都の犬

必ずあの犬は来た。忠犬ではないけれど、やくざ並みの情に厚い犬だ。 名は分からなかった。股旅の最中である。 犬は京女に恋をした。京女とは身につけていた首輪をもらうまでの仲だ。 「強いやつ。」犬は魔除けのシーサーマスターに店にはいるやバーボンを注文した。

酔いが回ると、犬は幼かったころ、自分は馬になりたかったこと、それを父親に猛反対されたことを京女に話した。女は黙って犬の話を聞くフリをした。 雨が降りしきる夜に犬は眠れないときを過ごした。頭には撫でられ過ぎた跡を誇らしげにそのままにしてあった。もうすぐインフレになることを予測しつつ、朝を迎える。

セルシオとクラウンの間に挟まれた犬の寝床は日当たりの良好さで知られていた。 ボクサーパンツをはくのは多彩な趣味を持っているあの京女の影響もあったのだ。 お腹もすぐに空かすので、血糖値を上げることには人一倍気を使った。 「おいおい、ギャル男ばっかだな。やりすぎだよ」犬は遠吠えに近い負け犬な言葉を吐き捨てた。そういえば、尾っぽが長くなったような気がした。 ナンバ−ワンにもオンリーワンにもなる気は無かった。

人それぞれに生き方が違うように犬も違う。犬は悟ったような口調で人をあおるのが苦手である。そんな姿を京女に見られたら三日三晩は歩けなくなうだろう。 「君のポリシーは何だ」とシーサーマスターに聞かれると、犬は恥ずかしそうに、 「尾までアンコが入っているかのごとくです」と答えた。シーサーマスターもてれた表情を見せた。 夜は更にふけていった。街頭がうすく輝き、町は不思議な感じになった。 それでも、犬はまっすぐに歩いた。冬はすぐそばだ。

犬にとってもドラフトの日は胸が高鳴る。やはり、指名されないと安堵感もあるが、もの寂しさもある。 初霜が降りた日に京女に会った。派手めのサンバイザーが女とミスマッチではあったが、犬はお得意のお世辞で女の機嫌をとった。 今まで隠していたが、天下一武道会に出ようと決めていた。

犬が天下一武道会に出場することが京女の耳にも入った。 犬は乃木坂をゆっくりと下り、ひとり都を後にした。京女はこっそり犬の跡を追っていった。 黄昏の町を背に抱き合えたあのころが胸を霞めた。 渡し舟に乗り込んだ犬は、渡し賃を払えないが天下一武道会で優勝したら必ず返すと伝えると、ハミルトン王子の使いは船を出した。 せまちにの はやまたきしを なつめとき と、歌うと犬は 夜は更けずとも 見はほろびけり と返歌を詠んだ。 使いの目には涙があふれていた。

とうとう犬は会場までたどり着いた。 早速、エントリーを済ませると、犬は師匠である藻天老師こと麦仙人の孫に会った。 「ぼっちゃん、お懐かしうございます。」と言うと、 「お前など知らぬ。散れ。」そう言っていなくなった。 かくして犬は天下一武道会で優勝した。京女は厚着してきてよかったと思った。 約束どおり犬は賞金の一部をハミルトン王子の使いに払った。 犬と女は国後島を後にした。

犬は言い知れぬ恐怖を感じていた。マイナスイオンという言葉を見ると鳥肌が立つように毛並みも乱れた。 別に主人なんて要らないと常日頃思っている。かなたから悪魔のささやきも聞こえる。 自分のしっぽが嫌いで自らしっぽを噛み切ろうとして何度も同じ場所を回ったことがある。犬は漁夫の利という意味がわからないであろう。 犬の父親は、犬のお巡りさんだ。迷子の子猫ちゃんのお家を聞いても名前を聞いても分からなかった。ベッケンバウアーを崇拝していた。 ドビッシ−のアラベスクのラシドシラ♪の調べを聴きながら犬は京女のことを思った。

ようやく犬と京女は都に戻ってきた。京女は人目も憚らずに泣いた。犬ももらい泣きした。何故泣いていたのか誰も知らない。 徳政令なんて何年ぶりに出たであろう。カプセルホテルで夜を明かしたため犬はポジョ〜 という気持ちになった。 「おい、この税金泥棒め!」こういう類の嫌がらせには慣れていたが、中田に言われるとやはりポジョ〜という気持ちになったのだ。 エキゾチックな黒船をこいできたものたちは開放弦でしか弾かなかった。だからヘボン式ローマ字を読むのはつらかった。 犬は彼らの気持ちを汲んでやった。

“ワン”と鳴くのも楽ではないと思い始めた。今では鳴かないことにした。 ハザードランプが点滅するのを見ては目を丸くした。第六感というものは存在すると信じていたが、自分にはそれが無いと自覚していた。 絶対的にボキャブラリーが少ないために言葉では言い尽くせない、いらただしさをいつも感じていた。 京女は買い物をしに街へと出かけていった。犬の好物を買いに行ったらしい。犬に好物はないのだが。 「お前らは、ここへきて向こうへ行く気だな、そうに違いない。」昼夜問わずにメッシュ素材の服を着たニキッドおじさんは独り言を始めた。

今年一番の寒さだ。犬も当然寒い。雪が降っても喜び庭駆け回る余裕などはない。 旧ソ連の演劇家であるメイエルホリドが創出した、演劇の基本を役者の肉体活動に置くと言うビオメハニカ[biomekhanika]に強い興味を持った。犬は麦仙人のもとで一日中ビオメハニカをやっていた。 代ゼミの代の字を知らなかったころの話だ。 「コノハシワタルベカラズ」という札を見て、端っこを渡ると、青二才なニキッドおじさんとすれ違い、あいさつをした。 あの事件が起こるなんて、今の犬には考え付かないだろう。

買い物に行ったきり三日、京女は帰ってこなかった。犬は心配でしっぽのことを忘れさせられていた。 自閉症気味の友人が隣にいると仮想して生きてきたため、少々の変わり者を相手にしても犬は動揺しなかたったが、京女には正直、驚かされない日はない。 それから2日後、ひょっこり京女は帰ってきた両手に一杯のオニオンリングを入れた袋を抱えてきた。「もう少し時間があったらエアコンが買えたのに、ごめんなさい」 犬はつられて“ワン”と鳴いてしまった。

都にいる間、犬は都の犬でいられた。 独立戦争後、13の植民地がアメリカの州となった。犬はよく歴史を学んだのだった。仕方なしではあったが。 放物線を描くように走り回る自分の姿にうっとりした午後、犬小屋作りをしているにキッドおじさんを見て、鼻で笑った。 シーサーマスターの店は毎月9のつく日が休みであった。シーサーマスターはサタデーフィーバーナイトでビージーズの歌を口ずさみながら犬がアフロだったらいいのにと勝手な想像をして悔しがった。そろそろマドラーを買い換えようとした。

灯台から見下ろす都もまた大変に風情がある。ウッドワードは技術がどう組織に影響を及ぼすのかを調べたときもこの地を訪れたとか。オビワン=ケノビにライトセイバーをあげたことは秘密にして欲しいと言ったが、犬は約束を守ったり、破ったり、そういったヒミツを共有する術を持っていた。 Uボートが沈んだ日に、犬は海を敵だと見なし、大地こそが味方であるという偏った思想も持っていた。 京女は結末を知ることを嫌う。いつも半端なところで手を止めてしまう。育ちがよいというのも少なからず手伝ってのことであろう。 つまりは、京女は日米和親条約が不平等であるとは思わなかった。そもそも、平等とはなんであるかの議論をしなければ一概には甲乙をつけられないためである。

ポール・マッカットニー、ギルバート、スミス、牧。色々名前を挙げればきりがないが、犬にとってポールといえば、社長の飼い犬ポールを思い浮かべた。 ポールは都の犬になりきれなかった。猟犬と忠犬の間の子であった。名付け親は、京女の兄の京男であった。 実はこの京男とは、かなりアクの強い男だった。両家の次男坊でずいぶん可愛がられた。 太陽と風の話で、最後まで風は少年のコートを脱がすことができなかったが、あの時、ポールは飛ばされていたのだその行き先が偶然にも京女の家の庭であったのだった。

人間国宝と同様に犬・都の華という名誉があった。これに指定されると、首輪をつけなくてもよいことになっている。 都の犬には遠い存在であった。生涯で一度見られるかどうかなのだから。ただ、犬は都の華にはなりたいと思わなかった。依存的な姿勢がポリシーに反するからである。 犬曰く、「酒は飲んでも飲まれるな。明日よりもおとといの風をうかがえ。」 師走になると夜が明かりづく。 犬ひとり歩くイルミネーションは寂しい影をつくった。0時になると明かりは声を合わせて消え、元の犬にした。犬は少しでも明るい場所を探しに歩いていった。

犬は漆の匂いに敏感だ。マッチが落ちていればリンの匂いがした。香水商人のウォンバーグはハミルトン王子に高く品を売りつけた。犬はウォンバーグの香水も嫌いであった。 ステイタスの高い芸は、それだけで身を助け、聴衆を魅了した。「お手」「待て」「おかわり」などである。このうち、犬は「待て」ができなかった。待てないのだ。待つなんて考えられないのだ。 経済と社会学を重んじてきた犬は以前感じ取っていたインフレの兆候を目の当たりにすることとなる。アメリカザリガニが一匹700円で売買されていたのである。犬は自分も売られてしまうのではないかと、そういう気になった。

象徴するものにしがみつき、没落していくものたちを何匹も見てきた。 最果ての街には何があるのだろう。鋭くとがった矛を巨大な盾がうける。まさに生の矛盾を見せてくれるところだろうか。 「こんな元を取るのが難しい商売があろうか。お前のニヒルな笑顔と交換でソリをあげよう」かつて犬が通っていた学校ではこのような文を犬訳しろという問題が出された。

犬が帝王学を極めようとしていたときとほぼ同時期にゴマフアザラシのアニメが流行った。ゴマフアザラシのぬいぐるみは飛ぶように売れて世にゴマフ族なる現象を起こした。諸行無常の響きがあった。律義者の子沢山である。 久しぶりに都を出てみたくなった。犬も京女も同じ気持ちであった。道中、時代遅れのロンドンブーツを履いた加賀百万石の御曹司・マークさんに会ったが素通りした。 都の外は船長ばかりだ。あちこちで「船長―!!」と叫ぶ声がする。京女は恐怖すら感じた。犬は黙ってしっぽを振って見せた。都の外は不思議が多い。

天井のない家がいくつも転々としているが、どんなに歩いても窓のある家が見当たらなかった。詳しく言うと吹き抜けになっているのだ。さびれた滑車の音が犬ひげを刺激した。 京女にはトラウマがあった。父親が厳格で、かつコンドルが好きだったので、書斎にはコンドルとコンコルドの絵や剥製が置いてあったのだが、あるとき京女が書斎に入った際コンドルの剥製を壊してしまい、コンコルドにひどく叱られたため、「コン恐怖症」になってしまったのだ。未婚、コンピュータ、今週。コンの音を聞くとコンドルに連れ去られそうな妄想に駆られる。 犬は優しく引っ張ってくれる京女の悲しい目を見てくしゃみを4回した。

帰化動物の脅威は都の犬にも感じ取れた。アメリカザリガニ、ブラックバス、呂比須ワグナー。いずれも都はおろか、日本に新たなる生存枠を作った。 以前、犬は刺身が嫌いだと偽っていたが、それが本当になってしまう事件がおきた。メリーゴーランド州ボルチモア出身の漁師ケニ−は釣った魚を自分でおろして、犬や京女に振舞った。ベーブ・ルースの育った街だけあって、予告釣りをして難病の子供に勇気を与えるような男だ。 ある日、ケニーは朝とれた魚だといって犬に与えた。犬はさしみをワサビ醤油で食べたところワサビの強い香りが鼻を刺激した。犬はなみだ目になった。犬は刺身が苦手になった。ただ、ケニ−とはいまも親しくしている。

そろそろ都に帰りたくなった。京女は土産に土産話を考えた。犬はハミルトン王子に旅の道中に買った、やまびこ機を頭に下げ持っていった。 五里ほど歩いて陽が暮れた。もう少し歩けば都であったが、大事をとって、ここで夜を明かすことに決めた。 早速犬は、枯木を集めて火をつけた。犬は頭にぶら下げたポーターのバックに入れたコニャックを一人一匹で飲んだ。 京女は少し飲んだだけで酔った。 「私が好きで京女をやっていると、お思いですか?まあ犬様にはわからぬと思いますけどね。」京女にこんなことを言われたのは初めてであった。犬はポジョ〜となった。そのまま京女は寝てしまった。犬は黙って京女に寄り添って眠った。

夜があけ目がさめると京女はもう起きていた。昨日のことは覚えていないみたいだ。朝になって陽が出ても、ひどく寒い。犬の吐く息は白かった。京女は息をとめていた。 夢を歌う詩は数知れない。人それぞれに違うものだが、結局のところ共通の道にたどり着く。夢とは黄金の腕輪と空をつかむことらしい。そしてそれは自ら成さなければならないものらしいのだ。 正午を回るころ、都についた。犬はハミルトン王子にやまびこ機を贈った。ハミルトン王子は手放しに喜んだ。「ファッホー>ファッホー>ファッフォー・・・」いくどとなく、やまびこが鳴り響いた。京女も京男に土産話を聞かせてやった。京男は聞き流した。飼いウサギのうさちゃんは楽しく聴いていた。

免除されすぎて物足りなさを感じる。ペン先をなめるしぐさを京女が見せると犬は鼻が乾いた。犬が首にかけている皮のトランクは最近シーサーマスターからもらったものだ。ボトムにチェック柄の模様が特徴的なものであった。犬もお気に入りだった。中には、マチ針や手帳が入っていた。 必ず自分は負け組みに属すると思っていた。本心からそう思っていた。根暗だから相手の影の部分を探してしまう。入れ知恵を言うのが好きである。 京女の着物は越後縮だった。犬の黄緑色のストールは京女のセンスであった。犬は京女にビオメハニカの応用編の本を買ってもらった。

イスラム教にはスンニー派とシーア派がある。シーア派の最高指導者であるイマームはハミルトン王子と敵対している。身なりはネオヒッピーといった感じで70年代を髣髴させる。そのくせTシャツはオプアートなものを着ていた。 犬は何派と聞かれても、信じるものがないので、過激派とだけ答えた。 伝え反りやとっくり投げなどの新しい決まり手を得るにはビオメハニカでは限界があるとシーサーマスターに言われた。そしてシーサーマスターは1970年に鈴木忠志が考えた、下半身の感覚と足の動きと腰を重視した日本らしい訓練法である“鈴木メソッド”を犬に教えてやった。 都の犬は新たに鈴木メソッドを取り入れた。影ながら京女は犬のことを見守った。極力メヌエットっぽい曲を流すのは避けた。

「シーさん、私は何故犬なのでしょうか?この頃、自分がわからなくなっていくのです。」犬は神妙な顔をしてシーサーマスターに尋ねた。 シーサーマスターは眉間にしわを寄せて考えて、考えてこう言った。「月が明るいでしょう。月光は私たちを暗い闇夜から明るく照らしてくれるよね。それは有難いことだ。でもね、その暗さを好むもの達はあの月をどう思っているんだろうか。君は肩書きこそ都の犬だが、一番大切なのは犬として“ワン”と鳴くことなんじゃないかな?」 優しい口調でシーサーマスターは諭した。 犬には言葉もなかった。

都の犬の腹の中は、もう決まっていた。今日、都の犬はハミルトン王子に会う約束をしている。今回も犬はひとりで城もどきの家に向かった。 ハミルトン王子は犬を最高のもてなしで迎えた。ハミルトン王子の父のスパミタン王はナイスミドルな人だった。おそらく三日のうちに死ぬだろうことはハミルトン王子から聞いていたが、あれから五年は過ぎていた。 「私は都の犬をやめようと思います。」ハミルトン王子は驚いた。 「何故にそう思ったのだ。都がつかなければ私と会うことも許されぬのだぞ。」王子と都外の犬との謁見は許されていないのだ。 犬は「それは、承知の上です。今日は別れを言いに来たのです。」犬はわざと目をそらしてハミルトンの目を見ることはできなかった。名残惜しいが、これ以上いられないと思い、城もどきから走って帰った。ハミルトンは涙した。 都の犬は、もう都の犬ではなくなった。普通の犬になった。京女には知らせずに都を出ようとした。ハミルトンからの知らせを受けて京女は犬の跡を追った。履物が脱げ、裸足で走って、その足は血だらけになっても走り続けた。 犬はポールに都犬を継承させるために会いに行った。ポールは複雑な面持ちであったが、引き受けた。 都を出かけた時、京女がまえに立っていた。京女は京を辞めたと言った。京女は女になった。犬は偽善者だった。 偽善者な犬は女に恋をした。女は新しいマフラーを犬の首にまいてもらうほどの仲だ。 股旅の最中である。

        

戻る