研究テーマ
−というほどのものではないが…−





 いまいち、経済学部になじめなかった僕が学んでいるゼミは、労働経済という分野に関してです。 労働経済は経済学ではないという教官もいるぐらい経済学部の末端分野です。 しかもゼミの先生は「僕の労働経済はオーソドックな労働経済とは違うよ」と公言しており、さらに経済学部のコアから離れてしまったようです。 もっとも、経済学的であったらそもそもゼミに参加しなかったでしょうが…。 でもまぁ、おかげさまで結構満足したゼミ生活を送っています。

 で、オーソドックスでない労働経済のゼミで研究していることは、雇用を通じていかに「福祉社会」を実現するかということです。 雇用は人が生活していく上での資源を提供するわけですから、雇用政策は広義の福祉政策に含まれるわけです。 それは社会階層やジェンダー、家族制度といった社会学的な問題と密接にかかわっている以上、これらの問題を含めて論議しています。 なかなかイメージできなければ、エスピアン−アンデルセンの「福祉国家の可能性」を読んでいただければわかりやすいかなと。

 といって読む人はよっぽど暇人でしょう。 映画で説明してみましょう。マイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」を思い出してください。フリントの6歳の少年の事件がありましたね。 アメリカでは、貧困から十分な教育を受けることのできなかった黒人系シングルマザーがたくさんいます。 合衆国ではクリントン政権時代に福祉政策が大幅に変わり、 シングルマザーに給付金を与えるのではなく、雇用に就かせる政策へ転換させました。 いわゆる「Walfare to Workfare」というやつです。 これには社会保障費の増大や、合衆国特有の極端な自由主義的な考えなどが絡み合っています。 貧困層の黒人は大抵十分な教育を受けていないため、そのままでは雇用されないので、職業訓練を受けることになります。この職業訓練を受けなければ給付金がもらえないので、訓練は半ば強制的なものです。 ここで問題となるのは、幼い子供をどうするかということです。 合衆国のような社会ではそのような対策は私的な福祉サービスを利用しなければなりません。 ベビーシッターがよい例ですね。しかもお金がない家庭では、ヒスパニック系の女性を低賃金で雇うことになります。 彼らの何人かが幼児虐待をする問題映像がよくテレビで報道されていますようね。 でも、もっと貧困な家庭では、ヒスパニック系のベビーシッターすら雇うことができません。 で、仕方がないので、子供を一人にして出かけざるを得ないのです。 映画では叔父の家に預けるという形になっていましたね。 そして出かけるにしても、近場ですぐに帰宅できるところならまだマシです。 でも職業訓練所は近場にありません。なぜか? アメリカでは裕福な家庭は郊外に住むというのは知っていますよね。 あれは、都心は危険だからです。 貧困層が集まって暮らしているので、殺人や暴力事件が絶えません。 逆に郊外ならば、車を持っていない貧困層は簡単にはやってくることができないので安全になるのです。 そして、職業訓練所のように政府系の機関はたいてい郊外にあります。 一方、シングルマザーはと言えば、もちろん都心部スラムに住んでいます。 彼女は訓練のために往復130キロのバスに乗って、遠い訓練所まで時間をかけて出かけなくてはならないのです。 そして彼女が出かけている間、家に残された子供は銃を発見し…。

 社会給付・職業訓練・学校教育・保育施設等の福祉サービスと雇用の関連が少し見えてきたでしょうか? 僕はこんなことをやっています。 とはいえ、2年間という限られた時間で、雇用と福祉全般を学習するのは無理なので、僕は雇用と教育に関して重点的に研究しています。 分野的には、教育社会学と重なる部分が非常に多いです。 教育を通じた階層問題に興味があります。 高等教育進学率が上昇したと言っても、実はまだ階層はなくなっていないのです。 しかもそれが実は教育機関を通じて、なされているのではないかと言われています。 実は父親の学歴と子供の学歴には明確な関連が見られます。 高等教育が進んだ現在でも、入学大学の偏差値で見てみると、学業達成の格差は変わっていない状況なのです。 僕の友人でも、父親と同じ大学という者が本当にたくさんいます。 この高い教育達成を通じて、彼らがよい職に就くのは言うまでもないことです。 何か日本はおかしいのではないかと思えてきたでしょう? 暇があったら、労働経済の本でも読んでみてください。 エスピアン−アンデルセンの「福祉国家の可能性」はお勧めです。 うちになぜか"新品同然"であります。 もうすぐ卒業なので、欲しかったら譲りますよん!


日本における若年者の雇用状況の国際的位置付け(2004年1月作成)