白虎隊と会津武士道(2話)

                       星 亮一(国際情報専攻 2期生) 2002/03/01

 

 会津城下に敵が攻め込んだのは、慶応4年8月の23日でした。

 間道から一気に攻め込んだ官軍は、疾風のように会津城に迫ったのです。

 会津の主力部隊は日光口、白河口などに出ていて、留守を守るのは老人と少年たちで

した。

 この日は朝から土砂ぶりでした。

 半鐘がけたたましく鳴り、数万の市民が逃げ惑ったのです。

 敵の侵入を防ぐため城門をいち早く閉めたため、混乱に拍車をかけました。

 城に入れなかった藩士の妻女は、もはやこれまでと自宅に戻り、火を放って自害した

のです。

 老人、子供、家族全員が自害した家もありました。

 市民は郊外に逃れんと大川の渡しに殺到しました。

 船が少なく、そこに大勢乗ったので転覆し、何百もの人々が溺死したのです。

 主力部隊が戻り、篭城戦となったのですが、援軍はなく、食糧もなく、弾薬も尽き、つ

いに白旗を掲げて降参したのです。一ヶ月の戦いでした。

 官軍は会津軍の戦死者の遺体をそのまま放置させたのです。

 見せしのためでした。

 この戦いでの死者は三千人を数えており、

 会津は死の街と化したのです。

 白虎隊の少年たちの遺体も雪に下に半年も放置されました。

 掘り起こしたときは野犬に食いちぎられ、鴉に突付かれ、みるも無残な姿でした。

 会津人は薩長の官軍を恨み、いまだにその怨念は解けないのです。

 次回は、下北半島への流罪をお送りします。

 これぞ会津戦争の悲惨極まりない裏面史です。