武澤信一 Who's Who (月刊リクルート:昭和56年5月 より)
大正14年 9月5日、長野県松本市生まれ。父は職業軍人で、当時、松本の歩兵五十連隊に所属していた。姉がひとり、弟がひとりの三人兄弟。
両親 小学校一年のときに母を、中学三年のときに父を失った。「母の記憶は断片的。父は野球の好きなスポーツマンだった。」
学歴 昭和7年大連嶺前尋常小学校入学。同13年大連中学校に進む。父の死で四年生の初めに石川県立金沢第三中学校へ転校。翌17年第四高等学校(文科甲類)進学。「戦争のため期間が短縮され」同19年9月卒業。同年10月東京帝国大学法学部政治学科入学、同22年9月卒業。法学部にしようか、文学部にしようかと迷った末に法学部。「位牌になったときに少し格好いいかもしれないという単純な理由ですよ」
大連時代 嶺前小学校では、先見の明ある先生のおかげで、非常に伸び伸びとしたすばらしい教育を受けた。
「しかし、あらためて大人の目で見れば、我々はやっぱり植民地にいる日本人でした。中国そして中国人に対して不まじめだったと思います。」後に高校で中国語研究会を作った。
病弱 小学校の一年は3分の1ほどしか出ていない。
射撃部 体に負担のかからないスポーツを選んだ。中学、高校と続けた。
兵役 昭和20年1月5日第二乙種合格で、京都の野砲連隊に現役入隊。一ッ星で馬の世話から、幹部候補生となって座金がつき敗戦で陸軍予備役上等兵。兵隊を経験した結果、体力に自信がついた。「京都の街で、ガールフレンドの目の前で泥棒をつかまえてカッコいいところを見せたりしました」
大学復帰 昭和20年秋。転入制限があってなかなか東京へは戻れなかった。「休講も多かったんだろうけど、こっちはそれもよく知らないほど学校には行ってない」
アルバイト 「英語を教えると部屋代がタダ」の東十条英会話学院に住みついた。そのころ、学生仲間で作った東京帝国大学学生文化指導会という会があった。中学生や女学生相手に通信添削、模擬試験、補習やったが金にはならなかった。
就職試験 「よほどこましゃくれていたんでしょう。ある商事会社の面接で、学生らしくないと言われた。
そこでまた、もうすぐ社会に出ようという人間が学生らしさをブラ下げているようじゃしようがない≠ニ返事をした記憶がある」
職歴 昭和22年9月文化指導会の仲間が紹介してくれた図書印刷(旧・帝国印刷)に入社。同24年極東空軍資材補給司令部に転職。管理者訓練計画(MTP)編集長として、MTPの編集とインストラクターの養成にあたる。同26年ガリオア計画でミネソタ大学に留学。同27年帰国。淡路○治郎氏(立教大学教授)の紹介で、立教大学文学部の非常勤講師となる。翌年3月専任講師、同30年助教授を経て、同35年社会学部教授。
教科書プロジェクト (『学図三十年の歩み』より)「私が図書印刷に入社したのは、まだ挫折を知らぬ青年の日のことである。まもなく文化部で教科書のプロジェクトが始まった。私は一人めの教科書要員たる平社員となり、B4判の仙花紙をリュックでかついで大塚に運んだり、ガリ版を切って紺のインクで印刷したりして、1800円の月給をもらっていた」
職場結婚 信子夫人の証言「ある日、国語の原稿のことで、大塚の教育大学付属小学校へ行くことになりました。そのころ若者の部であった少々キザな男性とどういうわけか一緒だったのです。ところが、はるばる電車にゆられて先方へ着くと、彼はかんじんの原稿を持っていないのです。どうみてもぬけたところのなさそうなキザ氏の弱点をみて、私は心の中で大いに喜んだのですが、しかし口ではたいしたことではないワ≠ニか言ったようです。彼は、私の思いやり(?)に感激したのか、生来そそっかしがりやのシクジリが、次の年にはわが亭主になっていたんです」
スパイ気取り 「やがて私は進駐軍の検定基準を探りたくなって内幸町にあったNHKビル屋上の教科書検定課に通うようになりました。ちょっとした産業スパイ気取りでした(笑)」。ここでディクソン・宮内氏と知りあい、結果的には「立川でMTPを一緒に作ろう」という彼の誘いに応じて、学校図書を退社。
MTP 学校図書の社長は一代にして会社を築きあげた人物だっただけに自分に自信があり、しばしば部下は直撃弾スタイルで叱られた。あるとき、MTPの原点となった米軍マニュアルの「叱責の仕方」をみると、これが一つ一つ自分の社長のすることと違っていた。「私は心に快哉を叫び、これが普及すれば日本の民主化は促進されると信じました」。合理的かつ人間的≠ナあることこそマネジメントの基本だと考えて、今日への道を選ぶ。
留学 アメリカのミネソタ大学では、インダストリアル・リレーションズを学んだ。日本では、労使関係、産業関係と訳されている。立教や慶応、早稲田、同志社では、後者を使っている。
視点の拡大 「留学当時は労使関係というよりマネジメントへの興味が強かった。その後、関心は心理学的なものに傾き、また違う分野から問題にした方がわかりやすいので、社会学、経済学、政治学、経営学、哲学の角度にも目がいき、国際比較や文化論的視点とますます関心分野は拡大しております」
QWL 昭和47年、ルー・デービス教授からQWLの国際会議に招待された。このルー・デービス氏の誘いでQWLの国際委員会に加わることになった。
昭和54年 立教大学社会学部長に就任。
社会学部 「立教の社会学部は姿は小さいですが、構想は非常に雄大なんです」。昭和34年、文学部社会学科から社会学部となり、社会学科、産業関係学科、観光学科がある。社会科学系のさまざまな学問を総合的に、かつ応用分野も含めて探求しようというもので、「そういう意味では社会学・部ではなくて、社会・学部なんですね。社会学者から経済学者、コンピュータ、ORの学者までと実にさまざまの先生が集まっている。
ですから、日本の将来にとっていちばん適切なところだと思います」
学部長として 「社会・学部としての意義が世間一般に今ひとつ理解されていないように思う」。たとえば経営学関係に関心を持って学ぶ男子学生が多いが、彼らは経営学部出身者と比較しても負けないだけの専門素養を身につけているにもかかわらず、社会学部出身という理由で、金融や保険業界への就職がスムーズにいかない。「学部長として、各企業にさらに理解を深めてもらうよう働きかけたい」
休日 2月は試験中ということもあって、学校に来なかったのは日曜も含めて二日だけ。職員も同じという。
ほかに採点、原稿書き。
武澤ゼミの歌(武澤信一作詞・幼なじみの替歌で)
一.鈴懸並木のゼミ室で 初めて合わせた顔と顔 みんなは秀才ボク例外 どうぞよろしく願います
二.何にもいわない一年生 何も知らない二年生 何でもごまかす三年生 何でも忘れた四年生
四 労働白書の合宿は 恋する夏の終わりです それから始まるサブゼミは 恋する秋の初めです
八 OB現役はげみの会 毎年メンバー増加する 頭の輝き増していく 世の中明るくなっていく
(三、五、七、九、十番は略)
縁結び 51組の仲人だ。
連絡先 学生たちいわく「サンパツニイッテ ツルツルニナロウ」
講義の前に 話すことはあらかじめルーズリーフにメモしておく。「しゃべる速度と思い出す速度が私の場合、食い違うのです」
教え子からの証言(55年卒 中村啓子氏談)
「ひとことで言うならダンディ、私たち女子学生のあこがれでした。男子学生にとっては最高にして最強のライバルでしたね(笑)。四年間、ゼミでお世話になりましたが、みんなで和気あいあいと楽しかったなあと思う反面、ああ厳しかったというのも実感です。今でも忘れられないのですが、私があるとき、私たちがいくら理想を追求しても現実はちっとも変わらないんじゃないか≠ニ言ったことがあるんです。そのとき、先生はそれでも正しいことは正しいことなんです≠ニ、いつもの口調でサラリとおっしゃった。ゼミで学んだことのいちばんは、そういった先生の姿です」
学会・研究会 @日本労使関係協会常任理事「インターディシプリナリーな労働問題を扱う学会では、今は二年後の国際会議での準備に追われている」 A日本労務学会常任理事 B自治省の公務能率研究会。高学歴社会の地方公務員制度の問題がテーマ。
海外での活動 仕事の片足は日本、もう片足は国外にある。 @ International Council for Working life の委員 A ILOの依頼で二つの研究を手がけている。第一は「日本におけるQWLの現状」。第二はフランスの学者と共著で「現代労働政策の課題としてみたQWLの現状」 B アメリカ人の学者との共著でWork Ways: Japan and America ≠ェ日本労働協会から出版の予定。昭和43年に出したThe Other Worker≠フフォローアップ版だ。
家族 夫人とは昭和24年に結婚。子どもはいないが孫が一羽、インコのチビちゃんがいる。
睡眠 約七時間。十二時前後に就寝。「大学なら朝寝坊できると思ったのに大間違いだった」
朝食 果物、ゆで卵白身入りサラダ、ミルク、パン、コーヒーはブラック。「コレステロールを防ぐ献立だそうです」
酒 酔っぱらわないという意味では弱くはないが、飲まなくてもよい。
煙草 心臓に悪いと医者にやめさせられた。
筆記用具 100円、200円の実用本位。消しゴム必携。
時計 「二十五年勤続でいただいたものです」
おしゃれ 買う必要が起きたら、自分で選ぶ。ただしあまり買う必要は起きない。
ネクタイ 旅に出るたび一本ずつ買ってきた。多くなって、最近やめた。いちばん古いのは26年目。
趣味 ドライブ。「運転さえしてればごきげん。職業を間違えたのじゃないかと思うときもある(笑)」
コレクション 宛名に間違いのある手紙の変種が101通。「捨てるのが下手なだけ。集めているつもりはありません」。日本リクルートセンターからのは1通。
情報整理 わずかの情報をきっかけに自分で仮説を立てて検証していくケチケチ型。情報収集や整理は全く苦手。
テレビ 「刑事コロンボ」は面白かった。騒がしい番組は、お金をもらっても見たくない。
読書 「本当は私、本を読むのは好きじゃない。専門書も、しょうがないのでエイッと決断し、必要なところだけ目を通す」
小説 翻訳物の推理小説ではクロフツが自分に向いていた。労働に関する小説は、半分は仕事上の興味で読む。
すすめたい本 「自分の関係したもので気がひけますが」ピゴーズとマイヤーズの共著で『人事労務』(マグロウヒル好学社)。横山哲夫氏(モービル石油取締役)との監訳。最近の人事労務の本はみんな薄く、やさしい。それでいいのかという気持と、もっと広い視野をもってほしいとの気持で、この本を訳した。
交友 安倍治夫氏(弁護士)、千葉達郎氏(飯野海運・専務取締役)、楢原純氏(日立クレジット・取締役)、
瀬元美知夫氏(成蹊大学教授)ら。
主な著書 (共著、分担執筆を含む)『事業協力・産業関係と人間関係』中山書店、『中小企業経営便覧』森北出版、『従業員態度調査法』『労働監査実施要領書』『従業員態度調査の手引き』『労務管理ハンドブック』以上日本労務研究会、『産業心理ハンドブック』同文館、『経営の心理・モラール』筑摩書房、『人事管理』金原出版、『人間の管理』講談社、『青少年の管理』日本工業新聞社、『人事管理・銀行の経営学』銀行研修社、『産業集団心理学』朝倉書店、『実力主義の職場』大日本図書、『労務監査ハンドブック』『経営学辞典』『経営人事』
『人事管理自由化論』以上ダイヤモンド社、『労働の人間化』総合労働研究所、『Cultural Values in Management-Worker Relations』 School of Business Administration, University of North Carolina. 『The Other Worker: A Cross- Cultural Analysis of Industrial Relations 』East-West Center Press.
周辺からの証言 横山哲夫氏(前出)談「師友、兄友という言葉がありますね。私にとってまさしくそういう方で、これからもずっと、あの学識と人格を盗み続けたいと思っております。学者と実務家ということで立場は違いますが気心、考え方に非常に共通するものがありまして、本当にムダなく教えてもらっている。実務のこともすっかり射程距離に入っている方です。これほど安心して教えていただける人はいないですね。
センセーショナルな言葉で気をひくなどといったことを決してしない方ですが、何かおっしゃったあとで『そうなんです』と付け加えたときは、相当ゆずらないですよ。
とにかく視野が広い。英語でスピーチ、ディスカッションする。それがりっぱな英語なんです。
いいものに素直に感じる心を持っているのにもいつも驚かされます。自分の学生のいいところを本気でほめますからね。そうそう、私の冗談にはよく笑ってくれますが」