麗子連作と岸田劉生
ここまで、美術と身体について考えてきたわけだが、身体の内側まで描ききろうとした絵画があるのではないか?そんな考えがあなたのなかに浮かんだりはしなかっただろうか?最後に紹介するのは、対象の内面を描ききろうとした画家、岸田劉生についてである。
嬉かつた。只嬉かつた。子供を只喜んだ。これは岸田劉生の日記の文章である。劉生は、幾度となく娘麗子をモデルに絵を描いた。彼は、娘を溺愛し、日記の文に見るように惜しみない愛情を彼女に注いだ。
麗子がはじめて油彩画のモデルになったのは、数え年で5歳の時。「麗子五歳之像」として知られるこの絵の後、劉生はかの有名な麗子連作を手がける。美しく、麗しく育つようにと両親の愛を受けて育った愛くるしい少女は、しかし、すこし不気味な様子で画面に登場する。四歳半にしてはあまりにはっきりした目鼻立ち、額、眉間から頬、あごから首へと薄黒く施された上塗り。土遊びで汚れた、というのとは違う気味悪さがこの絵にはつきまとう。
麗子像に、劉生は何を求めたのか。彼は言う。「形に即した美以上のものの、その物の持つ精神の美、全体からくる無形の美、顔や眼に宿る心の美、一口に云へば深さ、このことを僕はこの子供の小さい肖像を描きながら或る処まで会得した」
「麗子五歳之像」は「精神の美」「無形の美」追求のための一里塚となった。麗子は、姿態の美しさの形象ではなく、実在が深部において蔵する神秘の端的な表現でなければならないのである。劉生は肺結核にかかり、自宅での養生につとめた。その間にも麗子の姿はカンバスに描きとめられていく。肉体としての麗子ではなく精神としての麗子を描くこと。それは想像以上に難しい。病床に伏す自分とは対称的に父が日輪の子と讃えた、すくすくと成長する娘。娘の見透かしえない内面と、それに苦悩する劉生。これらが、知らずのうちに画面へ投影されたと想像することもできるのではないだろうか。
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