不定期連作記事

第一回:エロマン(1997年度卒業)


昔、エロマンという男が居た。
忘れもしない、私が二年になって、新入生歓迎サッカーと題して平和公園でサッカーが行われた際、その道すがら初めて語り合った後輩が彼だった。
その後、地区大会に当たっては、「装置の原型として模型を作ろう」ということになったにも関わらず、装置を作り始めてもなお模型を作っていた、エロマン。
合宿中、ろくに風呂に入らず、途方もない臭気をはなってほかのメンバーのみならず、ハエや蚊などの無垢な生物まで体臭で虐殺した、エロマン。
大顧問K山先生に勧められたお茶を遠慮のあまり飲まず、そのために「俺のお茶はのめんのか」という怒号を喰らった、エロマン。
私が下袖に入ったら、柏木やイートンと一緒に得体の知れないゲームをしており、「先輩もやりません?」と言った、エロマン。
この年表は、そんな暑く、臭い、しかし輝ける演劇人エロマンの青春時代である。

不定期連載企画「輝ける演劇人たちの肖像」、第一回。
エロマンの肖像。


1995年(エロマン一年生)
4月

演劇部に入部

ヤプーさんよりエロマンと名づけられる

パソコンを購入、オタクの道へ一気に加速する

5・6月 たいした事はせず
7月

役に立たない模型を作る

初めてエロマンの父登場。紙管を置いていく

初めて買い出しに行く。このときは未だ公共交通機関を利用

あまりの体臭にハエが落ちる→エロマン臭事変

当日の朝に装置が完成していなかった→夜明けの大三元

K大先生のマッサージをする。大先生曰く「体がばらばらになりそうだ」

K大先生から缶ジュースをもらう。このとき「俺の飲んだジュースが飲めないのか」と言われる

穴のあいた一斗缶をトラックに積む→一斗缶事件

合宿の帰りにブレーキが切れてすっ転ぶ。右肩があがらなくなる

8月

あまりの体臭に「〇リン」「V〇」などとつく

同時に作業場に「第〇サティ〇ン」「M本」などとつく

9月

電動カンナで指を削る。電動工具の使用禁止

削った指を平気で使ったため、治りが遅いと医者にしかられる

1011

演劇部を休部する

でも、大道具を手伝いに時々現れる

冬に近づいているにもかかわらずTシャツで作業

12

合宿中にも手伝いに現れる。やはりTシャツ

演劇部、中部大会へ。このとき片付けに残る。そこで『14』の人に会う

1996年(エロマン二年生)
1・2月 これといった事は無し
3月 なぜか演劇部に復帰。既成事実は強い
4月

新入生歓迎合宿のとき、K先生の車(エスティマ)に乗る

このとき同乗した新入生爆睡

5月 相変わらず何も無し
6月 かんにゅう爪の手術をする。安静と言われたのに柔道をやって傷が開いた
7月

修学旅行のお土産としてK大先生に「ラベンダー栽培セット」を渡す

K大先生の車で爆睡などかなりの迷惑をかける

黒子の化粧でアレルギーがわかる

8月 腹痛と下痢と血便に悩まされる。当時O−157が流行していた
9月

3月のナディアパークこけら落とし演劇に参加することが決まる(東邦高校と合同)

舞台の下見に行く時に今池で宣伝カーに驚き転ぶ

1011 こつこつと装置を作り始める
12

K大先生にセントポーリアの越冬の仕方を教えてもらう

これくらいに「部対抗駅伝」への参加が決まる

1997年(エロマン三年生)
1・2月

駅伝のために特訓

自転車を買いかえる。「ファイティングエロマン号」など勝手につけられる

ちなみに前の自転車は「緑の黙示録」とつけられていた

3月

英語で赤点を取る

駅伝に参加。卓球台や軟式野球セットを借りる権利を得る

エロマンの父からトタンをもらう。ついでに作業を手伝ってもらう

4tトラックと矢場町から競走、なんとか勝つ。このあたりから車と競走しだす。

4月 新入生歓迎合宿のとき、TRPGを徹夜でやっていた
5・6月 毎年この時期は平和
7月 3年生にもなって買い出しに走る
8月

スピードメーターを取りつける

時速60キロを出す。直後車に追突。左肩をいためる

9月 水泳の授業中、泳ごうとしておぼれる
101112 自己推薦に落ちる
1998年(エロマン、この年三月卒業。OB一年生)
1月 センター試験の会場に行くのに道に迷う
2月

再び英語で赤点

浪人確定

3月 河合塾に行く事にする。卒業。
4〜12月 浪人生にもかかわらず遊びまくる
1999年(エロマン、OB二年目)
1月 珍しくまじめな期間
2月 無事、N福祉大学に受かる
最近の主な出来事

1999年11月  愛知S大学においてヤプーさんに会う

2000年02月  再び車に追突。速度が出てなかったのでめがねが曲がっただけ

08月 石で指を挟んで骨折。今までよく骨折しなかったものである

09月 痛くないので骨折ヶ所の包帯を取る。医者曰く「本当に痛くないの?」


用語説明

エロマン エロゲーが大好きな男→エロマンといった由来でつけられた本名。
その後、さまざまに呼ばれ方が変わって今日に至る。「エロマン」、「E・浪漫」などが通説だが、一時期「イェロメン」などと呼ばれていたことも筆者は記憶する。
エロマンの父 名古屋の某所で板金屋を営んでおられるらしいが、吾々の記憶によれば、おそらく演劇部の活動にもっとも寄与したと思われる父兄であった。
その寄与の仕方は半端ではなく、一時は舞台装置を一個(具体的に言えば「ポセイドン仮面祭」の円柱一個)作っていかれたような記憶すらある。
エロマン臭事変 @:第一次エロマン臭事変。この事変は、エロマンが自らの体臭によって行く先々のハエを殺害したという、地下鉄サリンに並ぶ大事件である。
A:第二次エロマン臭事変。ついにエロマンの体臭はハエのみならず人をも抹殺し始めたため、装置のメンバーは苦肉の策としてサワヤカサワデーを装備させた。
しかし、エロマン臭はさらに勢いを増し、ついには片山先生のマッサージ係まで務めるに至った。さすがのエロマン臭も片山先生には通用しなかったらしい。
演劇部休部 休部期間中、浪漫を求める旅に出ていたと思われていたらしい。
14 「第十四帝国」という国のこと。一種の外人のことらしいが、この国のことを書くといろいろスゲーやばいらしい。
手術 エロマンほど体に故障の多い男も珍しいであろう。以前、ヤプー(95年度卒)が、
「エロマン、おまえ一体、体も悪いし腰も駄目だし頭もよくねえし、いったいどこにいいとこあるんだ」
と訊いたところ、エロマンは、
「耳ですかねぇ」
と答えた。
ラベンダー栽培セット こんな事実は知らなかったが、当時片山先生のマイホームパパぶりとバラへの入れあげようは現役周知の事実であった。
「ローズちゃんがなあ」
という話を聞いた現役は数知れず。実際ローズちゃんにお目にかかったものもいる。エロマンはラベンダーで片山先生の心をとろうとしたものか。
エロマン、カタ車で爆睡 片山先生は爆睡しているエロマンを見やって、「エロマンだからしゃあねえや」とおっしゃったそうである。そうですね、エロマンですものねえ。
ファイティングエロマン号 ブレーキが利かないことで有名だった自転車。
そのことを知らないでこれに乗ってユニーに行こうとした人間(つなぎ)が死にかけたこともある。
借りる権利 演劇部の帝国主義的侵略の代表的なものとされる。
しかしその後、この戦果が拡大されたというはなしはさっぱり聞かないのでもう奪回されたんでないかい。
買い出し エロマンにおける買い出しの逸話は数知れない。
一年の「金具を間違えて買ってくる大事件」では、シンポーがエロマンに金具を買ってこいと指示したにも関わらず、エロマンはボンド1リットルを購入して帰ってきたり、三回もサイズの違う金具を買ってきたこともあった。
卒業 おそらく愛高演劇部史上初だと思われる、OB主催による「エロマンを送る会」が挙行される。遙か兵庫から村岡(96年度卒)が、京都からヨコリン(同)がわざわざ来名し、エロマンのために卒業を祝し、ヤプー(95年度卒)が一晩がかりで考えた、「エロマンエロマンシュシューシュー」ではじまる有名な「エロマンの歌」が作られた。そのあと、講堂脇の石碑のウラに、「エロマン記念碑」を建立。式は感動のうちに終わりを告げた。
が、その後しばらくして愛高に行くと、エロマン記念碑は抜かれて便所にうちすてられていた。下手人は諸説あってさだかではない。心当たりのある人はBBSに書きこんでください。

さて、連載企画「輝ける演劇人たちの肖像」第一回・エロマンはいかがでしたでしょうか。
当然このHPはみなさまからの投稿で成り立っておりますので、この連載も次に「書きます」という人が居ないと自然と消滅するわけであります。
というわけで、誰か書いて。
ええっと、みなさんの書く内容は、今回のエロマンがそうであったように、このページ上半分の自己年表だけで結構です。
その後の注釈みたいなのは、管理人が情報をかき集めて作成します。そして作成したものを、メールでお送りください。
ファイル形式は、テキストでも、HTMLでもかまいません。お待ちしておりますー。


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