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不定期連作記事

第二回:ヤプー(1995年度卒業) 其の一


昔、ヤプーという男が居た。
忘れもしない、私が入部した際、たった一人のすぐ上の先輩として現れたのが彼だった。
悪いけど、「耳でかいなあ」というのが第一印象であった気がする。

その後、部室大掃除の際に腐蝕した中身のカルピスの敏を割り、「発酵しとるて」というと、
小崎さんに「それは腐ってるっていうんだ!!」と間髪入れずつっこまれていた、ヤプー。

実行副委員長として、仕事してるのかどうなのかよくわかんなかったけど、とりあえず瀬戸窯の平林さん、
中央のテッショーさんという二代の委員長をうまく操縦してた気もしなくもない、ヤプー。

ガクインの推薦に落ちてしまったが為に、95年度卒業組の合格率を一挙0パーセントに落ち込ませてしまった、ヤプー。
(受かっていれば一人であるために当然100パーセントの合格率だったわけだが)

そしてただ一人であるがために、その後の演劇部に、ものの考え方とか、照明の技法とか、
そういう点でいろいろな影響を残したような気もする、ヤプー。

でももうちょっと静かにしゃべってくれるといいなあとみんなが思っていた、ヤプー。

この年表は、そんな泥臭く、うるさく、しかし気が付いたら四年間もの長きを愛高演劇部と共に歩んでしまった演劇人ヤプーの青春時代である。

不定期連載企画「輝ける演劇人たちの肖像」、第二回。
今回はその四年間を二部構成でお送りしたいと思う。
ヤプーの肖像。


1993年(ヤプー 一年生)
4月

友人に誘われ演劇部に入部(その友人は一年の夏合宿後退部)
部室に当時あった『家畜人ヤプー』をしげしげと読んでいたことからヤプーと名付けられる。
役者は裸族になるだろうし、音響は金がかかりそうだし、装置はきつそうだと言う理由で照明を志すこととなる

5月 この頃、スキー部とのサッカーの試合で目を怪我をしてプレイ不可能にも関わらず宝満先輩がきれたため泣く泣くプレイしたが敗北したためその全責任を負う。
この頃どこかに新観合宿に行ったはず。記憶無し。
この頃ゼラの整理をさせられながら色番号を暗記。
6月 マコト先輩の命令により書いたことないQシートを大会提出のために書かされる。
ブドー棚に先輩達とコハランドを捜しに行くが発見できず。謎の張り紙を回収するにとどまる。
7月

地区大会(中村文化小劇場) クローズホールド 
初めての合宿。ポジションは照明補。
調光板のいじりかたを学び、成田、尾崎両先輩が修学旅行でいない間いじり続け、三度の感電を経験する。
装置を手伝いながら、演劇部の複雑な人間関係を知る。
この頃、座禅堂の上に部員の大半で行く。(これ以後登ったモノはいない)
この頃、マストを動かす手段の一つとしてサキュッケが作られるものの、制作に非常なる努力と時間がかかっているにも関わらずボツリ部員達の玩具となる。
TRFのEZ DO DANCEが流行る。
中村文化小劇場に行くトラックの中で酸欠になりかかる。
会場でヤプー椅子として作業台とかす。
本番。トラブルによって(やんごとない人のミスとの噂)マストが降りてこず3分近い暗転を経験する。

8月

県大会に出場 (岡崎市立せきれいホール)
照明補から人間不足のために場転要員に替わる。パネルとマストのフックを着けてたんだと思う。
この頃、あたりから先輩達の権力争いが激しさを増し一年生は着いていけなくなり落伍者が出始める。
抗争を逃れるため周りにむかつかれること承知で照明室で資料を読みあさる。(ここでの勉強が後で大変役にたったりしている)
マストの固定具の設置作業中に自分のミスでマストが倒れそうになり危うく大仏を壊しかかったが、よっさんのおかげで被害なくおわる。
本番中にトラブルで(やんごとない人のワイヤーの長さの計り間違いとのもっぱらの噂)マストが倒れかかるのを舞台監督の林先輩が暗転が終わるのも構わず支え続け、そのまま本番が続いていく様を見て感動。
自分はミスらないようにと念じながら最低限はやってこなす。
県大会突破後、講堂で正座させられ先輩(これまたやんごとなき某高い身分の先輩など数人)に現役部員全員が、講堂屋上で煙草吸った疑惑について問いただされ、一部部員はボコられた。これを機に一気に一年生が減る。
そんな士気の低い中、取りあえず文化祭の準備のようなモノが始まる。

9月

文化祭 朝日のような夕日をつれて
照明主任 どんな照明をつけたんだろうと思い出そうとするがろくでもないセットとピンクの単サスだけが頭によみがえる。
先輩達が銀ボックスを作っているのを横目に照明室で早く終わらないかなあと思いながらうたた寝をする。
当時を思い出せばだすほど他の一年と仲が悪かったな俺と本当に思う。

本番 と言ってもこれと言って思い出す様なことはなし。ただこの台本は二度とやりたくないなあと思ったのは憶えてるなあ。
イタル先輩が文化祭で大事件を巻き起こす。(噂によると女連れの飲酒で電柱に自動車をぶつけたらしい)

10 上記の事件により演劇部は2週間の停部。この事件を気に一気に部員の数が減る。
個人的にはこの停部の間、友人と遊べたので非常に有意義であったと記憶している。
再開後、中部大会に向けて準備するはずが先輩の進路が決まるまでは動けないよねってことになり、サッカーなどに興じる。
11月 なんかこの頃は空中分解寸前って感じで活動自体が非常になあなあだった事を憶えている。
なんか脱衣系のゲームを踊り場でたくさんやったり、サキュッケを使ったゲームが流行る。
12

中部大会 一宮市民会館(だったと思う)
照明補 装置もこの頃は人で不足のためやる、このころワラジ先輩や林先輩に教えてもらったことがこの後、役に立つこととなる。
三年生の進路が決まって続々と部活に復帰。無理矢理だが活動が動き出す。
講堂の寒さに閉口する。
片山先生が入学後初めて稽古を見に来る。(本番前日)そこで照明のあたりからきっかけまで全て変わる。が、その合理的な変化に驚く。
本番 やったことと言えば仕込みの時にフェーダー操作くらいなもんで別段やったことなどない。後は宝満先輩がセリフ言えるだろうかと思いながら見てたと思う。結果は奨励賞 当時は全国大会に行けると思っていたので結構悔しかった。けど、部内の状態から言っても無理だなあとも同時に思った。
ボケッと他の学校の芝居も大量に見る。これが後に役にたったり立たなかったりする。

1994年(ヤプー 二年生)
1月 年明けで一年がついに自分一人となる。これにより第20代部長就任が確実になる。
合発をどうするかで意見が紛糾する。が、結論を見なかった。
2月 北条先輩の持ってきた笑うトーキョーベイに決まり、役者が足りないのは高田先輩にお願いすることでカバーすることとなる。
確かこのころ今回は舞台監督をやると言う線でまとまったのだと思う。
3月 合同発表会 名古屋生涯教育センター 笑うトーキョーベイ
舞台監督 と言うか装置主任。とは言っても、小道具は尾崎先輩が作り、なんか一人でテーブル一つと東京湾の恥ずかしいパネル(あれがいまだに部室に健在ってのが大変恥ずかしい)を作るのに一ヶ月を要して小崎さんに怒られる。
舞台監督のおかげで?押切先生と親しくなる?
運送の事を全く考えてなかったために小崎先生に怒られる。
この時期は相当に部活の雰囲気が悪くポジティブに演劇をやると言った雰囲気はなかった。
本番 うーん、記憶がないなあ。なにしてたんだろう?なんか仕込みの時も、搬出の時も小崎先生に怒られていたような気がする。
なんにしてもこれより出来が悪いのはないなあ。今考えると高田先輩には悪いことしたなあ。
新入生説明会の時点で中村晋峰の入部が決定する。
4月

新入生歓迎会 今回も引き続いて舞台監督とは言っても全くモチベーションがなく。なんとか終わればいいやと当時は考えていた。
そのため新しいセットを作ろうとか、パネル作り直そうとかは全く思わずそのままにして置いたら小さんに怒られた。
本番、まあとりあえずなにもなく終了。今回は北条先輩が高田先輩の代わりに舞台に立った。まあ部員が八人入ったてことだけが不幸中の幸いだった思う。
大野→マラカス、矢萩、村岡→横山と言った感じでどんどん部員が増えていって、正直言ってホッとした。
でも部員の勧誘は嫌だったので逃げ回っていたのは憶えてるなあ。

5月 新勧合宿 尾西市の川縁のどっか。
何やったなあ。部活の説明。今年は台本書くぜって感じのことやったと思う。小崎さんにまた怒られたなあ。
部屋割でだったかなあ。
マラカスを副部長代理補佐に任命する。それともに小崎先生のところに日参させるようにする。
この頃から発声練習を外でやるようになったんだと思う。(今もやってるんだろうか?)
この頃は脱衣サッカーを平和公園でよくやったなあ。
実行委員会に参加するようになる。他のメンバーはよっさんと晋峰
当時の実行委員長は東邦の人だった。なんか小崎さんに怒られないように目立たないことを第一に活動していたなあ。
この頃、練習の一環としてやっていたランダムにコンビを組んでコントやる練習のなかからインポーズが誕生する。
6月 研修を愛知高校で執り行うって言うか、照明の講習を受けるのでなく、他校の生徒に教えていた気がする。
この頃あたりから聖霊高校の山口先生と知り合いになる。
走れ放送部の執筆が始まる。確か二番目として10ページちょっと書いたと思う。セーラームーンネタを登場させたのは俺です。
村岡と晋峰がNHKに取材に行ってる間に部室では大人生ゲーム大会が執り行われる。俺は確か2位。
大野は子沢山の借金まみれでシャッキングのあだ名が付く。二人が帰ってきた後、怒ったのは言うまでもない。
7月

地区大会 中村文化小劇場 走れ放送部
演出  役者 過去の歴史のなかで大会出品作品史上最低の出来を誇ると言われる伝説の作品
それの演出なんだから押して計るべし。って言うか自分で演出をつけるって感じではあんまりなかったなあ。
修学旅行に行く。途中でアクシデントで帰れなくなるといいなあと真剣に思う。
修学旅行から帰ってきたら舞台監督だったよっさんが科学棟で喫煙がバレ停学処分になったためよっさんが消える。
そのおかげで舞台監督の仕事のかなりの部分もする事となる。(一応、成田先輩が舞台監督ってことではあったんだけどねえ)

合宿中、北条先輩と成田先輩が映写室で寝た件でで小崎さんにボコられる。
大野が器用なヤツであることが合宿中に発覚する。
刺すぞのセリフをめぐる演出で柴田先輩の案を採らざるを得なかったため。鈴木先輩と小崎先生に馬鹿にされる。
あまりの暑さに日中の稽古を断念する。
その影響で村岡とイッチーが昼間、外に遊びに行き、小崎さんのもと練習が始まっても不在といった、アクシデントが起こった。
スーパーのりタルばかり合宿中に頼むので(俺が頼んだのだのでなく宝満先輩達が頼んでいたのだが)小崎さんにスーパーのりタル好きと思われる。でも個人的にはスーパーのりタルは大好きだけどね。
合宿中に劇中劇に替わった為に台本書きをやると共に初舞台が決定する。
と同時に自分の役者としてのセンスのなさに閉口する。
役者として舞台に立ちながら演出をするほどのセンスも持ち合わせていないことも実感する。
このなかの俺のセリフ「だめだよ。だめだよ。こんなんじゃ。こんなんじゃあ納得できないぞー」が流行る。
その上、客席から登場と言った奇抜な演出のためプレッシャーは増大した。
本番 予定どうり客席から登場。特に問題なく終了。これにて役者人生も終了。(その後、14の舞台に一回コロスでたったか。)
解散の挨拶がヘタで小崎先生に怒られる。

講評委員 とは言っても目立つのは何だったので聞かれない限りは絶対に口を開かないようにしていた。
この頃、最初10分、後10分で芝居の内容を理解する秘術を体得。
東邦の明日香ちゃん達と仲良くなる。(ここで知り合ったことが後のいろいろな波紋の元となる。)
淑徳のアキ先輩と知り合うこととなる。(ここで知り合ったが為に人生が狂ったヤツもいたのであろう)
アキ先輩にもらったカロリーメイトで命をつないだりしていた。
淑徳のゴトヤス先生と親しくなる。その他の先生との人脈もここで出来たと言って問題ない。

結果はまあ、講評委員の立場で言ってもこの年は椙山、東邦、市邨のレベルが高かったためお呼びはかかりませんでした。

8月 熱田の市民会館だっけかにみんなで県大会を見に行く。ハズだったが集まりは大して良くなかった。
が、インポーズは昼食時に勝手に舞台に上がってインポーズゲリラライブを決行。会場では好評だったが俺の怒りを買う。
学祭の台本はなんとなくポンコツ車と五人の紳士に決まる。
以下、「ヤプー その2」へと続く

用語説明

「家畜人ヤプー」 沼正三が原作の有名なSM小説のマンガ版が当時部室にあった。あらすじとしてはある夏の午後、ドイツに留学中の瀬部麟一郎と恋人クララの前に突如、奇妙な円盤艇が現れた。中にはポーリーンと名乗る美しき白人女性が一人。二千年後の世界から来たという彼女が語る未来では、日本人が「ヤプー」と呼ばれ、白人の家畜にされているというのだが…。って事らしい。部室にあったのは確か日本の古事記とヤプーの歴史との因果関係について書かれていた巻だった思う。ヤプーと呼ばれる人間が未来の科学でいろいらな形にさせられているところが(椅子や犬など)部活内で大好評だった。
裸族 愛知高校演劇部を時々襲撃する謎の部族。なにも衣服の類を着ておらず、我々演劇部員の前に出没するも交流を持たず走り去るなどの特徴がある。出没場所は講堂、平和公園、木曽川河川敷と場所に制限はあまりないらしい。ゴミ箱を風呂にしている、時々衣服を着てカモフラージュしている等、生態系には謎が多い。似た種族としては全身タイツ族と言うのもいたらしい。両方ともここ数年は目撃者はいない。
コハランド 五つぐらい上の照明担当だった小原先輩が講堂天井のブドー棚の奥、外から見ると法輪あたりに作っていたと伝承されていた幻の楽園。布団がおいてあり。人間が快適にすごす為の環境が整っているとの噂であったが。実際の所は先輩達が書いた謎の張り紙が一枚あっただけであった。
サキュッケ クローズホールドの舞台の一つであるヨットを表現するために作製されたマストを撤去するために当初考えられていたのがマストの下にキャスターを付けると言うアイデアで、それを実行するためにマスト用に使われるパイプに合わせてコンパネを円形に
切った物を何枚もあわせて(書くと簡単だが。コンパネ円形に切ってそれを接着する作業は並大抵のことではない。)それにキャスターを四つ着けた物が作られた。がこのアイデアは結局マストが地面に設置しない点と安全性から没になり。この苦労の産物は部員達の格好の遊び道具へと昇華された。名前の由来は座布とキャスターの語呂合わせである説が有力。
ヤプー椅子 会場でパイプに関する作業をするための台座として俺が人体で支えていたその様が正にヤプー椅子だったから。
銀ボックス 94年度卒の先輩達が93年度卒のマコト先輩に後輩の面倒見が悪い点を指導され、その怒りを綴った「噂の男名言集」を隠すために作製されたボックス。ボックスを作ること自体にはやる気がなく。ボックスを組んだ上からクローズホールドのマスト作製に利用されたと思われる銀のスプレーで直に木材に塗装され、照明室に秘匿された。その後、羊羹、よっさん名言集。各種役に立たない資料。ヤプー作製の合宿中に起こった出来事などを収納され現在ではおおっぴらにその存在を認められ照明室に現在も保管される。
そこで照明のあたりからきっかけまで全て変わる それまで照明はベタあかりでヨットを表現するとはとても言い難かったが。単サスを利用して斜めにエリアをとることでヨットを表現すると言った。手法だった。当時の俺には大変斬新だった。きっかけに関しては片山さんの「これからきっかけの説明をする。書く暇はないから頭で憶えろ。」と言うのが大変印象深い。
押切先生 現名東高校演劇部顧問、当時は中央高校の顧問。中央高校は名古屋市生涯教育センターに併設されているために施設に詳しいので我々は様々な点でお世話になった。現在の中央高校の顧問の先生は元向陽高校の顧問の先生で実は昔、懇意だったりする。
部員の勧誘 いまはどうだか知らないが当時は帰りの時間になると講堂の前を通る学生を根こそぎ勧誘して部員に連れ込みとつとつ諭すって感じのことをして勧誘していたのだが。俺はこういうのが大の苦手なために南館の四階とかに勧誘に行くふりをして隠れていた。
副部長代理補佐 当時、演劇部は2年生部員がヤプーしか存在していないため、部長以外のポジションがいないため、ヤプーが創設したポジション。一年生を副部長にするのは難があり、代理職もなんなのでその補佐とした。マラカスの仕事はヤプーの苦手とする事務仕事全般と小崎さんとの連絡全般だった。マラカスが二年になった際に副部長に就いたためこのポジションはなくなった。が、マラカスの仕事は副部長勇退後も卒業時まで変わることはなかった。
脱衣サッカー 当時、演劇部は体力育成とチームワークの生成と称して平和公園で日々サッカーに明け暮れ、サッカー部を除く各部との草サッカーの試合で負けることはあまりなかった。そんな演劇部が部内でサッカーをする時のルールの一つで自チームが失点するために一枚衣服を脱ぐといった物だった。基本的にはつなぎ一枚でサッカーをやっていたのであっという間に素っ裸になる恐ろしいモノであった。そのため裸族も多数出没した。
インポーズ 中村晋峰リーダーと石井裕二隊長のコントコンビで「いしいゆうじ」のイと「なかむらしんぽう」のンポから名前がつけれられた。
94年地区大会でメジャーデビューし、数々の公の場でそのネタを披露し、追っかけこそいなかったが一部の他校演劇部員にカルト的な人気を誇り、96年の解散公演まで活動を続けた。その内容は、銀行強盗と言うタイトルにも関わらずコンビニ強盗のネタであったりするなどの不条理系のネタが大半であった。ちなみに最初のネタは「英語版ハットリくん」であった。石井裕二隊長のネタ帳にはタイトルしか書いてないためにどんなネタであったのかを二人でもめながら思い出す様は非常に微笑ましかった。似たようなコンビとしては、ヤプーが95年にプロデュースした。97年度卒の森本と深谷の「山の手ブロンコビリー」というのもあった。
山口先生 聖霊高校演劇部の顧問。照明の達人。ヤプーの師匠の師匠の師匠にあたり、ヤプー自身の師匠でもある。
高いピンスポを自分の高校に二台も購入させたり、講堂の照明室に昔あった旧型のピンスポが博物館モノであることを鑑定するなどかなりの人物であったが、肝心の聖霊高校に演劇部員が集まらず活動が休止してしまい。我々の前から姿を消した。が、ヤプーの照明に少なからず影響を及ぼした。
大人生ゲーム大会 当時、演劇部にはタカラの最初の人生ゲームが完全な形で存在しており、暇な時に部員がプレイすることがあったがなかなか最後まで行くことはなかったが、その時は最後までプレイした。が、ゲームバランスが悪く、マスを戻らされるアクシデントが多すぎるために大野のように子供が増えすぎたり、借金が増えすぎたりするモノが続出した。この人生ゲームは、12月の大掃除の際にヤプーの強硬な反対あったにも関わらずマラカスの「これがあると仕事をしない」の一言で捨てられてしまった。
『刺すぞ』の台詞 走れ放送部の二場で演出があまりに言うことを聞かない部員達に大して吐いた言葉。柴田先輩により、それを聞いた部員達が尻を突き出す演出をしたばっかりに、小崎先生に、なにを刺すんだ?そんなのだったらナイフで刺せよ等のつっこみを受けた。
スーパーのりタル ベントマンに昔あったメニュー。定番ののり弁が少し豪華になったヤツ。コストパフォーマンスの良さからヤプーに重宝された。現在はスーパーのり弁当は存在するが。スーパーのりタルは存在しない。単品でタルタルソースを頼むと同様のモノになる。し、解ってる店員だと「スーパーのりタルね。」と言ってくれるとか言わないとか。
ゴトヤス先生 淑徳高校の偉大なる顧問にして、片山先生の盟友。小崎先生の飲み友達。彼の部の操縦方法は、方向性だけを示して後は部員達に考えさせるといった方法である。これは淑徳の生徒の優秀さがなせる技で我が校でやると、「走れ放送部」や「俺達は志士じゃない」のような凄い作品ができあがる。ヤプーとは二年次の好評委員会以来なにかとつきまとわれている。が、「今度、飲みに行こう」と19歳の時に誘うなどそこそこ気に入られているらしい。彼の裏の顔は花屋であることを知っていうるのは一部のマニアだけである。

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