5、日本国憲法成立過程

1945年8月15日終戦
・GHQ(連合国最高司令官)ダグラス・マッカーサーが、東久邇宮首相に憲法改正の必要を伝える。
1945年11月
共産党が憲法案の骨組みを発表した事をはじめてとして、民間人の間に約20数案が作られる。
・同じ時期 憲法研究会が発足。高野岩三郎(東大教授、労働問題の専門家)、鈴木安蔵(自由民権期の憲法研究家)など10数人の知識人。
1945年10月末
政府は憲法委員会調査委員会を設置。
・・・出来上がった改正案は、明治憲法を少し手直しした程度のものだった。 (天皇の立場に変化が見られなかった。)
1946年(昭和21年)2月1日
上の改正案が毎日新聞でスクープされ、GHQに知られる。
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2月3日
マッカーサーは、日本政府が民主主義の理念を説くのは無駄として、GHQの民政局に憲法の起草を命じる。(
マッカーサー・ノートと呼ばれるものが原則に。)
・同日、
輿論研究所が世論調査の結果を発表。
2月10日
GHQによる憲法草案完成内容・・・基本的人権の保障
国民主権
天皇は日本国民統合の象徴
戦争放棄 など。
3月5日
このGHQ案を参考に政府案が作成され、「憲法改正草案要綱」を決定、翌日国民に発表。
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ほとんどがマッカーサー草案の日本語化。
1946年(昭和21年)4月
衆議院総選挙
・すでに昭和20年、選挙法が改正され完全普通選挙に。20歳以上の女性も選挙権獲得。
国民の代表機関に近づいていた!?
・憲法政府案全文は公表されていなかった。 その一部が公表されてからわずか一ヶ月。
・候補者のうち、憲法改正案を論じる人たちもあまりいなかった。
憲法を審議する国民の代表として不適格。
6月25日から
「日本国憲法」草案が審議開始。
・憲法改正委員会の下に小委員会を設置。
当時すべて非公開
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・11章103章から成る。
・審議前の「憲法改正草案要綱」から1か条削除、4か条新設。
・憲法前文「日本国民は・・・ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と書いてあるのに、明治憲法73条に従って天皇が発議するという矛盾した形がとられた。
・・・・・?民意は全く反映されなかったのか?
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