| 氏名 | マラカス(メールはこちら) | |
| 卒業年 | 1997年度卒 | |
| 担当部署 | 事務 | |
| 経歴 | 一年 | 「走れ放送部」という地区大会の脚本を手がける。この脚本によって愛高地区落ち。 (二年後、大顧問から「マラカスには内緒だが、あの本は二度とやるな」という密勅が出る。) 当時唯一無二の二年生にして部長であったヤプーから副部長代理補佐に任命される。 文化祭では舞台監督としてポンコツ車を作り、 あまりに補強を入れすぎたがために「これはポンコツ装置だ」と言われる。 合発では「少年終歌」のときに事務仕事と装置を手がける。役者としては使えないことがいよいよ発覚する。 でも講評委員としてはぼちぼち。講評において「演出意図が分からなかったね」というのは「この芝居、箸にも棒にもかからないネ」という意味だ、 ということを悟る。大きな一歩である。 |
| 二年 | 地区大会で寺山修司の「コメット・イケヤ」を脚本にし、演出をする。 やっぱり演出としてもあんまり使えなかったと思う。自分の仕事はやっぱ事務だなとか勝手に思う。 文化祭においてはシーリングに登る野望をついに果たせず、これは結局三年間の見果てぬ夢に終わる。 文化祭では後輩がブランコを作って仰天させられる。 「コメット・イケヤ」は中部大会に進出する。しかし諸般の事情により中部大会の一番オイシい部分に参加できず、涙をのむ。 この間、講評委員をずっと続ける。地区大会でうちを講評すべき某高校の講評委員長が、 「ごめん、寝ちゃった」 と言ったときは、心の中で拍手をする。 |
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| 三年 | 当初地区大会では 「創作で行こう」 ということになり、同年の村岡とともにタイ米の出てくる脚本をものしようとしたが、なぜか生徒会から、 「台湾からお客が来てその時討論会をするから、接待委員として出て欲しい」 と訳の分からない依頼をされて、訳の分からないまま引き受ける。結局タイ米台本はポシャる。 講評委員長となるが、地区大会に先立って行われた会場説明の場で、後輩がT高校の生徒と喧嘩するのを上袖から見て泣きそうになる。 そしてそれが祟ったわけでもあるまいが、あえなく愛知高校、地区落ち。ここで引退するも、後輩たちの横の連絡のなさにかさねがさね憂慮する。 |
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