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| ■マトリックス・レボリューションズ (ネタバレありますm(_ _)m) |
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2003/12/2(火)
息子と一緒に見に行くために、日本語吹き替え版を待っていたので、11月22日にやっと見られることに........。見てから約10日ですが、けっこう印象深い作品でした。 ネットでいろいろ感想を見ていると、特に最後の決闘シーンは「ドラゴンボールの実写版」とか言われていて、イメージとしては、「たしかに言えてる〜」という感じで、さすがに3作目ともなると、斬新さがちょっと不足気味でした。 でも、今でもけっこう記憶に残っている部分がある(勘違いもあるかも知れないが)。どうも気になるので、ちょっと書いときます。 一つは、冒頭近く、現実とマトリックスの境界の世界で、少女サティの父親(プログラム)が、ネオに「『愛』とか『運命』とかは実体ではなく言葉にすぎない。要は言葉と自分の関係性だ」みたいなことをいう場面。このことは「機械/プログラム」と、「人間/意識」の差異が、実は(とりあえずマトリックス世界では)ほとんどないことを示しているのではないかしら。 だから、第1部の終わりでスミス/プログラムの一部がネオとの闘いによって上書きされたり、今度はスミスが現実の人間の意識に侵入(「リローデッド」ね)したり、ネオの方はマシン・シティで機械(たち?)と直接対話できたり、そして最後には、スミスに侵入されたはずの予言者や少女サティ/プログラムや、とどめにネオが、寄ってたかってスミスを破壊(上書き?)して、機械と人類(ザイオン)とマトリックスを救うことができるのも、物語が終わってみれば、全部可能だったということですわな。ネオでなければ世界は救えなかったにしても、それは実はネオだけの能力ではないような気がします。 そして映画のエンディングは、救われた(更新された?)マトリックスで、予言者はじめプログラムたちが語り合う。アーキテクトの親父さんは、ザイオンを攻撃しないことと、「電池人間」たちが自力で解放されるのを認め、「私は人間のように愚かではない」みたいな大見得を切る。そしてラストは、(サティがこしらえた)マトリックスの美しい夜明けの風景。 第1部でモーフィアスら人間がめざしていた、機械の支配の打倒とマトリックスからの解放は、未だ達成されず、平和共存がとりあえず実現したっていうことかしら。でも、それはそれとして、「電池人間」は大半そのまま(電池のまま平和の犠牲に・・・・)かよ? とか、逆に電池人間の解放を認めたら、機械は存続できないやんか・・・・とかいろいろ悩んでしまいました。 結局、マトリックス世界そのものが、人間/意識と、機械/プログラムがコミュニケーションをとることのできる世界として、存続することが必要(悪)なのか??っていう終わり方のように思える。それこそマトリックスという仮想の世界が、ラストで美しく描かれてしまうと・・・・。これまで6回更新されてきたって、そういう意味なのかしら? そして、もう一つ気になることは、ネオたちがマシン・シティに向かう途中、機械の攻撃をさけて暗雲の上にでると、一瞬、青空が広がっている場面。あの〜、もし機械があそこまで行けたら、太陽エネルギーを入手できて、大量の「電池人間」なんかいらなくなるんじゃないんでしょうか? やっぱり、過去の人類が機械を滅ぼすために太陽光を遮断したんだから、いまだに機械は雲の上に行けないのかしら? でも、ネオはそこに行けた。それが救世主ということで、真の光(現実の太陽)を見ることができたネオが、いつか3つの世界を救うことになるんでしょうか? サティは、マトリックスでネオに出会うことを期待していましたし・・・・。 ネットでは、「グノーシス」とか難しい思想の話も出ていましたが、知識がありません。ちょっと小難しい「マトリックス本」も読んでみたくなりました。でも、今出てるのは、「レボリューションズ」の話題は入ってませんよね? 待ってます。 と、いうことで、「読書日記」への道は未だに遠い私です........。 |