心理学と自画像−授業補足−
ここで、いったん話を整理しよう。まずはじめの章では、台湾という未知の国のおかげで、本来とは違う人物(台湾人)と思われていた、詐欺師男爵の話をした。そして、二章では実在した一休に近いと言われる墨斎の作品もその他の作品も共に、第三者が作成したという点で(第三者の目線を通した一休でしかないので)本物を表現としているとはいえない、という提案をした。ではどうしたら本当の存在を捉えることができるのだろう。本当の存在を模索することは、一体何が身体を形作っていて、何が身体なのかを考えることに無関係ではない。『ミメーシスを超えて』の第二章は、自画像を例にとることで、私たちが絵から直接何かを読みとることの危険性を指摘する。自画像の場合は、鏡さえ作者と画中の人物の同一性を保証してはくれないからである。絵に向けられる視線と写し取られた絵の中の私。面白い関係が提供された。しかし、筆者は私の疑問に答えてはくれない。 筆者は、冒頭で「各章において私は、具体的なテーマを論じる中から、美術史の無意識、言うまでもなくそのほとんどは方法論に関わるものだが、を浮かび上がらせ意識化させることで、それらに反省を加えようと試みた。私は、フロイト、ラカン、そして対象関係論のテクストから、美術という現象を理解するために有効となる手がかりをできるだけ引き出そうと試みた。」と述べている。自画像から短絡的に、画家の内面を読みとるのではなく、心理学的なことがらをからめて違った解釈をすることこそが目的なのである。筆者論じる新しい美術観については、今から私の理解した範囲で紹介しようと思う。さきほど、自画像の中でも鏡と画家と絵を見る人間である私たちの視線を巡る関係について考察した。 後半は、この視線が話題となる。引き合いに出されるのはカラバッジョのメドゥーサの首である。これはカラヴァッジョの自画像の一つである。画面の中のメドゥーサは、おどろおどろしい視線をこちらに投げかける。しかし、それは見方を変えれば、絵の外にある何か恐ろしいものをみて恐怖に顔をゆがめている姿と見ることもできる。「見る」と「見られる」の二つの側面を持つ自画像の不思議を暴いたところで登場するのがレンブラントの自画像である。 この一連の自画像群のなかのレンブラントはいずれも苦しそうに顔をゆがめてこちらを見る。筆者はここでフランスの精神分析家であるジャック=マリー・ラカンによって提唱された鏡像段階論をもとにこれらの自画像群を説明する。ラカンは、フロイトの流れを汲み、彼の理論の実践に新生面を開いた人である。フロイトによれば、人間は誰しも己が満たすべき理想像を心に描いて生きている。この理想像に向かっているという感情が妨げられるとき、その妨害者と目された相手に対し強い攻撃性が向けられる。理想像との間のこのような危険な関係は、早期における言語との関係によって生まれると考えたラカンは、幼児の行動を観察し、そこから鏡像段階論の着想を得た。子供にとって鏡に映る自己像は、周りの大人、とくに一緒に鏡に映った大人たちによって強い承認を与えられる。鏡の世界での大人と自分との関係は、将来の自分が自分自身に対して取り結ぶ関係の原基となる。大人たちの言葉が、未熟でバラバラの動きをする身体を一挙にまとめ上げ、理想像を実現するのである。この像の上に、社会的な「私」という主語の地位が与えられる。周りの人間の言語活動のうちに現れる鏡像的な理想像への同一化、これによって人間は主体としての自己を見いだすのである。自画像群のゆがんだ表情は、画家として独り立ちするのを邪魔する妨害者に向けられる強い攻撃性の現れである。そして、自画像という性質上、この妨害者とは自分自身のことでもある。幼児が、言語と承認を与える大人と鏡の関係を通して自己を確立していくのと同じように、画家は、自画像を通して画家としての自己を確立していく。そんなメッセージが自画像から読みとれると筆者は言う。その他にも「自己去勢」や「防衛規制」、ウィニコットの提案した「対象関係」と自画像の関係が紹介される。 授業で配られたプリントの中に自画像に混じってなぜか枕の絵があったのをみなさんは覚えているだろうか?この枕は、2章最後の対象関係に関する資料であった。「独立した赤ん坊はいない。いつも母との一対として存在する。」と言ったのが、六万例を越える子供とその家族に接し、早期乳幼児期の母子関係における発達理論を展開した、ウィニコットである。ウィニコットは、母子関係の基本は依存(dependency)であるとした。その定義に基づき、彼は乳幼児期の母子関係を三段階に分けた。母親が、子につきっきりで世話をし、子供自身も自分と母親の境界が分からない期間である絶対的依存期から、相対的依存期へ移る時、母親からの自立の第一歩としての分離不安が生じる。この時、乳児は、この分離不安を防衛するために、肌身離さず、ぬいぐるみを持っていたり、毛布の端を、しゃぶったりすることがある。この、ぬいぐるみや毛布は、移行対象と呼ばれる。ぬいぐるみや毛布の存在意義は、自分の体ではない、でも下界にも属しているとも認識されない、その両者にまたがる中間領域のもの、という無意識の位置付けにある。参考資料の中の枕はデューラーという画家によって描かれたものだが、この枕のしわには、デューラー自身の表情が隠されている。筆者は、この枕をぬいぐるみや毛布同様、画家の移行対象に見立てているのである。
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