<OBさんのご活躍>

私と海農研            9期生 たしまもり研究所  森本純平

  昭和35年頃私は会員でした。 会長はブラジルに雄飛した坂上光昭君で、私は副会長を仰せつかっていました。  当時は沖縄が日本に未だ復帰していない時期でしたので、沖縄の開発に協力したいと生意気なことを考え琉球開発奉仕団というものをつくりましたが、ビザの取得の都合で延期になり、当時の教授で元台北帝国大学教授の田中長三郎先生の指導のもと南方植産資源論なる本を読みあさり結局、坂上君と二人で沖縄に行きました。沖縄では東北部の高江農場に入り、バナナの植え付けやら、パイナップルの世話等をして頑張りました。  昭和55年にミクロネシア・ポナペ学術調査隊も印象に残っています。会員9名、OB2名 私の家内が加わり計12名の構成です。ミクロネシア島の調査をした興奮が今でも残っています。しかし調査のみに終わり産業を興すところまでは至っていないのが心残りです。これは熱帯地方では産業を興すことが非常に難しいことを実感として感じました。  [Aak]の出版も重要な思い出です。人生にはいろんな会への参加がありますが、仕事の都合や大阪への距離的な問題で参加の頻度は年により異なるものです。私の場合は体調が大きな原因でした。その時にはこのような雑誌への投稿により会に参加した意思を示せるものです。ピラニア発刊の喜びを知らない私にとってはこの[Aak]の編集に参画できた喜びを今感じています。ちなみにAakは熱帯のガジュマルのミクロネシアポナペ語です。  その後、国際会議等に出席する度に自分の器量の狭さを痛感しますが、「何でも見てやろう」式に皆さんもできるだけ世界に出ることを考えて下さい。  私は今、2005年に国際柑橘種苗会議の和歌山誘致開催を考えています。皆さんはOBになっておられるでしょうが、時間が許せばご協力して下さるようお願いしたいと思います。  海農研の益々のご発展を祈ります。

 

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