日記をなるべくつけてみます。本当に暇なら読んでみても良いかもしれません。

 最近学校が始まり忙しかったのと、日記を書く意味を考えていたので全く更新していなかったが、久々に書いてみる。ただ冗長に書いても仕方がないので、軽くメモ程度に、、、。
 今日は午前中宮脇檀の住宅設計塾という本を読んでいた。光についてかかれていた。日本の多くの住宅に見られる光の濫用について警告していた。確かに部屋はただ明るければ良いというものではない。明るければ何でも見えるというのではなく、暗いからこそ見えてくるものもあるはずだ。今回の課題ではその辺も考慮していきたい。しかしせっかく軽井沢という開放感のある土地で、真っ暗な部屋を作っても面白くはない。そこで今考えているのは、明暗のコントラストを失った現代の特に東京での都市生活に対してという意味で、一日や一年を通して見られる明暗のコントラストというものに着目して軽井沢別荘地を設計してみたいと思う。特に都市ではなかなか意識しずらい闇との対峙について考えてみたい。別荘地はもともとそんなに数多く行くものではない。だから普段の都市生活のアクセントとして、また都市生活を客観化してみるために闇というものがうまく使えないかと考えている。長くなるのでこの辺にしておくが、続きは夢の中で考えよう。
 Kと久々に話した。熱い男だ。やはり何処かで彼のような人間を応援したくなる。
 広告代理店のNさんKさんと今後の露出についてお話。なんだか予想もしない展開になってきている。雑誌広告での展開と、それとは別の広告コンペの話。これが全部自分のことだと思うと、なんだか不思議だ。特に後者は自分が素材でなければすごい楽しそうだ。
2004年01月16日 02時37分16秒

夜走
 一月七日(水)。伊勢丹にパンツを取りに行った。良かった。そのあと渋谷に新年いって行ってなかったから、渋谷でぷらぷらした。ZARAでシャツが安かったので買ってしまった。品質は信頼できないけど、安くてかっこいいからつい買ってしまう。
 夜家に戻ってからは現像できた写真をスキャンして実家に送った。休みも今日で終わりだ。今年は体調管理をしっかりできるようにしよう。そういうことで久々にジャージに着替え夜の闇を突っ走った。
2004年01月08日 23時43分27秒

課題について
 一月六日(火)。今日は新宿伊勢丹にちょっとした用で言った。店員の感じがすごく悪くてすごい不快だった。帰りに本屋によってillastratorの本を買う。下北でやすい定食を食べながら、読み進める。やっといろいろな機能が分かった。これから頑張っていこう。
 後課題について思ったこと。今まで老後とか介護とか年をとることのマイナス面がくることを前提としていたけど、人間の老化を遅らせるような家というのもありなのかもしれない。人間は怠けていると心身ともになまっていく。だったらあえて付加を加えることによって老化を防ぐ。元気なままでぽっくり生きたいものだ。
2004年01月07日 14時39分21秒

東京
 一月五日(月)。今日東京に戻った。東京はやっぱり好きだ。ここには何でもある気がする。何でも出来る気がする。  夜友達と一緒に下北の街を徘徊した。馬鹿がやりたくなった。お気に入りのタバコを持ってコンビニに酒を買いに行く。軽く肉まんで腹ごしらえをして足の赴くままに夜の街をぷら付く。夜は昼間人ごみと喧騒で隠された街のもうひとつの顔が現われる。久しく深夜徘徊をしていなかった。新年の祝いにはちょうど良い。今年一年頑張ろう。  
2004年01月07日 14時18分31秒

 一月四日(日)。今日は中学校時代の仲間と会って食事をした。みんなそれぞれ色々な道を歩いている。デザイン、ビジネス、自衛隊、映画学校、商社の事務とか人それぞれだけど、頑張ってやってるみたいで良かった。ご飯を食べ終わってから映画を撮ってる奴の家へ行き、そいつの映像を観た。内容は女、死生観、美などといった彼女にとって重要なをテーマに実験的な映像をモンタージュしていったものだった。去年観た映像に比べ技術的に大分進歩していて正直すごいと思った。話した感じも去年、一昨年とは違って何処か吹っ切れた感があってお互い大人になったのかなとも思った。高校時代はお互い自分の居場所とも言えるアイデンティティのようなものを探そうと必死だった。でも今では決して安住しているわけではないけど、良い意味で落ち着き自分を客観化できていて、昔に比べると自分のやるべきことが分かっている。将来みんなとどういう形でまた語れるかは分からないけど、そのとき自分が面白い人間であれるよう頑張ろうと思えた。今年実家に帰り何度も思うのは本当に良い仲間と一緒に慣れたもんだということだ。色々な人種の人間と交われる機会が持てて本当に嬉しい。
2004年01月06日 19時24分43秒

犬山
 一月三日(土)。今日は特にやることが無かったので考え事しつつ、ぷらぷら散歩した。この一週間課題について色々考えたが、いまいち設定が決まらない。一人で悶々と考えていてもなかなか良いことが思い浮かばないし困ったもんだ。こうなったら思い切って設定を決めてしまうのも手かもしれない。そんなことを思いつつ、杉林を見ていたら軽井沢の敷地の写真を思い出した。苔の絨毯を突き破り垂直に天に向かう杉の一本一本。大地のエネルギーを吸い上げる。設計の際にはこのエネルギーの流れをしっかり意識したい。
 その後なんとなく犬山に向かった。犬山は電車で十五分。一人で考え事をしたりしたいときにぷらっと行くには調度良い。犬山には今も江戸時代から伝わる城下町の趣が所々残っている。城下町をずっと進むとやがて城につながる。織田信長のおじにあたる人間がこの地に犬山城を最初に移し、江戸時代ごろからは成瀬氏によってがここの城主となった。廃藩置県の際には城の周辺の大部分が壊されることとなったが、町全体で城を守り、何度かの修復を重ね現在では全国に四つある国宝の城のひとつとなり、日本最古の城として健在する。また現在もこの犬山城は成瀬氏の所有となっており、日本で唯一の個人の城となる。
 ここにくるのはもう三、四度目で、高校を卒業してから毎年一度は訪れる。この城の天守閣からの眺めが好きだ。目下に広がる木曾の大河の水面に緩やかに煌めく太陽光。南南西には小牧城、西北西には金華山、北部に広がる美濃の平野のその先には、飛騨の山々が尾根を連ねる。太古の武将は何を思ってこの光景を望んだのだろう。
 普段東京にいて歴史や自然に対し感銘を受けることはあまり無いのだが、不思議と地方に帰って一人でいると時々こういう気分になる。東京とは何なんだろうか?鄙の論理と都市の論理。二つの論理は対立してしまうのだろうか?自分の中に息づく二つの論理、このバランスがうまく取れるようになりたい。
2004年01月04日 12時33分10秒

初買出し
 一月二日(金)。今日は名古屋に行った。久々に都会に出て面白かった。田舎は田舎でゆっくり楽しめるような精神的余裕か甘えが出来てきて、今年は実家でゆっくり出来ている。今まで帰ってきた中で一番実家を楽しめているかもしれない。
 今日は本来弟のピアノの先生のうちへ行く予定があったのだが、出発時間が大幅に遅れてしまったために結局妹と自分は栄で買い物することになった。靴がぶっ壊れてしまったので安く売ってないかなとか思っていたがあまり良いのが無いので買えなかった。それと妹の買い物にも付いていって名古屋の109のようなデパートに入ったのだが、ピンクやらハートやら頭が痛くなった。どうして日本の女子中高生とかはあんなものが好きなんだろうか?全く不思議。。。
 ちょっと話し外れるけど日本の「かわいい」って概念はやっぱ日本の独特なものなのかなって思う。そしてこの概念が機能しているがゆえに社会が円滑に動いているのかもしれないとか思う。「かわいい」ってのはある意味「かっこいい」とか「綺麗」とかと反対の性格を持つ概念なのかも知れない。というのは後者が成熟したもののよさを評価する形容詞としたら、「かわいい」というのは成熟では無いことを評価する形容詞といえるだろう。そしてこの概念の根本は弱者をも愛するという、慈愛の思想にあるといえると思う。決して高い理想に向かって人々を動かす思想ではないかもしれないが、弱いものを自分が守ったりめでる対象として評価する言葉といえる。当然この言葉に近いものは昔からどの国にでもあったとは思うけど、今後福祉や共生を考えなくっちゃならない時代に見直されていく概念のかもしれない。現代アートやファッションの世界で現在盛んに取り入れられているのも結構納得できる。
 さてと日記に戻ると、今日は結局松坂屋のmarc jacobsでsaleがあったのでそこでパンツとジャケットを買ってしまった。最近暗い色のちょっとフォーマルよりな服が多かったので、明るめなカジュアル化を図るために、微妙な青系のジーパンと細めのジージャンを買った。ここの服は形が体にすごいフィットする。ちょっと高かったけどお年玉で何とかカバー。いいものだし大事にしよう。
 途中で弟と父親に合流。GAPもsaleをしていてものすごい安かった。GAPはいまいち体にフィットしないからなかなか買うことは無いけど、珍しく父親が気に入った服を見つけたみたいで興奮していた。生憎サイズが無くって買えなかったのが残念。名古屋では他にそれを置いている店舗が無いらしく父親はかなりがっかりしていた。本当に残念。  それからsizzlerで食べて帰ったのだが、帰り車の中は何故かみんなで大合唱になっていて、隣の車はかなり不審な顔でこっちを見ていたけど、面白かった。全くいくつになってもうちの一家は変わらない。。。
 夜は高校時代の友人の家に泊まりに言った。親戚が集まっているらしくて何故か友人の親戚に混じってビリヤードに行った。すごい久々だったけどそこそこうまくいって楽しかった。ビリヤードは割りと好きだ。
 その後と友人とその兄と色々語った。二人とも建築を大学で専攻しているから話が合う。現在の課題のことから色々話した。昔からの友人と現在のことを話せるのは何よりも嬉しいことだ。
2004年01月03日 12時43分05秒

元旦
 初夢を見た。何故かデパートか何かのCFに出ることとなったのだが、自分のシーンまでのシーンに甲冑に身を纏った父親と18世紀後半の西洋人のような格好をしたボブサップが幾人もの侍に囲まれて土の坂道を下っていた。今思うと実家に帰ってダイナマイトを見てlast samurai見たいなとかずっと言ってたのがそのまま夢に出ただけなのかもしれない。ちなみに自分の役は指定された牛乳を買う役。意味がわからない。まったく変な夢だ。
 今日は正月にしては珍しく早めに起きたおかげで気分がよかった。午前中はおせちに雑煮を食べて、午後にはおじいちゃんちに行った。今日は少し曇り気味ではあったけど、それでもそこそこいい日差しがあったので、おじいちゃんちの前の田んぼをバックに写真を撮った。広角のカメラに入り込む空気は開放感に溢れ気持ちいい。36枚撮りのフィルムはすぐ無くなった。
 その後初詣に塩見神社と南宮神社に歩いていった。普段特に神様とか意識するわけではないが、こういう宗教的な儀式が出来てよかったと思う。
 帰ってきてから角煮を作った。パソコンいじっていたら微妙に焦がしてしまった。今日は実家に帰って初めて夜ゆっくりした。今年がいい年でありますように。
2004年01月02日 00時30分50秒

大晦日
 12月31日(水)。久々に少し雨。今日は高校時代の後輩と会いにいくついでに西可児を散歩した。懐かしいという感じは特にしない。むしろいつもどおりの普段着の気分だ。誰か知り合いが本屋にいないか少し期待して行ったが、結局誰に会うことも無く立ち読みをした。フェミニストの田嶋陽子の本があってどんなことを書いているのかと思って軽く目を通してみたが、あまりにひどい内容でびっくりした。現在あの本を読んでどれだけの人が支持するのだろうか?男の目から見てこんなこというとホント怒られるかもしれないが、傲慢でどうしようもない本だと思う。
 高校時代の後輩は前にあったときより、大人になっていた気がする。この年になるとみんなだんだん落ち着いてくる。狂い狂っていた高校時代がどこか懐かしくもある。
 その後家族と合流し大晦日の買出し。ここでもやっぱり鍋だ。鳥鍋最高。である。スーパーで昔おじいちゃんの診療所で働いていた看護婦さんと会った。お孫さんが出来たらしい。なんかこないだは弟の友達の子供に会うしニュータイプががんがん増えている。まったく怖い怖い。
 鍋を食って中学校の友達の家へ行った。彼は今岐阜県の和良村ってとこで住み込みで珍味屋をやっている。和良村では電燈が一キロごとにしかなく妖怪が住んでいて、夏には蛍が全員同じリズムで点滅し異性にアピールするらしい。実家には面白い友達がたくさんいる。
 その友達んちで曙+ボブサップ戦を見て除夜の鐘には家に帰るとの約束を果たすべくダッシュで家に戻る。危うく一人寒い中走りながら新年を迎える羽目になるところだったが、23時59分ぎりぎりに帰宅。何とか家族と新年を迎えることが出来た。2003年は色々とついていることが多かった気がする。2004年も色々良いことがあると良いな。
2004年01月01日 12時25分47秒

郷愁
 12月30日(火)。実家に帰ると如何しても朝遅く起きてしまう。やっぱり生活リズムが崩れてよくない。今日は実家で買ったままで使われていなかったプリンターをセットアップした。これでA4サイズの写真がいつでもプリントできる。家庭でこれほどのものが作れるなんてホントすごい時代だ。
 昼からはおじいちゃんちに行った。昔診察室として使われていた部屋が今のおじいちゃんの部屋だ。ベッドとテレビが置いてありおじいちゃんはご飯を食べていた。この部屋の光の入り具合は好きだ。懐かしい、この言葉の原点になっているのかもしれない。こないだ社会学に進んだ先輩に会って、卒論の関係で故郷とアイデンティティについて話したことがあった。そのとき自分は岐阜について特に思い入れは無い、もし仮に家族や友人が可児からいなくなったとしたらここには二度と帰ってくることは無いと言い切った記憶があるが、ここに帰ってくると自分が言った言葉は間違っていたのかもしれないと思ってしまう。何年も通った通学路、小さなころから実家として帰り続けたこの可児の塩の風景は、幼少の思い出の舞台として、また想起のきっかけとしてかけがえの無い風景なんじゃないかと思ってしまう。二度と戻ることの無い過去は年々記憶の中で美化され、永遠の郷愁として脚色されていく。そんな過ぎ去った時間に一番近い場所、それがこの可児市なんだと思う。可児の田んぼ道を自転車で駆け抜ける度に色々な事が思い出されて胸が苦しくなる。他人にとってはなんでもない田舎のあぜ道だろうが、自分にとってはどんな小説や詩より多くの物語や映像が詰まっている。可児の田園はどんどん大型ディスカウントショップや駐車場の下に埋もれていく運命にある。いつまで塩の風景があのままでいてくれるかはわからない。将来あの田園風景がマンションやパチンコ屋になってしまったとき、自分の記憶はそれらとともに埋没して行ってしまうのだろうか?
 確かに可児が新しく開発されていくと、今まで遠くのスーパーまで買い物に行っていた時間が馬鹿みたい思えるほど便利になる。今後高齢化が進むこの土地にとって開発は有難いことこの上ない。田舎を田舎のまま残せというのは都会人のエゴかもしれない。しかしすべてを失う前にしっかりと考えて行きたい。無秩序な開発で失われたものは決して簡単に戻ってはこない。
 夜は高校三年生のクラスの忘年会に行った。みんな基本的には変わっていなかった。思えば高校の頃、彼らと話すことはほとんど無かった。なぜあれほどまで自分が一人でいることを望んでいたのかはわからないけど、今こうして大人になって話してみると、みんなそれぞれの人生を歩んでいて面白い。ところでなんか最近飲み会とかがあると殆んど女の子とばかり話している気がする。確かに二十そこそこの男ってのはまだまだ子供で、集まっても馬鹿ばっかりすることになってしまいがちだ。それに比べ女の子の方が現実的に色々考えていて話していても面白い。今回担任の先生が来なかったのは残念だったが、久しぶりでなかなか楽しいひと時だった。
 
2003年12月31日 12時58分32秒

帰省
 12月29日(月)。今日も晴れていた。最近天気が良いものだから毎日気分が良い。今日は一日予定をまったく入れていなかった。一日くらい空白の一日があってもいいのではないかと半ばわざと予定を入れずにいたのだ。たらたらと朝ご飯を食べ、建築学科の自分のチームの掲示板ができたというので、またたらたらと書き込んでしまった。なんか真面目臭くて嫌だなとかも思いつつ色気無い文を書き連ねてしまう。建築についての議論は扱うジャンルが多いので非常に面白い反面、どこかで制御しないと話が拡散しすぎてしまう嫌いがある。
 今日は結局特に東京でやることも見出せず、家を軽く掃除してから帰省することにした。余った味噌汁をすすり洗い物や洗濯をする。思えばこんなに家事ばっかりしている一日も珍しい。そんなところに都合よく中学時代の友人から連絡があり、実家で飲むことに決定。これで帰る理由ができた。渋谷を出たのは午後三時過ぎ。自由席だったので座っていくには東京駅まで行って乗らなければきついと駅員に言われたが、わざわざ新宿を経由する時間が馬鹿らしく、品川から行くことにした。すると運良く品川でのぞみの自由席に座ることができ、五時過ぎには名古屋に到着。渋谷からたったの二時間で名古屋まで行けるとは驚きだ。名古屋に行くとき必ずよるのが母校代々木ゼミナール。毎回担任と世間話をするのが恒例だ。しかし今回は浪人時代に世話になった講師が来ているとのことだったので一年半遅れで、挨拶をしにいった。彼は非常に興味深い人間で浪人時代にはよく質問しに行っていた。そして偶然にも彼は軽井沢在住ということだったので、課題に関連して非常に気になっていた人間だった。今日彼と話した中で気づかされたのは、彼が月に2,3度しか行かない東京に仕事スペースとしてマンションを借りているということだ。今まで家を作ると人間が住むことばかり考えていたが、何も建物の中に入るのは人だけでは無く物もあるのだから、それを一番確実に保存するために家を作るのは、まったくおかしいことではない。住宅の機能をもう少し広く捉えなおさないとなと思った。
 なんだかんだ名古屋に一時間ほどいて、それから名鉄で可児に向かった。毎回思うことなのだがやはり乗客の顔つきが、中部人に見える。ファッションというより生物的なレベルで違う気がする。自分もその一人に含まれるのだろうか?
 久々の実家だが懐かしい感じはしない。当然のように帰って当然のように母親と会話を交わし飯を食う。何も変わっていない。ごちゃごちゃとしていて、平然と二、三年前のプリントなどの資料が壁に貼ってある。その辺が他のどの家にも無いうちっぽさだ。
 八時半ころ近所の居酒屋で中学校時代の友人と集まった。集まったのは中学校時代馬鹿やった仲間。今では一人は早稲田の商学部、一人は金沢工芸でプロダクトデザイン、そして最後の一人は春日井で自衛隊となっている。これだけ幅広く友達がいることが本当に嬉しい。結局一時頃まで色々語っていた。みんなそれぞれジャンルは違うがゆえに色々なことが話せて面白かった。
 帰ってきて風呂に入りパソコンを開く。建築の掲示板に少し書き込みをし、日記を書く。思えばこの実家で東京にいるときと同じことが出来ている事がすごく安心だ。いつも実家に帰るとやることが無くて、少々ワーカホリック気味な自分には物足りなかったのだが、こうしていられることがすごく気楽に実家に帰ってこれる。ウェブ環境が整っているだけでこれほど違うのかと思うと、家って何なんだろうって気がする。俺にとってものすごくパーソナルなものがウェブ上に存在する。そしてそのウェブが世界中に存在するというならば、俺は世界中の何処にいてもパーソナルな自分といつでもアクセス出来る。パーソナルな自分は家や土地に縛られていない。そんな気が少しした。
2003年12月30日 02時01分14秒

東京
 12月28日(日)。今日も晴れていた。朝割りとしっかり定刻に目が覚め、テレビを見ながら朝の支度。新日曜美術館を見ていると中川幸夫特集。よくお世話になっているアート関係の知り合いがチラッと画面に映っていた。去年の銀座メゾンエルメスでのオープニングを思い出す。思えば去年の今頃は彼らと忘年会をしていた。一年というのは凄まじく色々出来る時間なんだろう。今年も色々あったが来年にはまたどんなストーリーが人生に彩られていくのか楽しみでしょうがない。テレビを見ていると高校時代の友人から電話があった。彼は高校時代にともにバンドを組んで色々個人的な愚痴まで言い合った無二の友人だが現在は京都のほうで建築を先行している。昔音楽を語り合った仲間と現在建築を語ることになろうとは、かつては思いもしなかったが、なんだかんだで今も現在進行形でつながっている関係には驚きだ。
 少し電話が長引いて遅刻気味に駅に向かう。今日は課題の麻布の住宅設計の現地調査のために六本木ヒルズ10時集合。課題の設定は子育てが終わった夫婦が軽井沢と麻布に巣を作るというもの。そしてそれに付随し麻布の現地周辺の模型を制作することになっている。午前中には実測を追え結局我が家で模型を制作したのだが、割と早めに終わり四時ごろには完成した。
 しかし何より大変なのが設計のコンセプト作り。まずは東京にとっての軽井沢、そして軽井沢にとっての東京というものを考えなくてはならない。しかし今回この軽井沢というものがなかなか厄介だ。軽井沢は決して田舎ではない。あくまでも快適な都市であるということ。この辺が東京に住み続ける意味を曖昧にさせる。なぜ軽井沢なのだろう?また何らかの理由で軽井沢を択んだとしてもなぜそのまま東京に住み続ける理由があるのか?もう少し東京と軽井沢について考察を深めないとこの結果は出ないだろう。
 またもうひとつネックとなるのは高齢化問題であろう。この施主の設定はおそらく団塊世代と考えて良い。彼らの世代とはどの世代より自分たちの重さを考えさせられることとなるだろう。今から家を建てるというならば勿論彼らはその家で余生を過ごすこととなるだろう。理想的な老人像、この辺も今回の課題のネックとなるのだろう。建築家とはただの建築請負業ではなく、施主の要求を一旦聴いた上で専門家として理想のライフスタイルを提案し、建築として結実させる職なのではないかと最近思う。としたらやはり理想の老人像を提案するのは当然のこととなるだろう。何とかしてこの辺を煮詰めて行きたいものだ。続きは掲示板が出来た後で。
 しばらく議論の末、夕方はイベ研の忘年会に参加。なんか最近当たり前のようにイベ研に出入りしている自分がどうなんだろうとは思うけど、イベ研のみんなとは気があって楽しい。一年前には思いもしなかったけどなんだかんだで良い仲間たちに巡り会えたと思う。    
2003年12月29日 01時07分09秒

台場
 12月27日(土)。今日は快晴だった。昨夜は今年初めて霙が降り、冷たい風が吹きすさんでいたものだから、今日はてっきり銀世界がお目にかかれるものと期待していたのだが、目が覚めると真っ白な陽光が清清しく降り注いでいた。今日はお台場のVENUS FORTにてMiss of Missの手伝いに呼ばれていた。服装は黒めとのことだったので、黒シャツに黒のロングコートをと考えていたのだが、鏡の中の自分はまるで夜の歌舞伎町を髣髴とさせたものだから、少し寒いとは思ったけれども、コートを脱いで茶のジャケットにマフラーで家を出た。少しひんやりとした師走の末の午前の大気が、程よく肌を引き締めるのはなかなか気持ちが良いことである。
 VENUS FORTは倉庫のような無骨の外観を呈していたが、内部はうって変わって西洋の街並みを模した最近良く見られるテーマパーク型の典型とも言えるような装飾が施されていた。内部は外部と完全に遮断され、自然光は遮られ、二階三階と吹き抜けとなっているその天井は夜空を模した膜状の照明装置となって全体をぼんやり照らす。また光だけでなく外気も遮断され、薄ら甘い化粧品の匂いと暖房と人の代謝熱が肌に纏わり付く。ちなみに夕方ごろには急に内部の温度が冷えてきたことから考えても、あまり空調には気を使えていなかったのかもしれない。
 にしても何で日本でこういうもののつくるのにわざわざ西洋の真似事をしてしまうんだろうか?確かに西洋の街並みは綺麗だし雰囲気も良いから、真似したくなる気は分かるけど。。。
 ちなみに今日のグランプリは見事我らが姫が勝ち取った。うん、スゴイ。偉い。誰も成し得なかった才色兼備の頂点に君臨したわけだ。あと個人的に言っておきたいのだが、司会やってた女の子のアナウンスの慣れっぷりに感服。当たり障りのない美辞麗句を並べ、取りあえずは褒め立てる。抽象的な言い回しでそれっぽく言葉を流す。しかし決して素は見せない。こういった普段の人間関係では躊躇いがちな技の数々を、せせらぐ様な美声と決して突っ込まれないという立場をこれ見よがしに利用した彼女の潔よさに、個人的には特別賞を捧げたい。  
2003年12月28日 01時45分50秒

めりくり
 食いすぎだ。。キリスト教徒でもないのにクリスマスとか言って調子乗って、キリストのためでもおかげでもなく、ただただ欲望のままにお祭り気分で食いまくった。
 日本人にとってクリスマスってなんだろうかと思うことはホントよくあるけど、これはもう立派に現代の祭りのひとつなんだと思う。日本人はキリスト教の伝統はないのにとか、批判はあるかもしれないけど、それは十分祭りとして機能していると思う。確かに日本でのクリスマスに盆や正月のような伝統はないかもしれないが、個人的には祭りというものは人を巻き込む力を持ったものならばそれで良いと思うし、伝統さえあれば良いというものでもない。僕らは伝統ある除夜の鐘を真面目に聴けるほど仏教にも通じてはいないんだし。確かに伝統とは人を巻き込む力の一つの大きな力だが、安易に伝統を盾に何かを正当化するのは、いきなり人を思考停止に追いやり無理やり納得させることになるのだから、少なくとも新しい思考なりを築いていこうとする人間は、その暴力性は認識しておく必要があると思う。
 にしてもいったい何時からクリスマスを祝うことになったのか?何時からジャズは大人の音楽になったのか?何時になったらパンクは伝統となるのだろうか?文化は何時から伝統という称号を手にするのだろう?
 この夏高知へ赴きよさこい祭りに参加したときのタクシーの運ちゃんの言葉が頭をよぎる。

 「よさこい節に歴史があるかって?ないよないよ、初めはたまたま流行ってた曲で踊ってただけなんだから。」

 おっちゃんの高知県民的ぶっちゃけぶりが小気味良く聖夜にこだまする。。。
2003年12月26日 19時54分01秒

the load of the ring
 今朝、友達んちで目が覚めるととてつもなく寒かった。昨日の夜いつの間にか眠ってしまっていて、座布団の上で転がっていた。横向きにうずくまるように寝ていた俺の右半身は朝の冷たい空気にさらされ、両足はフローリングに投げ出され、半ば死体のごとく冷たくなっていた。毛布くらいかけてくれよ!!起き上がっても初めはなかなかうまく体が動かなかった。仕方ないから隣の部屋に行って、強引に布団の中に潜り込んで二度寝した。久々に悪夢をみた。内容はあまりにリアルなので公開できない。まあ最近悩んでいることが夢の世界で巨大化していたのだろう。よ〜くかんがえよ〜♪おかねはだいじだよ〜♪的なテーマといえるはずだ。まあ何はともあれよく寝て体もあったまって良い感じ。なんかいつの間にか家にいるのが四人だけになっているけど、I DON'T CARE!!起きて顔を洗って難波和彦のウェブ日記を見た。
 毎日まめに書いていただけじゃなく、中身もしっかりしていてびっくり!!自分の仕事からプライベート、読んだ本についてや学校での好評の感想などが色々書いてあって興味深かった。彼の第一印象は何処か癖のある人間の様な気がしたので、ちょっと伺う感じで見てきたのだが、いまいちどういう人なのかがわからなかった。しかし、深夜に彼が黙々と日記を付けている様を想像するとなんとも愛着が湧いてくる。
 昼飯には久々に松屋にいって牛丼を食べたのだが、腹が減っていたせいもあって、意外に美味しくてびっくり!!松屋も捨てた紋じゃない。
 午後はいったん家に帰りシャワーを浴びて、渋谷に彼女へのクリスマスプレゼントを買いに行く。沢山の人、人、人、人。。。なんだか嫌になる。予算の中でリングを探そうとしたが、どれもいまいちぴんと来ず結局また後日二人で探しにくることにした。帰り際にツリーを買って、渋谷駅に向かっていると後ろで俺の名前を呼ぶ声がしたものだから、振り返ってみてみるとさっきまで一緒にいた友達だった。サークルの女の子を三人も連れてた。なんだか羨ましかった。
 駅に行く途中、HTMLの本を一冊かってから電車に乗った。そして下北で飯を食いながら読んだ。色々ルールが載っていて面白い。正月は実家でゆっくりホームページをいじってみようと思う。そしてあわよくば妹に教え込んで、勝手に家庭教師でもして遊んでいようと思う。まだまだFLASHは全然使えないが今年度中には一通りやって、来年度からはプレゼンやら何やらでガシガシ使うべし!!しかし今日はクリスマス用の酒も買出しに行って、一通りのセットをそろえていたので時間がなかった。まあじっくりやって行こう。先ずはクリスマス。うまいものを沢山食べれますように。。
2003年12月24日 02時17分44秒

昨日の話しだけど。。
 今日は授業が二時間目からだったから、おきたのが少し遅かった。朝は割りとゆっくりしながら久々になんとなくsex pistolsを聴いた。no futureだそうだ。でもなんかやっぱ良いな。少し前まではずっとmatthew herbertやらなんやら複雑なのを聴いてたからpistolsは単純で気持ちいい。あと最近は昔適当にジャケ買いしたpopsも聴いている。取り立てて主張があるようには聞こえないけど、なんとなくほっとする。
 今日の授業は建築構法と建築計画第一と構造演習。昼には友達が大根と手羽先の煮付けを作ってきてくれて、佐藤のご飯のおかずにして食べた。薄味で俺好み。誰か毎日作ってきてくれないかな。。そうすれば生協の不味い飯を食わずに、幸せをキープできるのに。。。
 3限では久しぶりに居眠りというか爆睡してしまった。なんか今日は朝も遅かったし腑抜けてる。
 4限の演習は振動論だったが、計算がたるくて嫌になった。やってることは全然難しくはないのに、面倒くさくてやる気が起こらない。まあ大事なことなんだけど。
 今日放課後は建築の仲間とその中の一人の家に行って、忘年会のようなものをやった。姉貴と二人暮しらしいけど家が綺麗に整頓されていてびっくりした。
2003年12月23日 14時43分30秒

wish
 今日はWISHのダンスを彼女と一緒に見に行った。会場は池袋から東武東上線で少し行った大山駅から少し歩いたところだった。この駅は降りるのは三回目。一回目はおばあちゃんのお見舞い、二回目は住宅関係の会社の社長さんにお会いしたときだが、なんだか全く別々のようでこんなに来るとは何か縁でもありそうだな。開場の一時間前には会場に着いていたけど既に人が行列を作っていて驚き、整理券を貰ってさっさとその場を離れた。昼ごはんは彼女がオリジン弁当で俺は寿司。公園を探して食べた。ばってらに乗っかる鯖は今まで見たことないほど分厚くて旨かった。。。
 WISHの公演に行ったのは初めてだけど規模の大きさに驚いた。衣装とかは手作りとからしいけどすごい手間隙かかってるなあって感じだったし、ダンスも見てて楽しかったしやりたくなった。それから今日はいろんな人にあった。先ず電車の中でたまたま去年のミスと向かい合わせになって初めて喋ったし、同じ学科の友達二人と都市計の友達にも会った。なんだか東京での人脈も大分広がってきたもんだ。
2003年12月22日 00時23分40秒

短めに
 今日は昨日夜遅く起きたにしては早く起きてしまった。最近睡眠時間が六時間いってなくてもそこそこの時間になると起きてしまう。おじいちゃん化が進んでるのかも。。。取り合えず起きてから目を覚ますために読書した。こないだ生協で買った本だけど、今は文学とは何か?みたいなこと言ってる。その中では、幾つかの短い文、例えば哲学書の冒頭や何かのレシピを引用してきて、それが文学的な文章といえるかどうかみたいな比較をして、文学にはひとつの「過保護的な協調原理」とか言う性質があるらしいことを導き出していた。なんかややこしい言葉だけど、要はその文を読む相手が「この文は読むに値する」とみなして、それに対し暗黙の意味を読み取ることをさせる性質を言うらしい。まあまだちゃんと読んでないからこれから色々出てくるでしょう。。。
 いっつも日記を書くとなんか小難しい話になって長々と語ってる気がして嫌だ。今日は新宿に買い物に行った。クリスマスプレゼントを見て回ったけど、色々ありすぎてよく分からない。でもエルメスはなんか良かったな。嗚呼地中海の香り。。
 あと今日はスキャナでこれまで撮ってきた写真や、ノートに描いた落書きとかを取り込んでパソコン上で整理していた。昔のノートとかを引っ張り出してきたりしてなかなか楽しかった。意外だったのは昔のほうがよく落書きをしていたつもりだったけど。なんだかんだで今のほうが色々書いてるぽかった。にしても昔は今のより気持ち悪い絵を一杯描いてたみたいだけど、まあそれはそれでいい気がした。photoshop頑張ってホームページを進化させていこう。。
2003年12月20日 22時38分48秒

満腹
  今日は朝、建築総合演習がなかったから、家でゆっくりしてから本郷へ行った。代々木上原まで歩いていったが天気もよくって気持ち良かった。三角橋の先の横道を進み、上原のモスクの細長い塔を見ながら坂を下りながら、ちょっとした異国情緒に酔いしれる。坂が終わり左手の店の中を覗くと、イタリア製のちょっとした小物やバッグが並ぶ。小学校と公園を過ぎ一気に視界が大きく開けると井の頭通りに出る。ちょっと大きめの横断歩道を渡り駅へと向かう。今日は時間も遅かったので座ってゆっくり本を読むことが出来た。  根津の駅前で弁当を買い、安田講堂の前の広場の脇にある大木の下で食べることにした。ぼんやりしながら弁当を食べていると、建築学科の友人が来た。彼は今の課題で同じ班なので、課題について話し合った。子育てが終わった夫婦に麻布と軽井沢の両方に家を建てる課題なのだが、設定がいまいち摑みにくいだとか何とか言いながら話していると、共通の知人が、しかも思わぬつながりでいることが判明して、びっくり!世の中狭いなってか、ホント密でやになっちゃう。。。悪いこと出来ないな。。  そこで彼とは別れたが、その後まだ授業が始まるまで時間が有ったので、生協にコーヒーを買いに行って安田講堂前の何かの反対運動らしきをみていた。今回は大学の法人化に伴って授業料が上がることについて反対していたのだが、その大学に使われるはずだった税金が、自衛隊派遣について使われるとも考えられる。といって最終的にイラク戦争に反対!!ってなっていた。いかにもそっち系の学生君とその周りの初老の人々、どういう構図なのかいまいちわからなかったが、取り合えず元気はなかった。何が現在の日本においての正義かとかはまだ見識浅い自分には判らないけど、戦争は嫌だから駄目!とかその程度の反対でしか返せないのなら、まだまだ自分は主張したくはない。  3限からの授業は、初めに家のキッチンやバス、トイレを実測してケント紙に落としたものを提出してから、ずっとさっきの課題についてのエスキスだった。学生は全体的に現実的な設定を自分でしていて、奇抜なものは避ける傾向にあった。先生たちが常識に縛られずもっと自由にやって良いとか言っていたが、学生たちが単に常識に縛られているんではなくて、ただ単に自由を叫ぶということに対しては疑念を抱いてるんじゃないかと思った。今の年配の方々は学生に元気がないだとか言って悲しんでいるが、今の学生は彼らの若い頃に比べ、もっと冷静で慎重になっているだけだと思う。これが良いか悪いかは別だけど、頑張ってやったけど駄目でしたみたいなことをよしとする根性論みたいなのは美学としてないのかもしれない。だから、慎重になって虎視眈々と一瞬の隙をうかがっている人間が多くなって一部のおじさんから見て元気がないように見えるのは致し方ない。まあ僕らの世代が何を産むかはまだ分からないけどある意味楽しみだと、個人的には思っている。  エスキスが終わり、麻布近辺の模型製作課題の範囲が決定した。俺たちの範囲は課題の敷地の目の前。大した量ではないから多分間に合わないことはないけど、最終的な課題のイメージを作ってく上でも助けになるだろうから、班の仲間一人と現場を観察しに行った。  本郷三丁目で乗り銀座乗換えで広尾に向かった。初めて広尾に降りたんだけど、なんかリッチな感じでやになった。ああ将来どんな暮らしが出来るんだか。。。現場は麻布高校からホント目と鼻の先、大通りの騒音がわずかに耳をかすめる程度、家の中に入れば先ず聞こえはしないだろう。ただ家の北のほうには六本木ヒルズがそびえたち、近くに高めのマンションが建っているものだから、圧迫感は否めない。それをよしとするかどうかは考えひとつで変わるだろうけど、北側の窓の条件を決定するひとつのファクターにはなるだろう。で、もうひとつ北側の窓の決定の際に考える必要があるのは、隣のアパートとの間にある空間。なんとなくパティオ的な空間をかもし出していて面白い気がした。改築するときこの空間がどう変化するのかは考えなくっちゃなと思った。他にも色々気付いた点はあったけど、ここらで割愛。  夕飯は渋谷のねぎしで食った。ご飯お替わり自由。前回は疲労のせいもあり3倍しか食べれなかったので、今日は名誉挽回、男の威厳を保つためにも、それ以上は食わねばならなかった。ところで今日一緒にいた友人は運動会B&W所属の男の中の男、体重は俺の1.5倍。ここは運動会の儀礼にのっとり、初めの一杯目は匂いをおかずに食べることにした。あんまりうまく炊けていないのか米がねちねちしすぎていたけど、ここは余裕っぷりをアピール。お替り大盛。難なく3杯目もお替り大盛し、ここで面子は保たれました。最後の一杯は普通盛りながら米粒一つ残すことなく、頂きました。普段あまり満足に食べていないのか、胃は小さくなるばかり、悪くはないけど少しさびし。。ところで、友人のほうはというと余裕のベビーフェイスで7杯目。確かに1.5倍は食うだろうけどさと、自分の物理的なちっささを思い知りました。まあなんだかんだと今までにないほどの満腹っぷりで。今日も満足、良い日だったということでしょう。
2003年12月20日 01時17分28秒

初日記
 今日初めてここに日記を書いて見ます。これまでにも幾度と無く色んな形で日記は書いてきたんですが、色々理由があったりなかったりですぐ書くのをやめてしまうことが多かったので、今回は今までに無く気楽にやっていこうと思います。
 で、今日は朝から渋谷に行って知り合いの四年生の先輩と会っていた。というのも彼の卒論のなかで中部地区出身者のデータが必要とのことだったので、軽いインタビュを受けることになったのだ。彼は関西出身なんだが、卒論のテーマは関西人の上京物語的なものに始まり、現在標準語があまりに幅を利かせている日本において関西弁を筆頭とする方言たちが何処へ行ってしまうのかといったものだ。
 そこで、先ず第一のインタビュとしてこれまで住んでいたと地に付いて聞かれた後、自分の故郷である岐阜に関してどれほどアイデンティファイしているかということであった。しかし正直今の自分はそこまで岐阜というもの自体には愛着を持ってはいないと答えることしか出来なかった。確かに岐阜は自分が育った大事な故郷であることは確かだけど、それが岐阜である必要は無かったし、仮に家族や仲間が全員その土地を離れたなら、もう行くことは無いような気もする。その理由は岐阜の自分が住んでいた地域にはこれといった文化が無いような気がするからなのかも知れない。仮に自分の住んでいた土地にどの都市にも無いような強い文化があったと思えたのなら、もう少し愛郷心なりがもてたのだろうか?
 他にも幾つか質問が有ったのだが、長くなりそうなんでこの辺でやめときます。ただ、一年ぶりかだけど彼と話していると色々考えさせられることが多くてすごい楽しかった。彼との出会いも変なものだったけどこれからも付き合っていけそうな面白い人だと思った。
 お昼はコンビニでパンを買って学校まで歩きながら食った。やっぱりコンビニのパンは美味しいとはいえない。でも節約節約。。。
 3限はフラ語だったけど朝から色んなこと考えて頭の中があまり整理できて無かったので、サボってしまった。学校のお気に入りの場所に独りで行ったり、ぷらぷら放浪していて、生協前に行ったら、土木の友達に会ったので二食に行って、来年の五月祭のことについて今せっかく良い仲間に巡り会ってんだから何かしたいなって話し合った。確かに面白い人がいっぱいいるから、何かしたいなって思う。ただなんとなくやってみました的なことは嫌だから、もうちょっと考えたい。そこで個人的に思うのは、せっかく色んなジャンルの人間が集まってんだからテーマを建築や都市に限定するんじゃなくて、日常的な社会現象みたいなものを扱って、それぞれの立場からそれをどう処理していくかみたいなことが出来たらなと思う。
 4限は認知発生論の授業だったけど、なんと休講。そういえばそうだったなとか思いつつ、またまた放浪して生協書籍部に行った。なんか今日は色々考えることが多かった日なのでその記念というわけではないけど、久々に文学理論とか言う関わるのを一時期やめていた類の本を買ってしまった。なんか頭の中がウンチクだらけになってきそうだぁ。。。
 書籍部を出ると今度は後輩に会って、またまた話し込んでしまった。後輩はサークルのクリパの話し合いがあるみたいでちょっと話して行っちゃったから、二食の奥で一人さっき買った本を読んでみた。なんだかやっぱり面白そうでそれを好き好んで読んでいる自分はどうなのかなとか思いながらも没頭してしまった。しばらくするとさっきの後輩がやってきたからなんだかんだで色々と話しこんでしまった。なかなか話が尽きることが無くて、全く今日はいったい何の日なんだろうとか思いつつ、結局5限もサボることとなってしまい、駄目駄目だぁとか思いながらも気付けば七時近くになっていた。でもその後輩とは普段なかなか喋る機会もなかったし、内容もすごい良かった気がするから今日は満足。今日はとことん語る日だったんだってことにしておきます。
 初めての日記で案の定かっ飛ばしてしまって先行き不安だけど、頑張りすぎず軽く続けることを目標に気楽に行きます。出来たら。
  2003年12月18日 21時13分31秒

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