戦後、日系人はどんな社会運動を展開したのか
1960年代から1970年代に盛り上がった公民権運動や黒人解放運動は、アメリカ人の意識を変え、その結果、新しい法律が数多く制定された。アフリカ系アメリカ人は自分の主張を社会に訴えかけ、他の少数民族グループもそのような動きに加わるようになった。日系人の強制収容に対する謝罪と損害賠償を求める運動は、戦後直後から開始されていたが、このようなマイノリティ運動に刺激され、1970年代後半から急速に進展していった。当初、多くの日系人は苦しかった過去を思い出したり、心の奥底に眠っている古傷に触れられることにはあまり乗り気ではなかった。また国家賠償をどのように勝ち取るかについての方法論や、それによって何を求めるかについても多様な考えが混在していた。
1981年には「戦時民間人転住・収容に関する委員会」による最初の公聴会が開かれ、その後全米10都市で同様の公聴会で550人が証言に立った。それらをもとに委員会は、第二次世界大戦期の日系人の強制収容は「人権的偏見」、「戦時の狂乱」、「政治指導の過ち」に基づくものであったと結論づけ、報告書を議会と大統領に提出した。
そして1988年8月10日、強制収容に対する補償を規定した「市民的自由法」にレーガン大統領が署名し、アメリカ政府による謝罪文と2万ドルの個人補償金が、1990年10月から約8万人の被強制収容者に渡された。この長年の運動によって実現した日系アメリカ人への謝罪と補償により、日系人はアメリカへの信頼をとり戻したのである。
これは強制収容が単に日系人だけの問題ではなく、すべてのアメリカ人に関わる重大な問題であると認識されたことのあらわれだった。
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