり、そこで合理的個人が行う非合理性に興味を持った。インタビューでは彼らは不登校を経験しているにもかかわらず、不登校をすればそれだけ学習や友達、先生とコミュニケーションを取る時間が減り、それを埋め合わせるためには今以上の努力を必要とするので、不登校は容認すべきではないと言っていた。不登校になる決意をしたことを合理的な選択だとすれば、彼らの発言には矛盾が生じているし、現在からみれば不登校を決意したこと自体も非合理的である。 なぜ、彼らは自ら進んで損失を被る選択を選んでしまったのか。私は直感的に、かれらは意思決定において時間という要因を軽視してしまったのではないかと思った。現在という一時点のみに執着する近視眼的なものの見方が背景にあるのではないかと考えた。つまり、彼らには将来を見通して現在の行動を決定する現在割引価値の概念がないのではないだろうかと思ったのである。 よって、私の研究ではこれまで経済学者が行ってきた合理性批判を概観したのちに、長期的な目で見れば利得を得ると考えられるが、近視眼的に見れば損失を被るかもしれないという現在の構造改革について、これがどのような経過を経て行われるにいたったのか金融政策の視点から見ていくことにする。 ここでは、構造改革が成功するかしないかに焦点を絞るのではなく、政策決定において時間というファクター、つまり割引現在価値がどのような影響を与えたのかを見ていくことにする。また、ここではミクロ経済学における合理性の概念を批判するつもりはない。多くの事象がこの概念で説明されることができるわけだから、これを間違いとするのは短絡的である。ただ、合理性と非合理性の乖離を調べてみたいという私の個人的な動機によるものであることを付け加えておく。 |
| 第2回 研究テーマ発表を終えて | |
| 発表はどきどきだった。テーマがあやふやで直前まで具体的なフィールドをどうするか明確に決心することができなかったし、正直なところ、どういった資料を探すのかさえよく分からなかった。キーワードを書き出してブレインストーミングしても、研究テーマのアイディアが私の研究できる範囲まで狭められるのかは不安だった。なので、正規ゼミ員になれたことはうれしかったが、この先とても不安である。 私のアイディアが的外れでないことを祈りつつも、冷静に考えると、私の考えは合理的個人の‘利他’的行動において片付けられるのかもしれないとも思うし、合理的という言葉の範囲を拡大する話なのかとも思う。私の頭の中で整理されたと思ってみてもまだ片付いていないようである。漠然と実験経済学をやってみたいとは思うものの、そこにたどり着くまでには経済学はもちろんのこと、心理学、論理学等もこなしていくことが必要だろう。やっぱり不安。 ひとまず、先生のアドバイスから経済学者が合理性、非合理性についてどう考えているのかをみていこうと思う。そして理論。理論から問題を見つけだす(どの程度まで合理性が力を発揮するのか)ことを最終目標としていきたい。 |
第1回 研究発表「障害者雇用の促進へ向けて」 レジュメダウンロードはこちら