『クリティカル進化(シンカー)論』


クリティカルシンキングとは、訳すと批判的思考であり、ものごとを鵜呑みにするのではな く、自分の頭で、しかも、きちんとしたやり方で考えることである。つまり、「人間が陥り やすい思考の落とし穴や先入観による影響などを十分に自覚した上で、そこから脱却し、も のごとを冷静に、客観的に、理論的に考え、判断すること」である。

 同じ情報をあたえられたとしてもそこから得られる情報は各個人によって違う。この本で もたった1漫画4コマではあるが、それを作者が意図していたかどうかは別にしても人によ ってさまざまな受け取り方があったと思う。1つのものごとに対してもさまざまな見方があ るわけで、人それぞれの見方もさまざまである。だから1つのものごとを見るときも1つの 方向から見るだけでなくいろいろな角度から見てみると違った見方ができるはずである。
1つの問題を解決したいときに、その問題をさまざまな角度から検証することは当たり前 として、筋道を立てて原因は何なのかと1つ1つ分析していく必要がある。この手順は、数 学と似ている。今、クリティカル的思考ができない人が多いのは、理系離れ数学離れと関係 があると思われる。つまり、論理的な思考が必要なのである。しかしここで注意が必要なの は、数学では答えはたいてい1つであるが、この場合は1つとは限らない。たくさんあるか もしれないし、もしかしたら答えがない場合も考えられる。

論理的思考などというと難しいように思われるが、用は『考えること』である。

自分の視野だけではなく、既成概念にとらわれない自由な発想、想像力、創造性などの柔軟 な思考が必要となる。

今の世の中は、情報にあふれている。だからこそクリティカルシンキングが必要なのだと思 う。特に日本人は、マスコミのよって情報の画一化に陥っている傾向が多く見られると思う 。この多くの情報の中から情報の取捨選択をする必要がある。特にマスコミは、目立つ部分 を集中して取り上げる傾向があるように思う。例えば、何年か前『17歳』が関係した事件 が起こったが、そのときも『17歳』という部分を集中的に取り上げた。この事件以前も 17歳が起こした事件はあっただろうし、17歳だから危ないというわけではないだろう。 ある特徴を集中的に取り上げることで、人々に関心を持たせるが効果があるが、それによっ て誤った認識を与えることもある。これは、報道する側も非クリティカルであるし受け取る 側の視聴者も非クリティカルであることが多いからである。情報をただ受け取るだけでなく その情報について考えることが必要である。

人は他人の意見や権威、見かけに騙されやすく、身近にいる数人の評価だけで物事の評価・ 判断をしてしまうということがありがちだと思う。例えば自分の周りの人が良いと言ったか らといって、それがイコール世の中の評価というわけではない。思い込みではなく、問題を 効率的・効果的に解決するための考え方が必要なのである。

クリティカル思考を妨げるものにステレオタイプ、偏見がある。ステレオタイプというもの は、集団全体でみるときには当てはまるがその集団に属する個人には当てはまらない。しか し、自分が思っていたことを疑うことはなかなかできない。それ故に間違った結論にたどり 着いてしまうこともある。自分では当たり前、常識と思っていることでもそれは世間一般に は当てはまらないことがあるので、自分を疑ってみることも必要だということである。自分 の固定概念にとらわれるのではなくもっと広い視野でいつもとは違う視点で物事を見ること が必要である。

1つの事柄は、さまざまな要因が絡まりあって形成されている。その事柄を理解しようとす るならば、さまざまな角度から広い視野で考えていく必要がある野は当たり前だと思う。 世間には『いわゆる勘のいい人』というのがいるが、確かに本当に勘だけがいい人もいるだ ろうが、同じ情報を与えられてもそこからそれ以上のものを読み取れる人がいると思う。そ れを『勘』といっている部分があると思う。こういう人は、クリティカル思考ができている 人だと思う。

日常生活においてクリティカル思考をどのように用いるか、まずは難しいことをするわけ ではなく物事、情報をいつもと違う角度から見てみたり、そのまま受け取るのではなくそこ にある含みの意味を考えて見ればよいと思う。

漫才のように、世間の事柄や情報にツッコミを入れることがクリティカルシンカーへの第一 歩かもしれない。物事、情報などを素直に受け入れるだけでなくいつもと違う角度から見て みたりして、少しでも考える事が大事だと思う。

また、ユーモア感覚を磨くことにも通じるとあったが、本当のユーモアセンスというのは、 クリティカル思考を理解した上での非クリティカル思考部分にあると思う。クリティカル思 考としての意見は、まっとうであり筋も通っているかもしれないが、面白みがないように思 う。そこからは新しいアイデアは生まれないのではないだろうか。そういう意味でクリティ カルシンキングを理解した上での非クリティカルシンキング部分こそが、真のユーモアでは ないだろうか。

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