アジアの差別と偏見


差別・偏見のとっかかりとして

教科書問題とは何か

戦後の日本の小・中・高校の教科書は,戦前の国定教科書による国民の思想国家主義的統制に対する反省から,国定制ではなく民間の出版社が編纂した教科書が文部大臣(現文部科学大臣)の検定を経て刊行採択される検定制となった。検定は非公開の形で行われるため,第一回目の教科書問題の起こった1955(昭和30)年前後から検定が強化され1),1965年には家永氏による教科書裁判2)という事態を招いた。1982年には社会科教科書の検定による記述変更強制をめぐり中国・韓国からの抗議を受け3),検定制度への批判が高まった。その結果1983年,教科書採択の都道府県単位への広域化(広域選択制)と検定結果の一部公開が実施され,1989(平成1)年には「教科用図書検定規則」が改正され簡素化された。1996年「新しい歴史教科書をつくる会」4)などが自虐史観批判にたつ教科書の書き替えを求め,中学社会科の従軍慰安婦の記述について文部大臣に削除を要請する公開書簡を出した。文部省(文部科学省)は「政府調査結果」にそって従軍慰安婦の記述を検定で認めている。2001年3月には新しい歴史教科書をつくる会による「新しい歴史教科書(扶桑社)」が教科書検定に合格し,検定申請中の教科書記述の一部がマスコミによって報道されたため,教科書記述に不快感を表明した韓国から再修正要求が出されるなど国際的に問題となった5)

[注]

1)第一回目の教科書問題

 1955年に「うれうべき教科書の問題」とした,検定教科書を左翼偏向と非難する当時の「日本民主党」のパンフレットが出されたことで,教科書検定は事実上,国家統制強化を主目的としたものに変質した。それを受けて,社会科教科書の検定「不合格」処分も次々に強行されるようになった。

2)教科書裁判(家永教科書裁判)

東京教育大学教授(当時)の家永三郎氏が,自著の高校日本史教科書に対する検定を不当として国を相手に起こした裁判である。学問思想の自由侵害に対する損害賠償請求の第一次訴訟と行政処分取り消しを求める第二次訴訟が争われた。1970(昭和45)年に第二次訴訟の一審判決があり,原告勝訴とした。これに対して第一次訴訟の1974年の一審判決は,検定制度は合憲だが,数カ所に違法があったとして国に賠償支払いを命じた。両訴訟ともに上告審に持ち込まれ,第二次訴訟は,形式的には原告勝訴,実質的には一審判決を否定する二審判決を経て,1982年最高裁は学習指導要領の改定による訴えの利益がなくなったとして審理差戻しを命じ,1989(平成1)年最高裁での訴訟打切り判決で終わった。第一次訴訟は,二審で一審をほぼ支持する判決を経て,1993年3月原告全面敗訴の最高裁判で終わった。家永氏は1984年に第三次訴訟を起こし,最高裁は1997年8月,「731部隊」を含む計4ケ所の記述削除を「国の裁量権逸脱」とし,計40万円の支払いを命じる判決を出した。

3)第二回目の教科書問題

 1982年検定によって,教科書記述がアジア諸国への「侵略」から「進出」に表現を改められたという報道から(この報道は誤報ともいわれるが,それに近いものはあったとされている)一斉にアジア諸国から非難と抗議を受けた。この問題を受けて「近隣のアジア諸国との間の近・現代の歴史事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされる」ことが検定基準に加えられた(近隣諸国条項)。

4)新しい歴史教科書をつくる会
1995(平成7)年,藤岡信勝氏のもと「自由主義史観研究会」は戦後の歴史教科書に対し,戦勝国のプロパガンダをうのみにした自虐的な歴史観であるとし「自由な立場からの大胆な歴史の見直し(自由主義史観)」を主張した。1996年12月には藤岡氏,西尾幹二氏を中心として「新しい歴史教科書をつくる会」が発足。政界や地方議会なども連帯し,教科書からの従軍慰安婦記述の削除などを求める運動を展開した。1998年には漫画家小林よしのり氏の『戦争論』が刊行された。さらに新しい歴史教科書を検定申請すべく,1999年10月には西尾氏が執筆した新しい歴史教科書のパイロット版となる『国民の歴史』が刊行された。現在の歴史修正主義はポストバブルの不安感覚を背景に,利己思想や行動を克服すべく「日本」や「日本人」「日本国家」という価値を協調するナショナリズムの噴出という点に特徴があるとされる。

5)第三回目の教科書問題

2001年3月に「新しい歴史教科書」が検定に合格したことを受けて,韓国などアジア諸国から抗議が起こり,合格後の教科書の記述を修正するように韓国から再修正要求が出された。日本政府は法律の問題から再修正要求に応じず,日韓の民間交流の中止や,韓国で抗議デモが起こるなど日韓関係は深刻化した。その後,つくる会側は検定に合格した教科書を先駆けて市販し,実際に読んでもらうことでイメージ回復を狙うなどのアピール活動を行ったが,教科書採択を巡って市民団体の抗議が起こる地区もあり,採択割合は0.04%と伸び悩んだ。今回の教科書問題は採択割合が低かったことが韓国から一定の評価を受け沈静化したが,日韓のわだかまりはまだ溶けてきってはいない。

参考文献  現代用語の基礎知識 2001 自由国民社

(文責:村井亜希子)

リンク→http://www.kyouiku.tsukuba.ac.jp/~yamane/korea/2001/text/


韓国から見た教科書問題

http://www.ifvoc.gr.jp/new_page_212.htm


ここまでのポイント

・教科書問題とは、まず、1982年の「侵略」→「進出」の誤報道から始まり、2001年の「つくる会」あたらしい歴史教科書が政府に認められ、これらのことに対して韓国・中国政府が訂正を要求し、日本が要求に対し、無視や受け入れなかったことが原因でおきた。

・教科書内で問題になるのは、近代(明治〜第2次大戦終わり)までの戦争(侵略戦争)のことである。

・その教科書は、概ね「つくる会」の作成した教科書である。中・韓からは小説のように書いているように思われている。

・「つくる会」とは、簡潔に言えば、教科書から現在の若者が喪失しているといわれている愛国心や、日本人としての誇りを取り戻そうとして活動している会である。

関係リンク

リンク→http://www.ifvoc.gr.jp/new_page_214.htm

解決策は?
 ・相互の歴史認識を統一すること。